第十五話 休みの人
工具を片づけていると、開けた戸の向こうから爺さんが顔を出した。今日は仕事着ではなく、襟のついた上着を着ている。
「出かけるのか?」
「ああ。今日は休みだ。芝居が始まるまで、少し邪魔していいか」
「もちろん。入ってくれ」
広場に来ている旅の芸人を見に行くそうだが、いつも通りに起きて支度をしたら早すぎたらしい。仕事場には休みの札を出し、戸の開いていたうちへ寄ったのだという。
「始まるまでまだかかるのか?」
「昼からだ。役者も今は幕を張っとる」
「じゃあ茶でも飲んでいけばいい」
「お前さんの仕事は?」
「今日は急ぐ物がない」
俺の机には作りかけの仕切りや削りかけの木片が並んでいる。続きはあとにして布を掛け、杯を二つ出した。
椅子へ座った爺さんが足元を通るナギの背を撫でた。最初に来たときは杖を握ったまま眺めていたのに、今では膝も自然によけてやる。
包みの開いていた干し果物を皿へ出すと、爺さんはそのうち一つを選んで口へ入れた。木の種類や金具の話ならいくらでもできるが、今日は休みだと思うと何を話せばいいのか少し迷う。
「芝居はよく見るのか?」
「来ればな。前は年に二組くらい来たが、最近は同じ一座ばかりだ」
「顔も覚えるな」
「若いのが一人増えた。主役はそっちになったらしい」
そんなことまで知っているとは思わなかった。好きなのだろうと聞けば、前の主役がよく刀を修理に持ってきたのだという。
「本物じゃないんだろ?」
「本物じゃないから折れるんだ。見栄えよく薄く削っとるからな」
爺さんが杯を傾け、俺も思わず作業台へ目を向けたところで、二人とも口を閉じた。今日は現物もないのだから、その話は帰ってからでいい。
*
茶を飲んでいると向かいの子供が顔を出した。直した木の馬車を引いている。
「おじさんたち、仕事してないの?」
「爺さんは休み。俺は茶を飲んでる」
「じゃあこっち来てよ。馬車が速くなったから」
車輪を直しただけなのだが、そんなに変わっただろうか。外へ出ると坂を下ろうとしていたので平らな方へ呼んだ。紐を引いて走れば馬車も少し跳ねるが、四つの車輪はしっかり地面を捉えている。
「前はそこですぐひっくり返ったんだ」
爺さんが俺を見る。
「軸を替えたのか」
「ああ。前より少し遊びを持たせた」
「その方が土も噛みにくいな」
話しているうちに子供が戻ってきた。
「見てた?」
「見てたよ。曲がるときも倒れないな」
今度は曲がるところを見せに走っていく。俺たちも口を閉じてその姿を見送った。
*
家へ戻って冷めた茶を入れ直す頃には、通りを広場へ向かう人も増えていた。子供連れが窓の前を通り過ぎるのを見て、爺さんが杯を置く。
「そろそろ行くか」
爺さんが帽子をかぶり直す間に、俺は空いた杯を盆へまとめた。
「お前さんも来るか」
「俺も?」
「昔話の芝居だ。剣は振り回すが、本物じゃない」
「それは分かるよ」
「なら見ながら口を出すなよ。昔、一緒に行った鍛冶屋が、あんな剣は折れると言い出してな」
言いそうな知り合いには心当たりがある。笑いかけたところで自分の剣が目に入り、客席では黙っていようと思い直した。
*
休みの札を出して爺さんと広場へ向かった。昼飯代わりの包み焼きを買っていると、爺さんが先に木陰の席を選んで手招きしている。日当たりのいい前の方には子供たちが集まり、隣の店からは焼いた豆の匂いが流れてきた。
「こっちでいいのか。前も空いてるぞ」
「少し離れた方が全部見える。あっちは首も疲れる」
腰を下ろしてみれば舞台の端から端までよく見え、ナギも後ろで寝そべれる。爺さんは来慣れているらしく、通りかかった役者へ軽く手を上げてから包み焼きにかぶりついた。
俺もひと口食べていると、脇の幕から出てきた男が爺さんに気づいた。腰へ差した木の剣を少し抜いて見せるので、例の修理を頼んだ男かと思ったら、爺さんは手を振るだけで何も言わない。
「休みだからな」
俺の視線に気づいた爺さんが小さく笑った。やがて笛の音が変わり、男が引っ込むのと入れ替わりに若い旅の剣士が舞台へ現れた。
村へ迷い込んだ剣士は頼まれるまま橋を直し、荷車を引いてなかなか先へ進めない。ようやく魔物と戦う支度を始めたら今度は夕飯に呼ばれる。隣を見ると爺さんもこちらを向いていた。
「お前さん、出とるぞ」
「俺はこんなに若くない」
「そこじゃない」
舞台の剣士は腹を満たして戻った途端、壊れた椅子を渡されている。直そうと屈めば今度は背負った剣が柱へ当たり、慌てて向きを変えると村人の籠を倒してしまう。
子供たちが声を上げて笑う横で爺さんも肩を揺らし、俺も笑った拍子に包み焼きを取り落としそうになった。膝で受け止めると、今度は後ろからナギが鼻を伸ばしてくる。
「これは俺のだ」
小声で言って包みを持ち上げたところへ舞台から大きな音が響いた。剣士が椅子へ腰を下ろした途端に脚が抜け、役者の大げさな顔に俺もとうとう声を出して笑ってしまった。
食べ終わった包みを畳んで手を叩くと、隣の爺さんも同じように拍手をしている。さっきまで仕事場で向かい合っていたときより、ずっと表情が柔らかかった。
今日の椅子は、あいつに任せておこう。




