閑話 昼寝のできる家
窓から入る日の光が、前足の先まで来た。もう少し待てば腹にも届く。おれは顎を床につけたまま、片目だけを開けた。
向こうの作業台で、シュウジが木を削っている。さっきまで椅子に座って何か飲んでいたのに、いつの間にかまた立っていた。家を買ったら少し休むと言っていたはずだ。
今も、細い木屑をつまんでは満足そうに眺めている。本人は休んでいるつもりなのかもしれない。
削る音が途切れ、シュウジが背伸びをした。こちらへ歩いてくるので目を閉じると、頭に手が置かれた。耳の後ろを掻く指の具合は、長い付き合いだけあって悪くない。そのまま顎の下へ移りかけた手が止まった。
「……木屑がつくか」
気づくのが遅い。おれは鼻先に落ちたものを吹き飛ばした。
*
初めて会ったときも、この男の手はひどい匂いがした。
土と血と、潰した草の匂い。横腹が熱く、息をするたびに痛んだことは覚えている。近づいてきた手に噛みついたことも。
「元気はあるな。よし」
手を引っ込めた男は、少し離れたところに座った。逃げようにも、足に力が入らなかった。低く唸り続けるおれの前に、水の入った器が置かれた。
その後のことは、ところどころ曖昧だ。目を覚ますと傷には布が巻かれ、近くで火が燃えていた。男が鍋を覗き込んでいる。腹が鳴ると、こちらを見て笑った。
「お前の分もあるよ」
差し出された肉は硬かった。腹が減っていたので食べたが、男の方は自分の肉をいつまでも噛んでいた。
「……煮ればよかったな」
翌日は鍋で煮ていた。それでも、肉は硬かった。
傷が塞がって歩けるようになった頃、男は荷物をまとめた。おれの前に食べ物を置き、何か言って森の外へ歩き出した。
しばらく待ってから、後を追った。
振り返った男は困った顔をしたが、追い払おうとはしなかった。歩く速さを落とし、ときどき後ろを確かめた。そのうち、おれの足が止まると、自分も休むようになった。
あれから、いくつの森を歩いただろう。
*
シュウジが椅子を引く音で、目が覚めた。日向は腹を通り越している。体をずらすと、すぐ脇の椅子から声がした。
「いい暮らしだな、お前」
おれは欠伸をした。シュウジも大きく口を開けてから、椅子に深く座り直した。
昔は焚き火の向こうで折れる枝や、風に紛れて近づく足音を聞き逃せなかった。シュウジが眠っている間は、おれが起きていることもあった。
一度、夜中に近づいてきた魔物を追い払って戻ると、寝床にいたはずのシュウジが起きていた。剣を手に、暗い木々の間を見ていた。
「勝手に遠くまで行くなよ」
そう言って、おれの首や腹を確かめた。どこも怪我はしていないのに、なかなか手を離さなかった。
自分はいつも、一人で先へ行こうとするくせに。
今は窓の外を荷車が通り、人間の話し声が聞こえる。パンの焼ける匂いもする。耳を動かすと、隣でシュウジが笑った。
「さっき食っただろ」
それはお前も同じだ。パンを一つ食べながら、もう一つを手に持っている。
こちらが見ていると、シュウジは手元を見下ろした。
「これは昼の残り」
説明はいいから、端をよこせ。
膝に顎を載せると、小さくちぎった欠片が鼻先に来た。受け取って床へ戻る。シュウジはおれの背をひと撫でし、残ったパンを口に入れた。
この家は、夜になっても雨が入らない。朝、荷物をまとめなくていい。気に入った場所で眠って、目が覚めても同じ窓がある。
なかなかいい場所を見つけたと思う。
隣でシュウジの息がゆっくりになった。椅子に座ったまま、顎が少しずつ下がっている。おれも前足に鼻を埋めた。
通りの向こうから、近づいてくる足音がする。何度かここへ来た人間の足音だ。目を開けたが、シュウジは気づかない。
「シュウジさん、いるかい?」
戸口の声に、シュウジの肩が跳ねた。
「……ああ、いるよ」
「ちょっと見てほしいものがあるんだけど」
シュウジは顔を擦り、立ち上がった。戸口で差し出された包みを受け取り、もう中を覗いている。
椅子の下まで日向が伸びてきた。おれは空いた場所へ体を移し、今度こそ目を閉じた。




