12
夕霧が出ていった後の部屋で椿は不満げに呟いた。
「全くはこっちのセリフじゃて」
ふん。
廊下の方に向かって椿はそう言い捨てる。
椿にも我慢の限度というものがある。夕霧の毎日の監視のせいでイドとの時間を奪われていた椿のストレスはかなりのものになっていた。
夕霧の足音が完全に遠ざかったことを確認して、椿はイドに振り向く。
「して――イド?本当に良いのかの」
「何が?」
「そやつのことじゃ」
椿は顎で未だ眠る襲撃者を指して見つめる。
その目は冷たい。
「あー……うーん……」
椿が何を言わんとしているのか、イドも何となく察した。その上で、言い淀む。
イドの眉尻が下がり、へにょへにょ、萎んでいく。
「椿も反対なの?」
「妾がイドに反対などするはずがないじゃろう?」
即答だった。
言うまでもないらしい。
逆に今更何を言っているのか、という目でイドを見る。
「そうでなく、そやつはイドの器を殺したかもしれぬ奴じゃということはイドも考えているじゃろう?」
椿の言いたいことはつまりはそういうことだった。
これまで椿とイドを悩ませていたことである。椿同様、イドもまたその可能性については考えていた。
「うん」
「イドの器を殺したのじゃから、またイドを狙っておるやもしれぬ」
イドが殺されかけたのはこれで二度目。一度目は森の中で燈樹と出会う前、そして花魁道中の最中で起こった今回。そして、この身体にイドが入る前に四芭を殺した人物。
それら全てが同一犯によるものなのかは不明。最悪、全て違う可能性もある。
未だ、この身体を狙う人物も目的も分かってはいない。
椿は警戒するべきだと言っているのだろう。
しかし。しかし、だ。
「それなのに懐に入れるということが何を意味しておるのか――」
「また殺されるかもしれないって?」
イドは平然と言う。
何の感情もなく、ただ淡々と。
一瞬、椿は喉を詰まらせた。
イドの態度はあまりにも軽い。軽すぎる。
「……うむ」
まるで飲み込めないものを無理やり飲み込ませたかの如く、椿は頷いた。
上手く頷けず、顎を引いただけのように見える。
そんな椿の様子を見た後、イドは徐に目を下に向け、襲撃者の汗を拭く。
「……大丈夫だよ」
襲撃者は呻くでも、顔を顰めるでもなく、ただ穏やかに静かに眠っている。
それに満足してイドは目を細めて微笑んだ。
「何も死ぬのは初めてじゃない」
そう口にしながら。
「それはそうじゃが……」
「別に僕は死ぬのは構わないんだよ」
布巾を桶の中に入れて、今度は不可解そうにしている椿に向かって微笑む。
イドの言うことに偽りはない。
椿もまた、イドが本心からそう思っていることは分かっていた。
「椿、言っただろう?僕はもう前の生で死んだって」
「うむ」
「だから、今は人生二度目。ボーナスタイム中なんだよ」
前のイドは死んだ。
それは何をどうしたって変わりようがない。
「未練は元からない」
きっぱりとイドは断言できた。
死にたいとは言わないが、生きたいとも特別思わない。それが今のイドだった。
それが誰かのための死であれば尚更。
そう――
「それに、この子のためだったら殺されてもいい」
例え、イドを襲ってきた彼であっても、だ。
イドの生死についてはイド自身にとって、問題でも何でもない。
ただ過ぎていく日常に過ぎなかった。
イドがずっと気にしていることは変わらない。
「問題は別だよ」
「問題?……そうじゃな。何故こやつがイドの器をそこまで狙うのか、じゃな」
「うん!」
そのことは椿も分かっていた。
椿もまた、イドと同じく、イドの生死についてそれほど固執していない。
故に、イドが気にしていないとなれば、それ以上言うことはなく、すぐさま思考を切り替えた。
それすら分かっているイドは椿の反応を待つことなく続ける。
「この子はとても優しい子なんだ。この子と四芭だけの問題なら分かりやすいんだけど……」
「他との関連の方が有り得そうじゃな」
「そうなんだよねぇ……」
イドは悩ましげに唸った。
もし、四芭が彼を密かに匿っていたとして、そこから他者に知らせようとするなどの異変が起き、彼が四芭を狙っているという筋書きもなきしもあらず。しかし、それでは四芭が花街の外、それも花街の人であれば立ち入らない森にわざわざ逃げ込んだのかの説明がつかない。
加えて、夕霧は四芭が外部の人と繋がっていることを前提に話していた。
――四芭はこの子に会いに行った?
それも可能性として十分あげられる。ただ、それでは四芭が彼に狙われる意図が不明だ。
利用した人間を殺すような者だとはイドには思えない。夕霧には否定されるに決まっているが。
「それにまだ、この子が本当に四芭を殺したかも、僕を狙ってるのかも分かんないし」
「うーむ……イドがそう言うのであればそうなんじゃろうな」
椿は首を傾げながらも頷いた。
イドの人の見る目が特殊―何に対しても好意的に捉え、大雑把―であることは前世から変わりないよう。それを何と言えばいいのやら。椿には分からなかった。
「じゃが、人がごった返す花魁道中でたまたまイドを襲ったとは思えぬのぅ」
椿の言う通り、イドでさえそのことは疑問に思った。
「まあね」
すんなり、イドは肯定する。
イドは花魁道中の花魁達を見るために人混みの中心部分にいた。つまり、イドを襲ったということは、簡単に襲えるはずの人々を押し退ける必要がある。
それは紛れもない事実であった。
イドはややあってから、少し息を吐く。
「まあ、僕は結局、何でもいいんだけどさ」
イドは何となく、彼と四芭は関係がない気がしていた。
例え彼がイドを狙っているのだとしても、どうでもよかった。
イドが今最も気にしているのは、彼自身のこと。イドや四芭のことではない。
「ふむ。イドが気にしないのであれば、妾もそれで良い」
椿は腕を組んで満足したような表情を浮かべる。
「うん、ありがとう、椿」
これが良いのか悪いのかはさておき、イドは椿のこういうところに心底感謝していた。
何があっても椿は見守っていてくれる。そう思えるし、実際そうなのだ。
椿は目尻を緩ませて彼を見る。
「して、こやつをどうするんじゃ?逃がすか?」
「うーん、そこなんだよねぇ……」
逃がしたら逃がしたで夕霧はまた何か言いそうだ。
取り敢えず、夕霧の対応はどうとでもなるとして、問題はその後。再び城主のもとへ行く羽目になる想像しかできない。
それはイドとしては是非遠慮したいところだ。
それに、逃がしてしまってはイドがしたいことができなくなってしまう。
「僕は仲良くなりたいんだけど……無理かな?」
血を吸われなければイド自身、襲われても構わないのだが、ほぼほぼ襲われたら吸血されるだろう。
それは何がなんでも避けたい。
であれば、襲われずに話をしたい。
それで仲良くなれれば願ったり叶ったりだ。そうでなくとも、せめて本音で話ができる関係性になりたい。
しかし、椿の返答は碌なものではなかった。
「イドを崇拝しないわけがないじゃろう!」
「いや、崇拝じゃなくてね、僕はただ仲良くなりたいだけで――」
「それに、イドに不可能はないのじゃ。無理ということはない!」
椿はグッ、と拳を振り上げる。
顔もキリッとした、とでも言うのか、どことなく自慢げだ。
「僕の何を見てそうなった?!不可能なこと、あったでしょ?!たくさんあったよ!」
「ない!」
この言い切りである。
イドは更に言い募ろうとして、止めた。
椿の盲目っぷりはイドの知るところ。今更である。
前世でイドを見てきたはずだが、どこからその自信が出てくるのか、一度問い詰めたいほどだ。
やれやれ。
イドは肩を落としつつ、吹っ切れる。
――もう、何でもいいや。
生きる者、時には諦めも肝心。
ならば、その自信を利用しない手はない。
「じゃあ、僕が何をしようと椿は信頼してくれるんだね?」
「当然じゃ!」
椿は胸を張って断言する。
水に濡らした布巾を手に取り、絞る。
「ふぅん」
言質は取った。
水で冷えた布巾を襲撃者の額に乗せ、イドは椿に告げる。
「なら、椿は出て行って」
「えっ」
椿の時が止まった。
「な、な、な、なな何でじゃ?妾、何かしちゃったのか?!」
今までにないほど慌ててイドに駆け寄る。
まるでイドに切り捨てられたかのよう。
椿の顔色が青に紫にどんどん変わっていく。
正に絶望。
椿の足取りが覚束ない。
はわわわわわわ。顎が震える。
「してないよ。だけど、ここにいたら絶対、口も手も出すでしょ」
きっぱり。それはもうはっきりと、イドは椿を拒絶した。
「そっ、そんなことせぬ!」
「ダメ。出て行って」
有無を言わさず。
「えー?!」
椿の身体を翻し、イドは背中を押した。廊下の方へと。
イドのすることにただでさえ否定することができない椿にはイドのなすがまま。
半泣きになりながら、手をあわあわさせる。
「妾がいなくてもいいのかぇ?」
「うん」
「寂しくなるんじゃないかのぅ?」
「大丈夫」
無情にもイドからの返しは軽快だ。何ならニコニコと笑顔で。
寂しく思っているのは椿だけだった。
最後はもはや投げやりに。
「ほら、もういいから。水でもお茶でも持ってきて」
「ぅえぇー?!」
バタン。
襖が閉められる。
「イドーー!」
虚しく、襖の向こうから椿の声が響く。




