11
花魁道中を見に行ってきた翌日の朝、接客から帰ってきた椿は早々に部屋の惨状を前に眉を顰めた。
「で?これはどういうことかのぅ?」
イドと椿の部屋には夕霧という邪魔者に加え、何故かイドの布団で呑気に寝ている新参者がいた。しかも、その新参者はイドに汗を拭かれ世話をされているという暴挙。実に許しがたし。
ここは数日前まではイドと椿しかいない楽園であった。
それが今や、椿にとって望まぬ侵入者によって侵食されているのだ。
椿は主に夕霧に問うていた。
夕霧がこの惨状を生み出したのであれば、問答無用でどちらも追い出す。
そしてそんな椿の言外の思惑は正確に夕霧へと伝えられる。
「……それはこの馬鹿に聞いてくれる?」
あたしに聞かないで。
夕霧もまた、この件に関してうんざりしていたところだ。言外に返す。
花魁道中から帰ってくる道すがらも、この部屋でイドと襲撃者の治療をしている時も、治療を終えてイドが襲撃者の世話をせっせとしている間も、夕霧は呆れた顔で不満という不満をグチグチとイドへ吐き出していた。
相変わらず、襲撃者の世話をするイドは黙っている。
「あなた……まさか、こいつの仲間じゃないでしょうね?」
これも、何度イドに問いかけたことか。
「仲間?」
一向にイドは答えない。まるでこちらの声が届いていないかのようだ。
その反面、いつもは花街のそれも一部のことにしか興味がなく、イドが来てからはイドにしか興味がない椿が首を傾げる。
「詳しく調べてないからまだ不確定だけど、こいつ、多分、ここ最近花街で問題視されてた鬼よ」
「あぁ……客も花魁も襲われたっていう、あれのことかのぅ?」
「ええ」
頷く。
ここ最近、それこそイドが花街に来るかその少し前くらいから花街でちょっとした騒ぎになっていた。吸血鬼が花街に潜んでいる、と。
最初は客だった。その客は襲われそうになり、逃げ出したと言う。周囲はそれを酔った勢いの戯言、花街に魅入られた幻想と思われていた。が、命からがら逃げてきた、と言う客が一人、二人、と少しずつ多くなっていき、いつしか巷ではその噂で持ちきりだった。
更にはその信憑性を高めるようにして死体も出てきたのだ。明らかに吸血鬼が襲ったと分かる死体が。
それからすぐに花街側も調査に乗り出し、事態の収拾と吸血鬼の討伐を行っていた。
「多分、と言うか、確実にそうよ」
イドの襲撃はその中の一つだった。
「こいつのこの傷は黒蝶に追われて付けられた傷だし」
襲撃者が傷だらけだったのは他ならぬ黒蝶―花街の防衛、暗殺、監視など裏仕事を司っている組織―によるものである。夕霧もまた、黒蝶の一人だ。
夕霧はイドを監視するためにその騒動の実働部隊ではなかったが、イドを捜している時と見つけた時に黒蝶の一員から情報共有がされた。その上で、夕霧はイドを疑っている。
「そんな奴連れて帰ってくるとか……しかも、自分を襲ってきた奴。あなたが仲間以外、考えられないんだけど」
「違うよ」
唐突にイドから否定の言葉が発せられる。
夕霧はイドを見つめ、動きを止めた。
「は?」
何が違うと言うのか。
意味が分からない。イドの言うことを分かったことなど数回だが。
イドは変わらず、襲撃者から目を離さない。
「この子は誰も襲ってないと思う」
「……なんでそんなこと言えんのよ」
イドは心の底からそう思っていた。
しかし、その思いは夕霧には伝わらない。
イド自身も説明できぬ感覚だった。
「現にあなたが襲われたじゃない。他の人を襲わないなんてそんなわけないでしょ」
夕霧は続ける。
至極真っ当な見解を。
「それとも何?あなただから襲ったとでも?」
可能性としてはあまり考えられないが、その選択肢も十分有り得る。
夕霧もその考えがないわけではない。
ただ、選択肢の一つとして辛うじて考えることができるだけ。
しかし、イドの答えは簡単だった。
「さあ?」
「はあ?」
分からない。というか、考えてない。
当然、イドも何故襲われたのかを考えなければならないことは承知している。
だが、それとこれとは別なのだ。
「理由は分かんないけど、この子は大丈夫だと思う」
キリ。
ここで初めて顔を上げて、イドは夕霧の目を見つめる。
「根拠になってないわ!」
それを夕霧は言うまでもなく一蹴した。
「黒蝶が追ってた、それだけでも黒なのに。こいつは人を襲ったっていう通報があったし、花魁を襲おうとしたところで黒蝶が見つけたの!」
言うなれば、現行犯逮捕だ。
状況証拠には十分だろう。
黒蝶は既に今回の襲撃者を騒動の吸血鬼だと断定していた。花街としてはそれ以上のことなど必要ない。
誰が城主直属の組織に否と断じることができるのか。イドと椿の他ない。
夕霧もイドでなければこれほどまでに状況を説明していない。
「それに、そいつは襲ってきたのよ、あなたを!それとも?それすらあたしの見間違いだって言うの?!」
「そんなこと言ってない」
「言ってるも同然なのよ!」
夕霧はイドから拗ねている気配を感じ取った。
表情に変わりはないが、完全に拗ねている。
「うーん……どう説明すればいいのか……」
「説明も何もないでしょうよ」
夕霧は胸を膨らませてため息を飲み込んだ。
これまで何回もイドのペースに飲まれてきた。
一息つかなければ。
壁に凭れかけ、夕霧はゆっくりと腕を組む。
「あなたが仲間か、ただの馬鹿なのか。そのどっちかでしょ」
ただの馬鹿なんでしょうけど。
夕霧は内心でそう付け加えた。
そのどちらもである可能性もある。
「夕霧よ。イドが大丈夫と言うのであれば大丈夫なのであろうて」
「椿……」
椿にしては珍しく夕霧の目を射抜いた。
久しぶりに夕霧は椿の目を見た気がした。灰桜色の双眼はどこか惹き込まれるような魅力を秘めている。
名妓である夕霧でさえも昔から椿の美貌には見惚れることもあった。
椿は夕霧が花街に来る以前から花魁として存在していた。あまり表に出て接客をすることがないため、椿のことをよく知る客も花魁もあまりいない。吸血鬼には間違いないが、それ以上は分からないのが椿という花魁だった。
ハッ、として椿に飲まれていた夕霧は我を取り戻す。
「だ・か・ら!その根拠は何なのよ!」
「イドだから?」
「根拠になってない!」
頭を左右にぶんぶん振って、飲み込まれていた思考を再度戻す。
うーん、と唸っていたイドが答えを見つけたらしく、うん、とひとりでに頷いた。
「寂しくて優しい目をしてた。そんな子が理由もなく誰かを襲うなんて想像できない」
イドの声色から言って、まるで当然のことだと思っているようだった。
そこに迷いも疑いも一切ないことが夕霧にはどこか薄気味悪かった。
「……いや、どこが?!」
一度、生唾を飲み込んで、夕霧は突っ込む。
「あたしの夢じゃないならとてもギラついていたと思うけど?!」
気絶している寝顔ですら、優しい顔とは程遠い。
間違いなく、彼は理性など欠いた獣の目をしていた。
これまでの経験上、ああいう紅い目をしていた鬼と話し合いで解決したことがない。生か死か。それしかなかった。
「まあまあ」
それを知らないイドは呑気な声を出す。
その声にまた腹が立つ。
夕霧はドスドスドス、とイドに近づいて、額を人差し指でぐりぐり押した。
「あ・な・た・は能天気なの?!」
「それほどでもぉ」
「褒めてない!」
記憶喪失にしても、この危機管理能力の低さにはほとほと呆れる。
このままでは花街どころか外で真っ先に食い殺されるだろう。むしろ、防衛に余念がない花街の方が生存率は高いのかもしれない。
いずれにせよ、イドの疑いが晴れて自由の身となれば危険極まりない。
夕霧は頭が痛かった。
監視という名目で常に一緒にいられる今しかない。イドに鬼の危険性は勿論、この世の中の危機管理能力の大切さを叩き込まなければならない。
イドを気に入っている椿がそれを担ってくれれば問題ないのだが、それは完全に望み薄だ。
チラリ、と椿を一瞥し、すぐに頭を抱える。
自由奔放で自分勝手な椿がそこまで他人を慮れるはずもなし。
イドもまた、別の意味で自由。
そんな二人がただただ野放しになる。それだけは防がなければならない。
夕霧は人知れず、心新たに覚悟を決めた。
そんな夕霧の内心など知ろうともしない椿は腰に手を当てて眉間に皺を寄せる。
「夕霧?イドに対して無礼じゃなかろうて?」
「どの立場でもの言ってんのよ!あたしは名妓よ?!」
「まあまあ」
「だから!どの立場で!」
途中まで言って、止めた。
自由人二人にはもうついていけない。
今まで飲み込んでいたため息をここぞとばかりに全て吐き出す。
「はぁ……もういいわ。ここまで連れて来たんだもの、もうどうにでもできるわ」
それもあって、イドが襲撃者をここまで連れてくることを不承不承で許可したのだ。
イドを監視している夕霧もいるし、何よりここは三妓楼の内、限りなく暗部に近い竜胆楼。不測の事態さえ起こらなければ対処できる。
「いい?あなたが拾ったんだから、あなたがこいつの面倒を見なさいよ?看病だ何だろうとしてもいいけど、途中で投げ出さないことね」
「うん、分かった!」
パアァッ、と表情を明るくしてイドは首を縦に振る。
それからるんるん、と襲撃者の世話を再開した。
「あたしの監視だけじゃあもう手に負えないから、楼主様には伝えておくわ」
手に負えないのはイドなのか、この事態なのか。夕霧本人でさえ分からない。
自分で自分が分からないとは。
夕霧は乾いた笑いを浮かべる。
それを知ってか知らずか、満面の笑みのイド。
「ありがとう、夕霧!」
「…………」
夕霧が半目になってしまうことも致し方ないことだろう。
椿は椿で夕霧の一言を聞いて、ニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべていた。
「何?まだ楼主に話していなかったのか?妾のことを言えぬではないか、夕霧?」
「あなたと一緒にはしないでもらえる?」
本当に。
「全く」
そこから先は飲み込んだ。
問題児二人を相手していてはため息すら足りない。
ただ何も言わないではいられず、たったそれだけ言い残して、夕霧は部屋を出ていった。




