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第16話「幻影」

―― グレート・バリケード制御室

私の手のひらの中にある車のおもちゃはどのようにしても動かなくなった。細長いケーブルが何本か飛び出し、壊れていることが目に見えてわかった。なんども上部のスイッチを押してもそれは反応せず車輪は回らない。記憶の中で私はそのおもちゃを手に途方に暮れていた。


リリーはその様子と、目の前の制御装置の様子にどこか共通点があるように感じていた。いったいそれがなんであるのかを必死に考えていた。目の前には巨大な二本の鉄柱があり、その鉄柱に接続された線が暗い奥深くまでつづいている。そしてその反対側の鉄壁に二本の鉄柱は接合されているようにみえた。そしてそのようなものがいくつも奥の方につらなっていた。

トレバーは制御装置を子細に確認していた。それはとても巨大な鉄版にさまざまな形のボタンが配置されていた。そこには多くの複雑な文字が刻まれており、巨大な石碑を連想させた。そしてトレバーであってもすぐに読み解くのは難しいように思われた。

リリーは、はっとして思い出した、車のおもちゃから飛び出していた細長いケーブルの先端はどのようであったか。細長い二本の線がそこから分かれていた、これらは車が壊れる前には飛び出していなかったのだ。「ケーブルを差せば、それは動き出すんじゃ・・・・」

リリーはひとり呟いた。

アデリーナはその呟きが気になり、リリーに尋ねた。「どういうこと?ケーブルを差す?」

「これが正しいかはかわからないけれど、あの巨大な二本の鉄が鉄板にくっついていることで動いているんじゃないか、って。」

トレバーは二人の会話を聞いて、それから改めて鉄板を確認した。「たしかにリリーさんのおっしゃる通りです。要するにその逆、あの目前にある巨大な鉄線を鉄壁から引き抜けば止まるのかもしれません。しかしそうするためにはどうするのか。もう少しで分かりそうです。これらは現在のエレクタ制御装置に似ている部分が多い。」

トレバーは手を動かし、その制御装置をいくつか触っていた。彼の頭の中では急速にこの機械の動かし方や作りが流し込まれ、それらが成形され、あるべき姿に解明されていくようだった。

「わかりました。」

それはほんの、軽い休憩をとる程度の時間が経った後のことだった。だからアデリーナはトレバーに驚いてみせた。「もうわかったの?」

「ええ、これらの制御装置は大きく8つの制御単位に分かれており、それぞれが独立していて、一つずつ解除する仕組みのようです。しかし解除処理にはそれなりに時間はかかるようですね。簡単に一斉に解除、というわけにはいかないようです。」

トレバーは右側にある制御盤を指さした。「例えばこの電子版を操作すると、東側のグレート・バリケードが停止します。」

アデリーナとリリーは互いに顔を見合わせた。そうとなればすぐにことを起こさなければいけなかった。しかし、いまの状況で解除するわけにはいかない。門の上には人々が生活する空間があるからだ。停止した場合にそれらはおそらく崩壊するのだ。

「私たちがこれから東門に向かいます。それから使いをよこし合図をしますから、合図に合わせて停止してください。」

トレバーは頷きながらこたえた。

「分かりました。気を付けてください。それまで私はこの機械を時間が許す限り解明してみせますよ。」


―― グレート・バリケード東門

グレート・バリケード付近では人々が群れを成していた。上層のいたるところでデプリヴンによる被害が発生し、それらの緊張は限界に達し、人々は我先に逃げる算段をつけたのだ。そしてそのような任数をグレート・バリケードが一度に処理をすることができず混乱が発生していた。そして多くの者が門の通行を管理する整備兵に罵声を浴びせていた。

「なにをゆっくりとやっているのだ!」

「早くここから出してくれ!」

兵士たちはそのような声に右往左往していた。「そんなことを言ってもこの機械はこれ以上速度をだすことができない。無理に動かすこともできない。順次手続きをするので並んでくれ!」

「バカなことを言うな!なぜそのように時間がかかるんだ。ここに閉じ込めておいてわしらがあのデプリヴンに殺されるのを待っているのか!」

「なにが巨大な壁だ。これは巨大な棺桶だ!」


急ぎ東門に到着したアデリーナとリリーはその光景に圧倒されていた。群衆がその場を埋め尽くし、人々の憤りに満ちていた。二人はこのような状態になっていることに危機感を募らせた。早く逃げられるようにグレート・バリケードから人々を解放する必要があった。二人はグレート・バリケードの袖に設けられた階段を駆け上り、その上部にでた。そしてその門上に設けられた広場にも人々が多く立ち並んでいた。どうにか、外側に出られないかと考え集まってきた人々だ。しかしあまりの高さに人々はそこから降りることを躊躇い、途方に暮れていた。

二人はその中にケイデンを見つけた。ケイデンは彼らを制するわけでもなく、ただ茫然と立ち尽くしていた。

「ケイデンさん!」

ケイデンは我に返り、振り返ってこたえた。「女王様。なぜここへ。」

「グレート・バリケードを今から停止させます。ここの人達を避難させてください。」

「そんな…。ここには…ここには…。」

「周りを見てください。これが答えです。もはや一刻の猶予もありませんよ。」

「やめてください!…そんなことをしてほしくはない!」

リリーはケイデンの考えが理解できず、くってかかった。

「一体何を考えているのですか!落ち着いてください、ケイデンさん」

そうするとケイデンは鼻の穴を広げ、顔を紅潮させて反論した。

「落ち着いてほしいのは皆さんです。ここを壊すだなんて!」

リリーはアデリーナに首をふってこたえた。アデリーナはリリーに黙って頷いた。彼を説得している暇などないというわけだった。


アデリーナは広場の中央に立ち、人々の群れに向けて声を大きくして言った。「みなさん、きいてください。」

人々はすぐにそこに女王がいることに気が付き、自然とそこに人々の輪ができた。女王が目の前にいることに驚き、そして彼女が次に話す言葉を静かに待った。

「今からこの東門を停止させ、通行できるようにします。ですから、みなさん一度ここから降りて、離れてください。どのような影響があるかわかりません。衛兵たちの指示に従ってください。」

そういうと人々は素直に衛兵に従いはじめた。アデリーナは衛兵のうちの一人にトレバーに連絡に向かうよう指示をだした。


ケイデンはその様子に何も口を出さず、絶望した様子でぼんやりとみつめていた。リリーはケイデンのその反応がどうしても理解ができず、話しかけた。

「ケイデンさん、どうしてそれほどこのグレート・バリケードにこだわるのですか?」

リリーの声にケイデンはすぐに答えなかった。ただ遠い目をして、ぼんやりとしていた。そしてやがて呟くようにこたえた。

「ここは、私のとても大切な場所なのです。彼女は・・・エレトリアは私の母親によく似た気の強い女性でした。」


― 10年前

私は部下達を引き連れて、下層の警備にあたっていた。サンクレア国ではこのところ、隣国との関係が悪化しており、時折いざこざがおきていた。そのために近衛騎士団からも人をだして、警備にあたるよう議会からの指示がされていたのだ。

しかし私はそのような任務に乗り気ではなかった。下層は国境警備隊がその管理責任の中でやっているはずだ。どうして近衛騎士団がわざわざやってきて警備を手伝わないといけないのか、と。一通り見て回ったケイデンは部下達に号令をかけた。

「そろそろ切り上げるか。ここにいては気疲れする。」

「そういえばケイデンさん、この付近にはエレトリアという名のある絵描きがいるそうですよ。とても素晴らしい絵を描くらしいです。でもまぁ、我々上層民を毛嫌いしているそうですが。」

「ふぅん、そうか、上層民、下層民などと分けて考えるのは程度が低いことだな。ちなみにその者はどこに住んでいるのだ?」

「すぐそこ・・ああ、ここですね。」

部下は目先の店を指さして見せた。それは大きな店の間に挟まれ、立ち並んでいる小さな個人店のようだった。小さな扉は開かれ、店の前には小さな植栽があり薔薇が植えられていた。赤く大きな花がちょうど咲き誇って美しく輝いてみえた。そして扉の前には一枚のキャンバスがイーゼルの上に乗せられていた。

「ふぅん。」

私はそのキャンバスに視線を落とした。この通り付近の街並みが描かれていた。美しい真っ青な空と整然と立ち並ぶ石造りの建物は太陽の光を反射させてキラキラと光り、黄金色に描き上げていた。その絵に私は引き込まれた。その独特なタッチは心を揺さぶるものだったのだ。

部下達に店前で待つように伝え、ひとり店内に入った。店内はひどく狭く、小さな画家がもつアトリエといったところだった。足を一歩踏み入れると独特な油の臭いが漂ってきた。壁面にはいくつかのキャンバスが飾られており、そのほとんどは町の人々を描いたものだった。部屋の奥には小さなカウンターが用意され、その奥では一人の女性が座っていた。そして彼女は私に気が付く様子もなく、熱心に筆をとっていた。

「あなたがここの主人、エレトリアか?」

尋ねると彼女はしばらくしてキャンバスから目を離し、筆をおいて振り返った。私よりも少し年上の、しかし若い女性だった。彼女は私の姿をみるなり怪訝な表情をみせた。

「そうですが…。何か用事でしょうか?」

「一枚似顔絵を描いてもらえないか?そうだな。あの見晴らしの良い広場が良いな。」

エレトリアはすぐに首を振って返答した。「お断わりです。」

「なぜだ?金は払うぞ。」

エレトリアは私の顔をじっとみて、それから口元に笑みを浮かべて言った。

「私は多くの人物画を描いてきました。しかしあなたの人物画は私では描けない。真っ白なキャンパスのまま、私は筆をとることができないでしょう。」

エレトリアはそう言って、ちらりと私に視線をむけた。

私は眉間にしわを寄せて首をかしげながら尋ねた。「……それは、どうしてなんだ?」

そう言うと、彼女は困ったような顔をした。当てが外れたというように戸惑っていた。

彼女も私も言葉に詰まった。互いの反応が理解できなかったようだった。ひとしきり困った表情をした後、エレトリアは思いついたように言った。

「今は難しいけれど、これから素晴らしい絵を描いていくことができるかもしれない、という意味よ。」

私は答えて言った。「よくわからんが、今日はダメだということか?じゃあまたくるよ。」

エレトリアはやはり首をかしげて困った顔をしていた。


それから、たびたびエレトリアの家に通うようになった。

「笑顔をあなたの表情に見つけることができません。ですから肖像画は描けません。」

エレトリアの冷たい言葉に私は笑顔を作ってみせた。「こうかな?」

「違います。」

さらに頬の筋肉を持ち上げ、口元を大きく広げて、目を精いっぱい一杯に開いてみせた。「こうか?」

「違う。まったく愛想がない。」

私は分からないというようにエレトリアに尋ねた。

「肖像画に愛想があると何かよいことがあるのか?」

そうするとエレトリアはまた困った顔をした。私の質問に彼女はいつも面食らっているようだった。「愛想があったほうがいいだろうね。人と人の関係は愛想から始まる。最初でこけたらおしまい。」

彼女の言葉に私は素直にこたえた。「そうか、練習してくるよ。」


それからしばらくして、敵側の兵士とのトラブルに巻き込まれ彼女は手を怪我してしまったという話をきいた。私はその話をきいたがそれでもやはり彼女の店に訪れた。

エレトリアは暗い顔をして、店の奥で座っていた。私はできる限り笑顔で彼女に話しかけた。頬を適度に持ち上げ、目を細めてわらった。

「どうだ、笑顔も様になってきただろう!そうすると不思議な事に、前よりも生きていて楽しくなった。」

エレトリアは何も話さなかった。私は彼女の手に視線を落とした。腕から手にかけて包帯を巻いていた。それは彼女が筆をとっていた方の腕だった。彼女の表情は陰っていた。そしてぽつりと呟いた。「私はもう描くことはできない。だからここにきても無駄です。」

私はしばらく考えてから言った。

「私は描いてほしくここにきたわけじゃない。話してほしいからきただけだ。」

エレトリアは顔を上げた。驚きの表情だった。そして暗く陰っていた彼女の表情に小さな明かりが灯った。

「そうだ、明日腕の有る医師をつれてこよう。きっとなんとかなる。」

それから私たちはグレート・バリケード東門の広場で、バラの植栽の前で二人座って話をした。わたしはこの時間のことを今でも鮮明に覚えている。「手が治ったら、ここで似顔絵を書いてあげる。」彼女は私にそう言ったのだ。そして私が彼女を見たのはそれが最後になった。


翌日に敵兵が下層周辺に攻勢をかけてきた。私たちは激しく応戦した。結果としてこのグレート・バリケードがこの国を守ってくれたのだ。私は彼女の事が心配だったが、しばらくの間、下層が敵兵に占拠されていたために会いに行くことはできなかった。彼らは一週間後に兵力を引かせた。兵站が無くなったのだろう。私は急いで彼女の家に向かった。だが彼女は彼女の小さな店から姿を消していた。それが10年前の今日のことだ。


リリーは無言でケイデンの話を聞いていた。どのように声をかければいいのか分からなかった。

「私は10年こうして、ここで待っている。エレトリアがいつか、ふらりと戻ってきてくれるんじゃないかと思ってね。あそこに植栽されている薔薇は彼女の店で植えられていたものを私が移植したものだ。持ち主があの土地を売ってしまうというものでね。それでこの思い出の場所に植えこんだというわけさ。それだけ私にとっては大事な場所だった。」

そこまでいって、ケイデンは周りを見渡した。多くの人々がここをすぐにでも通ることを待っている。彼らの大事な家族を守るため、この国から離れるために待っている様子を目のあたりにしていた。

「しかし、同じような思いをもう他の人にしてほしくはない。」

リリーはケイデンに謝った。「ごめんなさい。私はあなたがそのように考えているだなんて知らなかった。」

「いいんだ。そもそも、ここで会う約束はしていないんだ、絵を描く約束をしただけだ。」


それからアデリーナとリリー、ケイデンは東門が停止する様を見届けた。しばらくしてグレート・バリケードのいたるところに設けられた明かりが消えた。それから、大きな崩壊が始まった。壁面は重さに耐えきらず、轟音とともに崩れ始めた。いままで強力なエレクタによって支えられてきた壁はすべての機能を放棄したようだった。壁面の上にあるリバーウォーク街はまるで空から降ってきたかのように壁面から倒れ込んだ。人々は固唾をのんでその様子を見守った。大きな土埃が舞い上がり、東門付近付近の壁面は崩れ去り、間もなくがれきの山を築き上げた。

それらは幾分その原型を留めていた。ケイデンが語った植栽は、がれきの山に下敷きになっていたがそこに植えられていた薔薇などの植物はその難をかろうじて逃れたようだった。しかし土が流れ出し、ところどころ根がむき出しになっていた。

あたりは暗く日が沈みかけていた。グレート・バリケードが放つ光がなくなったせいか、ひどく暗くなったようだった。多くの者がそこに臨時の道を設け、そして、下層へと抜け去っていく。その様子を3人はじっと見守っていた。しばらくして遠くの方でも轟音が聞こえた。次々にグレート・バリケードは停止を始めたようだった。これからこの国の運命はどうなるのか、思い思いにそのことについて考えていた。


リリーはケイデンが移植したという薔薇の花がわずかな青白い光を帯びていることに気が付いた。あたりが暗くなったせいで気が付いたのだ。リリーはその姿を不思議に思い、近づいてその薔薇に手を触れた。それは何気ない行為だった。

ゆっくりと手を通してその薔薇が持つ記憶が伝わり、蘇ってきた。

―おそらくこれが薔薇から流れてきた記憶なのだろう。とある男が店にやってきた。毎日毎日その男はやってきて、じっとこちらを見つめていた。それから店に入り、何かを確認した後、それから立ち去って行った。それは若い頃のケイデンだろう。今はずいぶん丸い顔立ちになっているが、その顔の特徴は変わらなかった。


―別の記憶も流れ込んできた。荒々しい兵士たちが街の住民に危害を加えていた。彼らは我が物顔で歩き回り、それからこの小さな家にも入った。家の中にいた女性は激しく抵抗していた。手に持っていた短剣で一人の兵士の足元を刺し、そこから血が流れていた。それからもう一人の兵士が剣を抜いた。しばらくした後、女はそのまま引きずられ、そして連れ去られていった。彼女はすでに絶命しているようだった。


リリーはゆっくりと目を開けた。これらは薔薇から自らの手を通って伝わってきた記憶だ。どうしてこのようなことができるようになったのかは分からない。エレクタを意識し、その相手を意識することで思いや記憶が伝わってくるようだった。薔薇は間違いなく、その出来事を悲しいものだと受け止めていた。

ふとケイデンに視線を向けた。ケイデンはとても寂しそうな表情をしていた。

リリーは彼に優しく言葉をかけた。「ケイデンさん、きっと彼女は他の国で幸せに暮らしていると思いますよ。」

ケイデンはリリーに振り返った。驚いた表情をしていた。そして、息を吐いてから小さなこえで彼女にお礼を言った。

「ありがとう、リリーさん」


――― ヴィクトリア・ストリート 近衛騎士団駐屯所

「どうだ、なにか情報は掴んだか?」

ブラックスの大きな声が室内に響く。

「いえ。デプリヴン達は殲滅しましたが、なにかその変わった痕跡というものは残されてはおりませんでした。」

兵士が姿勢を正して答えた。

ブラックスは懐疑的になっていた。これだけデプリヴンが現れるというのに、組織だって動いている証拠があろうというのに、その親玉は一行に現れる気配がないからだ。もしかしたらバーナードのような者がどこかで隠れているのかもしれないと踏んでいたが、今のところその尻尾を捕まえられずにいた。

「以上で、わが第三部隊のデプリヴンは殲滅が完了しました。」

「よし、では第四部隊に合流しろ、あそこではさらにデプリヴンが多数現れたようだ。」「はい。…しかしブラックス団長、このままでは兵士の疲労が激しく…」

「すまんな、持ちこたえてくれよ。さきほどグレート・バリケードの停止が開始されたとの報告があった。うまいこと切り上げる算段も考えている。」

部隊長は今一度力強い声で返事をした。「了解です。これから第四部隊に合流します。」

ブラックスは現状をかんがみてこれがきっと最良の選択だったのだろうと考えた。私の考えは、私の信念は胸の奥深くにしまっておくしかないようだ。その方がよかったのだ。

ブラックスは胸の内で誓っていた。

(だが…。このようなことを考え、転覆をねらったデプリヴンだけは許すわけにはいかない。この国から離れるにしても、そいつを始末してからだ・・・。)

ブラックスは周囲を見渡した。遠くではいくつもの噴煙があがっている。そしてグレート・バリケードの周りで次々に轟音がなり、それが明かりを消し、停止していく様子がみてとれた。そして、その様子をみてブラックスは胸の内で得も言われぬ戸惑いが満ちていくのを感じていた。それはいままで信じてきたものが崩れ去る、挫折感を内包していた。


―― 翌日 臨時議会開催前 女王の職務室

アデリーナの最後の議会での演説が始まる前のこと。

もはや議会に残っている議員も2分の1程度。みな多くはこの状況の最中、姿を消した。おそらくは彼らは率先して他国に逃げ出したのだ。アデリーナは執務室で最後の時間を待っていた。

「ねぇ、リリー、私は間違っていない?この方法で、この国を、国民を守り切ることができるかな。」

リリーはアデリーナの隣に座り手を握った。彼女の手はとても冷たく感じられドキリとした。まるでそこから体温を感じられなかった。また一層デプリヴン化が進んでいるのかもしれない。

「大丈夫。自分を信じて。私がついている。」リリーはそういって力強く頷いてみせた。

アデリーナはリリーの手を握り返し、感謝の言葉をかけた。「ありがとう。」


それから、アデリーナは最後の演説を議会で行った。多くの議員たちはもはや彼女に対して反対の意を示していなかった。むしろ彼らは女王の考えに沿うように考えを改めたようだった。そしてその職務を遂行することに自分の使命を求め、心に誓っているようだった。

「……私たちは、これから一度この愛するサンクレアを離れることになります。しかし、いつか近いうちに必ず戻ってきます。その日までみなで手を取り、戦いましょう。デプリヴンを退け、我々はこの国を必ずや再建することでしょう。」

彼女の演説が終わると大きな拍手に包まれた。その拍手は彼女が議会を退席するまで鳴りやむことはなかった。


女王の職務室に戻ったアデリーナは体の疲れを感じ取っていた。それはいままでは感じたこともない重苦しいほどの疲れだ。体は自重で潰されてしまいそうだった。瞼は重く、ひどく眠かった。

アデリーナは一抹の不安を感じていた。もうこれで目を覚まさないのかもしれない。そして人として生きるのは今日が最後なのかもしれない、と。

アデリーナは首を振った。

(違う。まだやるべきことがある。ここで倒れるわけにはいかない。)

リリーはそのような彼女を見守った。そして、自分は何ができるのかと必死に考えていた。リリーはアデリーナの様子を見て、それから心配して言った。

「トレバーさんを呼んできますね。」そう言ってリリーは執務室を出て行った。


執務室はしばらくの静寂に包まれた。少しの時間が経過した。リリーはまだ帰ってこない。その時、扉を荒々しく叩き、入ってくるものがいた。

アデリーナはうつろな目で彼の顔を確認した。よく知った顔の男だった。

「…チェスタ議員。」

チェスタはひどくやつれた表情をしていた。彼はアデリーナの姿を認めるなり喉の奥から絞り出すかのような声で言った。

「女王様!わたしは、私はいまだ納得がいっておりません。あのような女にそそのかされてこの国を捨てる決断をしたことです。わが国は神によって守られし国、1700年続いたこの国を偉大なる神は祝福してきたのだ。この国は必ず助かる。防衛を強化すればデプリヴンなど目ではない。どうか、どうか考え直していただきたい!」

アデリーナは驚きをもって彼の言葉を受け止めていた。彼はなにも分かっていない。何も見えていないのだ。彼の望む現実しかみえていないようだった。

アデリーナの体が熱くなった。「あなたは、もっと現実をみなくてはならない、あなたは、あなたの眼鏡を外して現実をみなくてはならない。いいいかげんに目を覚ましなさい!」

チェスタは食って掛かった。「女王様こそ、あのような女に惑わされるべきではない。下層の、下賤の者の考えなど取るに足りない…」

アデリーナは立ち上がり、チェスタの元まで詰め寄った。まるでその足取りは自分自身の者とは思えなかった。彼にたいする怒りが自分の中で抑えきれなくなっていた。そして、それは明確な殺意に変わりつつあった。アデリーナはチェスタの胸ぐらをつかんだ。そして片方の手で首元を掴んだ。チェスタ議員はそのような事態に唖然としていた。声を出したくても出せないようだった。アデリーナは目を大きく開け、手を震わせながら口を開いた。

「あなたは・・・あなたは・・・・・・・!」

次の言葉が喉からでかかったとき、扉をあけてリリーとトレバーが戻ってきた。二人はその状況に驚き、状況の把握に務めた。「アディ!どうしたの?!」

アデリーナはリリーの声にようやく我に返り、チェスタを掴んでいた手を放した。

「ヒィ・・・。」

チェスタは言葉にならない情けない声をあげ、転がるように執務室を後にした。

それからアデリーナはそのまま床に倒れた。まるで電池が切れたおもちゃのように、倒れ込んだ。リリーは間一髪のところでアデリーナの体を支えた。彼女はぐったりとして目を覚ます様子がなかった。

リリーとトレバーはすぐに医師を呼んだ。

トレバーはリリーに言った。「デプリヴン化が進んでいるのだとしたら、医師ではどうにもならないかもしれない。もちろん私でも・・いまのところデプリヴン化を止める方法はみつかっていません。」

リリーは心配そうにアデリーナの様子を見つめた。彼女は額に汗をかき、目をうつろで、悪夢にうなされているように喘いでいた。おそらく彼女は体全体で戦っているのだ。その治ることの無い病に。


すぐに医師はやってきた。しかし彼は結局首を振るばかりでその原因は分からないと言った。リリーはアデリーナの手を握った。彼女の手は小刻みに震えていた。そしてとあることに気が付いた。彼女の腕首にはいくつもの痣がついていた。そっと袖をまくってみると、そこには痣が無数にあった。

リリーはすぐに思い出した。アデリーナが自分の腕に痣があるといっていたことを。そしてそれがいつの間にか自分のも見えるようになっていた。

リリーは子細にその模様を確認した。丸い円の中に一つの点が記されている、不思議な痣だった。自分自身の腕も確認してみた。そこにもやはり痣があった。しかし形は全く違っていた。

そして、彼女の手からその彼女の様子が伝わってくるように感じられた。彼女の事を想うことで、彼女の様子が伝わってくる。寸前のところで耐えて、もがいている。そのように感じられた。

アデリーナが目を閉じたまま小さく呟いた。「ねぇリリー。となりにいるんだよね?」

「うん。ここにいるよ。」

そのように答えると、幾分安心したようだった。緊張していた様子がほぐれ、表情は幾分やわらいだようにみえた。


リリーはアデリーナの様子をみながらトレバーにおもちゃの車の話をした。それは彼女の深い記憶に眠っていたもので、おそらく自分のものであるということ。そしてそのおもちゃの車はバラ園でいたパヴィリオンに展示されていたものと同じであること。

トレバーはリリーに言った。

「あなたの記憶にでてくるということはとても興味深いことです。展示されている車は二代目の王トムルズの娘、ヴィクトリアに向けて作られたものではないかと言われています。初代王オズワルドとその王妃エレノアには男の子しか子供ができなかった。王妃エレノアには結局第2子は誕生せず、35歳の若さで亡くなっている。だから、オズワルド王は孫娘であるヴィクトリアをたいそう可愛がった。

この国のいたるところにヴィクトリアという名前がもちいられているのはその所以でしょうね。ヴィクトリア王女とあなたがなんらかの関係があったのかもしれません。彼女の名前が刻まれた車とおなじものを手にしていた、ということですから。」

私はなんらかの形で王族に関係していたのだろうか?私は盗人呼ばわりされていた。そして長い間私は体をおさえつけられ幽閉されていた。しかしそれ以上のことはよくわからない。なにか胸の内に広がる不安のようなものを感じた。

リリーは首を振った。私の事はどうでもいい。そしてアデリーナの手を強く握った。彼女のためにも自らが強くあらなければいけないのだ。


翌日にはアデリーナ女王が病で倒れたことが宮廷内で知れ渡っていた。

すぐにその情報をききつけたのはジョエル・ホワイト卿だった。彼はサンクレア国民が一時的に避難するための役目を担っていた。だが実務として彼が何かをすることはなかった。レイシア国の使いが国境付近で待機し、そして受け入れを行っていた。彼らはそれらの情報を得て、共有していたのだった。

「なぜこのようなときに・・・。」ジョエルが呟くと、とある貴族が彼に声をかけた。「すべてはあの女がきてからおかしくなったのです。近衛騎士団に入り込み、女王様にいらぬ情報を吹き込んできた。そして今このような状態になった。貴国に迷惑をかけずとも、我が国だけでなんとかなったのです。すべての元凶は、あの女にあるのです。」

「そうですか。」

「彼女は下層の卑しい身分の者。彼女はもっていた短剣をこの敷地内で落としています。なんらかの意図があった。彼女はアデリーナ様を殺そうとしていたのではないでしょうか?」

ホワイトは表情を一つも変えなかった、とてもその目は冷静であった。

「ところでデプリヴンの対応状況はいかがですか?」

「デプリヴンはいいのですよ、ある意味で御しやすい。」

「御しやすい?」

「いえ、なんでもありません。とにかくあの女をどうにかできないでしょうか。このままでは女王様も命を落とされるかもしれません。」

ホワイトは少しの笑顔を口元に含ませて言った。

「私に任せてください。私こそが彼女を守ることができる唯一の人間だ。私は彼女と出会ったときからそのように感じていた。それはきっと運命。この尊い運命を受け入れ、私はしかるべき行動をとることにしよう。」



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