16
花街の昼下がり。
一日眠らない街とも呼ばれているだけあって、中心部よりも離れた位置にあるここでも賑わっている。これがまた夜になると違う表情を見せるのだから面白い。それを目当てで一日滞在する者も珍しくなかった。
二乃の部屋から出てすぐ、イドは辺りを駆け回る。
それはまるで、水を得た魚のよう。
「ふわぁぁぁーー!」
そして、その傍らには不機嫌を隠そうともしないニィの姿があった。
「――……ったく、なんでこの俺様が」
イドは騒いでいるものの、ニィとしては何の変哲もない街。今更、あれこれと関心を寄せるわけもない。
ニィとて、花街を観光したことはなかったが、わざわざそんなことをする意義が見当たらなかった。
加えて、ある程度花街で過ごしていれば、中心部はともかく、片隅のこんな所、なんてことはないだろう。
冷静に辺りを見渡すニィに反して、イドはあちらこちらへと目を輝かせて突っ込む。
「何、興奮してんだよ、こんなとこ、ここにいりゃあ普通だろ」
「ううん!僕、昼に外、出たことないの。初めて来た!」
「……」
言葉が口から出かかって、自然と止まった。
底辺の禿でさえ、自由時間などでは妓楼から出て、禿同士や花魁について回って花街を楽しんでいる。妓楼から出たことがない禿などいない。
だと言うのに、イドが妓楼から出たことがないなど、ニィには到底信じられなかった。
事実、イドはニィに襲われた昨夜以外に妓楼から出たことはない。観光など尚更だ。
「ね!見て回ろう!」
「……ったく」
「えへへ」
それ以降、ニィがイドへ呆れを含んだ言葉を口にすることはなかった。
ニィの腕を掴んで、イドは次々と気になる店に近寄っていく。
その中でもイドが目を輝かせたのは甘味処。
「ねね!ニィ!これ見て!美味しそう!」
メニューを覗き込み、熱心に見つめる。
「食べればいいじゃねーか」
「んもう!お金、持ってないんだよ。買えないの」
ぷう、と頬を膨らませる。
イドはまだ花街で働いていない。というか、監視されている状態だ。実質、竜胆楼に養ってもらっている。
衣食住に困ってはいない。
それはこの世の中、恵まれていることになるのだが。それでもなお、真新しい食に心惹かれないわけがない。
未練がましく、イドはメニューに縋りつく。
「うぅ。でも、すっごく美味しそう……美味しいだろうなぁ……」
「俺には分かんねーな」
「ええ?もったいない」
本当にもったいない。
イドは心の底から同情した。
鬼は人の血肉を、吸血鬼は人の血液を、それぞれ嗜好品とし、食事は特に摂る必要はない。
しかし――
ニィは店内を見渡す。
見えるだけでもこの店には人のみならず、鬼も吸血鬼も甘味を楽しんでいる様子だった。
「……物好きな……」
ニィの口から漏れる。
必要もないのに楽しむことがニィには理解ならなかった。
嗜好品もなくても生きていける。
食事もいらない。
外では鬼達が食事をするところなど見ることはない。なのに、花街では周りに当てられてなのか、甘味処以外の食事処にも鬼達を見かけることが珍しくない。
ニィは何とも形容しがたい鬱憤が溜まっていた。花街のどこかぬるい雰囲気に。
一瞥して、目を逸らす。
すると、いつの間にか甘味処から数店舗先に移動していたイドの声が聞こえてきた。
「うわぁ!すっごい」
店外までに留まらず、遂に店内にまで入って物色する。
壁にずらぁっと並んだ装飾品の数々。
ネックレスに、ピアスに、ブレスレット、髪飾り、指輪、扇子。
女物も男物も揃うそこはキラキラと輝く。
「きれぇー……」
ついつい声に漏れ出る。
「フンッ」
歩いて淡々とついてくるニィは店の外で足を止めて、イドを見る。
ニィが来たことに気づいて、イドはニィへと振り向いた。
「ニィ!これ、二乃に買ってあげようよ!きっと、すごく綺麗だよ」
そう言って、手に取ったのは桜の髪飾り。
「買っていかねー」
「ええー?」
一蹴するニィになおも食い下がる。
しかし、ニィの態度は変わらなかった。
何なら、歩き回っていた時より一気に辟易した様子でさえある。
「知るかよ、あんな奴」
予想だにしない、思ったよりも素っ気ない返答。
それこそ、イドの方が驚いてしまう。
「?どうかした?」
「……別に」
それ以上話そうとするつもりがないのか、ニィは顔を逸らした。
不自然だ。
イドと目線も合わせようとしないニィにイドはむぅぅ、とムキになっていく。
「もう!なんでニィはそんなに二乃に厳しいの?!僕には何だかんだ優しいくせに」
「そもそも、てめぇのその『優しい』が分かんねーっつってんだよ」
「む。優しいよ、ニィは」
えっへん。イドは胸を張って断言した。
「だから、二乃に厳しく当たるのが分かんないんだよ」
イドから見れば、さぞニィはイド以外に厳しいことだろう。
むしろ、イドが異例なのだが。
とは言え、イドがいるいないにかかわらず、ニィが二乃のことを嫌っているのは確かだ。
「……あいつはうっとうしいんだよ」
苦虫を噛み潰したように、ニィは言葉を振り絞る。
「え?うーん?」
イドは二乃の姿を思い出しつつ、首を傾げた。
鬱陶しいとは程遠い印象ではある。
ニィはイドとは比べものにならないくらい二乃と一緒に暮らしている。それ故に、イドが知り得ないこともあるだろう。
それでもやはり、あれだけ下手に出ていた二乃が、という思いがある。
パッと見ただけでは分からない人柄というものだろうか。
イドの疑問も無視して、ニィは忌々しそうに続けた。
「フン。言いなりで便利だが、俺様を縛ろうとしてきやがる。うぜぇ奴」
「……?」
やはり、分からない。
実はああ見えて、束縛系なのだろうか。
それならば、分からなくもない。弱々しい中に相手を縛りつける傾向にある人もイドは見たことがある。
そのほとんどは不安から来る、心が不安定であるが故の束縛だった。
ならば簡単だ。
心が不安定であるなら、安心させてあげればいいのだ。
「きっと、不安なんだよ」
「あ?」
「ニィが優しくないからだって」
うんうん。イドは一人で頷く。
「二乃、あんなに怯えちゃって、可哀想に」
怯えの中での束縛があるのかは知らないが、イドはそれで納得していた。
人は環境によって変わるものだ。いや、人のみならず、鬼達もそうだとイドは信じている。
――二乃も大変だなぁ……
ニィに脅されて、戦々恐々としながら過ごし、その心を他人に打ち明けることもできず。正に一人ではないが、孤独であった。
孤独は辛いものだ。
悲しいものだ。
二乃もまさかここまでイドの共感を得られているとは想像もしていないだろう。
「知ったことじゃねーなぁ」
どうやらニィは態度を改めるつもりはさらさらないようだった。
まるで他人事かのような態度だ。
「もう……」
イドはそれ以上、口を出すことは止めた。
これはニィと二乃の関係。今後どうするかは結局のところ、二人次第なのだから。
それと何より、その話題よりも気になる店を見つけたのだ。
「ニィ!あっち行ってみよう!」
「……チッ」
腕を引っ張られ、ニィは半ば強制的にイドに付き合わされる。
しかし、ニィは舌打ちをしながらも、どこか微笑んでいるようだった。
それからもイドとニィは花街のいろんな所を回る。イドはあらゆることに興味津々で、ニィは呆れて遠くから見るばかりであったが、なかなか、ニィからしても充実した時間を過ごしていた。
そんな時だった。
「――――んっ」
「――おい?」
突如、姿が消えたイドにニィが振り向く。
さっきまでいたはずの場所にイドがいないことに気づくと、咄嗟に捜そうと一歩、踏み出すも、躊躇う。
イドのことはどこかに行ってしまえと思っていた。
加えて、苦手意識もあった。
二乃の部屋にまでついてきたことは予想外で、こうして街歩きをするなんてことは本意ではなかった。
それがニィの偽りなき感情だった。
そうだった、はずだ。
なのに、ニィの気持ちはイドがいなくなってから急いてばかりで。これではまるでイドがいなくなって焦っているようではないか。
ニィとイドが出会ったのは昨夜。
知り合いでも何でもない。ただの意味不明な存在。
それがニィにとってのイドに他なかったはず。
ましてや、ずっと過ごしてきたわけでもない。
「……そうだ」
ニィは小さく呟いた。
それはほとんど、無意識だった。
どうでもいい存在だ。イドが生きていても死んでいようと、ニィには関係ない。
友でも、家族でも、大切な存在でもない。
どうでも、いいはずだ。
――――ニィが大通りで一人、立ち止まっている時、イドの方ではデジャヴな光景が広がっていた。
暗がりに連れ込まれたイド。
そして、そのイドを囲む初対面の男達。
男達は下卑た笑いを浮かべながら、イドを更に暗闇へと迫っていく。
「へへへ、こりゃ上等じゃねぇか」
「いい拾いものしたなァ」
人攫いだ。




