第12話「心の迷宮」
―― 近衛騎士団の練習場
リリーは剣を手に取り、息を切らしていた。向かい合うように対峙しているのはブラックス。ブラックスも険しい顔をし、息を切らし、剣を構えていた。
「今日はこれまでにしよう。」
それから動きを止め、腕を降ろし、リリーにゆっくりと頷いて笑顔を見せた。
「よいか、エレクタによって人間は皮膚の感覚、触覚、痛覚などが制御されている。大きな一撃をうけるときにその感覚を受け流さなくてはいけない。痛みは重要ではあるが、次の攻撃に転じるときには不要なものだ。」
「痛みを感じなければ戦い続けることができるということですか?」
「体が壊れない限り、致命傷を受けない限り、な。しかし程度の問題でもある。かつて痛みを感じさせない薬が横行していた時代があった。その時の戦いは悲惨だった。どちらかが倒れ、死ぬまで戦いは続いた。現在では各国間の協定でそれらの使用は表向き上禁止されている。」
リリーは少し考えてからこたえた。「つまり、その加減が大事である、ということですか?」
「うまく体をコントロールすることだ。自分の感覚を制御することだ。それがさらにお前の剣技を高める方法だ。今の状態でも力は申し分ないし、技術も格段に高くなった。既に小隊の隊長をまかせてもよいぐらいだ。」
リリーは頭を下げた。「ありがとうございます。」
「しかし・・・」とブラックスは続けて言った。「お前には心が欠けている。敵と対峙する、あるいは部下を率いる上で最も大事なのは心だ。人間味といったらいいのかな。どのような場面でも冷静なのはよいことだし、大抵の場合、部下には心を捨てろという。様々な感情を持ちすぎているからそのように教える。だがお前はあまりにも感情を持っていない。個としての能力は抜群によいのだがそのような状態では人はついてこないぞ。」
「こころ・・・」リリーは呟いた。こころが一体何であるのかリリーには分からなかった。
「こころがないと女王様を守ることはできない?」
「守れないかもしれない。人はもっとも辛い時にこころが大事だ。どのような局面においても耐えられないような厳しい場面がでてくる。それでも立って、足を踏ん張って耐えることができるのか、粘り強く戦うことができるのか。これによって生死が別れる場面もある。」
リリーの目には戸惑いの色が浮かんでいた。「分かりません。わたしはわたしのことが分からない。」
ブラックスがリリーを見る目はとても暖かかった。彼にとってリリーは頼もしい部下であるとともに、どこか親しみを感じているようでもあった。それは彼の心の奥底に閉まっているなにか重要な部分に触れているようでもあった。
「自分が分からなければ、見つけるしかないな。そしてそれは剣の技術や戦い方のように教えることができるものではない。自分でみつけなくてはいけないのだ。」
リリーはまた分からなくなった。見つける方法が分からなかったからだ。ブラックスはそのようなリリーの焦りに気が付いたのか、付け加えて言った。
「あまり深く思いつめるものでもないぞ。強すぎる思いは自分を突き動かしてくれるが、自分を壊すこともある。焦らないことだ。」
―――
アデリーナは自室で食事をとっていた。気分がすぐれないので侍女に食事を運んでもらったのだ。食欲もあまり無かった。パリーダンステーキはアデリーナの好物であった。肉の焼ける香ばしい香りがそそり、ステーキはすべて食べることができたが、どうしても付け合わせの野菜を食べる気にはならなかった。
侍女がサービストロリーに器を戻す際に一言言った。
「アデリーナ様が食事を残されるなんて、珍しいですね。体調がすぐれないのですか?」
「気分が悪いだけ。それにブロッコリーは食べたくない。色と見た目がちょっと受け付けない。」
「どうして。いつも召し上がっていたではないですか?」
「そうだったっけ?とにかく嫌なのよ。」
侍女が部屋を出て行った後、腕をまくり痣を確認した。やはりそこには一つの痣がある。しかし以前と比べて徐々に大きくなっているように思えた。おもえば痣については誰にも相談したことがなかった。
(もしかしたらトレバーなら何かわかるかもしれない。)
トレバーは王立研究所にいた。彼は日夜を問わず研究所で本を読みふけり、研究に打ち込んでいた。アデリーナが尋ねたとき、トレバーはちょうど彼の個室でなにか書き物をしているようだった。熱心に本を読みながら、ペンを振るっていた。そして一人でやってきたアデリーナをみて驚いて言った。
「どうなされたのですか?しかもお一人で。」
「じつはトレバーに伺いたいことがあってきたのです。」
アデリーナは扉を閉め、トレバーと向き合った。それからおもむろに服の袖を捲し上げて彼にみせた。彼女からはかすかな緊張感があった。口をキュッと占め、それから体は強張っているようにみえた。
「何が見えますか?」
トレバーはアデリーナの顔をみながら眉を顰め、それからじっと全体を見渡した。
「なにか、特徴的なところは見当たりませんが・・・。」
アデリーナはため息をついた。「そうですか。私には痣がみえるのです。このあたりです。」
片方の手の指でその位置を指し示す。しかしトレバーは分からないといったように首を傾げた。
「すみません。私には見えません。興味深い話ですので確認してみます。詳細について教えてもらえないでしょうか。」
それからアデリーナは痣が最初に確認できたときのこと、他にも痣がついている者がいたこと、だが自分と違って痣は見えないと言っていたことを説明した。
「つまり、女王様だけが痣を見ることができる、と。」
「私だけなのでしょうか。」
「分かりません。そのような報告や事例はきいたことがないですから。小さな痣だとすると見落としもあるかもしれないですし気が付いていないかもしれない。もしかしたら、女王様の目や視力に何か影響があるのかもしれません。一度医者に確認するのも良いかもしれません。」
「わかりました。ありがとう」アデリーナはトレバーに礼を言い、服の袖を元に戻した。
それから、アデリーナはデプリヴンの調査状況についてトレバーに確認した。
「子供のデプリヴンを調査していてより多くのことが判明しそうです。思考が単純化し、排他的になるということはもともと分かっていましたが、さらにその詳細が分かってきたのです。まだ断定的に説明できる段階ではないですが近いうちにご説明できると思います。」
「感染原因は、まだ分かりませんか?」
「ええ、それはまだ…。」
「そうですか…。」
女王は考え込んだ。そして一つの提案をもちかけた。
「もしよろしければ、グレート・バリケードの中心部を一緒に確認にいきませんか?」
トレバーは驚いて女王に向き直った。その表情は興奮を隠しきれない様子だった。
「そんな、あそこはサンクレアにとって最重要区域であり、簡単には立ち入ることができないときいています。そんなことが可能なのですか?」
「もちろんです。いくらでも方法はあります。」
――― グレート・バリケード内部
中心部に向かうためにはグレート・バリケード北西部にある小さな入口から入る。そこは重要な施設への入口であり、どのような時でも衛兵が二名体制で警備を行っている。そしてその入口を入るとすぐに下りの螺旋階段が続く。足元はエレクタで照らされているものの幾分不気味であった。コツ、コツと二人が歩く立てる足音が壁面を響き、小さくこだまして闇に消えていった。
「それにしても、よく通してもらえましたね。」
トレバーが言うと、アデリーナは答えて言った。
「昔からこういうことは得意なのよ。情報通の侍女に調べさせてちょっと弱みをつかんでおけばなんでも言うこと聞いてくれるわ。妻に内緒で女性に二人で会っている、とか、内緒でお金を使い込んでいるとか。」
「それは…おどしなんじゃないですか?」
「侍女たちの情報網を甘く見ていけないということよ。トレバー、あなたも気を付けた方がいいわよ。」
「肝に銘じておきます。」
その場所は大きな空間になっており、巨大な製造装置が奥深くまで続いているようだった。それは緩やかなカーブを描き王都を中心としてぐるりと囲んでいるかのようであった。
「これがグレート・バリケード全体のエレクタ生成を担っている製造装置ですか。はじめてみました。」
トレバーは歓喜の声を上げ、それから興味深そうに全体と細部を交互に確認しはじめた。メモを取り出ししきりに何かを書きこんでいた。アデリーナはぽつりと問いかけた。
「どうしてグランド・バリケードの通過にはあれほどの時間が必要なのでしょう。」
トレバーはしばらくしてから手を止め、アデリーナに振り返って言った。
「まず敵から身を守るために極力不便にしてあることが一つあるでしょうね。それにエレクタを用いての金属探知も行っています。1700年前の装置ですからその有効度はほぼないようですが。なにせ長剣程度の大きな金属でないと反応しない代物です。いづれにしてもそのようにして、かえって不便にすることで国を護ってきた。建築当初、人々の往来を不便にする意図はなかったと思いますが。」
「エレクタ生成装置というのは、どのような原理なの?」
「まだ解明されていません。王国一帯にはパリーダ川が流れている。そして伏流となってこの地下にも水脈があることは分かっています。それによってエレクタが生成されている可能性が多くの学者によって指摘されています。しかし、オズワルド・グレンヴィル王の頭の中にしか詳細な設計図はないのです。その詳細はスパゲティのように複雑にからみあっており、その筋の学者でも紐解くことができずにいるようです。それも1700年もの間です。」
「たとえば、生成装置を止めて、エレクタの供給を止めるとグランド・バリケードはどうなりますか?」
トレバーは頷きながら答えた。
「動作を止めるだけ、といいたいところですがそう簡単な話ではありません。グランド・バリケードはエレクタを供給することによって建築物全体の強度を限りなく高めています。鉄の塊を巨大な発射機から砲撃されたとしてもびくともしないでしょう。しかし年を経るにつれて強度は劣化しています。そこに加えて、グランド・バリケードには当初存在しなかったものがいろいろと付随してしまっている。」
「リバーウォーク街のこと?」
「そうです。本来あそこには兵士たちが国を守るための設備がおいてあるだけでした。今やそこに建物を建て、住民たちの生活の場になっている。この状態でエレクタを止めると・・・。」
「どうなるのです?」
「その自重に耐えかねて完全に崩壊するでしょうね。今でもその姿は目に見えて歪ですから。その歪な外観を支えているのが大量のエレクタであると言ってもいいでしょう。」
それからしきりにトレバーは頷きながら、あるいは首をかしげながらその巨大な装置を子細に調査をはじめた。
アデリーナはその間、一人で思考にふけっていた。そして近いうちに大きな決断をしなくてはいけないことだけははっきりと理解していた。そして兄が言っていた言葉を何度も頭の中で繰り返していた。
―すべてを自分の事として考える。
今の国の現状、デプリヴンの原因が解明されない、しかし検出器でデプリヴンの判別は可能になった。そして、グランド・バリケードは人の移動の大きな足かせになっている。考えてみれば、答えは一つしかなかったのだった。
――― 臨時議会にて
アデリーナは今日、臨時で議員を招集し、演説を行うことになっていた。その考えを多くの者に周知するためには早い方がよいと考えたからだった。貴族院や庶民院の議員たちは女王の重大な発言を聞き逃すまいと耳を傾け、注目していた。
アデリーナは心の中で思い出していた。デプリヴンが国を襲ったときのことだ。父は命を落とし、兄は行方不明になった。私の決断を父が生きていればどのように言っただろうか。愚かな策だと叱咤されただろうか。それとも、激励してくれただろうか。
アデリーナは演説台の前に立ち、会議場をゆっくりと見渡した後、口を開き、話し始めた。その表情は強い断固たる意志を感じさせるものだった。
「暗い影がこの国を覆い、その影に潜む脅威デプリヴンがいまだにその数を増やし続けています。その発生原因はいまだに解明されず、その影響は日に日に深刻さを増しています。兵士たちは国のために、そして国民のために命を懸け、疲弊し、傷つき多くの者が命を落としています。一方でデプリヴンを検出する機械が現在鋭意製造されています。私はこのような状況の中、この国が未来へさらに飛躍するための鍵となる手段を考えました。」
会議場はシンと静まり返っていた。女王が語る次のことばを待っていた。
「我々はこの国、サンクレアを一時的に離れなければならない。国民の命を安全に確保しなければいけない。その後に我々はデプリヴンと戦います。もう二度と感染することのないようにその原理の解明を急ぐとともにデプリヴンを殲滅します。そうして我々はふたたび王都へ帰還するのです。」
驚きの声が会議場全体から上がった。議員達は口々にその事について議論を始めた。
アデリーナは構わずに話をつづけた。
「兵士たちだけではなく国民も疲弊しています。いつどこで現れるかわからないデプリヴンの恐怖に怯え、日々を過ごしています。今のやり方、発見次第退治するということを続けていても解決しないでしょう。どのように根本的に解決するかを考えたときにはやはり、感染していないものを一度に、一斉に避難させるのです。そして…、そのためにはグランド・バリケードを停止させます。」
さらに戸惑いの声があがった。その意図が受け入れられず茫然と立ちすくす議員もいた。
「デプリヴンは上層、下層どちらからも発生しています。今やデプリヴンに対してグランド・バリケードは何の役にも立たないどころか、人々が移動する上で足かせになっています。これを取り除き、早急に国民が避難できる状態を確保します。そうして、レイシア国への一斉避難をおこなうのです。友好国のレイシア国に対してはジェイク・ホワイト卿にその交渉をすすめてもらっています。彼はこころよく引き受けてくれました。レイシア国の力を借り、デプリヴンの解明と殲滅をし、その時にようやく我々は次の未来のサンクレア国とともにあることができるのです。ぜひとも私の考えをご理解いただき、みなさまに採択していただきたいと思います。」
多くの議員達が立ちあがり、議論を始めた。議論のほとんどは女王の考えを否定するものであった。そのざわつきは一行に収まる気配はなかった。アデリーナは力強い表情で、しかしどこか不安げな表情でその様子を見守っていた。必ずや理解してもらえると考えていた。しかし彼女の手足は震え、喉は乾いていた。
議会がその落ち着きを取り戻す様子がない中、議長が質疑応答の挙手を促した。
一人の男が手を挙げた。すべての参加者がその者に注目した。ジョン・ストラサム卿、歴史学の教授であり、文化遺産に明るい議員である。70歳という高齢でありながらその高い見識は多くの議員の知るところであった。王家との親睦についても深いかかわりあいのある由緒正しい貴族であり、アデリーナが小さいころからよく知る御仁であった。
ストラサム卿はゆるりと立ち上がり、頭を下げてから言った。
「女王様の、すべての国民を守ろうというお考え、とても感服いたしました。しかし女王様。我が国の象徴たるグランド・バリケードを停止させるという判断にはいささか耳を疑いました。1700年以上もの歴史を誇るわが国の象徴であり、何よりも代えがたい宝です。この国が過去に何度も他国に攻め入られた時、守ってくれたのはこのグランド・バリケードでした。どのような相手もこの壁を乗り越えることはできず、国民の生活を、幸せを守ってきたのです。その鉄壁な守りにより、神により護れた国だと言われるまでになりました。そして、その壮観な壁面、大昔に建てられたというのに今なお保ち続ける技術力の高さ、もちろん歴史的建造物としての価値も高い。他国からもこの宝があるからこそわが国は一目置かれており、防衛においても一役かっているのです。国難とはいえ、これを簡単に手放そうとすることは、なによりもこの国を守りつづけてきた歴代の王達の思いに背くことにはなりませんか。
それに避難とは言いますが、女王様。これは国を一度捨てるということ。その間に敵国に我らが首都を乗っ取られるかもしれない。友好国のレイシア国でさえ信用しきることは危険でしょう。わが国は水産物や農産物、それに学問、特に機械工学で秀でている。喉から手が出るほどその果実を得たがっている国は多数。
しかし、デプリヴンによる被害が拡大していることも事実。大胆な発想も結構。ですがその前に足元をみて、やるべきことをやるべきではないですかな?まだまだ戦える兵士はいる。グレートバリケ―ドはむしろ補強し強化すべきだと考えます。デプリヴンについての学者たちの研究も進んでいるとききます。もう少しの辛抱で解決に向かうのではないでしょうか。私はそのように信じています。どうか女王様におかれましてはご理解いただけることを信じております。」
アデリーナの表情は暗く陰っていった。ストラサム卿は小さな頃から顔を知った仲であり、かならず肯定してくれるものだと思っていたのだった。議員達のほとんど全てがストラサム卿の演説に拍手を行い、賛成の意を示した。アデリーナの提案を受け入れる者など誰一人としていなかったのだった。
―――
稟議議会が終わり、アデリーナは失意の足取りで会議場を後にした。彼女の心中を心配した者達が彼女の元に集っていた。ケイデンにブラックスだ。
ケイデンはアデリーナを慰めるように言った。
「なかなか、思いきった提案でしたね。簡単には受け入れられないことだと思います。たとえば、時間をかけないと…」
アデリーナは食って掛かった。「そんな時間はないの。今も大勢の人が死んでいる。デプリヴンと戦っている。それなのに・・・」
ブラックスは気遣いながら彼女の考えについての印象を説明した。
「歴代の王達の思いというストラサム卿の話も頷けるものです。女王様。もう少し落ち着いて対策を考えるべきです。もう一度このサンクレア国のあり方について考え直すのもよい。国の象徴を壊すというように考えるのではなく、むしろ、もっと整備してはどうでしょうか。今の技術なら可能かもしれません。兵士たちならまだ戦えます。かなり厳しい状況ですが、国民のために日夜戦っております。専門家の意見も聞きながら別の案を練りましょう。」
ブラックスはそれから少し間をおいた。彼の表情にはわずかなためらいが滲んでいた。「さらに言うと、女王様のお考えはいささか現実味がないように聞こえます。それは1729年の歴史を捨てる事態が待っているように思えてなりません。」
アデリーナはなにもこたえなかった。ブラックははっとして付け加えて言った。
「出過ぎた口をききました。お許しください。」
「お二人とも、私の考えが浅はかだと、そのようにおっしゃりたいのですね。」
ケイデンとブラックスは互いに顔を見合わせた。どのようにそれに対して返答してよいものか決めあぐねていた。アデリーナは軽く会釈をして、それから二人を置いて足早に立ち去った。
ブラックスは首を左右に振り、ため息をついた。「行ってしまわれたな・・・。」
「どうしたものか。」
「正気なところ心中はかりかねる。どうしてあのようなご発言をなされたのだろうか。王自ら国から逃げるような発言をされるのはよろしくない。これからつまらぬ噂がたつぞ。」
言いながら、ブラックスの心は自信が思う以上に揺れていた。
(王をお守りし、国をお守りすることこそが私の願いだ。)
しかし、アデリーナは王として国民とともに国を離れることを提案した。亡きアイザック・ブレンヴィル王がブラックスに言った言葉があった。
―国家のために命を捧げることは、家族や友人に命を捧げることと同義だ
ブラックスは首にかけたペンダントを触り、ゆっくりと握り締めた。私は王に仕える近衛騎士団長なのだ、王に従い、支えることが私の役割なのだ。
それからブラックスが心配した通り、宮廷内では多くの噂が行き交った。
「女王様は一体どうしてしまわれたのか。国を捨てるような発言をするなど…。」
「考えられないことだ。まだお若いのだ。このような話は成長の過程として暖かく見守るべきだろう。」
「不勉強にも程度があるのでは?歴代の王も悲しんでおられる。」
噂は大きくなり、宮廷内外に広がっていった。そして、すぐに犯人捜しが始まった。
「もしかしたら誰かにそそのかされているのか?それは一体だれか?」
―――
リリーが近衛騎士団としての日々の務めを終わらせ、それから自室にようやく戻ったときのことだった。ドアをノックする音がした。
リリーが扉をあけるとそこにはチェスタ議員がいた。彼は社会保障大臣であり、多くの貴族委員たちが頼りにする切れ者であった。チェスタはかねてより女王の周辺に目を光らせていた。宮廷に不和を生み出す者達を排除するのが彼の役目であったのだ。
「ちょっと確認させていただく。お前は近衛騎士団所属のリリーだな。」
「はい、そうですが。」
「お前には女王様を懐柔しているという疑いがある。宮廷内の多くの者がそのように噂をしている。私はこの噂の真実を確かめる必要があるのだ。そもそも、女王様の寵愛を受けている理由はなんだ?そそのかしているのではないか?」
「そんなことは…していません。」
「今思い出した。お前はもともと侍女の身分、下層の出だったな。近衛騎士団の練習場で落ちていた短剣、あれの持ち主はいまだ分かっていない。やはりお前のものだったのではないか?お前はまだ誰かの命を狙っているのか?」
リリーは咄嗟に答えた。表情は次第に陰っていく。「違います。命を狙ってなどいません。」
チェスタは構わず、話をつづけた。目を細め、冷ややかな言葉を投げかけた。
「ほとんど人間の姿をしたデプリヴンがいるという。であるならばお前はデプリヴンではないか?グレート・バリケードを壊そうなどと滅多なことを吹き込んだのもお前だろう。これだから困るのだ、教養のない人間はなにが重要であるのか判断がつかない。ところで近衛騎士団でもその剣技を買われているようだな。下層民ごときがありえない。お前は一体何者なのだ。」
「わたしは、違うんです。」
チェスタは右眉を釣り上げた。
「では証明してみせろ。いまここで全て服を脱げ、お前がデプリヴンではないことを証明してみせろ。さぁはやく!」
チェスタが声を荒げたところで、ブラックスが割り込むように二人の間に割り込んで立った。
「おや、これはチェスタ議員ではないですか。部下の困っている声がきこえてきたものですから来てみたのですが、何かご用事ですか?なにか疑っておられるのか?証拠でもあるのですかな?」
チェスタは鼻から息を吐きだし、それからブラックスを見上げて言った。
「ちょっと用事があっただけだ。それでは私は忙しいので。あなたと違って、私の時間はとても貴重ですから。」
そう言ってチェスタ議員はゆったりとした足取りで去っていった。
ブラックスはリリーに小さな声で助言した。「あいつには気をつけろよ。さっそくつまらん噂が流れているのだ。女王を操り、だまそうとしているやつが近くにいる、と。どうせこんなことだろうとは思った。これからしばらくは続くぞ。お前にはあんな奴らを相手にしている時間などない。やるべきことのために今日はゆっくり休め。デプリヴン退治はまだ終わっていないぞ。」
「はい…。」
―――
トレバーがアデリーナに話があるといって、面会を求めたのはそのすぐあとのことだった。
「この間のデプリヴン・チャイルドについての詳細がいくつか判明したのでその結果をお伝えにきました」
アデリーナは力なく頷いた。その声はひどく疲れているようだった。「それで、どうだったのですか?」
しかし、トレバーはアデリーナの様子に気が付かないようだった。
「まず、その症状は食事をする際に顕著に現れるということです。嫌いなものを食べなくなる傾向が見受けられました。もしくは、すでに食べられるようになったものも食べられなくなります。まるで幼児にまで退化をしているようです。これも思考が単純化してしまうことの弊害でしょう。また、母親がよりそって常にそばにいてあげれば食べられることも分かってきました。その食べ物が嫌いであるということを正面から受け入れてあげるのです。こうすることによって徐々に回復していくことが分かったのです。」
アデリーナはその言葉を聞いてはっとした。自分がつい最近まで食べていたものが食べられなくなっているということに気が付いたのだ。震える手を抑えた。そんなはずはないと首を無意識のうちに左右に振っていた。おそらく画面は血の気が引き、蒼白になっているだろうと感じられた。
「もう一つは思考の単純化についてです。主な特徴として他人の考えを受け付けなくなることも分かりました。また、加えて怒りっぽくなる。自分を正しいと思うようになる、だから考えを押し付けるようになる。デプリヴン化が始まっている兆候と言えるでしょうね。」
「子供の場合はそれでも回復するのですか。」
「そうです。反対に大人の場合は、おそらく回復できないでしょう。もう体ができあがってしまっていますから。これまでの研究、調査によればおよそ数日から数週間でデプリヴン化が発症します。感染してしばらくすると体への大きなショックが発生することもわかってきました。なにかしら人体への変化もあるのでしょうね。思考にその特徴が現れるのは末期的な症状といえるでしょう。」
王女はショックで身動き一つできずにいた。それはまるで私のようではないか、と。
――― その日の夜
アデリーナにとってもっとも心が安らぐのは夜の時間だった。しかし、今日ばかりはそうではなかったのだ。孤立感をひしひしと感じ、精神的に頼ることができるのはほんの一握りの人だけだった。だから彼女は自室にテーブルを運び込んでもらい、リリーと一緒に食事をすることにしたのだった。
食事をとっているときのアデリーナはいつもに増して明るかった。たくさん笑顔を作りながら、リリーに一方的に話しかけていた。巨大な不安をかき消そうと努めているようだった。
「そうだ、リリー。アップルタルトの美味しい店があるんだよ。一度もいったことがないから今度一緒にいきましょう。」
「アップルタルト?」
「ザクザクと歯ごたえのある薄いタルトに甘酸っぱいアップルがふんだんに用いられたお菓子。とてもおいしいの。リリーはアップルパイが好きなんだからきっと気に入るはずだよ。」
「うん…。食べてみたい。」
「そうでしょう、どこにお店があるかというと~」
リリーはアデリーナの説明をききながら彼女の様子がどこかおかしいことに気が付いた。
笑顔で話し続けていたが、その目の奥は笑っておらず、落ち着きがない。リリーにとってはじめてみる彼女の様子だった。侍女たちの間でもアデリーナが行った演説については話がもちきりだった。彼女はグレート・バリケードを停止させるつもりでいる、破壊するつもりでいる、と言う噂だ。リリーもそれを耳にしていたのだった。
「大きな壁を壊すっていう話はどうなったの?」
リリーが唐突に尋ねるとアデリーナは口をつぐんだ。下を向き、フォークとナイフをテーブルに置き、それから窓の外を見た。窓辺に揺れるカーテンの奥にはいつもと変わらぬ暗闇と、ゆるやかなカーブを描いた山脈が遠くに確認できた。空は分厚い雲に覆われ、今にも大雨が振りそうに思えた。空気は湿って独特の香りを遠くから漂わせていた。
「なかなか、うまくいかない・・。」
アデリーナがようやく胸から搾り上げてでてきた言葉だった。この話は今はしたくなかったのだ。それほど心が疲れ、限界に達していた。
「アディは迷っていたよね。そして、やったほうがいいと思ったんだよね?」
リリーはアデリーナについていくつもりでいた。だから彼女の答えが聞きたかったのだ。
アデリーナはうつむき、それから小さな声で呟いた。聞き取ることができないほどに小さな声だった。リリーは聞き返した。「なんていったの?」
「・・・・・て言ったの・・」
やはりリリーには聞き取ることができなかった。「なんて言ったの?」
アデリーンは立ち上がり、テーブルを手で強くたたいた。「できないっていったの!」
アデリーナは大きな声で叫んだ。衝撃で彼女のフォークとナイフは床に落ち、軽い金属音が部屋中にこだました。外は雨が降り始めた。どしゃぶりの雨だった。そして空は間もなく大きく光りそれからまた暗闇に戻った。しばらくして地面を揺るがすような重低音が響きわたった。雷が遠くで落ちたようだった。
リリーは驚き、小さな声で謝るのが精いっぱいだった。「…ごめんなさい。私分からないから…。」
アデリーナは手を震わせ、目を大きく開いていた。「リリーにはそんな答えを求めていないの!それに私はあなたのことも分からないの!」
アデリーナの剣幕にリリーはただただ怯えた。まるでアデリーナは彼女ではなくなったようにみえた。
「ごめんなさい・・。」
それからリリーは謝り、そっと立ち上がり、部屋から出て行った。
一人残されたアデリーナはしばらくそのまま席を立ったままでいた。食べかけの食事はすっかり冷めてしまい、色褪せてみえた。とても楽しかった食事会は中断してしまった。
アデリーナは自分の口からでた言葉に驚きを隠せなかった。リリーは何も悪くないのにどうしてこんなことをいってしまったのか。ふいにトレバーの声が脳裏によみがえった。
―それに怒りっぽくなる。自分を正しいと思うようになる、考えを押し付けるようになる。デプリヴン化が始まっている兆候と言えるでしょうね。
恐る恐る袖をまくり、腕にある痣を確認した。それは無意識の行動だった。腕には無数の痣が増え、覆いつくしていた。手が震え、息が荒くなった。すぐに袖を直し、目を閉じた。そのことを必死に忘れようとしていた。
―――
その日の夜、アデリーナは真夜中に目を覚ました。なにかに悩まされて、あるいは強いストレスを感じているせいかもしれなかった。起き上がると全身が汗で濡れていた。額を手で触ると、冷たく濡れていた。しばらく息を整え、それから小さな声を出した。
「ねぇリリー……。」
しばらく待っても返事がなかった。
「リリーったら。ねぇ!」
それから、ようやく帰ってきた返事はリリーの声ではなかった。
「女王様。リリーに変わり今日は私、イヴリンが担当しております。寝言かと、思いましたもので…。」
アデリーナは驚いて言った。「リリーはどこにいったの?」
イヴリンと名乗った衛兵は答えていった。「はい。今日は体調がすぐれないということで休養されています。」
(そう・・・なにか大変なことでもあったのかな・・・?)
そう考えてから、アデリーナは首を振った。そんなわけがなかった。今の今まで忘れていたことだった。
(何をおかしなことを考えているの、私は。リリーが今いないのは私がひどいことを言ったからだ。どうしてしまったの、私…)
アデリーナはベッドから立ち上がった。そしてフラリフラリと歩き始める。
その様子をみていたイヴリンが声をかけた。「どうなさったのですか?女王様。」
「リリーのところに行くの…。迎えに行って、謝りに行かなくちゃ…。」
「こんな夜中に何をおっしゃっているのですか。女王様。」
言うことをきこうとしないアデリーナに困り果て、イヴリンは室外の衛兵にも助けを呼んだ。そうしてアデリーナは衛兵に抑えられた。しかし彼女は外に必死で出て行こうとすることを止めなかった。それから、侍女達もやってきて小さな騒動になったのだった。
――― 深夜
リリーは自室では寝付くことができず、ぽかりと空いた心を埋めるために風にあたろうと外に出ていた。夜の道はそれほど暗くもなかった。エレクタによる光が街道を照らし、歩くことに困ることはなかった。だが人通りは無かった。だれもがこんな夜中に歩き回ったりはしないのだ。
歩き回るとしたら、それはもしかしたら時間という概念に無関心になったデプリヴンかもしれない。
「おい、そこのお前!何者だ!」
警戒した衛兵がリリーをみつけ声をかけた。手に剣をもち、彼が持つ緊張感がリリーにも伝わった。
「すみません。」
リリーは謝った。衛兵はすぐにその服が近衛騎士団のものであるとわかり、姿勢を正した。「こちらこそすみません。見回り中でしたか。ご苦労様です。」
リリーの頭の中には様々な人の声が繰り返し再生されていた。
―お前は一体何者なのだ
―お前には心が欠けている
―私はあなたのことも分からない
ふとどこからか声が聞こえてきた。
「そっちにいっちゃだめ・・・」
小さな女の子の声だ。以前に聞いたことがある声だった。しかし、やはり聞き覚えのない声のように思えた。リリーはふらりとその声のある方向に、まるで導かれるように歩いていった。その声は何度も定期的に聞こえてきた。もしかしたらそれは実際には聞こえていないのかもしれなかった。
気が付くと、目の前にはバラ園があった。巨大なバラ園だった。リリーは一度来たことがあるので少し覚えていた。アデリーナの隣で馬車にゆられてやってきたのだった。それはとても昔のことのように思えた。門の前には衛兵がいなかった。おそらく人影もないこのような場所を守っている人手などないのだろう。たしか、ブラックスが兵士を集中してあたらせる、といっていた。
「そっちにいっちゃだめ・・・」
その声はまたきこえてきた。リリーは尋ねてみた。「どうしてだめなの?」
そうすると声が返ってきた。「とにかく駄目なの・・・」
リリーは不思議に思った。それはどうやら誰かが答えているらしかった。
リリーは鉄の大きな格子状の門に手を触れ押し開けた。門の中央部分には小さく、「ヴィクトリア・ガーデン」と記されていた。重く壮大な門は思いのほかに音もなくスムーズに開いた。そうしてバラ園に足を踏み入れた。
バラ園には煌々とエレクタがその植栽を美しくライトアップしていた。色とりどりの花が今もなお美しく咲いていることが見て取れた。大きな赤や黄色やピンクのバラたちが咲き誇っていた。ふと家の中に持ち込んだバラの鉢を思い出した。そういえば水をやっていなかった。あの子は大丈夫だろうかと心配になった。
しばらく進むとバラ園の中心部に出た。小さな記念碑が中央に配置されていた。そこには何も記されておらず、平らで綺麗な面がエレクタの光を反射させていた。これからの何かを記そうとしてそのままにしてあるのかもしれない。しかしながら、記念碑の周囲には苔が生い茂り長年の年月を経ていることがみてとれた。
女の子の声は聞こえなくなった。まるでここに誘い込むことで役目を終えたかのようだった。しかし、彼女は間違いなくこちらにくることを拒否していたのだ。
リリーは石畳の段に座った。時折、夜中に目を覚ましたであろう鳥の鳴き声が響き渡った。リンリンとした虫たちの音がところどころから聞こえていた。人影はどこにもなく、そこは完全にリリーだけの空間になっていた。
(私はデプリヴンなのだろうか。)
デクランの装置はリリーには反応しなかった。別の何かであることは確かだった。そしてそのなにかはまだ生きてさえいなかった。
ふと、頭を左に向けると、少し離れた場所に小さなパヴィリオンがあることに気が付いた。それはとても古いものに見えたが、優雅な装飾がほどこされ、気品を感じられた。じっとそのパヴィリオンを見ていると視界に、誰かの記憶が重なってみえた。
―ハァハァという息遣いが感じられた。パヴィリオンの扉を手で押し開け、それから一生懸命に出口にむけて走り出していく。
リリーは立ち上がり、導かれるように歩き出した。近くに来るとパヴィリオンの壁面の塗装は剥がれ、鉄がむき出しになり、ところどころ錆びていることがみてとれた。しかしながら、おそらく定期的に修繕されているのだろう。ガラス窓はしっかりと固定され、その中の空間を守っているようだった。リリーは手をかけた。そうしてようやく、そのパヴィリオンが以前立ち入ったことがある場所であることを思い出したのだ。




