第十二話 久しぶりの野営
朝の鐘が鳴る頃には町の屋根も見えなくなっていた。畑の脇を抜ける道に俺たち以外の人影はなく、草の露が長靴の先を濡らしていく。ナギは少し先で道端の匂いを嗅ぎ、俺が追いつくとまた歩き出す。
明日の午後には帰るとマリーにも伝え、戻りが遅れたら先に入ってもらえるよう鍵を渡してきた。荷物を預けて宿を出ることなら何度もあったが、自分の家を人に任せるのは初めてだ。
「帰る所は同じなんだけどな」
振り返ったナギへ手を振ると、相棒は首を傾げてから先へ進んだ。歩きながら独り言を言う癖は、こいつがいなければつかなかった気がする。
畑を離れて道が登り始めると、ナギの足も少し速くなる。俺も歩幅を広げて追いかけ、朝飯に買ったパンを包みから出した。木陰で食べようかと思っていたのに、焼いた肉の匂いに鼻を動かした相棒がすぐ横へ戻ってくる。
「お前は家で食っただろ」
言っても離れないので、自分の分をかじる前に端の肉を少し分けてやった。ナギは受け取ると満足したらしく、その先の分かれ道では俺を待たずに右へ入っていく。
「そっちだったか?」
地図では左も川へ続いている。試しに足を向けると相棒が戻ってきて道の真ん中へ立ったので、素直についていくことにした。少し上から見下ろせば、左の先は倒れた木に塞がれている。
「覚えてたのか。匂いか?」
答えずに先へ行く背を眺め、昼の肉も少し多めに分けようと決めた。
*
山裾の林へ着いたのは昼過ぎだった。昔使った道は途中から草に埋もれていたが、小川の音を頼りに進めば迷うこともない。岩場の手前には新しく折れた枝が落ち、泥に爪の跡が残っている。
「いるな」
跡を確かめる俺の横でナギの耳が動く。小川へ降りる道を探していると背後の藪が鳴り、枝を蹴る音に続いて何かが飛びかかってきた。半歩横へよけながら剣を抜き、そのまま後ろへ返す。
足元に落ちたまだら模様の牙猿を確かめ、ほかに気配がないことを確認して剣を収めた。岩の上へ移っていたナギに目を向けると、相棒は大きな欠伸をしている。
「少しは手伝えよ」
前足を舐め始めたナギを横目に、牙猿の素材を回収できるよう手早く処理しておいた。血のついた場所から離れて道を下ると、相棒も岩を下りてついてくる。
*
川の流れが変わって土が削れたのか、赤い石の層は覚えていた位置より低く見えた。割れ目に薄い刃を差し込み、必要な大きさに切り出していく。自分で使う分のほかに魔道具屋へ分ける分を採っても、大きく岩を崩す必要はなさそうだ。
水際へしゃがんで石を拾い上げるたびに、ナギが川上と林の方へ顔を向ける。俺が岩に向かっている間も、足元の水へ気を取られることはなかった。
少し離れた岩の下にもう一枚よさそうな層が見えたので、手を差し入れる前に上の石を支え直した。ナギは邪魔にならない側へ回り、布を敷いた所へ腰を下ろして待っている。
「もう少しだ。終わったら飯にしよう」
採った分を並べて割れを確かめ、布で包んだところで、相棒が急に立ち上がって川下へ駆け出した。
「遠くへ行くなよ」
一度こちらを振り返ったナギが岸を蹴り、水中へ前足を振り下ろす。草の上へ飛んできた魚は両腕で抱えるほどもあった。跳ねる尾を押さえて口元を見れば、細かな歯がびっしり並んでいる。足を水へ入れると噛みついてくる川の魔物だ。
仕留めたナギは濡れた前足を振ってから魚の横へ座り、俺を見上げた。
「分かった。今夜はそれな」
相棒は俺の持つ包みを嗅いで魚へ目を戻す。道を教え、周りを見て、夕飯まで用意したのだから、今日は文句を言えそうにない。魚を処理している間も横で待っているので、焼くのはもう少しあとだと伝えた。
*
小川から離れた高い所を選び、枯れ枝の落ちてこない木陰へ天幕を張った。地面の湿り具合も風向きも悪くなく、今夜くらいならよく眠れそうだ。
ナギが周囲を一巡してくる間に火床を作り、濡れた流木を避けて枝を集める。戻ってきた相棒の足裏を確かめると細い枝が毛に絡んでいたので、抜いてやってから魚を焼く支度を始めた。
厚い身に塩を振って火の近くへ並べ、自分の分にだけ香草を少し載せた。鍋では干し野菜を煮ている。皮の焼ける匂いにナギが鼻を動かす頃には、俺も腹が減っていた。
家の台所では物の置き場を迷うのに、ここでは鍋を掛ける手も水の支度も迷わず進む。二十年のうち何日こうして過ごしたか分からないが、腹を減らさずに寝る手順が体に染みついているのだろう。
魚を返そうとするとナギが顔を上げた。先に焼けた薄い身を皿へ取り、少し冷ましてから前へ置くと待っていた口がすぐに動き始める。俺も野菜の汁を椀へよそい、パンを浸して食べた。
先に食べ終えたナギが俺の外套へ前足を載せる。
「お前の敷物もあるぞ」
袋から出して横へ広げても匂いを嗅ぐだけで動かない。小さかった頃は畳んだ外套に丸ごと収まったものだが、今は端を押さえられるだけで俺の使える部分が半分になる。
仕方なく隣へ座って残りの魚を食べた。皮は少し焦げているが身は悪くない。食後に火を小さくして空を見上げると、枝の間に町では見えにくかった星が光っていた。
「たまにはいいな」
ナギの背を撫でながら明日の道を思い浮かべる。朝になれば荷をまとめて町へ戻るが、次の依頼を探しに行くわけではない。あの家へ帰るのだ。
膝の上で地図を開いて帰り道を確かめたら、もう次の町の頁を探す必要はなかった。畳んで袋へ戻し、外套の空いた方へ足を伸ばすとナギの耳だけがこちらへ向いた。
「明日は帰ったら敷物も干すか」
それには反応せず目を閉じたので、俺も火を落として横になった。




