第五話 冷たすぎる箱
パン屋へ寄ると、ベルカが買い物籠を持っていた。マルタと昼の客の話をしていたらしく、俺を見つけて手を上げる。
「こんにちは。ここのパン、おいしいよね」
「ああ。今日は何を買うんだ?」
「店の分。あとレオンが夜中に食べる分も」
店で使うとなると、パンを買う量も違うらしい。俺も棚へ目を向けると、マルタが小皿を台に載せた。
「ちょうどよかった。シュウジ、これを見ておくれ」
皿の上の白い塊に匙で触れると、かつんと音がした。
「何だこれ」
「クリーム」
「……匙を替えた方がいいか?」
「匙のせいじゃないよ」
奥からジョニーが出てきて、保冷箱の具合が悪いのだと説明してくれた。隅に置いた物が、ときどき凍ってしまうらしい。冷たいクリームを挟むパンを試しているが、このままでは売り物にできないという。
ベルカが皿を覗いた。
「一度見てもらったんじゃなかった?」
「お店には話したの。外して持ってきてって。箱の中も空けなきゃならないし、休みの日に運ぶつもりだったんだけど」
マルタは凍ったクリームを見下ろした。ジョニーがその横へ、まだ何も挟んでいない丸パンを置く。
「それまで使えるか分かるだけでも助かるんですが」
「見るだけなら。ちょっと道具を取ってくる」
帰りかけると、ベルカが焼き立てのパンを一つ指した。
「直ったら私にも教えてね。食べてみたいから」
マルタが力強く頷いた。俺はまだ、直せるとは言っていない。
*
保冷箱は店の奥にあった。魔道具に近い壁だけ、薄く霜がついている。中身を移してもらい、冷却を止めて覆いを外した。
冷え具合を拾う金属片が、本来の位置からずれていた。留め具にひびが入り、木の覆いの裏へ寄っている。これでは箱の中が冷えても、止まるべきところで止まらない。
「小さい部品だな」
覗き込んだジョニーが言った。
「これが仕事をしなくなるとほかが働きすぎる」
「なるほど」
金属片そのものは、まだ使えそうだった。留め具を外し、パン屋がいつも頼んでいる魔道具屋の場所を聞く。今日は家で作業をするつもりで、ほかに約束はない。そのまま部品を買いに行くことにした。
店の主人は、保冷箱の話を覚えていた。割れた留め具を見せると、棚から部品箱を下ろしてくれる。
「古い型だから同じ物はないんだ。これなら少し合わせ直せるかな」
厚みと穴の位置を確かめた。削って、薄板を一枚挟めば収まる。主人へそう伝えると、座金も一つ出してくれた。
代金を払おうとして、奥の棚の調整器が目に入った。細かい魔力の流れを見る物で、昔使っていた型より小さい。
「それ、持ち運べるのか?」
「専用の箱もついてるよ。見せようか」
一歩近づいてから、手の中の留め具を見た。待っているパン屋と、凍ったクリームを思い出す。
「……今度、ゆっくり見に来る」
主人は笑い、部品代を紙へ書いてくれた。俺も忘れずに受け取った。
*
戻ると、ジョゼットが保冷箱の脇で待っていた。マリーの父親で、ジョニーと一緒にパンを焼いている。
「うちのが、もう次のクリームを作ってる」
「まだ試してみないと分からんぞ」
「俺もそう言った」
留め具を合わせ、金属片を元の位置へ戻す。魔力を通すと、細い線が淡く光った。流れを少しずつ戻し、蓋を閉めて待った。
父子が揃って箱を見ているので、座っていてくれていいと伝えた。
「見てても早くは冷えないぞ」
二人は顔を見合わせ、ジョニーは店へ、ジョゼットは庭へ出た。俺も道具を片づけ、あとを追う。ナギはエマに水をもらい、日陰でくつろいでいた。
椅子へ座って茶を飲んでいると、つい窓から箱の方を見てしまう。動きはおかしくなかったはずだが、冷えてからが肝心なのだ。
「早くは冷えないんじゃなかったか」
ジョゼットに言われ、浮かせかけた腰を戻した。
「仕事だからな」
「息子も仕事だよ」
俺は茶を飲んだ。なかなか減らない。
*
十分に冷えたところで内側を確かめた。新しい霜は出ていない。魔力の流れも弱まり、加減が利くようになっている。
少量のクリームを隅と中央へ置いて試すと、どちらにも匙がすっと入った。
ジョニーが笑い、マルタが小さく手を打った。
「じゃあ食べてみておくれ」
割ったパンへクリームを挟んだ物が出てきた。まだほんのり温かいパンに、冷たいクリームが合う。甘い香りが鼻へ抜けた。
「うまいな」
「甘すぎない?」
「俺は好きだよ」
「もう少し減らしてみようか」
返事をする前に、別の皿が置かれた。そちらを食べると、ジョニーが生地を少し変えた物も出してくる。
「こっちはどうですか?」
「これもうまい」
「じゃあどっちが好きだい?」
二枚の皿を交互に見た。最初の味を思い出すには、もうひと口食べる必要があった。
ジョゼットまで小さなパンを持ってきたところで、俺は三人を見回した。
「なあ。俺、箱を見に来たんだよな?」
「助かったよ。これはお礼」
マルタが言った。お礼を受け取るほど、判断することが増えていく。
ナギが近づき、俺の皿を嗅いだ。何も挟んでいないパンを一つもらうと、前足の間へ置いて食べ始める。そちらの試食は、一つで済んだ。
*
「――で、どれがよかったの?」
夜、レオンはカウンターへ肘をついた。今日はマリーの来ない日で、夕飯もここで済ませるつもりだった。だが、腹の中にはまだパンがいる。
「最後は分からなくなった。どれもうまかったんだが」
「ああ、マルタの味見ね。ベルカは小さく切ってもらうのよ」
「先に教えてくれ」
杯を受け取ると、厨房からベルカが出てきた。保冷箱は大丈夫そうかと聞かれ、直した所と、数日後にもう一度様子を見に行くことを話す。
「よかった。明日、買いに行こうかな」
「まだどれを売るか決めてなかったぞ」
「じゃあ私も味を見よう」
ベルカは嬉しそうに、レオンの隣へ立った。レオンも頷く。
「私も行こうかしら」
「お前は食う量が多いから、歓迎されるだろうな」
「ベルカと半分にするわよ」
二人でなら、それもできる。俺は杯を置き、次はマリーの来る日に様子を聞きに行けばいいのかと考えた。
いや、あいつまで一緒に呼ばれたら、夕飯の支度が遅くなる。
「難しい顔してるわね。今日は何を食べる?」
レオンが言った。
「今日は酒だけでいい」
「あら。珍しい」
事情を全部聞いた顔で言われたので、俺は残りをひと口飲んだ。




