関西合同練習会
初日の激しい練習から、しばらく経った五月。
黒瀬蓮司たち一年生は、大学に入学して初めての大きなイベントを迎えていた。
――関西合同練習会。
関西一円の大学から、数多くの拳法選手が一堂に集まる大規模な練習会。
普段はそれぞれの大学で練習している選手たちが、同じ場所で技術をぶつけ合う。
表向きは、あくまで合同練習。
しかし、その実態は違う。
ここは、各大学が自分たちの実力を示す場所でもある。
六月に控える関西大会。
その前哨戦とも言える一日だった。
「黒瀬」
電車の中で、相沢剛が声をかけてきた。
「神谷先輩は?」
「先に会場」
蓮司が答える。
「今日の合同練習会、学生側の運営にも入ってるみたいやから」
「へえ」
相沢が窓の外を見る。
「主将って大変だな」
その向かいでは、西川光輝が吊り革を掴みながら笑っていた。
「それより俺らやろ。初めて他大学の連中とやるんやで」
「楽しみか?」
蓮司が聞く。
「そらそうやろ」
西川は即答した。
「高校の頃とは、相手の数もレベルも全然違うんやからな」
相沢も頷く。
「俺も楽しみです」
三人の少し後ろには、三年生の東堂伊織と荒木豪志。
二年生の早川颯太と青木大地。
そして――
「…………」
窓際に座る鷹野隼人。
大南大学拳法部の絶対的エース。
今日もほとんど口を開かない。
蓮司はそんな鷹野を横目で見ながら、拳を握った。
大学に入ってから約一か月。
今日の合同練習会なら自分が今、どの位置にいるのか。
それが分かるかもしれない。
やがて電車が目的地へ到着した。
駅を出た瞬間。
遠くからでも分かるほど、大きな体育館が見えた。
「……デカいな」
相沢が呟く。
会場となる巨大な体育館。
その周囲には、すでに多くの大学の選手たちが集まっている。
道着姿。
ジャージ姿。
防具袋を肩に担いだ選手。
大学ごとに異なる色のウェアが、視界いっぱいに広がっていた。
「行くぞ」
鷹野が短く言う。
大南大学の一行は、体育館の中へ入った。
その瞬間――
「……!」
蓮司は立ち止まりそうになった。
広大なフロア一面に、何面もの練習スペースが設けられている。
そこには、すでに数え切れないほどの選手たちがいた。
「こんなにいるのか……」
西川が呟く。
何百人もの拳法選手。
それぞれの大学がまとまり、準備運動をしている。
大所帯の大学では、何十人もの選手が一糸乱れぬ動きで走っていた。
「一、二!」
「一、二!」
地鳴りのような掛け声が体育館全体に響く。
蓮司の胸が高鳴った。
これが――関西の大学拳法界。
高校時代とは、世界そのものが違う。
「大南はこっちや」
神谷の声が聞こえた。
振り返る。
スーツ姿の神谷大輔が、スタッフ用の腕章を着けて立っていた。
普段の道場とはまるで違う雰囲気だった。
「神谷先輩!」
相沢が声を上げる。
「おう。来たな」
「先輩、運営やるんですか?」
「今日はな。全体の進行やら大学間の調整やら、色々ある」
神谷は笑った。
「俺がおらんでも鷹野がおる。問題ないやろ?」
神谷はそれだけ言うと、すぐにスタッフのもとへ戻っていった。
蓮司はその背中を見送った。
主将として道場をまとめる神谷。
そして今日は、関西の大学を横断するイベントの運営側として動いている。
普段とは違う一面だった。
「俺らも行くぞ」
鷹野の声で、蓮司たちは大南大学の待機場所へ向かった。
大南大学の部員は、わずか九人。
今日来ているのは神谷を除く八人。
大所帯の大学と比べれば、明らかに少ない。
しかし――
「……あそこ、大南やろ?」
「人数少なっ」
「でも、あの鷹野がいるぞ」
周囲から声が聞こえてくる。
蓮司は自然と背筋を伸ばした。
人数が少ない。
だからこそ、一人ひとりが見られる。
「挨拶、しっかりしとけよ」
東堂が一年生に声をかける。
「はい!」
三人が揃って返事をした。
やがて全体練習が始まった。
基本の突き。
蹴り。
移動。
何百人もの選手が、一斉に動き始める。
ドンッ!
ドンッ!
ドンッ!
体育館中に、足音と掛け声が響く。
その中で――
蓮司の「眼」が動き始めた。
(……速い)
周囲を見渡す。
各大学の上級生たち。
一人ひとりの動きが違う。
足の運び。
腰の回転。
突きの伸び。
身体の軸。
蓮司は無意識のうちに、それらを観察していた。
高校時代から何度も繰り返してきた演武。
そして大南大学に入ってからの実戦練習。
その両方が、少しずつ蓮司の中で繋がり始めている。
(この人は速い)
(こっちは踏み込みが鋭い)
(あの人は……身体の軸が全然ぶれない)
何百人もの選手がいる。
それでも――
「見えない」
という感覚はなかった。
むしろ。
(もっと見たい)
蓮司はそう思った。
基本練習が終わる。
続いて、各コートでの技術交流が始まった。
大学ごとの垣根がなくなり、選手たちが次々と相手を探していく。
「黒瀬」
鷹野が声をかける。
「行ってこい」
「はい!」
蓮司は防具を着けた。
そして一人の選手と向かい合う。
相手は他大学の三年生。
体格は蓮司より一回り大きい。
「よろしく」
「よろしくお願いします!」
開始線へ立つ。
「始め!」
――ドンッ!
相手が一気に踏み込んできた。
速い。だが。
(……見える)
肩が動いた。
腰が沈む。
右足に体重が乗る。
そして――
上段突き。
シュッ!
拳が迫る。
蓮司は身体をわずかに傾けた。
紙一重。
拳が面の横を通り過ぎる。
その瞬間。
蓮司の身体が勝手に動いた。
一歩。
滑るような体捌き。
高校時代に何度も繰り返した演武の動き。
そして――
右拳。
バチィィン!
胴を捉えた。
「……!」
相手の動きが止まる。
周囲からも声が上がった。
「今の見た?」
「大南の一年か?」
蓮司はすぐに構え直した。
まだ終わっていない。
相手も驚いた表情を浮かべながら、再び構える。
その後の攻防の末相手の攻撃が当たることはなく蓮二の勝利となった。
「そこまで!」
蓮司は息を整えた。
周囲の視線が変わっている。
それが分かった。
「黒瀬!」
遠くから声がする。
早川だった。
「今の良かったぞ!」
黒木も頷いている。
蓮司は頷いた。
試合が終わり端で防具を外していると
「お疲れ!」
明るい声が聞こえた。
蓮司が振り返る。
そこにいたのは、淀川大学のジャージを着た同年代の男だった。
人懐っこい笑顔。
だが――
立ち方が違う。
蓮司は一瞬で分かった。
この男は強い。
「俺、鳴海晴臣。淀川大学の一年」
「黒瀬蓮司。大南大学」
「もちろん知ってるで。去年のインターハイ演武で4位取った香川の黒瀬や。」
鳴海は楽しそうに笑う。
「俺は立合でインターハイは出てたから知らへんやんな?」
「ごめん、、高校の時は立合あんまりみてなくて、、」
「せやろなぁ〜。俺も今演武上がりの同期から聞くまで知らへんかったもん。」
話していると女子のコートから、一人の女子選手が歩いてきた。
こちらも淀川大学のジャージ。
「関西大学一年の久我山澪っていいます!よろしく、黒瀬くん」
久我山は蓮司を見る。
「久我山さん。もちろん知ってるよ、去年のインターハイ演武女子の部、準優勝者」
その言葉に久我山が反応する。
「え!知ってくれてたんだ!嬉しい!これからは立合で切磋琢磨しようね!」
すると――
「おいおい!」
今度は体育館の反対側から、大きな声が飛んできた。
「なんやなんや! 面白そうなメンツで集まっとるやん!」
大声の男が近寄ってくる。
宗和大学のジャージ。
「高校の近畿大会以来やな!鳴海!」
「相変わらずでかい声やな。堂本」鳴海がめんどくさそうに呟く。
その後ろから、落ち着いた男が歩いてくる。
「堂本、うるさいって。
久しぶりだね。鳴海、久我山」
「あら玲央も宗和に行ったんだ。知らなかった。」と久我山が告げる。
ガハハと大声で笑いながら堂本が告げる。
「高校の時の和歌山代表の3人は全員宗和やぞ」
「え、神崎も?」久我山が顔をしかめながらいうと後ろから声が返ってきた。
「そ。また4年間頑張ろうね、久我山〜」
久我山の方にポンと手を置きまっすぐに蓮二を見つめる、女子選手。
「黒瀬君、初めまして。宗和大学一年、神崎灯里です。そっちのうるさいのが堂本虎徹で、こっちが柊木玲央です。」
「あ、初めまして。大南の黒瀬蓮二です。」
続いて別の大学から女子選手がやってくる。
「名神大学の椎名梓です。私も高校の時は立合だったからしらないよね」
そして――
「扇大学の御堂琴音です」
穏やかな雰囲気の女子選手が、静かに頭を下げる。
「よろしくね」
「よろしくお願いします」
蓮司の周囲に、自然と同年代の選手たちが集まっていく。
淀川大学。
宗和大学。
名神大学。
扇大学。
大学は違う。
戦う場所も違う。
それでも同じ一年生。
同じように大学の代表として、ここに来ている。
「なあ黒瀬」
鳴海が言った。
「六月の関西大会、出るんやろ?」
「うん」
「じゃあ、そこで勝負やな」
鳴海が手を差し出す。
蓮司も拳を握り返した。
「俺も負けるつもりはない」
「言うやん!」
鳴海が笑う。
その周囲で、堂本も笑っている。
久我山も。
神崎も。
椎名も。
御堂も。
それぞれが、それぞれの大学を背負っている。
そして――
少し離れた場所。
一人の男が、その輪を静かに見ていた。
国宝館大学のジャージ。
御影雄一。
去年のインターハイ立合の部の優勝者。
しかし、彼は輪の中へ入ろうとはしなかった。
鋭い視線だけが、蓮司たちを捉えている。
特に――
黒瀬蓮司。
相沢剛。
西川光輝。
三人の大南大学一年生。
「……大南」
御影が小さく呟いた。
そして、蓮司を見る。
「面白いのが入ったな」
誰にも聞こえない声だった。
やがて、鳴海が蓮司へ手を振る。
「黒瀬! 俺、次のメニューあるから戻るわ!」
鳴海は笑って走っていった。
蓮司はその背中を見送った。
――六月。
関西大会。
大学に入って、初めて迎える公式戦。
その舞台には、今日出会った選手たちがいる。
そして――
大南大学にも。
自分を待っている先輩たちがいる。
蓮司は拳を握った。
高校時代。
自分は演武の世界で戦ってきた。
しかし、大学では違う。
ここには、自分より強い選手がいくらでもいる。
そして。
その強さを知るたびに――
もっと強くなりたいと思える。
「黒瀬」
振り返る。
東堂だった。
「そろそろ戻るぞ」
「はい!」
蓮司は大南大学の待機場所へ戻っていく。
その背中を、東堂は一瞬だけ見つめた。
「……楽しそうになってきたな」
「何が?」
荒木が聞く。
東堂は笑う。
「黒瀬がや」
その頃。
本部席では、神谷大輔が忙しく動き回っていた。
だが、一瞬だけ手を止める。
神谷は小さく笑った。
「……ええ仲間を見つけたな」
まだ誰も知らない。
この日出会った選手たちが、これから何度も拳を交えることになることを。そして伝説を作ることを。
関西合同練習会。
それは黒瀬蓮司にとって――
大学拳法界で初めて、自分と同じ世代の強者たちを知った一日だった。
そして六月。
いよいよ――
本当の戦いが始まる。




