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花街の灯りも所々点灯し始めた夕方、行きたくない、離れたくないと駄々を捏ねる椿を送り出した。イドがここへやって来てから初めてのことである。
花魁の中でも上級らしい椿はなかなか客を取らないらしい。椿曰く、客を選んでいるそう。夕霧がその場でイドが来てから椿の客選びは顕著になり、もはや拒んでいると言っても過言ではないとのことだった。
しかし、今夜の客はどうも断れない上客らしく、椿は渋々仕事に繰り出した。
久方ぶりの一人の時間を持て余していたイドはそれから少し経った頃、そのお客様はやって来た。
「ふん。今日は椿がお客様の対応をしている間、あたしがあなたを監視してあげるわ」
夕霧がイドの監視をし始め、夕霧とも話す機会が多くなった。
そのため、イドもまた、他の花魁や禿よりも夕霧に親しみを感じている。
「わーい!久しぶりだね、夕霧!」
つまり、夕霧を拒むことなど有り得ない。
「……そんなに楽しみにされると複雑ね……それに昨日も会ったじゃない」
一方、夕霧はそんなイドに釈然としない気持ちを抱いていた。
椿とイドは相も変わらず、掴み切れない感じだった。昔から椿はそうだったが、イドもまた、椿とは異なる異質さがある。
監視を始めてからここ数日、夕霧には何の収穫もなかった。夕霧は椿がいなくなるこの時をずっと待っていたのだ。
ふん、と気を持ち直し、宣言してみせる。
「ま、いいわ。いつも椿に邪魔される分、今日はあなたの化けの皮を剥がすから」
「うんうん!僕も楽しみ!」
「だから、そんなに楽しみにされると…………もういいわ」
はぁ。
もう、いつもの調子だ。
夕霧はため息が止まらなかった。
イドのペースに飲み込まれることはないよう、精神を整えるという意味でもお茶を点てる。
「僕ね、四芭のこと、もっと、もーっと知りたいんだぁ」
この時のイドを擬音にするならば、るんるん、だろう。
「自分のこと、ね」
「もー!夕霧、僕はイドなんだってば」
「ふん。男の名前なんてどーでもいいわ」
そう夕霧は言い捨てる。
イドが四芭と自分を分けて言っていることは最初から一貫していた。夕霧の言葉に違いはないが、イドの返答など既に織り込み済みである。
イドは夕霧が言い切るほど男を嫌っていることが不思議だった。
「……夕霧は何でそんなに男が嫌いなの?」
「何でもよ」
「はっ!まさか、襲われた?!そうだよね、だって、夕霧キレイだし。そりゃ狙われちゃうよね?!」
「ぶぅぅぅぅっ!」
夕霧は飲んでいたお茶を吹き出した。
「ち、ちち違うわ!」
「あれ?でも、夕霧のお客さんは男の人?だよね?だって、姉様だし……」
「ふんっ。男って古臭くて、これだから嫌なのよ。女役だから男が相手だなんて、時代錯誤よ」
確かに、夕霧は仕草こそ女性だが、服装や髪型なんかは男物である。
単純にオネェなのかとイドは認識していたが、どうやら少し違うらしい。複雑だ。
「あたしのお客様は女性よ、じょ・せ・い!男なんて誰が好き好んで」
「へぇー!」
考えてもみれば、男嫌いな夕霧が客だとしても男を相手にするわけがなかった。
男要素をなくしていったら夕霧のようになるのだろうか。かと言って、服装からして女性になりたいわけでもなさそうだ。
よく分からない。
イドは夕霧によく変わってるなどと言われていたが、イドには夕霧こそ十分変わっているように見える。
「え?じゃあ、何で姉様って……昔で言うと遊男なんだよね?それだったら兄様の方が」
「昔だったらね!それこそ男として男共の相手もしなきゃいけなかったわよ!」
乱暴に置かれた弾みで茶器からお茶が零れる。
「ここは名もなき花街!あたしはあたしなんだから姉様で、お客様が女性でもおかしくないわ」
「そうなんだ……」
イドは少し唖然として引いた。
「何でそんなに毛嫌いするの?」
「男なんて粗野で、何でもかんでも力任せで脳まで筋肉の馬鹿だからよ!」
そんな男性ばかりではないような気もしつつ、一応、頷いておく。
しかし、ふと、思い出す。
「えー。でも、城主は男だったじゃん」
「城主様は別なの!」
「ふぅん?」
よく、分からない。
「城主様にならあたし、抱かれても――いい」
「わあ」
否。分かってはいけないような気がする。
「城主様は素晴らしい御方なんだから」
「じゃあ、僕は?」
「――ハッ」
「わあ」
横目で笑われた。
論外ということらしい。
好かれているとは感じたことはないが、夕霧の言う男性像には当てはまっている様子はなかったのに、この差。
余程、仁織のことを敬愛しているようだった。
「僕、何もしてないのに……」
「何言ってんのよ、この罪人」
「あっ!そうだった!僕、四芭のこと知りたいんだった!ねぇ、教えてよ」
夕霧のことで脱線していた。
イドが一番知らなければならないのは四芭のことだった。
夕霧は今更という表情でイドを一瞥する。
「……自分の記憶に聞いたら?」
暗に記憶喪失をなかったことにしている。
以前、記憶の有無は解決されたように思っていたが、それはどうやらイドだけだったようだ。
「もー!だから、分かんないだってば」
「別にこの前言ったんだからいいでしょ。それ以上に言うことはないわ、ただの馬鹿だったから」
これで話は終わりだと言わんばかりに夕霧はお茶を啜る。
「……ねぇ、面識、あったの?」
「はぁ?あるわけないでしょ、ただの禿になんで名妓たるあたしが?」
「じゃあ、何で馬鹿だって……それに、なんでただの禿のこと知ってるの?はっ!もしかして、四芭、特別だった?!」
「報告書よ、報告書!報告書からだけでも分かったわ、あなたはなぁんにも分かってない馬鹿だってね!そ・れ・に!監視されてたのはあなただけじゃないわ。入りたての子らには大体監視がついてんのよ、何もあなたが特別ってわけじゃないわ、勘違いしないでくれる?!」
夕霧をイドの意図しない何かが煽ってしまった。
ムキになった夕霧はイドに詰め寄って早口で捲し立てる。
「監視?皆に?」
「ええ。ま、竜胆楼の子達は信頼できる子達だからつけてないけど」
「それって皆のことが大切ってことだよね?!」
「は?」
「だって、ちゃんと見てるんでしょ?」
「……あなた、本当に気味が悪いわね」
ふふん。伊達にイドもここで数日過ごしているだけある。
「つ・ま・り!四芭は元々警戒されてたわけじゃなかったってことだ」
監視と言うのだから、当然、何かきっかけがあって付けられたのかと考えていた。であればきっかけは何だったのか、気になっていた。
だが、皆に監視が付けられる規則だったのなら考える必要はない。
「でも、馬鹿だって思ってくれてたんだぁ!」
「何、あなた……怖いわよ」
報告書越しでも認識してくれていた喜びを素直に表現しただけなのに、引かれた。
「ま。警戒はしてなかったわ。怪しい点はあったけど、そんなのあなただけじゃなかったし、境遇もそこまで特別じゃなかったからね」
「ふぅん?じゃあ、信頼して見られちゃったんだ!」
「ちっがうわよ!あなた、ちゃんと話聞いてた?!」
またしても夕霧はイドに突っ込むことになった。
イドとしては、てっきり、四芭を信頼して監視を緩めてしまったが故に見せてはいけないものを見られたのかと思ったが、そうではないらしかった。
夕霧曰く、警戒は決して緩めてはいなかった。
「あんな馬鹿、一生信頼できなかったでしょうね?!」
「え?」
むしろ、その逆だったようだ。
煙たいものでも見るかのように、夕霧は袖で口元を覆う。
「あの馬鹿、正義感が強すぎるのよ。なんかよく知らないけど、花街のあちこちを疑ってたわ。そんなヤツ、信頼できるわけないでしょ」
「で、でも、見られちゃったんだよね?」
「そうなのよ!あの夜、あの馬鹿が偶々妓楼の隠し通路を見つけてね、そこで見ちゃったのよ――あたし達鬼が接客してるとこ!それからすぐ山に一直線!おかしいでしょ?!普通、逃げても右往左往したはずよ」
そこまで聞いて、イドは頷く。
「確かに」
「でしょう?」
夕霧の言う通り、あちらこちらに逃げずに目的地が決まっていたということは不自然でしかない。
考えられることは一つ。
「誰かに見たことを言いに行った、とかね」
正確に言えば、報告しに行った、か。
夕霧もイドの言葉に腕を組んで頷いた。
「ええ。それが自然――――て、何普通に推理してんのよ?!あなた、自分が疑われてるって分かってる?!」
ちゃっかりここまで真面目に話していたからつい、夕霧も答えてしまっているが、一番の容疑者は四芭ことイドである。
ほとんど確定されたスパイ候補。
いくら記憶喪失などと言っていてもそれは変わらない。
イドはきょとんとして、答える。
「?うん、分かってるよ、『罪人』なんでしょ?」
「え、ええ、そうよ」
それには夕霧の方が拍子抜けする。
分かっていればいいのよ。そう口元で呟く。
「コホン。だから、あたしはあなたの内通者を疑ってるのよ」
気を持ち直して、イドを鋭い眼光で見つめる。
「偶々隠し通路見つけて、しかも偶々接客中だったなんて、偶然が過ぎるわ」
「確かに」
「…………あなたがそれを認めるの……」
「?え?だって、夕霧の言う通りだなって……」
気を持ち直した夕霧がおかしいのか、肩透かしを食らった気分だった。
イドは相変わらず、自分が疑われていることに何の痛みや感情も感じていないよう。
「何かおかしい?」
「……おかしいって言うか、容疑者であるあなたが認めたら……て、そもそも、内通者なんていたら大問題なんだから」
「そうなの?」
「はあ?」
「なんで?」
なんで。
まるで何も知らない、好奇心旺盛な幼い子どものような問いかけだ。
夕霧は頭を抱える。
「なんでって……あなたねぇ……ここは信頼のできる子達しかいないって言ってんでしょ?!それに――」
「大丈夫じゃない?」
イドが飄然と言い放った言葉に夕霧は面を食らう。
一瞬の沈黙。
夕霧が言葉に詰まり、イドを凝視する。
ややあって、絞り出した。
「は、はぁ……これだから馬鹿は……」
「だって」
イドは不思議そうに首を傾げた。
「そんなの、こっち側にしちゃえばいいんだからさ」
「…………」
何も言えなくなるとはこのことか。
夕霧の中で流れていた時が妙に止まる。
夕霧は息を吸って、それから止めた。
「素晴らしい御方の城主だっているし、ここも、信頼できる、仲間思いの皆なんじゃないの?」
「――……」
イドは正に簡単に言っている。
夕霧は目を見開いてイドを見つめるも、すぐ止めていた息を盛大に吐いて額に手を添える。
分かってない、本当に分かってない、と頭を振る。
「あなた、分かってないわねぇ?この世にはね、陰謀があんのよ、寝返らせてもどーしようもない陰謀がね」
「でも、その陰謀も生き物が動かしてるでしょ」
そして、イドはこう続けた。
「心がない生き物なんてないんだよ」
人差し指を立て、物知り顔で。




