10
イドのその時の仕草、いや雰囲気がいつもとは少し違って感じた。
この感情は恐怖なのか。
ゾクリ、と夕霧は背中に寒気を感じた。
畏怖だ。
「っ……」
「それとも……ここには寝返らせるだけの魅力はないってこと?」
「…………」
ニヤリ、とイドは夕霧を伺い見る。
今度は何も感じない、いつものイドだ。
夕霧も一瞬の奇妙な感覚に戸惑いながら、漸く落ち着いてそっぽを向く。
「ふんっ。そんなわけないでしょ」
「うん、ならできるよね?」
随分と上から目線な煽り文句を言ってくれる。
つい、夕霧のイドを見る目が半目になる。
「……あなたよく、ここのことも知りもしないで言えるわよね、本当。頭、イカれてるんじゃない?」
「えぇ!ヒドイ!」
その時、外からシャンシャン、シャン、シャンシャン、と音が遠くから聞こえ始めてきた。
鈴の音が部屋中に外から響き渡る。そして、興奮する人々の声。
「ねね、外は何かしてるの?」
「ん?ああ……」
立ち上がって窓を開けてみる。
途端、灯りの眩しさにイドは目を細めた。
椿が仕事をしに行ってからどれほどか時間は経っている。すっかり太陽も沈み、もはや夜の時間帯。
それでこの眩しさ。
眠らない街を正に体現していると言ってもいい。
灯りが照らす道の中心を真っ直ぐ歩く集団に道行く人達は空間を作り、視線を送っていた。
それを当たり前のことのように眺め、夕霧は答える。
「花魁道中よ」
「花魁道中?」
「ええ。あなたが来てからやってなかったかしら?」
実際、花街に長年暮らしている夕霧にとっては当たり前の日常的な光景。
しかし、イドは初めてのことに目が煌めく。
「あの子は朧楼の薄雲ね」
朧楼は三妓楼の中でも特殊で、表向きは名妓は他の三妓楼に同じく一人だが、裏では高尾花魁に続いて二人存在している。その一人が薄雲花魁だ。
名声も最も高く、華やかで、外では朧楼が最も有名であり、所謂、朧楼は花街の顔と言える。
一方、竜胆楼はと言うと、三妓楼の中では最も知名度が低く、言ってしまえば、地味だ。
他の妓楼と比べればまだ見劣りはしないが、そこら辺の金がかかっている妓楼と同等レベル。ただその分、地下牢があるなど、独特な造りとなっている。
閑話休題。
大きな番傘を差して歩いていることもあり、上からでは薄雲の白金色の長髪しか見えない。その周りを取り巻く禿や花魁すらあまりのオーラに近づこうとする客は一人もいない。
「名妓や上級花魁がああして客を迎えに行くのよ。珍しくはないけど、あんまりやらないわね」
「へぇー、夕霧もやるの?」
チラリ、と隣の夕霧を見遣る。
誰にものを言っているのか、とでも言いたげだ。
「当然」
「すごぉ……」
「ま。朧楼はこういうの、やりたがるから。頻度的には断トツね」
「そうなんだ」
つまり、目立たがり屋。
夕霧的にはあまり面白くないのか、朧楼のやり口に呆れているのか、あまり関心がないようだった。
しかしそんなこと、イドには関係がない。
「ねね!下に行って見てみたい!」
飛び跳ねて訴える。
「はあ?だからあなた、自分の立場分かってる?!」
「分かってるけど!見に行きたいんだもん!」
地団駄を踏んで強請ってもいいほど、今のイドの気持ち的には行きたい思いが強い。
面白い。
何より綺麗だ。
部屋から見る景色より花魁道中は下から見た方がいい予感がイドにはしているのだ。
「夕霧から離れないし、ちゃんと監視できるようにするから!お願い!見に行きたい!間近で見ーたーいー!」
そう言って、夕霧の服を引っ張る。
「ちょ、ちょっと!引っ張らないで!」
「ね?いいでしょ、夕霧?」
両手を胸元で繋げて、上目遣いで夕霧を見つめる。
ここに椿がいたなら、強請ることなく許可が出るだろうが、今は夕霧とイドの二人きりだ。イドがやるしかない。
しかし、夕霧の方もイドのやり方に慣れてきた様子で、腕を組んできっぱり言う。
「良くない!そうやって駄々捏ねれば上手くいくと思わないことね」
「えー!」
顔をイドから背けて拒否の姿勢を取る夕霧だったが、イドには直感で分かっていた。このまま押せば夕霧はどこかで折れるはずだ、と。
押し通すことはイドの得意としているところ。
分かっていて引き下がるイドではない。
「いいじゃん!じゃあ手!手繋いでるからさ!」
「あなた、どれだけ見に行きたいのよ」
「とぉぉぉぉっても!」
「はぁ……」
もう一押し。
夕霧の心は揺らいでいる。
監視がしにくくなることだけが夕霧にとって憂慮するところなのだ。
「だって、ずっと外に出てないんだよ?!見に行きたいし、外に出たい!」
「それが本音ね……」
そう呆れの一言を呟き、一拍。
「……分かったわ」
「っ!ぅわーーい!」
許可が出された。
イドは両手を上に挙げ、飛び跳ねて喜ぶ。さながら、ほしかった玩具を手に入れた子どものよう。
「いい?あたしから離れないこと!逃げたら今度こそあなたがなんて言おうと黒だから」
「分かってるってー」
「はぁ……本当に分かってるのかしら……」
いくら疑われても意に介さなかったイド。そんなイドが夕霧の警告をちゃんと理解できているかは懐疑的だ。
イド自身、そんな夕霧の言葉など耳の右から左へ流れていく。
イドが花街を歩いたのは山から下りて地下牢に閉じ込められるまでの一度きり。それからは窓から見るしかなく、歩くことはそれこそ夕霧によって制約されていた。
いくら中から内装を見ていようと、竜胆楼もまた外装から受ける印象は違う。
竜胆楼はまるで、それこそ夜に竜胆の花が咲いているが如く。目立たず、それでいて威圧感があった。
「わぁー、きれー」
これは夕方だ。
夜と昼の堺。
これから夜の時間が来るのだと言うわくわく感とドキドキ感、そしてイケない雰囲気。
それが建ち並ぶ妓楼と合わさり、どこか知らない世界に迷い込んでしまったと思い込んでしまうほど。異国感がありながら、それでいてかつての日本をそのまま持ってきたかのような、何とも表現しがたい。
「ぉわ、すごい人」
そして、それらに見蕩れることを許さないとばかりの人だかり。
灯火に誘われる羽虫のよう。
「離れないよう言ったわよね?」
「いやいや、だって!すっごい人だよ?!」
「はぁ……」
夕霧は呆れた顔で手を繋いだ。
「わー、やっさしぃー」
「うるさいわね」
夕霧が辟易している姿を見るのも見慣れたものだ。
夕霧も分かっており、一度もイドを見ることもせず、目線を花魁道中の主役へと向ける。
これまで何度も見た顔に違いない。
「……相変わらず、プライド高い顔してるわ」
「どんな顔……?」
「嫌な性格の顔ってこと」
間髪入れずにスラスラと出てきた辺り、夕霧は普段からそう思っているらしかった。
――あんまり好きではないんだろーなぁ。
イドから見れば、薄雲から全くそんな印象は受けない。何なら、絵本のお姫様がそのまま出てきたような、そんな上品で華奢な優しそうな顔をした人だ。
きっと、薄雲から発せられる声は鈴のように綺麗で透き通っているのだろう。
そんな想像を無意識にしてしまうほどだ。
シャンシャン、シャン、シャンシャン。
ゆっくり、時間をかけて薄雲一行はイドの目の前を通り過ぎていく。
その一秒一秒が薄雲に惹き込まれる。
興味がなく、人だかりを急ぐ人々も一度視界の隅に入れてしまえば、立ち止まざるを得ない。
イドは時間を忘れて薄雲一行が人の波に消えていくまで見つめた。
そして、いなくなった後も暫くその余韻からは抜けられず、息を吐く。
「はー……すごかった……ね、ゆうぎ――」
り、という音はイドの喉の奥で消えた。
瞬きの間に起こった出来事だった。
襟首を引っ張られたかと思えば、そのまま飛ばされるようにして光の届かない路地裏へと引きずり込まれた。
パチ、パチ。
数回、瞬きをする。
光で満ちていたところからの暗闇に視界が開けない。
「誰?」
姿は見えず、分からない。ただ一つ、瞳だけが鮮血のような紅い色で光っていた。
その双眼で分かるのは、イドを襲っているのは吸血鬼ということだ。
はー、はー、とどこか飢えた荒い息がイドの顔面に近づく。
「ねえ、僕はイドだよ。君は?」
返答は、ない。
目が漸く慣れてきて輪郭が浮き出される。
男だ。
時折、吐き出される息に混ざって呻き声がくぐもって聞こえる。
きっと、怪我をしている。
「血がほしいの?」
吸血鬼は人を吸血すれば傷が治る。それに彼を襲っている飢えも満たされる。
彼は血を欲しがっている。
涎が口から伝ってイドの首筋に垂れる。
「ダメだよ」
イドは幼子に言い聞かせるような声色できっぱり言う。
「君に僕の血はあげられない」
彼に吸血されれば恐らく、全身の血が干からびるまで喰われるだろう。
彼の頬に手を置く。
反対の手を掴んでいる彼の手に更に力が入る。少し痛い。
声を発そうとしたところで、
「ぅあ゛っ」
腹を貫かれた。
じくじくとした痛みにイドは顔を歪ませる。
しかし、彼の目から目を逸らすことはしなかった。
――傷、ついてる。
彼の目からは激情が感じられる。
イドは落ち着いて彼に伝える。
「大丈夫。大丈夫だよ。僕は君を傷つけない」
幸い、彼の動きは止まっていた。
理性がなくなっているはずなのに、偉いことだ。
イドは更に続ける。
「教えて――」
「イドッ!」
夕霧だ。
光の奥から夕霧の仲間もだろうか、数人が走ってくる。
「お?」
「っ、この!」
彼が動き出し、イドを担いで奥へと連れ去ろうとしたところで、見えない糸でイドも含め、動きを止められる。
縛り付けられたらしかった。
「あたしから逃げられると思わないことね」
そして、見えない糸で彼を地面に叩き下ろし、制圧する。
あっという間だった。
夕霧が駆け寄ってきて、強制的に立ち上がらされる。
「イド、大丈夫?」
「うん」
けど――
「死んじゃった……?」
「あたしがそんなヘマするわけないでしょ。気絶してるわ」
彼はあれからピクリとも動かない。
夕霧は一通りイドに怪我がないことを確かめ、彼のもとへと近寄り、見下ろした。
「ふふ。これから拷問した後、どうなるかは知らないけどね」
見知らぬ人達が彼を拘束し、連行しようと担ぐ。
夕霧は仲間ら―正確には部下ら―と「こいつがココ最近の犯人でしょうか」「そうねぇ」などと話している中、イドは彼から目を離さなかった。
目を閉じても、あの紅い瞳だけが焼き付いて離れない。
「ねえ夕霧」
イドが口を開いたのはほとんど無意識だった。
「僕の部屋に連れて行こう」
「はあ?」
夕霧の心情を代弁するとしたら、何言ってんだこいつ。あるいは、信じらんないこいつ。
割と本気の怪訝な声だった。
「あなた、こいつが何か分かってる?鬼よ、鬼」
「むぅ。分かってるよ」
「あなた、こいつに殺されかけたのよ?どうして連れて行くのよ」
「んー?」
確かに、傍から見たら殺されかけたも同然。事実、傍からも何も殺されかけたのだけれど、イドとしてはそんな認識はない。
首を傾げてみる。
正直、連れて行く理由はない。
気になるから、だけではあの地下牢に入れられてしまうだろう。
しかし、イドには上手い言い訳など出てこない。
「だってほら」
ならば、正直に言うしかない。
「看病しないと」
「…………はあ?」
ちゃんと言い訳をした方がよかった、かもしれない。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
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10話という区切りも6月になるということも丁度いい(ストックがなくなってきたんです、正直)ので、今後の投稿は1週間に1話のペースにします。
ストックが溜まってきたらまた更新頻度を変えるかもしれません。
よろしくお願いします。




