14
ぱち、ぱち。
瞬きをゆっくり数回。
なんだ、とは。
やや思考を巡らせ、イドは合点承知した。
「僕はイドだよ!」
元気よく、手を挙げて自己紹介する。
しかし、それは冷たく一蹴される。
「あ?知らねーよ」
襲撃者はイドを不愉快気味に睨んだ。
彼から発せられる『あ』は濁点が付いているように感じるのは決して勘違いではないだろう。
むーん、とどうしたものか、何とも言いがたい気持ちになっていると、廊下から物音が小さくしてきた。
その音に彼も気づいたらしい。
「……チッ」
「わわ」
即座にイドを抱えて、部屋を逃亡する。
誰もいなくなった部屋の中から微かに「イド?」と椿の声が聞こえた。しかし、その声はすぐに遠ざかっていった。イドには既にその声に応えることはできなかった。
瞬きの間に景色がどんどんと変化していく中、イドの方向感覚は狂っていく。
行くあてもなく、ただ只管に建物の上を、間を縫うように走り去る。
そして、陽の光が届かない路地裏。
暗くなって漸く、彼は立ち止まった。
ドサ。
彼は突然、イドを乱暴に下ろした。
「痛っ」
すぐさま、警戒するように彼は通りを睨みつける。連れてきたイドのことなど忘れているかのよう。
イドも一緒になって彼の背後からひょこっと覗いた。
「どうしたの?」
「……あ?――チッ」
襲撃者と目が合い、イドはコテ、と首を傾げる。
今、やっと気づいたのか、イドの顔を改めて見て、舌打ちをした。
そして、イドを再度、路地裏の奥へ放り投げる。
「何なんだよ、テメェは」
イラついた、荒々しい声色。
彼はずっと不快そうにしている。
一方、イドは首を傾げた。
何が彼をこれだけ怒らせているのか、イドには分からなかった。
出会った時は傷だらけで、追われていたから。では、目が覚めてからは何が彼をそうさせているのか。
夢見が悪かったのか。
イドは真面目にそう思った。
「どっか行けよ」
彼は顔を顰めながら、邪険にしっしっとイドを追い払う仕草をする。
それに対抗するのがイドだ。
「やだ」
「あ?」
「やだ」
「……」
どこか面倒そうな、怪訝な表情を浮かべる。
事実、彼は目の前のイドが気持ち悪くて仕方がなかった。
落ち着かない。
イドに見つめられることが、イドの目を見ることが、心がざわついて不愉快だった。
まるで、心を見透かしてくるかのような、そんな感覚。
「知らねーよ。テメェなんざ興味ねーんだよ」
さっさと行け。
そんなイドの目から逃げるようにして、彼は顔を逸らした。
彼は子どもが苦手である。
対して、イドは子どもと言うには青年すぎる。
だが、どうしてだかイドの言動は子どものそれとよく重なって見えた。
だからなのだろう、彼がイドの目を見られないのは。
「僕、一緒にいたい」
彼がイドを突き放そうとしていることは明らかだからこそ、イドは彼を放さない。
どれだけ拒絶されようと、イドは決めていた。
「……はあ?ざけんな」
振り返って眉間に皺を寄せる彼に近づく。
「じゃあ、君はなんで僕を連れてきたの?」
「……」
「なんで?」
イドの純粋な疑問に返ってきたのは沈黙だった。
繰り返し、問いかける。
イドと彼の身長差は頭一つ分以上。自然と見上げる形で彼を覗き込んだ。
目をうろうろとさせ、彼は随分と居心地が悪そうにしている。
「どうでもいいだろ、んなこと」
「やだ。僕、知りたいもん」
「俺はどうでもいい」
「むぅ」
片頬を膨らませ、不満を露にする。
この天邪鬼な頑固者をどうしてくれようか。
「僕を狙ってたんでしょ?」
「……」
「僕を殺すんじゃないの?」
「……」
彼が口を割らないのをいいことにイドはにやぁと笑う。
「ねぇねぇ、殺さないの?なんで?食べちゃえばいいじゃん、簡単だよ。なんでここまで連れてきたの?ねぇ、なんで?僕なんて興味ないんでしょ?だったら、どうして?無視すればよかったのに。殺せばよかったのに。ねぇねぇ」
そうして、イドは早口で捲し立てた。
大袈裟に身振り手振りしながら。横に後ろに前に動き回りながら。時には彼の身体を突いてみて。
「…………るせぇな!」
そう言って彼が我慢ならず叫んだのはすぐのことだった。
「テメェなんざ知るかよ!あいつが殺れっつっただけで、なんでこの俺様がテメェみたいな弱ェ奴殺らなきゃなんねーんだよ」
「あいつ?」
「俺が捜してんのは始祖だ、始祖。テメェじゃねー」
イドが口を挟んでも関係ないとばかりに彼は止まることをしない。
吸血鬼、ひいては鬼には決して無視できない階級なるものが存在している。下級、中級、上級、始祖がよく知られている。鬼は下級の更に下という認識が一般的で、階級は鬼や吸血鬼にとっては絶対とされている。
彼は見たところ、中級に部類される吸血鬼だ。
とてもではないが、上級ましてや始祖に並ぶ者ではない。
「始祖?」
イドは考えを巡らせる。
始祖と言うと、人の欲望から生まれたとされる絶対的存在だ。上級と始祖の間には越えられない壁というものが存在し、逆らおうと考えることすら烏滸がましい。
現在の始祖は六人。元々は八人いたが、始祖同士の争いにより吸収され、現在の形に落ち着いている。彼らは六連星とも呼ばれ、国さえも興している始祖がいることはイドの前世でも有名な話だった。
そんな始祖を彼は本気で捜していると言うのか。
「おい、テメェ。始祖がどこにいんのか知らねーか」
不意に投げかけられる。
彼の口調的に、始祖がこの花街に潜んでいることを確信しているかのようだった。
「……」
「ハッ。テメェなんざ、知るわけもねーか」
イドが目をぱちくり、答える前に彼は手を振って投げ出す。
「俺に殺されたくなきゃあ、さっさと行け。邪魔だ」
冷たい目線で最後にイドを見下ろした後、未練もなく身を翻した。
彼にとってはとことん、イドという存在はどうでもいいもののよう。
やや黙り込んだ後、イドはむぅ、と目つきを鋭くし、彼の背中を射抜いた。
「やだ」
それはもう、はっきりと。
大きく口を開けて、拒絶する。
「テメェ、聞いてたか?殺すっつってんだよ」
彼はしかめっ面を更に顰めて、イドを脅した。
聞いていた。
聞いてはいたが。
「やだ」
繰り返す。
そんな脅しに屈するイドではなかった。
むん、と胸を張り、腰に手をやって言い放つ。
「だって、君、優しいもん」
「はあ?」
「僕、君と一緒にいたい。君のこと、もっともっと知りたい」
眉を顰めてイドを見下ろす。
先ほどのただの脅しとは違う。
血液の刃をイドの首筋に当てる。
「マジで殺すぞ、テメェ」
血の刃に切りつけられ、イドの首筋から血が流れた。
沈黙が流れる。
互いに互いのことを見つめ合う。
彼から伝わってくる殺気は本物に違いない。
ピリピリと肌に伝わる。
それでもなお、イドは動かなかった。
グッ、と更に力が込められ、首の肉に食い込んでいく。
「……」
「…………チッ」
暫く見つめ合った結果、食い下がったのはまさかの襲撃者の方だった。
忌々しげに舌打ちをして、血の刃を戻す。
「うん。やっぱり優しい」
にこにこ。まるで勝者の笑みだ。
彼から見れば、イドの微笑みは嫌味ったらしいものに映る。
しかし、イドから感じられるのは無邪気なものばかり。
苦手だ。
「るせぇ、殺すぞ」
そんな脅しもここまでくればもはや覇気はない。
「えへへ」
「テメェ、マジで何なんだよ」
「イドだよ。ねぇ、君は?君は何て言うの?」
名前を聞いたわけではないことはイドも分かっているだろうが、イドはイドであり、それ以上の説明は必要ない。
彼の前ではイドはただのイドだった。
わくわく。イドは彼の返答に心躍らせる。
ややあって、彼は少しずつ、躊躇いがちに口を開いた。
「……ニィ……」
「!ニィ……ニィ!」
「黙れ」
はぁ。ため息が出てしまうのも仕方のないことかもしれない。
ニィにはイドが何を考えているのか、全く見当もつかなかった。
それと同様、イドにもニィの気持ちが分からない。言われるがまま黙ってみるものの、その表情には疑問が浮かび、首を傾げている。
「教えたんだからいいだろ、もう行けよ」
心底疲れた様子でイドを追いやる。
これ以上面倒は見切れない。ニィの心情はまさにそれだった。
「じゃあな。もう一生会うことはねーだろ」
そうわざわざ口にしたのは突き放しか、それともニィの願望故か。今更、ニィにも分からない。
ニィが路地裏の更に奥へ跳んで消えた時、その場にはもう誰もいなかった。




