第13話「未知への旅路」
庭園の隅に佇む小さなパヴィリオン。リリーは扉についた古びた真鍮のノブを引き、中に足を踏み入れた。室内は時が止まっているような静寂が包み込んでいた。内部にはエレクタを用いたランプは備え付けられておらず、月明かりだけが青白くあたりを照らしていた。扉の反対側には小さなガラスケースが配置されていた。とても古く、しかし金属製の頑丈な作りだ。室内を歩くと古びた木の板が足もとで微かに音を立てた。歩くたび、リリーの記憶に、おそらく過去の自分が体験したであろう記憶が闇からひっそりと浮かび上がってきた。
―
「なぜこのようなところにいる。王族を侮辱する盗人が!」
もう一人の男が頭を指さして言った。
「ちょっと待て、この女、悪魔じゃないか、人々を襲う悪魔だ!」
多くの兵士たちが手に鋭い剣を持ち、私に向けた。多くの兵士たちに追われていた。それがなぜだかはわからない。ゆっくりと視界は暗くなり、次に目を開けるとそこは堅牢な牢獄の中にいた。身動きはとれず、格子状の金属の向こう側には人々がこちらにむけて口々を話し合っていた。
「ダメです。なにをしてもこの悪魔は…死なないのです。」
「うむ。しかし、暴れる様子はない。死なぬならここに捕らえておくより他はない。それにいままで国に現れたデプリヴンとは少し違う種のようだ。」
人々の奇異の視線がこちらに注がれていることは分かった。
―
リリーはガラスケースの前に立っていた。薄暗い内部だったがやがて目が暗闇になれ、その全体を確認できるようになった。そこには精緻な磁器の置物や時計、分厚い本などが整然と並んでいた。古びた本や手書きの手紙が積み重ねられ、その一冊一冊が歴史の一部を語りかけているようだった。そして一番隅に小さな車輪のついた機械が置いてあった。赤や白、青色に塗装がほどこされており、子供の玩具であるようだった。
リリーはその車の玩具にくぎ付けになった。じっくりと眺めてみた。おそらく子供のためにつくられたものだろう、しかしそれにしてはとても精巧につくられている。いまにも動き出しそうだった。子細に確認してみると車の後部側に文字が書かれていた。小さく「ビクトリアの玩具」と書かれている。
リリーはかすかな違和感を感じとった。しかしその正体はよく分からない。少なくとも自分がその玩具について何かを知っている、何かを感じているということだけは理解できた。そして自分自身がとても手に入れたかったものなのだという感情が浮かび上がった。それは抑えられないほどに強かった。得も言われぬ感覚にとらわれた、リリーは手を伸ばしたりはしなかった。そうしてはいけないような気がしたのだ。そうすることによってよからぬことが起きるような感覚があったのだ。
そのおもちゃになにかしらの手がかりがあることは確かだった。アデリーナに出会って以来それは初めてのことであり、どこに歩けばよいか分からないほどの暗闇にようやく差し込んだ一筋の光だった。そしてその光はこの車の玩具を照らし出していた。できることなら触り、そしてもっと確かめたかったがガラスの中に収納されており、触ることはできない。リリーはしばらくしてからパヴィリオンから出た。
(私は車が好きだったのだろうか…。たぶん小さな頃だよね…。)
リリーはバラ園を出て、それから自然と足は遠くへと向いていた。アデリーナの事を考えていた。どうして私はあれほどに彼女を怒らせてしまったのだろうか、と。そしてそれに対してどうしたらいいのか分からなかった。訳も分からず逃げたかったのだ。暗闇の林の中を何度もつまづきながらひたすら歩いた。それは永遠に続いていそうな暗闇の中を歩いているようだった。しばらくして林を抜けた。そうしてようやく思い出した。この道をずっと進めば国境に面した町にでるはずだ。空はまだ暗く、しかし東側の空は青みがかかっており、朝が近い事が分かった。
道を歩いていると一組の親子が家からでてきているところをみかけた。彼らは周囲に気を使い、小声で何かを話し合っていた。手には多くの荷物を持っていた。手に背中に持ちきれんばかりの荷物だ。彼らは音もたてず、周囲を気にしながら歩き去る。国境への道を進んでいるようだった。
しばらく歩くと町の中に入った。そうすると一人の老婆が兵士に何かを咎められ、口論になっているようだった。
「どこにいくんだ、ばあさん。あんたも逃げようとしているのか。上からは事態は沈静化しているって話がきているんだ。逃げることはすなわち国を裏切ることになるんだぞ。」
「うるさいね。何もしりゃしないくせに!」
「ダメだったらダメだ。」
リリーがそこに割ってはいった。いてもたってもいられなかったのだ。「やめてください、」
リリーがそう言ったのと同時にわずかではあるが鋭い視線を感じた。どこからかは分からなかった。明らかに誰かに対して殺意をもっているようであった。兵士はリリーに顔を向けた。人を上から見るような目線でやってきたが、すぐに襟章を確認して態度をあらためた。足元をそろえて背筋を伸ばしてから言った。
「あなたは。近衛騎士団の方ですか。失礼しました。しかしなぜこのような場所に・・・。」
「聞きたいのはこちらです。なぜ人々にそのような言葉をなげかけるの?」
「国を裏切り逃げようとしていたところを止めておりました。」
「この方が悪いことをしたとは思えません。もうそれくらいにしてあげてください・・。」「失礼しました。」
兵士はそう言って、足早に去っていく。
リリーは老婆に心配して声をかけた。「大丈夫ですか?」
老婆は顔をしわくちゃにして喜んでいた。「すまないね。あんた見ない顔だけど親切だねぇ。」
背後から男性の声がきこえた。「エセルばあさん。大丈夫かい?」
気が付くと小さな民家から二人の男がやってきていた。彼らは顔立ちがよく似ていた。そらく兄弟だ。
「すみません。私たちの友人を助けていただいてありがとうございます。」
精悍な顔つきをした男がいった。彼はとても純粋な心の持ち主のように見受けられた。もう一人のやや気の弱そうな男も笑顔で頷いていた。彼の表情はとても朗らかなもので、暖かい視線をリリーに投げかけていた。しかしリリーはその男の顔をみてはっとした。うっすらと彼には見覚えがった。彼はリリーに言った。
「私はバーナード。ここに古くから住んでおります。こちらは弟のジョンです。」
精悍ななおつきの男は頭をさげて歯をみせて笑った。
「あなたのお名前をお聞かせ願えますか?」
「リリー。」
「いいお名前ですね。私の友人を助けていただいてありがとうございます。とても感謝しています。さぁ、エセルばあさんもリリーさんも一度我が家へいらしてください。まだ日も登っていませんから。」
「バーナードさん、すまないねぇ、いつもありがとうね。」
リリーはバーナードと呼ばれた男の様子を注意深く確認し、そして、直感で理解した。
(この人・・デプリヴンだ・・・。)
それからリリーも促されるままに彼らの家に入った。リリーは気を張り、警戒をしていた。デプリヴンがいつ、どのように人を襲うか分からないからだ。剣の柄に手を添えて、すぐに臨戦態勢をとれるように神経を集中させた。
屋内は暖かなエレクタの光が家の中を満たしていた。絨毯は幾分くすんではいるものの大きくリビング全体を華やかなものにしていた。ダイニングにはテーブルがあり、いくつかの木製の椅子が配置されている。リビングには大きな暖炉があり、そのそばには家族が集まるための心地よい椅子やソファが配置されていた。
バーナードと呼ばれた男はそのエセルばあさんと知り合いであるようだった。
「そうだ、おじいさんの体の調子はどうだい?元気にしているかい?彼の作ったお野菜はおいしいから、また食べたいものだね。」
バーナードがいうとエセルばあさんは笑顔で答えた。
「バーナードさんはお野菜で作ったキッシュがとても好物だったわね。今度作ってもってきてあげたいけれど・・。おじいさんはもう・・・。」
「デプリヴンか。そうだったね。すまない、このところ記憶力がよくなくてね。」
「いいのよ。わたしだってよくあることさ。まぁ、年齢が年齢だからね。」
そういってエセルおばさんは笑った。バーナードはそれからふと気が付いたように言った。
「それにしても、おなかが空いたね。朝食の時間だ。」
リリーはその言葉を聞いて警戒せざるをえなかった。デプリヴンによる被害はおよそ朝と夜。人が食事をとる時間帯がほとんどだからだ。彼らはおなかが空いたことによって狂暴化するのだ。
バーナードは石畳になっている廊下をすすみ、キッチンの戸棚でなにかを取り出していた。彼は包丁を片手に顔をのぞかせて、言った。
「是非とも食べて行ってください。そちらの親切なお嬢さんも。お時間が許すのであれば、ね。」彼はどうやらリリーのことにとても興味を持ったようだった。
それからリリーは落ち着くことができなかった。どういうわけかダイニングテーブルの前に座っており、彼らとともに食事をとることになったのだ。テーブルの上にはパンやチーズ、それから暖かいスープ、コップには冷たいミルクが注がれていた。新鮮さがうかがえるピンとした野菜、それにハムなどもスライスされて取りわけられていた。リリーはその光景に驚いていたが、彼らにとっては普通のことなのかもしれなかった。談笑しながら食事を口に運び、世間話をしていた。すぐにリリーも食事に夢中になった。お腹が空いていたのだ、そして食べることはリリーにとって一つの楽しみになっていた。そして、出された食事はどれも美味しかった。
エセルおばさんは良く話す人だった。
「上から来た兵隊さんはいつもそういうのよ。大丈夫しかいわないの。そうやって報告しないと上が許してくれないそうね。」
バーナードはこたえて言った。「ああ、あの人たちは貴族に操られているからね。彼らにいいように使われるしかないんだ。そしてそれは僕たちも同じこと。」
そこまでは話してから、バーナードの表情が険しくなった。
「彼らの一部はこっそりと国から逃げる算段をしている。私はそのような複数の情報を持ってかえってきた。彼らの身分で、国を守るからこそ許されたその権力をそのままにして、わが身可愛さにいち早く国から逃げるなんてことが許されるとおもっているのだろうか?」
そこには強い怒気が含まれていた。「許されることではないよ。私は許さない。」
エセルおばさんはその様子に気が付いているのかどうか、申し訳なさそうに言った。
「でもバーナードさん、ごめんなさいね。私はもうとなりの国に引っ越そうと思っているのよ。ここにいたら命がいくつあっても足りないわ。」
バーナードはすぐに笑顔になり、気遣うように優しい言葉をかけた。
「いいんだ。エセルおばさんはいいんだよ。仕方のない事さ。そちらの方が安全だからね。」
「もう畑の手入れさえできなくてね。人手は足りないし、もうここでの生活もできないの。知り合いはもうほとんど天に召されるか、隣国に逃れたよ。ここに残っているよりは、まだいくぶんましなんじゃないかと思ってね。」
「貴族どもはそれを知らないのさ。なんだかんだと産業は下層の住民がいないと成り立たない、こんなことは誰だって知っている。一年中船で外にでている船乗りだって知っている。船が進むには水がなければ進まない。そして海が亡くなれば、もはや船乗りたちは身動きができなくなる。そんなことも分からず、地図をにらめっこしている頭の良いと思っている人達なんだ。もちろん、彼らは理屈をこしらえるのが上手だからね、頭がよさそうに見えるし、だれしもがそれに騙されている。」
バーナードはそう言いながらリリーに目を向けた。
「君は宮廷で働いているのだろう?どうだい?貴族立ちの様子は?」
リリーは彼の首にくぎ付けになった。そこには左右に角がでていたのだ。
「どうしてそれが分かったの?」
バーナードは頷いて言った。「君が来ている服を見ればわかるよ。そして君は私のことを警戒しているだろう?」
リリーは立ち上がり、剣の柄を握り締めた。
「その証拠に首元から角がでている。なぜデプリヴンが正体を隠しているの?なにをしようとしているの?」
一同は驚いてリリーをみた。リリーの反応が彼らにとってとても以外だったようだった。彼の弟が困ったように立ち上がり、それから言った。「落ち着いてください、リリーさん。だからなんだっていうのですか?」
リリーはその言葉をきいて彼を凝視した。彼はみたところ普通の人間だった。その状況が飲み込めず、その場に立ち尽くした。
バーナードは肩を落として言った。
「その通りです、私はデプリヴンになってしまった・・・。」
「兄さんはたしかに特徴は似ているけれど。兄さんをデプリヴンなんかと一緒にするのはやめてくれ。俺達にとってはいままで通り変わらないんだ。優しいお兄さんなんだ。そしていままでよりもずっと僕たちを、そしてこの町の人々を熱心に守ってくれているんだ。」
町を守る?デプリヴンが?リリーにとってはそのような話をきいたことがなかった。デプリヴンはいつも人々を襲い、恐怖に陥れる存在だったからだ。
「デプリヴンは忌み嫌われている。それはデプリヴンだから忌み嫌われるのかい?」
「え?」
リリーはその問いに咄嗟に答えることができなかった。デプリヴンいつも倒すべき敵だった。人を襲う様子のないデプリヴンに対して、人と共生しているデプリヴンに対してどのように対応すればよいのか、答えを持ち合わせていなかった。弟のジョンはリリーに食って掛かった。
「兄さんに謝ってくれないか?」
バーナードはジョンを制しするように言った。「いいんだ。ジョン。この人は僕たちの仲間だからね。」
バーナードは穏やかな表情で彼の兄弟をたしなめた。それから彼はリリーに向かって言った。
「そうだ。あなたには話したい事がある。とても見晴らしの良い場所があるんだ。一度見ていただきたい。」
リリーは頷いた。そこで彼は本性を現そうとしているのかもしれない。
それから家をでて、景色の良い場所に向かった。リリーは無言でその男の後をついていった。周囲にデプリヴンが潜んでいないかと考えたが、思い過ごしだった。
夜明けの静謐な丘に立ち、リリーはその様子を見渡した。眼下に広がる緑の向こうには下層の街並みがあり、それからグレード・バリケードがあり、上層の街並みが見えた。闇から明ける夜明けの光が、建物の輪郭を浮かび上がらせが柔らかな光で照らされていた。まだ風は冷たく静けさが街を包んでいるようだった。遠くに見える海の上には既に朝陽が昇り、海面に反射してキラキラと輝いていた。
「私たちが守るべき国だ。そして同時に人々を守らなければいけない。君と意見は一致していると信じている。我々は手を取り合うべきだ。」
リリーは不思議だった。たしかにデプリヴンの中には人と変わらない者もいた。エリゼもそうだった。彼女も見た目は人間ではあったが間違いなくデプリヴンだった。そしてバーナードという男は彼女に輪をかけて人として生きているようにみえた。人とまともに交流しているのだ。しかし、多くのデプリヴンは人を襲う。そして国は彼らに食べられようとしている。
「君はどうして、あんな暗闇を歩いていたんだい?しかも一人で。君は衛兵であり、役務があるだろう?」
「わたしは・・・。」
「それとも宮廷から抜け出してきたのかい?なにかうまくいかないことがあるのかい?」
リリーは黙って頷いた。バーナードはゆっくりと頷き、それから優しい目で言った。
「それは良い機会ですね。」
「え?」リリーは驚いて聞き返した。
「何事もうまくいかないときは次に進むことができる絶好のチャンスなんだ。必死にもがいてそれでも前に進むことができない。まるでいままでの自分はなんだったのかと絶望することもある。」
リリーは思い出していた。アデリーナとあのような会話をしたこと、怒らせてしまったこと。それがなぜなのか自分では分からないこと。そして何より彼女も言っていたように、自分が何者であるかわからないこと。
「でもね、不思議なことに次の朝起きてみたら、嘘のように解決しているんだ。その時の晴れやかさといったら無いよ。」
バーナードは穏やかにリリーに微笑みかけた。「神様が見てくれているんだ。必死で生きたものには必ずご褒美を与えてくれるんだ。」
バーナードは手をかざし、リリーに手を向けた。
「不思議だ。君は人ではないのだね。それにデプリヴンでもない。何者なんだい?」
バーナードはどうやらリリーのエレクタを感じ取っているようだった。
「わかりません。それに今、何をやったのですか?」
リリーは想像を巡らせていた。このバーナードという男もエレクタを自由に操っているようだった。エリゼのように手を使ってその流れを読み取っているのだろうか。
「不思議に思ったかい?。本来人間にはエレクタを操作する能力が備わっていたのではないかと言われている。それがいつのまにか使いこなすことができなくなってしまったのだ。ことばや知能を得るかわりに、エレクタを使いこなす力を喪失してしまった。それが今の人間だ。だが私は今エレクタを使いこなすことができる。幸か不幸か。」
男は本当にデプリヴンを克服した何者かになっているのではないか。リリーはそのような疑念さえ抱くようになっていた。バーナードは話を続けた。
「わたしはあなたに感謝しているのです。私たちの仲間を守ってくれた。それだけ私はあなたを本当の仲間だと思ったのです。そして、もしよろしければ、あなたを紹介したい人がいる。明日には一度会うことになっているんだ。重要なことが持ち上がっているのでね。」
リリーは答えた。「ごめんなさい。私は今すぐに会って話さなければいけない人がいます。」
「そうですか。もがいてみるということですか?」
「はい。」
「では早く行くとよい。またどこかであいましょう。あなたは私たちの仲間なのだから。」
頭を深く下げるリリー。そして心の底から驚きを隠せずにいた。このようなデプリヴンがいるのか。しかし、彼らはあくまで少数派なのだ。
リリーは彼と別れを告げて、自分の帰るべき場所を目指して歩き始めた。遠くに見える城下町を見ながら考えていた。彼が言うように、いままでの悩みが嘘のように一掃され、不思議なほどにやるべきことは明確になっているのだった。
(謝って真実を話すだけでいいんだ。どうしていままでそのことに悩んでいたのだろう・・・・。真実を話そう。そうして自分を知ってもらおう。それだけでいいんだ。)
バーナードはリリーの後姿を見守っていた。バーナードの元には弟のジョンがやってきていた。「バーナード兄さん。あの方はいってしまったのかい?」
バーナードは頷きながら言った。
「あの人もよい人だった。人とはもともと善人なのさ。しかし、もともと悪人である者達もいる。あの城に巣くう貴族共。利益をすべて自分たちのものとして囲い込み、他の者には善人面をしている。そして平等などと耳障りの良い言葉を並べておきながら利益を配分しない。程度が知れるというものだ。あいつらはみな死ぬべきだ。私たちが彼らを一掃し、ようやくこの国はデプリヴンから解放されるんだ。」
「そうだね。敵はうたなければならない。そうでないと僕たちの目的は達成されない。」
「さぁ、国のために私たちのやることは重大だぞ。近々計画が開始されるのだから入念に準備をしないとね。」
―― 女王の執務室
アデリーナは当日、定例の議会での発言が予定されていた。しかし、彼女はふさぎ込んでいた。自らの判断が間違っていたのだろうかと考え怯えていたのだ。これだけの反発を予想もしていなかったのだ。
トントンと扉をたたく音がした。「リリー様がいらっしゃいました。」
驚いた様子でアデリーナは振り向いた。声が咄嗟に出なかった。二人の間には沈黙が生まれた。二人とも、どのように言い出したらよいものか分からなかったのだ。リリーは心にきめた。私はなんためにここまでやってきたのか。
「どうしても伝えたい事があったの。だから戻ってきた。」
リリーの言葉にアデリーナは無言で頷いた。リリーは続けて説明した。下層の人達が疲弊していること、そして彼らは国が打ち出している放心に呆れ、それから逃げ出していること。人が不足しており、もはや農作物を作ることもできない人が増えていること、もはやデプリヴンによる被害は甚大で一刻も対処が必要であること。そして、人々とともに暮らすバーナードというデプリヴンがいたこと。
「そうですか。やはり私たちは実態がみえていなかったということなのね。そのデプリヴンについても気になります。」
リリーはそれから自分のことについて口を開いた。
「わたしはバラ園にいった。そこでみたものは私の記憶にあったものだった。バラ園ができたときに私はそこにいたんだと思う。そしてそこに展示されていたおもちゃにも見覚えがあった。きっとあのバラ園は私に関係しているの。でもどう関係しているのか今はわからない。」
アデリーナは驚いた表情をした。
「そうなのね。たしかにリリーはミスティック・オベリスクで囚われていた。いつ頃からそうであったのか、分からずじまいだったけれど、あなたは1700年以上も生きているということなの?信じられない。あのバラ園は建国時につくられたものよ。サンクレア歴1年。あなた、1700才くらいなのかも?」
「そうかも?」
アデリーナはそれから口をつぐんだ。なにかを言おうとしているようだったがようやく重い口を開いて語り始めた。
「私はあなたのことをずっと考えていた。どうして私はあんなことをいってしまったのだろうって。」
そうして彼女は腕をまくり、リリーにその腕をみせた。「痣がみえる?」
リリは首を振った。
「そうね。でも私にはみえている。きっとこれはデプリヴンになる兆候なのよ。私は既に感染してしまっている。人ではなくなり理性を失うかもしれない。恐ろしいの。怖い。」
アデリーナは震えていた。救いを求めるような視線をリリーに投げかけていた。思えば自分自身をあの場所から救いだしてくれたのはアデリーナだった。それがはじまりだったのだ。
「ありがとう。話してくれて。わたしはアデリーナがいなくてはここにいなかった。だからすべてを受け入れる。そして私が絶対になんとかする。」
リリーはアデリーナの腕をとった。アデリーナも答えるように言った。
「私だってあなたのことをすべて受け入れている。私はずっと心細かった。ひとりではなかったんだね。ここにいてくれて本当にありがとう。」
アデリーナはリリーの手を引き寄せて抱きしめた。
「もう絶対あんなことはいわない。これほど辛い思いはしたくない。もう絶対に離さない!」
リリーは不思議な感覚だった。アデリーナに抱きしめられることで自然と涙が出てきた。頭の中に誰かの顔が浮かんだ。右目の下にほくろのある、よく知っている顔だった。だがそれが誰なのかは分からなかった。
それからアデリーナはリリーの服がところどころで汚れていることに気が付いた。「ずいぶんと急いでいたのね。森を歩いた時にいろんなところをひっかけながら歩いていたでしょう。」そういってアデリーナはリリーの帽子を手に取った。そしてなにげなくリリーを見て気が付いたのだ。「あれ?どうして…。」
扉を強くたたく音がした。
「女王様。チェスタです。入らせてもらいますよ!質の悪い反逆者が宮廷内に入り込んでいるという噂がありますので。」
チェスタはそう言って部下達や兵士たちをひきつれて入ってきた。アデリーナの前にいたリリーを見つけるや否や、兵士たちに取り囲むように指示をした。
「そこの女です。取り調べをさせていただきます。」
「やめなさい。どういうことですか?」
アデリーナは抗議するようにチェスタに問いかけた。騒ぎをききつけ騒ぎになった。侍女たち、そして、その騒ぎを聞ききつけた衛兵や貴族たちの顔もあった。ブラックスの顔もあった。ブラックスはため息まじりに責めるように言った。
「チェスタ議員。これはあまりにもやり方が荒い。まだ何の証拠もなしに我が部下を疑おうというのか。」
「いつまでそう言っていられるでしょうね?まぁいいでしょう。これから私が正しいことを証明してあげますよ。私は決定的な証拠をつかみました。あなたはいつもその帽子をかぶっている。いろんな方に聞き取り調査をしましてね。ひと時もあなたはその帽子を外したことがないのだと。誰に聞いてもそういうのですから怪しいですね。何を隠しているのですか?」
チェスタは口元を持ち上げてにやりと笑った。顎をあげ、まるで見下ろすようにリリーに言った。
「私にはわかっています。あなたは帽子でデプリヴンである証拠の角を隠している。女王に取り入って、この国の転覆をはかっている。この国を食い尽くす悪魔だ。脱いでごらんなさい。そうすることによって私の正しさは証明されるでしょう。」
リリーは驚き、たじろんだ。瞬間的に手で帽子をおさえた。
アデリーナはチェスタ議員を睨みつけながら言った。
「なにをいっているの?リリーは私のかけがえのない友人です。帽子をとって頭をみせることくらいなんでもないことです。そのかわり、もしこれが間違いであったならば、それ相応の対処をさせていただきます。あなたが議員であったとしても、これはなんの証拠もない、明らかな悪意のある行為ととらえます。今後これ以上、同様の事をしないと誓っていただきます。」
「もちろんです。皆の前で誓いましょう。」
アデリーナはリリーに振り返って言った。
「さぁ、リリー帽子を脱いで。」
リリーは躊躇した。どうしてアデリーナがそのようなことをいうのか分からなかった。自分の頭には間違いなく角が生えていたし、今帽子をとってしまったらそれは全て明るみに出てしまうのだ。みなの注目が集まった。
「いいから!」
アデリーナは嫌がるリリーの帽子を勢いよく脱がせた。皆息をのんだ。すべての人の視線は彼女の頭に注がれた。しばらくの間があった。「え?」
みな口々に小声で話し合い、次にチェスタ議員に注目した。
「そ、そんなバカな・・?」慌てたのはチェスタ議員だった。
アデリーナはリリーの頭をゆっくりと撫でながら言った。「どう?こんなにかわいらしい頭ですよ。それが一体なんですって?」
チェスタは顔面蒼白だった。「そんな・・・ありえない・・・。」
「ありえないのはあなたです。さぁ出て行きなさい。ここから。」
アデリーナはそれからリリーに振り返って言った。その声には力強さがあらわれていた。「さぁ、そろそろ演説に行かなくては。やはり私たちは間違っていなかった。そしてリリーがもちかえってくれた情報を私は信じる、あなたの目を信じる。胸を張って、私はかならず彼らを説得してみせるわ!」
その後、アデリーナは二度目の演説を行った。彼女はいつになく力強く宣言した。私は間違っていないのだという自身にあふれた演説だった。しかし多くの者が反対の声をあげた。アデリーナは臆することはなかった。自身に満ちた表情で説明をつづけたのだった。
――
アデリーナが演説を行っているのと同じ頃、リリーは自室に戻り、以前持ち帰ってきたバラの木に水をやっていた。昼下がりの日の光をあびて、水の玉をたくさん葉に蓄えたバラはキラキラと輝いて見えた。とてもそれは美しい姿にみえた。枯れ欠けている木には見えなかった。
それからリリーはふと顔を近づけて目を凝らした。木々の付け根から若い目が生えていた。小さな新芽だった。今後咲かせるだろう花のように赤い色の新芽が顔を出していた。




