第十三話 ただいまのあとに
坂を上りきると自分の家の戸が開いていた。窓から流れる湯気に煮物の匂いが混じり、ナギにつられて俺の足も速くなる。
「ただいま」
台所からマリーが顔を出す。
「おかえりなさい。早かったですね」
「道がよかったからな」
荷物を下ろして手を洗う間に、ナギは自分の器で水を飲み始めた。俺も替えの上着を取りに二階へ上がる。宿代を払うことも部屋の場所を聞くこともなく、自分の戸棚を開ければいい。
*
飯を食いながら留守中の話を聞いた。爺さんからは注文した鉋が来週にはできそうだと伝言があり、風呂屋の主人も顔を出したという。慌てなくていいが、できたら妻にも使い方を見せてほしいそうだ。
「奥さんも釜を見るんだな」
「ご主人が配達を受けたり薪を運んだりしている間は。私も何度か裏から戻ってくるところを見ました」
買った部品を机へ並べ、採ってきた石の包みを開く。マリーは赤い層を光に透かしていた。
「これを採りに行ってたんですね」
「ああ。店にも少し持っていく」
岩のままでは使いにくいので余分な部分を削り、厚みを揃えることから始めた。石を磨く音の合間に洗濯物を運ぶマリーの足音が聞こえ、窓の下ではナギがもう眠っている。
大きく採れた分は店へ渡すためによけ、小さな一枚を部品に合わせた。暗くなる頃には小箱から鈴までつながり、湯を使った試験でも、熱さに応じて明かりがつくのを確かめられた。
帰り支度を終えたマリーにも音を聞いてもらうと、戸口から振り返って頷いた。
「このくらいならお客さんがいても聞こえそうですね」
「あとは使う人に見てもらうよ」
表の札を裏返してから箱の覆いを閉じた。明日の持ち物が一つにまとまると、ようやく旅の荷も全部ほどけた気がした。
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翌日、ギルドの買取台へ毛皮と牙を載せると職員が傷の位置を確かめた。
「牙猿ですか。木の上から飛びかかるので、追うと手間がかかるんですよね。きれいに仕留めてあります」
「向こうから来たからな。北の小川へ入る林にいた。数は一頭だけだ」
場所を伝えて代金を受け取り、帰りに魔道具屋へ寄った。石の薄片を渡すと主人は端を撫でて光に透かしている。
「ここまでやってあるなら、すぐ使える。助かるよ」
「こっちも部品が揃って助かった」
店を出ると通りの先に湯気が見え、昨日仕上げた箱を抱えてそのまま風呂屋へ向かった。
*
番台へ小箱を置き、裏の目盛り板に熱を拾う部品を取りつけた。元の針も見えるし、操作する手にも当たらない。主人が薪を足す間に妻と二人で表へ戻り、鈴が鳴るのを待った。
しばらくすると小箱の明かりがつき、澄んだ音が響いた。
「今のがいつもの印の所かい?」
「ああ。火を弱めに行く頃合いだ」
主人の妻は裏の針を確かめに行き、戻ってくるなり小箱を指した。
「もう少し早く鳴らせる? ここから行く間にちょっと上がるんだよ」
確かに番台からでは歩く時間もかかるので、その分早めてもう一度試した。今度は彼女が釜へ着く頃に針がいつもの印へ届き、主人も元の目盛り板を覗いて満足そうに頷く。
「これならちょうどいい」
表へ戻ると客が二人来ていた。妻が銭を受け取って籠の場所を教える間、主人は裏で火を弱め、空いた桶を持って出てくる。今までは客を待たせて釜を確かめたり、妻が主人を呼びに行ったりしていたのだという。
箱を置いたまま少し見ていると、今度は子供を連れた客が来た。釣り銭を渡したところで鈴が鳴り、妻が主人へ顎を向ける。
「聞こえた?」
「ああ、行ってくる」
主人が立つと彼女は子供の脱いだ靴を脇へ寄せ、次の客へ声を掛けた。鈴が一つ増えただけなのに、番台で途切れていた話がそのまま続いている。
戻ってきた主人が小箱へ顔を近づけ、ずいぶん小さい物だなと呟いた。妻は通りの知り合いへ手を振ってから、その背中へ笑いかける。
「これであんたを呼びに走らなくて済むねえ」
「まだ火は見に行くんだぞ」
「そのくらいは歩いてもらうよ」
二人に置き場所を選んでもらい、箱がずれないよう留めてから道具を片づけた。番台の内側には帳面や小銭の箱が並んでいるが、これならどちらの邪魔にもならない。
「店を閉めたらこっちを切るんだな」
主人が自分で操作し、妻も隣から確かめる。もう一度入れ直して明かりがつくのを見ると、二人とも次の客の方へ顔を向けた。
代金を受け取って帰ろうとしたところで、主人が浴場の方を示した。
「入っていくか。もう湯は使えるぞ」
*
先客が空けてくれた場所へ入り、肩まで湯に沈んだ。昨日は家で体を拭いただけなので、なおさら温かさが身に染みる。木桶の音を聞いているうちに、あの釜の熱を使えばほかにも何かできそうだと考えかけたが、今日はやめておいた。背中を縁へ預けて手足を伸ばす。
上がると主人が冷たい水を出してくれた。
「どうだ、湯加減は」
「いい湯だった」
「そりゃよかった。作った人にも入ってもらわんとな」
「湯を作ったのはあんただろ」
主人が嬉しそうに頷いたところで奥の鈴が鳴り、妻がいつもの足取りで裏へ向かった。今度は俺が立つ番ではないので、腰を落ち着けて水をもうひと口飲んだ。




