第11話「過ぎ去る記憶」
――― デクランの家にて
「何と言われても宮廷に行くつもりはない。」
デクランはテーブルに肘をつき、そっぽを向いていた。彼の声は冷静でありながら堅固な決意が言葉に宿っていた。
アデリーナは諦めるつもりはなかった。
「どうしても王室研究所に来ていただきたいのです。デプリヴン検出器はとても役に立ちました。私はあなたの才能を国のために生かしてほしいのです。もしこれが十分な数を用意できるとなるとずいぶんと状況は改善するはずなのです。それにこれからの研究だって…。」
デクランは無言だった。しばらくして振り返って言った。
「女王様じきじきにご訪問いただいて、そのようなありがたい言葉をもらえればクソ親父だったら泣いて喜んだだろうがね。」
「あなたのお父様はどちらにいらっしゃるのですか?」
「死んだよ。」
デクランはぶっきらぼうに言い捨てた。
一緒にやってきていたトレバーが補足するように説明した。「デクランさんのお父さんは王立研究所でエレクタ研究の第一人者として勤務されていたのです。今から10年前に病気で亡くなられたのです。」
アデリーナは驚いた表情でデクランをじっと見つめた。それから疑問の言葉を投げかけた。
「ではなおのことではないですか。あなたのお父様が勤務されていた場所。どうしてそれほど拒否されるのでしょうか?」
デクランはしばらく返事をしなかった。そして呟くように言った。
「だから嫌なんだよ。」
マグカップに口をつけ、中に入ったものを飲み干した。
「そもそも、そこのトレバーがいれば十分だろう。俺である必要はない。」
「あなたはとても素晴らしい研究者です。あなたがいれば問題はもっと早く解決への道へと進むでしょう。」
アデリーナの声には熱がこもっていた。その表情には強い意志が感じられた。
デクランはアデリーナの様子を片目で確認した。
「私は、この国の人々の幸せを守りたいのです!」
アデリーナの言葉にデクランはじっと彼女に視線を向けた。その本気度を伺うように、そのまま固まっていた。デクランは手で頭をゆっくりと掻いた。そして腕を組んでから言った。
「では、500万ディルだ。報酬としてそれだけいただけるなら行こう。」
彼の提案は予想外のものだった。トレバーが驚いて言った。「500万ディル・・。一生暮らしていける額ですね。」
アデリーナはしばらく考え込み、やがて重々しい表情で言った。「今、確約することはできないです。しかし議会に申請して許可を得ましょう。期待に応えられるよう精いっぱい動きます。それでもいいでしょうか?」
デクランはやはりそっぽを向いたままで言った。「いいだろう。」
――― 王立研究所にて
デクランはしばらく宮殿に滞在することになった。報酬をもらえるまで滞在し、研究所などを見て確認してもらう時間を用意したのだ。
王立研究所は王国の中心部に佇む、壮大で威厳ある建物だった。その外観は古き良き時代の建築様式を反映しており、質の良い柱と石畳が高貴な趣を醸し出していた。研究所の中は、複雑な装飾が施された広いホールに続き、巨大な図書館が広がっていた。壁一面に並ぶ本や古文書、地図は歴史と知識の富を物語っているようだった。
研究所の様子はデクランにとっては久しぶりの光景だった。周囲を見渡し、眉間にしわを寄せて小さな声で呟いた。
「まったく変わっとらんな。ここは。」
アデリーナが尋ねた。「以前いらしたのはいつ頃ですか?」
「大学生だった頃、20年くらい前だ。トレバーが説明したように親父はここの研究所で働いていたからな。家族である俺も何かとここに立ち入る用事もあったのさ。」
一行は研究室内を閲覧した。その中で異変が起きていることに気づく。ちょうど子供のデプリヴンがガラス越しに暴れていたのだ。子供は母親を責めるように怒りをあらわにし、それから椅子を突き飛ばし暴れていた。
研究者たちが外から指示をだしていた。
「大丈夫ですよ。すぐに落ち着くことができるようになるはずです。あわてずにお子さんを信用してください。傍についていてあげてください。」
複数の研究者たちはその様子を確認し、記録を取っていた。
デクランはその様子をちらりと見て、トレバーに確認した。
「それで、どうだ。あれはたしかにデプリヴンだろうが、人のようにもみえる。」
「ええ、デプリヴンの子供です。しかし、もうほとんど人間です。対処するために何かを施したわけではありません。子供がデプリヴンとなっても自然と治るという事実が明らかになりつつあります。これは非常に大きな一歩です。」
「子供の脳や体は信じられないほどのパワーを秘めているものだ。反対に大人になってしまったら凝り固まっちまう。思考の柔軟性についても同じことが言えるな。大人になれば取り返しはつかなくなる、大抵の場合はな。」
デクランは頷きながらその子供の様子をじっと見つめていた。そうして、若かりし頃の自分と父のことを思い出していた。
―
「どうして僕が勉学に励まなくちゃいけないの?学校の成績だってトップなのに?」
デクランが言うと決まって父、オリバーは言った。「お前より頭の良い奴なんて腐るほどいるぞ。」
父の言った通り、デクランよりも圧倒的に良い成績を収めた男がいた。そいつはウィンストンという男だ。彼もデクランと同じように努力など全くせず才能で生きているような男だった。だからといってデクランは気にはしていなかった。
「なにをしろっていうのさ?」
「さぁな。自分で考えなさい。一つ間違いなく言えることがある。国民はみな国に役立つことを義務付けられている。」
デクランはそっぽを向いた。いつもの話が始まったといって飽き飽きとした表情をしていた。
「パパはそういうけれど、いつまでたっても準研究員じゃないか。いつになったら正式な研究員になるの?それは役に立ってない証拠じゃないの?」
「俺の身分のことなどどうだっていいんだ。デクラン。何が大事なのかを考えなければいけない。俺にとってはこの国の人々の幸せを守ることこそが一番大事なのだ。」
小さいデクランには全然響かなかった。母はいつも病気がちで父はずっと研究所に入り浸っており、こうして家にいる時間はほとんどなかったからだ。
「建国の父であり初代王であるオズワルド・グレンヴィルの話は歴史で学んだだろう。1700年経っても、彼の技術はだれも完全に解明できていない。そのような凄い者がいるということを忘れてはいけない。エレクタによりグレート・バリケードを構築し、人々の幸せを守ったのだ。いかにそれが素晴らしいことか。」
それからトレバーはデクランに研究所の所長セドリック・ランフォードを紹介した。
デクランはランフォードの顔を一瞥してから言った。「あんたが今所長をやっているのか。」
ランフォードはそうだと返事をしてデクランに向き直った。乱暴な話しぶりに面食らっていたようだが、すぐにそれが旧友のデクランであると気が付いたようだった。「おい、デクランじゃないか。驚いたよ。昔から変わらないな。」
「ふん、お前は変わったな。ずいぶん髪の毛が薄くなった。」
「言うなよ。しかし、髪が薄くなるととたんに老けて見えるんだよ。これは一つの驚きでもあったよ。」
ランフォードは笑って、頭を軽く叩いてみせた。
「ところで、ウィンストンもいただろう。あいつはどうしているんだ?」
セドリックは少し遠くに目線を向けた。
「ああ、あいつは辞めたよ。ここの空気が肌に合わないんだとさ。頭の良い奴の考えることはよく分からん。」
デクランは誰にも聞こえないくらいの声で呟いた。
「そうか…ここから逃げたのは俺だけじゃなかったか。」
――― チェスタの執務室にて
ガリアーノ宰相とアデリーナ女王そして、社会保障大臣であるチェスタが、デクランへの処遇について議論をかわしていた。
アデリーナは憤りの含まれた声色でチェスタ議員に尋ねた。「なぜ認められないのですか。彼はこの国を救うかもしれない装置を発明していますよ。」
チェスタはいぶかしい表情をしてこたえた。
「女王様。これは規律の問題です。私たちももちろん、このような素晴らしい能力を持つ者を手放しで歓迎したいものです。しかし彼だけを特別扱いするわけにはいかない。法の元に全ての者は平等でなければならない。500万ディル?規則通りの報酬としましょう。それから彼を雇用する件。彼は下層の人間ですから、準研究員としてなら雇えます。年5万ディル程度の報酬になるでしょうな。」
アデリーナは食って掛かった。
「規則も分かりますが、今国にとって欠かせない人物なのは分かるでしょう。初代王も能力あるものは身分のいかんにかかわらず取り立てたと聞きます。この国難の時、私たちもそのように特例的に対応すべきではないでしょうか。」
チェスタはやれやれと言わんばかりに手を広げた。
「言わんとしていることは分かりますがそれは1700年以上前の話。今では法も整備され、それに従う必要がある。繰り返しになりますが女王様は国民に平等であるべきです。そのような特別扱いをして、他の者はどのように思うでしょう?」
アデリーナは口をつぐんだ。チェスタ議員の主張は的を得ていた。そのため反論をすることはできなかった。ガリアーノはアデリーナを庇うようにチェスタに確認した。
「貴族に取り立てる制度は?下層民であってもどこの民であってもその権利はあったはずです。」
「ガリアーノ宰相、もちろんです。しかし厳正な審査があります。いままでそのような取り立てをうけたのは、たしか歴史的にも1名だけだったはずです。手続きには時間もかかります。」
「ほとんど実績がないわけか。制度とは名ばかりだな。単に平等を主張するためだけの、方便にすぎないではないか。」
ガリアーノは呆れたように言った。チェスタ議員は呆れた様子だった。
「仕方がないでしょう。そういう者はそもそも現れない。もとより人の質が違うのですから。」
アデリーナはため息をついた。それからチェスタ議員に依頼した。
「それでは、法律に定められた範囲で彼の労力にたいして最大に報いていただきたい。」
「女王様、もちろんです。ケイデン・ウィンスロ―卿とも協議の上決定しましょう。その程度のことであれば議会を通す必要もないでしょう。」
チェスタの執務室を出た後、ガリアーノはため息をつき、肩を落としている女王に声をかけた。
「なかなかうまくはいきませんな。力及ばず申し訳ない。」
「いいのです。彼のいうことも一理はある。しかし・・・。」
「宰相とはいっても彼らに強く言うこともできない。それは仕方がないのですが、法にとらわれ、この国難の時に何が大事であるのかを考えることも必要だと思うのですがね。結局、我々はどのようなときも貴族院の連中の顔を伺わなくてはいけない。もちろん、素晴らしい方もいらっしゃる。教育者として名高いウィンザー卿は、数々の大学で歴史学の教授をつとめ、貴族院では文化遺産と教育に関する知見で知られている。エレノア・キャンベル女卿、医学の権威であるキャンベル女卿は、貴族院で医療制度の改革や公衆衛生の向上に尽力し、特に精神健康分野での啓蒙活動が称賛されています。しかし、大方の貴族院の連中は保守的で、自らの利益を守ることにしか興味がない。」
「困りましたね…。」
――― 王立研究所にて
肩を落としたアデリーナは失意の報告をデクランにしていた。デクランは彼女の言葉に耳を傾けながらも、しばらく黙っていた。その間、研究所の壁に映る太陽の光が、彼らの影を静かに引き伸ばしていく。やがて、彼は深いため息をついて言った。
「まぁ、そんなところだろうな。あなたは申し訳なさそうな顔をしているが俺からすれば最初から分かっていたことだ。あいつらにこの価値は分からない。そこらへんの林でそこらじゅうに生息しているブルーベリーを収穫するのも、高性能な機械を作るのも同じだと思っているからな。評価する奴らが分かっていないから、それを正当に評価できない。良く分からないものは評価をしない体質だ。いや、できないのだろうな。」
デクランは特に驚いた顔もせず、淡々とこたえた。
アデリーナは申し訳ないと謝った。「期待に沿うことができませんでした。なんとか担当大臣には掛け合ったのですが…。」
「いも100kgにもろこしが10kg、それに1kgの塩と砂糖か。一体いつから変わっていないんだ、この国の制度は。物々交換でもしていた時代にタイムスリップしたかのようだ。まぁこれでしばらくイモのスープには困らなさそうだ。願わくばブルーベリーも追加してもらえればよかったな。朝食のパンには甘酸っぱいブルーベリーのジャムがぴったりだからな。」
アデリーナは終始うつむいていた。これほどの功労者に報酬で報いることができなかったのだ。一体どのようにすればこの矛盾が解決できるのか分からなかったのだ。
デクランはアデリーナを気遣うように言った。
「そんなに気を落とさなくていい。女王様の心意気はよく伝わったよ。それに貴族院という連中がどういうもんか分かっただろう。それだけでもよかったじゃないか。頭が固くて狡猾な連中が貴族院にはゴロゴロいる。能力があっても保守的だから物事を変えることもできない。彼らに、発想の転換などできようはずもないのだ。できるのはちょっと変えてみるだけ。ゼロイズムがない。」
アデリーナは初めて聞いた言葉に疑問を持った。「ゼロイズム?」
「ああ、革命的な考え方を研究者の間ではそう呼んでいる。なすべき目的を突き詰めて考えてみると、はじめてゼロイズムがでてくるということだ。すべてを無しにしてあるべき状態を考えれば、そこに至る思い切りの良い考えが浮かぶってことだ。」
そこへトレバーと研究所長ランフォードが入ってきた。
ランフォードはデクランに言った。「もう行くそうですね。」
「ああ、交渉決裂だ。最初から分かっていたことだ。だが女王様の顔は立てたさ。」
「研究者の宿舎に寄っていきませんか?」
「そんな所に行ってどうする?」
「あなたの父、オリバー・ウィットマン博士の部屋は当時のまま残っています。」
デクランは眉をひそめた。「親父の?」
研究者の宿舎は研究室がつらなる場所に隣接して設けられている。日夜、研究者が生活をしやすいように考えられてのことだ。宿舎はレンガ造りの無骨な作りだ。正面入り口から左右に広く伸び、そこには多くの研究者が寝泊まりしていることがうかがえる。装飾はほとんど施されておらず、必要最低限の利便性のみを目的として建築されたようだった。そこはまるで時の流れを忘れたような場所だった。小さな窓から差し込む光が薄暗い室内を照らしていた。エントランスは簡素なもので、通路に合わせていくつもの小さな窓が用意されていた。
「左手の一番奥です。」
通路をずっとまっすぐ進んだ先は行き止まりになっていた。そこには扉が設けられており、「ウィットマン」という標識がつるされていた。それはおそらく十数年近くそのままになっているようだった。
デクランはランフォードに尋ねた。「一体なんのために残してあるんだ?」
「それはもちろん、ウィットマン博士が偉大なる研究者だったからですよ。研究論文にしても、その人物にしても。別になにか規則があるわけじゃありませんよ。みな自然に、この部屋だけはそのままにしておこうと考えた結果です。」
その室内はかなり整理整頓されていた。小さなテーブルの上にはいくつかの本が規則正しく並べられ、壁面に配置された図書棚には古びた本や専門書がずらりと並び、その中から漏れる知識の香りが室内に漂っている。窓側には一台のベッドが置かれていた。その隣の壁面は異様な光景だった。壁全体は半分が黒く、半分が白かった。
デクランは壁にゆっくりと近づきその様子をじっとみつめていた。
アデリーナは彼に声をかけた。「どうしたのですか?なにかあるのですか?」
「いや、やっぱり親父は変わり者だと思ってね」そういいながらデクランは手招きをしてみせた。
アデリーナは近づき、その壁を確認した。そして、そこに小さく数字の羅列が書き込まれていることに気が付いた。どうやらそれは日付となんらかの数値のようだった。デクランは隅々まで確認しながら推測した。
「おそらく日記替わりだ。一番右上の天井部分には1687年1月5日から始まっている、そしてこの壁面中央部分は1708年7月4日、ちょうど20年前だな。それに隣の数値は時間かなにかだろう。」
「なんの時間ですか?」
「研究に打ち込んだ時間だろうな。親父らしい。」
「それをここに残している、ということですか?」
「親父はどこにいても同じようなことをしていたから、その訳を一度聞いてみたことがある。」
―さぁな。ただこうして記録していると次の日も記録してやろうという気になるんだ。
「おかしなこと言ってたよ。やってみればもしかしたら気持ちも分かるのかもしれないが、真似しようとは思わないね。」
しばらくの間、ランフォードはその壁面をみて、思い悩んでいるようだった。しかしそれから決心したように言った。
「実はこんなことがあったんです。あれはエレクタについての調査結果が幾分まとまったときのことです。人体にエレクタが流れているという研究でした。研究室仲間でささやかなパーティをしたのですが、その時にめずらしくウォットマン博士はお酒を飲まれていた。私はいままで一度もお酒を飲んでいるところをみたことがなかった。どうも嫌いというわけではないけれど、酔うことが苦手だそうです。思考が鈍るのが気に食わない、と」
「俺も酒は嫌いだ。」
「はは、親子そっくりですね。」
ランフォードの声にデクランは不服そうに指摘した。「俺は親父とは正反対だ。」
「ウィットマン博士は本心をみせてくれたように思います。実は病に伏せている妻の事が心配でしかたがないんだと。あなたのこともとても気づかっておられるようでした。」
「それは以外だな。親父は家庭を顧みない人だったのに。口を開けば国のために、だったからな。」
デクランはそう言って、なにか物思いにふけっているようだった。そして皆の方を向いて言った。「しばらく、ひとりでここにいていいか?」
それからデクラン以外の者は部屋を出て行った。デクランは一人椅子に座り、窓の外を見た。研究棟の様子が前面に広がり、遠くに山々が連なる様子がみてとれた。宮廷やグレート・バリケード。下層の街並みなどは何も目に入らない。一体父はどのように考えてこの風景を見ていたのだろうか。
デクランはデスクの椅子に座りなにげなく引き出しをあけてみた。いくつかのノートがそこには整理整頓されて綺麗に並べられていた。すべての表紙には「diary」の文字があり、全てが日記帳であるようだった。デクランは一番最後の日記帳を取り出した。おもむろにそれを開いて確認した。
1708年2月4日 妻の病が一向に回復しない。もう少し良い医者、良い薬を処方させることができればよいのだが、私の給料ではこれが限界だ。私は一体いつになったら準研究員のままなのだろう。博士などと言われてもありがたみを感じない~
1708年3月10日 最近デクランが言うことを聞かず反抗期だ。しかしそれはとても嬉しいことだ。彼は立派に成長している。願わくば、デクランが立派な一人前になるまで妻の体力がもってくれればよいのだが…
1708年5月1日 妻の様態が悪化した。もう先は短いという医者の判断だ。
1708年5月2日 妻は今日、天に召された。私はもっと彼女を守ることができたはずだったのに。彼女の夫として、子の父として私は何一つ満足にできていない。相違う意味では悔いばかりが残っているのだ。
1708年8月28日 最近、胸がやけに痛い。どういうわけか分からない。慣れない酒を飲むことが増えたからかもしれない。デクランが昨日家を出て行った。あいつは俺のことを嫌っているようだ。たいした父親じゃなかったし仕方がない。ただ、彼だけが幸せであってくれれば、それでいいのだ。もしこの日記がデクランの目に触れることがあったら一言いいたい。お前は自分の幸せのために生きろ。
「ばか親父が・・」
デクランは言葉を詰まらせた。「何も変わらないじゃないか、俺と。勝手な事ばかりいいやがって…。」そしていつしか父とかわした話を思い出していた。
―お前は今日死んだとして後悔するか?
―そりゃそうだ。
―俺は1秒後に死んだとしても後悔しない。
親父は本当に後悔しなかったのだろうか?
―――
ランフォードは名残惜しいようにデクランに言った。「デクランさん、私はあなたと一緒に研究するのが夢だったのですが・・・」
「どうしても下層民は準研究員止まりという制度が許せなくてな。この国では下層民はどこまでいっても下層民なのさ。親父と一緒だ。もうちょっと若けりゃそれでも奮起して素直に受け止めていたかもしれんがね。だが俺ももう40台後半。頭がずいぶん固くなっちまった。だから俺は正当な評価を求めて国を出る。」
「どこへいくのですか?」
「エメラルドヘイヴンに行ってみようかと思ってな。あそこは自由の国だ。研究者を受け入れる土壌がそろっているときく。そこで挑戦してみるよ。」
淡い別れの匂いが漂い、デクランの目にはさまざまな感情が宿っていた。その佇まいに周囲には寂しさがひしひしと広がっていた。デクランは思い出したようにアデリーナに向かって言った。
「女王様。探査機のことなら心配しないでいい。このランフォードとトレバーがいれば同じものを作ることは十分に可能。設計図も渡してある。それよりも…。女王様に絶対に忘れてほしくないのは~…」
その時、庭園に黒い鳥がその低木に飛んできてとまった。
「あの黒い鳥が白くなる考え方ということですね?」
デクランは驚き、それからにやりと笑って言った。「自分さえも疑うということだ。」
アデリーナは考えた。ゼロイズム。物事を判断するときには延長線上で考えるのではなく、あるべき姿を見据えてから考えるということ。この国にとって、ゼロイズムとはなんだろうか。王としてあるべき姿、とるべき手段は何なのだろうか…。
こんな時、兄であればどのように考えただろうか。私がどうしたらいいか困っていた時に兄にいわれたことを思い出した。
―お前はまずはなんでも自分の目線で考えてみた方がいいな。そのように考えた方が何事も分かりやすいんだ。
国を守る、兵を集める。でも相手が原因も分からず限りなく増えるとしたら…、そして被害が広がり続けるとしたら…。わたしはみなに逃げてくれというのではないだろうか…?
―― その日の夕方
夕暮れの空には深いオレンジが広がり、太陽はゆっくりと西の地平線に落ちつつあった。アデリーナは窓辺にたち、リリーに話しかけた。
「私はおそらく大きな決断をしなくてはいけない。どうするべきなのか悩んでいる。多くの死傷者がでて、そしてデプリヴン達がいまもなお人々を苦しめ続けている中、結局事態は収束されず、明確な対策をうつこともできずにいる。このままではみな死んでしまう。兵士をかき集め、守り続けるしかないのか、それとも…。」
リリーはアデリーナを気遣って言った。「私はどんなことがあってもアディについていく。でも…。」
「でも?」
リリーは迷いの思いが混じった口調で続けた。
「今、わからないこともある。」
「わからないこと?」
「それが何であるかは分からない。なにが正しくて間違っているのかも分からない。でもなにか見つけなければいけないんだと感じはじめているの。」
アデリーナはゆっくりと頷き、それから窓の外を見た。町のところどころからその喧騒に混じって、人々の危機感のある声が聞こえてくる。デプリヴンとの抗戦であることは間違いない。火が上がっている建物も見えた。もくもくと煙が夕暮れの空に広がっていた。
1700年続いたこの国を守らなければいけない。しかし今もなお人々は傷つき、倒れていく。本当にこのままでいいのだろうか。解決の糸口はいまだ見つからず。いっそのこと国民を避難させることも考えるべきだろうか…。検出器がある今ならできるかもしれない。でもそんなことを本当に・・・。
アデリーナは呟いた。「どちらも正しい場合、選ぶことは難しい…。」
父の言葉が胸の中で響いていた。
――誰もが、自分の生に与えられた責任を果たすべき時が来る。どちらが正しいかなど見分けがつかない。しかし自分の心を見つめ直せ。そしてそれに従い道を選べ!




