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その七十
コミュニティーバスに乗って料理屋〈むら野〉に行く。すでにマチコお姉さんは店のまえで待っていた。
「先生、こんばんは」
「先生じゃないでしょ。マチコお姉さんでしょ」
「マチコお姉さん、こんばんは。あれ、きょうちょっと顔色わるいですね」
「そう?」
「ええ。真っ青ですよ。からだの調子大丈夫ですか?」
「顔色が真っ青なのは、さっきジムで泳いだからかもしれませんわ」
料理屋に入っていくと女将が奥から出てきた。ぼくは片手をあげたのちに、
「座敷空いてますか?」
ときく。払いはいつも自動的に親父にツケてくれるので、こちらの料理屋においては、こんな大旦那みたいな物腰が身についているのである。われながらすごい冷飯である。
ぼくたちは女将に案内されて階上にあがっていく。
「雰囲気いいわね」
「料理もけっこういいですよ」
とりあえずビールを飲む。
「うううううううう――うまい」
しばらくぶりに飲むビールはやはり身体に染み渡った。料理はマチコお姉さんにてきとうに選んでもらう。
「中西さんのお嬢様のことは、たいへん残念でした」
「仕方ないですよ。所詮のらくら者ですからね」
「でも、さっきの立ち居振る舞いなんて、ご立派でしたわ」
「あはははは。冷飯のくせに一人前面しててすごかったでしょ。でも、あの女将は昔から知ってるし、愛嬌もいいから大丈夫なんですよ」
「度胸あるのね」
「どうですかね。風呂場の窓にヤモリとか張り付いていると、低姿勢で接してますけどね、守護様守護様って、お世辞つかって」
「男は度胸、女はハマグリよ、三千世さん」
「ハハハ、ハマハマ、ハマグリですか? やっぱり」
「そうよ。これ、ご覧になって」
マチコお姉さんは写真を一枚さしだしてくる。
「ああ……」
「かわいいでしょ」
「はい――かわいいです……」
マチコお姉さんがこちらに見せてくれたお写真は、以前同士の山城さんが、
「裏に『天堂愛』って、サイン書いてありますよ」
とぼくに提供してくれた局部ドアップのものと、ほぼおなじ構図だった。
「こここ、これが、もしかして、松尾嘉代似の婦人のお写真なんですか?」
「いいえ」
「じゃあ、芦川いづみ似の?」
「いいえ」
「じゃあ……」
「眼の前にいる人よ」
「キャオ」
ぼくは思わず写真とマチコお姉さんを交互に見てしまった。
「三千世さんて、おもしろいわねぇ」
マチコお姉さんは燗酒をお酌してくれた。
「すみません」
やっぱり酒もうまかった。ビールもうまかった。あしたからまた禁酒生活にもどる予定だが、悩ましいかぎりである。
「はい、もうひとつ」
「すみません」
やはり酒はうまい。禁酒生活にたいする意志が若干ぐらつく。じっさい眼前もぐらぐらしてくる。ぼくはお湯で割った米焼酎を九合くらい飲むと、こんな感じでぐらついてくるのだが、大瓶のラガーを一本空けたとはいえ、まだそれほど日本酒は飲んでいるわけでもないのに今夜は必要以上にグラングランしているのであった。
「はい、もうひとつ」
「すみません。マチコお姉さんも、ひとつどうぞ」
ぼくは徳利をもって、ふらつきながらも酒を注ごうとする。ぼやけた視界の先には暗闇大臣がお猪口をかまえていた。




