第10話「幻の足跡」
エリゼ・ハートフィールドはその日、女王の前に姿を現した。それは彼女が行方不明になり、彼女の両親が殺されてからおよそ2週間後のことであった。
アデリーナはその無事を喜んだ。
「いままでどこにいっていたの・・?」
エリゼの恰好は以前の彼女とは全く異なるものになっていた。少し控えめな、どちらかといえば地味な恰好を好むはずだった彼女はとても派手な服を身につけていたのだ。
「アデリーナ様。私はどこにも行っていませんよ。私は私の自宅に住んでいるの、そして毎日アカデミーに通っているわ。でもとても退屈。」
エリゼの話は現実とは大いに食い違っていた。彼女の現在の家は既に誰も住んでいない、そして彼女はアカデミーにも通っていない。
アデリーナはエリゼの顔を確認した。その顔は間違いなくエリゼであり、間違えるはずはなかった。
エリゼは言った。
「そんなことより、お願いがあるの。」
「お願い?」
「できれば明日、私の家のパーティに招待したいと思っているの。参加してもらえないかしら?」
招待。アデリーナは咄嗟に答えた。
「ちょっと確認するわね。最近忙しくて。確認してからお返事してもいいの?」
「うん。とても楽しみ。実はもうお母様と準備を進めているところなの。アデリーナ様と一緒に食事会、この間やったのは一カ月前かしら?」
アデリーナは笑顔で頷いた。しかしその表情には微妙な緊張感が含まれていた。
「会ってほしい人もいるんです。」
「会ってほしい人?」
「とても大事な人よ。」
彼女は一体誰と合わせたいというのだろうか。
ふとアデリーナはあることに気が付いてエリゼに言った。
「ところでその腕だけど。どうしたの…?」
エリゼの腕には痣がいくつも浮き出ていた。それはアデリーナの腕にある痣と同じであったが、その数はとても多い。彼女だって気が付かないはずはなかった。エリゼは自らの腕をちらりと確認し、それから自慢げに話を始めた。
「この服はヴィヴィアン・マックウッドがデザインした最先端の服なの。お父様とお母様に買ってもらえたのよ。頼んでもいないけどね。」
やはり彼女もまた、自分の腕にできている痣に気が付いていないようだった。
「素晴らしいわね。よく似合っているね、エリゼ。」
「ありがとう。アデリーナ様。」
彼女はとても嬉しそうな顔をした。それは依然と変わらぬ表情で、控えめな、かわいらしい表情であった。
――― 近衛騎士団の執務室
ブラックスやリリー、研究者のトレバー、アデリーナ女王が集まりエリゼが突如宮廷に現れたことについて議論を行っていた。
ブラックスはあごひげをしきりに撫でて言った。
「彼女はそのまま歩いて帰っていったよ。部下に彼女の後をつけさせていたのだが住所がわかった。オーク・ストリート 42番地の5 ベルディア。彼女が以前住んでいた住所だ。」
アデリーナは思い出しながら言った。
「たしかに彼女の昔の住所。でもそこはずいぶん前の住所だし、もう誰も住んでいないのではないかしら。」
「その通りだ。家の周囲は手入れされた様子がない。壁面にはほころびがあるし、庭は荒れていた。」
「そうですか…。」
トレバーはアデリーナに尋ねた。
「それで、デクランのデプリヴン検出器は使うことができましたか?」
「そのことであなたを呼んだのです。検出器は間違いなく赤色に変わっていました…。」
その装置が赤色を示すということは、エリゼが既にデプリヴンになっているということを証明していた。トレバーはゆっくりと頷いてからいった。
「間違いないでしょう。彼女はデプリヴンです。」
「そんな・・・・。エリゼ・・。」
アデリーナはうつむいた。驚きと悲しみをもって、その現実に直面しているようだった。そして思い出しながら呟いた。
「彼女は私が幼いころから知っている友人です。エリゼが言っていたように私は何度か彼女との食事会に参加していました。オーク・ストリートの家で、彼女の家族皆に歓迎されました。私もとても楽しかったのを主ボ得ています。でもそれはもう数年以上前の事です。」
室内が沈黙で包まれた。みなアデリーナの気持ちを思いやっていたのだ。しばらくしてブラックスが口を開いた。
「知っての通り、彼女の父母はすでにご自宅で亡くなられていることが確認されています。そしてもう一つ、エリゼ・ハートフィールドのものと思われる衣類にもその父母の血痕が大量に付着していることも確認されています。近くには同じように血痕の付着した短剣もあった。その犯人はおそらく…。いづれにしても、早く彼女を捕らえなければいけません。」
ブラックスは最後の表現をぼやかして言った。彼にしては珍しい言い方でもあった。リリーはその言葉を聞いて、自分が気を失っていた時の記憶を思い出していた。
(そうだ。あそこには多くの人が倒れていた。そこにはたしかに血まみれになった女性の服が脱ぎ捨てられ、短剣は生々しく血塗られていた。……その場所には明らかな殺意が残されていた…。)
トレバーは解説するように話し始めた。
「彼女が完璧に人の姿をしているということにはとても驚きました。特徴的な角が一つも表に出ていない。おそらく体の外見をコントロールすることができるということでしょう。人が自らの心を隠すように、彼らも隠すことができる。もしかすると彼女に関しては外見に対する意識が高いのかもしれません。」
アデリーナはしばらく考えた後にトレバーに顔を向けた。
「エリゼは父母が亡くなったことを知らないようでした。そして住所についても昔のまま記憶しているようでした。それもデプリヴンになった者の独自の思考、ということでしょうか?」
「そうですね、間違いないでしょう。彼らの思考は単純化され、そして排他的になる。人間年を重ねると同じような思考になる傾向がありますが、まだ判明していない何かをきっかけにして極端に進んだのが彼らの思考、ともいえるでしょうね。」
アデリーナは考え込んでいた。周囲の者は彼女の考えを待っているようだった。
しばらくした後にそれから意を決したように言った。
「エリゼの誘いに乗ろうと思います。彼女はおそらくなにか秘密を隠している。これは絶好のチャンスです。あれだけ会話をできるのであれば解決につながるヒントが得られるかもしれません。その考えを少しでも探りたいのです。」
ブラックスは眉間にしわを寄せて首を振りながら言った。
「危険です、女王様。デプリヴンはいつ牙をむき、襲ってくるとも限らない。実際、何人もの部下が油断したところをヤツらに反撃され、負傷しています。死者だって出ている。」
アデリーナはそこに居合せた面々を見渡しながら言った。
「危険なのはあなた方も同じです。そしてこの国に暮らす住民すべてが危険にさらされている。私だけがこの数少ない機会から逃げ、安全な場所にいることは許されるのでしょうか。それに……、私はエリゼと話をしたい、もう彼女は彼女ではないのかもしれませんが。」
トレバーはアデリーナの話に深く頷きながら、付け加えて言った。
「私も賛成です。デプリヴンの特徴やその起源を知るためには絶好の相手といえます。特に彼女が有している特徴はとても珍しい。詳しくその様子、言動が調査できればさらにデプリヴンについての研究が進みそうです。もちろん女王様の身が心配ではあります。しかし、角をコントロールできるほどの思考が残っていますから、その点において突発的な狂暴性は低いのかもしれません。あくまで私の想像ですが…。」
ブラックスは思い悩んでいるようだったが、その決意に押されたのだろう。しぶしぶ頷いて言った。
「わかりました。我々は感づかれないように周囲を警備させていただきます。いつ何が起きても大丈夫なように厳重に対応します。そしてリリーだけは侍女として傍においてください。新しい友人ということにしてもいいでしょう。彼女なら年の近い友人としてなんら不自然ではない。」
ブラックスはリリーに視線を移した。リリーは黙って頷いた。
――― 翌日エリゼは一人で宮廷にやってきた。そして、アデリーナと侍女の姿をしたリリーを引きつれ、エリゼと車で移動することとなった。
車に乗り、アデリーナの隣に座ったリリーは腰元に剣を忍ばせていた。いつでも差し迫った状況に対処できるよう気を張っていた。エリゼがそのリリーに興味を示したのはその一瞬だけであった。リリーを一瞥し、それ以降は特に興味はないとばかりに彼女を視界に入れることはしなかった。
車内は緊張感につつまれていた。車輪が道を進む無骨な音だけが響いていた。
アデリーナは慎重に言葉を選んでエリゼに言葉を投げかけた。
「ねぇ、エリゼ。あなたの家はどちらだったかしら?」
エリゼはにこりと笑顔でこたえた。「どうしたんですがアデリーナ様。私の家はオーク・ストリートの中心部。オーク公園の入口すぐ近くでしょう。忘れてしまったなんて、私をからかっていらっしゃるのね。」
「もちろん分かっていますよ。忘れるわけがない。とても懐かしい。」
アデリーナが言うと、エリゼが不思議そうに言った。
「懐かしいだなんて。この間いらしたでしょう?」
「そうだった。どうしてしまったんだろう、頭がぼけてるみたい。」
アデリーナが笑いながら返事をした。エリゼも笑った。
やがて彼女の屋敷に着いた。アデリーナは車を降り、それから周囲を見渡した。とても懐かしく見慣れた光景だった。エリゼの屋敷は周囲の家に比べると作りは古いもののひと際大きく、ハートフィールド家がこのあたりでは昔から影響力を持っていたことが伺い知れた。そしてブラックスが調査したようにその壁面はいくらか痛み、庭の植栽は荒れていた。周辺に緩やかなカーブを描いた通路、公園やそこに植栽されている植物の様子、その外観はほとんど変わっていない。しかし全体的にそれらは小さくなっているように感じられた。
以前は何度もこの屋敷に遊びに来ていたのだ。何年も前のことだ。そしてエリゼとのことを思い出した。とても小さな女の子で、そして控えめな女の子だった。気が強かったアデリーナは多くの友人たちと喧嘩になることが多かったが、エリゼの性格がおそらくうまくはまったのかもしれない。時折親密に遊ぶこともあった。だが、それは小さいころだけの話だ。
アカデミーに入学する頃には疎遠になった。エリゼは以前と変わって人を寄せ付けない空気をまとうようになった。そして彼女はもともと人の心に敏感なところがあった。だからアデリーナの微妙な心の揺れに感づいたのかもしれない。そうして二人はあまり会話を交わさなくなった。
「さぁ、どうぞ。アデリーナさま。」
エリゼが屋敷の中へと促した。
家の中は非常に薄暗かった。室内は明かりが灯されておらず、窓から刺しこむ緩やかな日差しだけがその様子を映し出していた。屋根や天井には蜘蛛の巣がいくつも張り、壁面や絨毯などはくすんで、埃がつもっているようだった。アデリーナはこの家でエリゼの父と母を見たことがなかった。いつも召使いのおばあさんが一人いるだけだった。エリゼがいつも、とても寂しそうな顔をしていたことをふと思い出した。
「もう食事の用意はできているのよ?さぁ入って。」
エリゼはそう言いながら、扉を開けて別の部屋に入っていく。
アデリーナは周囲に目を配りながら思考を巡らせていた。食事の用意。一体誰が用意をしているというのだろう。彼女が合わせたいといった人が用意しているのだろうか、待ち構えているのだろうか。とても静かな屋内であり、彼女たちの歩く足音が屋敷内で交錯し、響き渡った。
ダイニングに入ると中央には大きめのダイニングテーブルが置いてあり、その周囲を取り囲むようにしていくつかの椅子が用意されていた。天井からは様々な色のガラスを組み合わせ、鳥の形をあしらえたステンドグラス。周囲には木製の家具が配置されており、床には絨毯が敷かれていた。しかしそのいずれも色はくすみ、誇りがかぶっていた。そしてそこには誰もいないようだった。彼女が会わせたいと言っていた人は別の場所にいるのかもしれない。
ダイニングテーブルの上には食器類とお皿が用意されていた。向かい合うように、一人ずつのセットがテーブルマットとともに配置されている。しかし、どこにも調理された食べ物は見当たらなかった。グラスさえも配置されていなかった。
「さぁ、座りましょう。」
アデリーナは言われた通りゆっくりと腰を掛けた。座ったときに椅子が軋む小さな音が鳴った。
エリゼは満足したように言った。
「久しぶりだものね。いろいろ話しましょう。」
彼女は食器類に手を付けなかった。食事を持ってくる様子もなかった。おそらく食べるということに対してそれほど興味が無いのかもしれない。アデリーナは思い切って彼女に質問を投げかけた。
「エリゼ、あなたは最近何をしているの?」
「私?いつも家に一人でいるわ。いつも同じことを考えている。そしてとても楽しんでいる。アデリーナ様がいらっしゃるから今日はとてもとても幸せなの。」
「あなたのお父様とお母さまは?」
「一昨日から留守にしているわ。いつも留守。でもどうだっていいわ。いてもいなくても私には関係ないもの。どうせ、あっちに行ってなさい、とか、勉強してなさい、とかしか言わないもの。」
エリゼは意気揚々として言った。彼女の発言はところどころに矛盾をかかえていた。先日はお母様と食事の準備をしている、と言っていたのだ。
アデリーナは彼女の小さな頃を思い出していた。彼女は小さな頃、スクールではいつも一人だった。アデリーナは彼女がきっとさみしいだろうと思って最初に話しかけた時の事を思い出した。話しかけると、彼女の顔はぱっと花が咲いたように笑顔になった。きっと誰かに話しかけられるその時をずっと待っていたのだろうと思った。
アデリーナはエリゼを見た。彼女はにこにこと笑っていた。相変わらずテーブルの上に置いた手はフォークもナイフも手にすることはなかった。それはとても奇妙な光景だった。しかしながら本当に今この瞬間を喜んでいるのだろうとアデリーナは思った。
「お願いしたいことがあるの。」
「お願い?」
「これから会ってほしい人がいるの。わたしのとても大事な人になる方なの。」
エリゼはそう言ってから立ち上がった。「でもね・・・。」
彼女は周りを見渡した、上下左右に顔を向け、手をひらりと周囲に向けた。まるでそれはクラシックバレエを踊っているようにもみえた。エリゼは言った。
「アデリーナ様だけを連れてくるように言われているから、アデリーナ様だけでいいの。そこで剣を握り締めている女も、周りに潜んでいる人たちも連れていくわけにはいかないの。…………邪魔だから。」
次の瞬間。まるで風邪をなでるような動きでエリゼの鋭くなった手先がリリーに襲い掛かった。リリーは寸前のところでその襲撃を避け、宙に飛んだ。エリゼの手先は壁に突き刺さり、大きな穴を開け、周囲に埃が舞い上がった。リリーはゆっくりと姿勢を整え、しなやかな身のこなしで床に着地した。
周囲からけたたましい音とともに何名もの衛兵が現れる。そこにはブラックスの顔もあった。「女王様をお守りしろ。目標のデプリヴンを排除しろ!」
ブラックスの号令を受けて衛兵たちが次々にエリゼに襲い掛かる。しかしエリゼはどのような剣先も寸前のところで交わし続けた。衛兵たちの剣先はまるで重量がほとんどない綿をとらえることができないように宙を割くだけだった。エリゼはひらりひらりと地面を、宙を、花弁が舞うように動き、時には彼女は衛兵たちを足蹴りにして、それから衛兵たちから剣を奪いとった。
「なんてかわいそうなアデリーナ様。」
エリゼそう言って悲しそうな顔をした。その言葉に嘘偽りはないようだった。本当に心配して、そして彼女の食事会を荒らす者達に怒っているようであった。
「アデリーナ様を騙す人達を一人残らず始末してあげるね。そうすればもっと二人で話し合えるし、あの人にも会わせることができる。きっと最高に楽しいわ。」
エリゼは話しながらも衛兵たちの攻撃を華麗にかわし、彼らを傷つけていく。まるでそれは剣と共に舞踏しているようであった。近衛騎士団長であるブラックスも手を焼いていた。彼の剣先もやはりことごとく宙を切り、エリゼの剣先はブラックスの体を斬りつけていた。
リリーはその様子をみて不思議になった。
(なぜ彼女はあそこまで自由自在に攻撃をかわすことができるの…。)
なんという回避の仕方、それはまず人間では無理だろう。
リリーは彼女が後ろを向いた瞬間を狙った。地面を蹴り、背後から斬りつけるために剣を叩き下ろす。しかしまるで彼女は背中に目がついているかのように寸前のところで踊るようにかわした、それはもう少しで捉えることができたはずだった。しかし、彼女の衣類の表層を切り裂いたに過ぎなかった。エリゼは少し驚いた顔をしていたが、すぐに表情に笑みを浮かべていた。リリーは次の回避への対応が遅れた。エリゼの剣はリリーの肩を捕らえ、それは体の深くまで刺され、それから壁にたたきつけられる。血が肩から流れ、衣類を赤く染めていく。
リリーは肩を手で押さえ、苦悶の表情でエリゼをにらみつけた。気が付けば多くの者が負傷していた。ただ、エリゼ一人が傷一つなく床に立っていた。
アデリーナはエリゼやリリー、ブラックスが剣を交える様子を凝視していた。言葉はでなかった。彼女はやはり人ではなく、デプリヴンになってしまったのだと今更ながらに認識した。そしてそれは彼女の心を大いに重く、深く傷つけていた。
リリーは傷ついた肩を抑えながら、とあることに気が付いていた。
(彼女はかならず手のひらを周囲に動かしている。私や衛兵の様子を見破ったときも彼女は手のひらを周囲に向けていた。もしかしたらそこから人の思考を読んでいるのかもしれない。エレクタを通して。そしてそれにも限界がある。ある一定の距離から攻撃した時には反応が遅れる。そうするとこちらの攻撃に対応できないんだ……)
衛兵達はほとんどが負傷し、床に倒れていた。もはや勝負はついているかのようだった。ただブラックスだけが耐え、エリゼと剣を交えていた。だが彼ももう持ちそうにない。足は力なくよろけ、腕や足からは血が滲み、これ以上の戦闘は困難にみえた。
リリーは冷静にその状況を見定めた。自分の傷をみた。これ以上に傷を負うと修復に時間がかかる。エリゼとの距離をぎりぎりのところで確保し、そして一瞬の隙をつくしかなかった。リリーは足に力を込めた。足からゆっくりと角が生え、足に全身の残された力が集中していくのを感じ取った。
エリゼはブラックスの攻撃をするりと交わし、とどめの一撃を彼の頭に振り下ろそうとしていた。
(いまだ・・・・)
足で床を思い切り蹴った。床は爆音を鳴らした。そしてその場から噴煙が上がり始めるまでの間に勝負はついていた。リリーの剣先は鋭い矢となり、エリゼの心臓部を貫いていたのだ。
「・・・・・!!」
エリゼが振り返り、リリーの姿を視認できたときにはけたたましい音とともに体が壁面に打ち付けられていた。
エリゼは苦しそうな声を発した。
「痛い・・お母様、お父様、助けて…。どうしていつもいないのよ…。」
リリーは驚いた。心臓を一突きにしたはずだというのに彼女はまだ息絶えていなかった。
「どうして一緒に遊んでくれないの…。どうして本を読んでくれないの…。どうして怪我をして痛いときに優しく声をかけてくれないの…。」
その様子をみていたブラックスが言い捨てた。「お前の父も母も亡くなったよ。」
エリゼは目を見開いてブラックスを睨みつけた。
「なにをいっているの!昨日だって私がスクールに通う時に手を振って送り出してくれた。スクール…スクール?私は今何歳だったかしら。ああ、もうどうでもいいわ。どうして私がお父様とお母様のことを考えなくてはいけないの……?」
リリーが剣を抜くとエリゼは床に倒れ込んだ。
アデリーナはしまっていた手紙を手に、エリゼの下に駆け寄った。それは現在のハートフィールド家の屋敷、彼女の机の上においてあった手紙だった。封は開けられずそのままにおいてあったものだった。アデリーナがエリゼにみてもらいたくて持ってきたのだ。
「あなたのお父様、お母様からよ。」
エリゼは閉じようとしていた瞳を開き、ゆっくり動かした。
―
エリゼ。申し訳なかった。
きっと寂しかっただろう。だから家出をしたのだろう。そして服をこれほどボロボロにして帰ってくるだなんて、私たちはショックだった。
もっとお前のことを考えるべきだった。一人にするべきじゃなかった。
もうやめにしよう、着飾るのも見栄を張るのもなしにしよう。
私たちは求めるものを間違えていた。
仲直りしようエリゼ。
お前が小さな頃に行きたがっていた料理店を思い出したんだ。あそこはいつだって変わらない味だから、お前も好きなはずだろう。一緒に行けるのを楽しみにしているよ。
ダンとメアリー
―
「誰が、私のお母様とお父様を・・・。」
エリゼの目が対面で押さえつけているリリーを捕らえた。
彼女の手がリリーの方に向けられようとしているのをリリーは察知した。そしてとっさに手でその腕を押さえつけた。エリゼはもがき、そして激しく怒り、怒鳴った。
「手を放せ、邪魔をするな・・・お前がやったのかっ!」
それは信じられない力だった。もはや彼女は命尽きようとしているというのにリリーは力で押され、その反動で剣が手から離れ、床に落ちた。エリゼとリリーは揉み合いになった。そして次の瞬間、彼女の手はリリーに向けられていた。ほんの少しの合間、二人の動作は止まった。まるで時間が停止をしたように動かず、物音ひとつしなかった。
エリゼはふらりと立ち上がり、それからしばらく立ちすくんだ後、ゆっくりと倒れ込んだ。
目を半分閉じて、その意識は遠のいているようだった。
アデリーナは目に涙を浮かべながらエリゼに駆け寄り、彼女の手を両手で握り締めた。
「もう戻ろう、エリゼ。あなたは人に戻らなくてはいけない…。」
アデリーナはその最後の望みを捨ててはいないようだった。
エリゼはアデリーナに視線を移した。
徐々に怒りの表情は消え、目から一粒の涙が頬をつたった。
「ああ、アデリーナ様の手は暖かい・・・。いっしょに楽しい食事会ができて・・・私は・・・。」
エリゼは目を閉じ動かなくなった。まるでその表情は彼女がアデリーナに出会ったときと同じであった。




