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ゆらゆら  作者: SHIN
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大南大学拳法部

大南大学拳法部


「失礼します!」

重い引き戸を静かに開け、黒瀬蓮司(くろせ れんじ)は声を張って武道場へ足を踏み入れた。

道場の中は、独特の熱気と木床の匂いで満ちていた。

静かだった。

広い武道場だというのに、そこにいる部員は決して多くない。


それが、大南大学拳法部だった。


「……少ないな」


思わず蓮司が呟く。


すると――


「せやろ?」


正面から声が飛んできた。


道着姿の男が、ゆっくりと歩いてくる。


四年生。


大南大学拳法部の主将、神谷大輔(かみや だいすけ)。


穏やかな表情をしているが、その立ち姿には隙がない。


「うちは昔から少数精鋭や。人数で勝負する部やない」


神谷はそう言って、蓮司の肩を軽く叩いた。


「黒瀬。待っとったぞ」


「はい!」


「これで一年が全員揃ったな」


神谷が振り返る。


その視線の先には、二人の新入生が立っていた。


一人は、がっしりとした体格の男。


もう一人は、少し緊張した様子を見せながらも、どこか楽しそうな笑みを浮かべている男だった。


「お前ら三人が、今年の大南の一年や」


神谷が手を叩く。


「まずは自己紹介からやな」


蓮司が一歩前へ出た。


「香川県の蒼嶺高校から来ました、黒瀬蓮司です。高校までは演武を中心に拳法をやっていました。よろしくお願いします」


続いて、がっしりとした男が頭を下げる。


「相沢剛です。高校まではキックボクシングをやっていました。拳法は初心者ですが、よろしくお願いします」


そして最後の一人が前へ出る。


「西川光輝。高校まで空手やってました」


西川が続けた。


「大南大学は少数精鋭って聞いてます。実戦形式もあるみたいやし、ここで自分がどこまで通用するんか試したくて来ました。よろしくお願いします!」


神谷が笑う。


「三人とも、ええ顔しとるな」


その時だった。


道場の奥から、一人の男が歩いてきた。


「主将」


低い声。


蓮司が振り返る。


そこにいたのは、もう一人の四年生。


鷹野隼人(たかの はやと)。


大南大学拳法部の絶対的エースだった。


無駄のない身体。


静かな目。


立っているだけなのに、他の部員とは明らかに違う圧力がある。


「こいつらが一年か」


鷹野が三人を見る。


「はい!」


西川が元気よく返事をする。


鷹野は三人を順番に見た。


そして、蓮司のところで視線を止める。


「演武出身か」


「はい」


「実戦は?」


蓮司は少しだけ言葉に詰まった。


「……ほとんど経験がありません」


鷹野はそれ以上何も言わなかった。


ただ一言。


「そうか」


そして道場の隅へ戻っていった。


蓮司はその背中を見つめる。


たった数秒の会話。全身に緊張が走った。


「あれが……大南のエース」


高校時代にも強い選手は何人も見てきた。


だが、鷹野は何かが違う。


神谷が笑う。


「気になるか?」


「……はい」


「そのうち嫌でも分かるわ」


神谷は楽しそうに笑った。


「うちのエースが、どれだけ化け物か」


「化け物って……」


西川が苦笑する。


すると鷹野が振り返った。


「聞こえてるぞ」


「す、すんません!」


道場に小さな笑いが起きる。


蓮司も思わず笑った。


その時――


「一年!」


神谷の声が響いた。


「まずは防具を着けてもらうで」


「はい!」


道場の隅に置かれていた防具袋を持ってきたのは、三年生の二人だった。


東堂伊織(とうどういおり)


荒木豪志(あらき ごうし)。


二人とも口数は少ない。


だが、三年生として十分な実力を持っていることは、その立ち姿だけでも伝わってきた。


「一年、よろしくな」


東堂が防具を置く。


「今日は遠慮せんからな」


「……はい!」


相沢が答える。


荒木は相沢を見て笑った。


「キックボクシングか」


「はい」


「重量級同士やな」


「お願いします」


その横では、二年生の二人が一年生を見ていた。


早川颯太(はやかわ そうた)。


青木大地(あおき だいち)。


「今年は三人か」


早川が言う。


「しかも全員タイプが違う」


「面白そうだな」


黒木が笑った。


これで、大南大学拳法部の全員が揃った。


四年生――神谷大輔、鷹野隼人。


三年生――東堂伊織、荒木豪志。


二年生――早川颯太、青木大地。


そして一年生――黒瀬蓮司、相沢剛、西川光輝。


たった九人。


しかし、その九人で大南大学拳法部は戦っている。


「よし」


神谷が手を叩いた。


「一年。防具着けろ」


蓮司たちは防具を手に取った。


面。


胴。


手具。


一つ一つ装着していく。


高校時代、演武の美しさを追求してきた蓮司にとって、防具の重さは新鮮だった。


これは演武ではない。


これから――相手と向かい合う。


それだけで、胸の奥が高鳴った。


隣を見る。


相沢は防具を着けながら肩を回している。


「いいな、これ」


完全に戦う準備が整った顔だった。


西川も面の紐を締める。


「早くやってみたいわ」


二人とも楽しそうだった。


蓮司は苦笑する。


「二人とも、緊張しないのか?」


「するわけないやろ」


西川が笑う。


「俺はこういうのをやりに来たんやから」


相沢も頷いた。


「俺もです」


その言葉に、蓮司は少しだけ羨ましさを感じた。


自分は違う。


楽しみよりも、不安のほうが大きい。


演武では、相手に攻撃されることはない。


決められた動きを、どこまで美しく、正確に見せられるか。


それが自分の世界だった。


だが、ここからは違う。


「よし!」


神谷が声を張る。


「最初は三年の東堂と荒木。」


そして一年生を見る。


「三人とも、今日は三年生とやってもらう」


「いきなりですか?」


西川が目を輝かせる。


「いきなりや」


神谷が笑う。


「大南はそういう部や」


「……分かりました!」


西川が構える。


最初の組み合わせは――


相沢剛対荒木豪志。


「構え!」


道場の空気が変わった。


「始め!」


ドンッ!


相沢が一気に前へ出た。


キックボクシング仕込みの鋭いジャブ。


続けて、重いローキック。


だが――


荒木は半歩下がった。


相沢の蹴りが空を切る。


次の瞬間。


荒木が斜め前へ踏み込んだ。


大南大学拳法部独特のフットワーク。


――大南ステップ。


巨体を滑らせるようにして距離を詰める。


「――!」


相沢が反応する。


しかし遅い。


荒木の突きが面を捉えた。


バチィィン!


「ぐっ!」


相沢の身体が大きく後ろへ下がる。


「相沢!」


西川が声を上げる。


だが相沢はすぐに構え直した。


「……なるほど」


口元が笑っている。


「面白い」


荒木も笑った。


「ええ目しとるやん」


続いて――


「次!」


西川が前へ出た。


相手は東堂。


「空手経験者か」


「はい!」


「どれくらいやれるか見せてみ」


「お願いします!」


「構え!」


二人が向かい合う。


「始め!」


西川の右拳が飛ぶ。


速い。


しかし東堂は身体をわずかにずらした。


そして、一気に距離を詰める。


「速っ……!」


西川が防御する。


東堂の連撃。


西川は必死に対応する。


だが、最後の一撃を受けて、身体が畳へ転がった。


「……っ!」


西川が起き上がる。


悔しそうな顔。


しかし――


笑っていた。


「これや……!」


東堂が首を傾げる。


「何が?」


「こういうのがやりたかったんです!」


西川は再び構えた。


その姿を見て、二年生の早川が笑う。


「面白い一年が入ったな」


そして――


「黒瀬!」


四年生の鷹野の声が響いた。


蓮司が顔を上げる。


「……はい!」


「次は俺が見てやる」


鷹野が畳へ歩み出る。


「え?」


神谷が笑った。


「おいおい、隼人。お前が一年の相手するんか?」


鷹野が蓮司を見る。


「演武出身の一年が、実戦でどこまで動けるのか」


蓮司の喉が鳴った。


相手は四年生。


しかも――


大南大学の絶対的エース。


「……お願いします」


蓮司も畳へ上がった。


「構え!」


蓮司は拳を握る。


鷹野は静かに構えた。


その瞬間。


蓮司は理解した。


まだ何もしていない。


それなのに、目の前に立っているだけで圧倒される。


「始め!」


次の瞬間――


鷹野の姿が消えた。


「――!」


上段への突き。


蓮司は反射的に身体をずらした。


シュッ!


拳が面の横を通り過ぎる。


「……!」


避けた。


蓮司の目が大きく開く。


高校時代、何千回、何万回と繰り返した演武。


その中で磨き上げてきた動体視力。


相手の肩。


腰。


足。


ほんのわずかな予備動作を読む力。


それが、ここで初めて実戦のために使われた。


「ほう」


鷹野の目が細くなる。


「今のを避けたか」


蓮司は一歩踏み込んだ。


右拳。


演武で磨き上げた、正確なフォーム。


その拳が――


わずかに鷹野の胴を捉えた。


「……!」


道場が静まり返った。


一年生が。


大南大学のエースに。


一撃を当てた。


「……今の」


神谷が呟く。


鷹野は自分の胴を見下ろした。


そして――


笑った。


「面白いな」


蓮司は息を呑む。


「でも」


鷹野が構える。


「ここからや」


「……!」


次の瞬間。


蓮司の視界から、鷹野の姿が消えた。


速い。


さっきとはまるで違う。


蓮司は必死に目で追う。


蓮司の体捌きが何度も攻撃をかわしていく。


だが――


少しずつ追い詰められる。


そして最後。


「――っ!」


ドンッ!


蓮司の身体が畳へ転がった。


「黒瀬!」


西川が叫ぶ。


蓮司はすぐに身体を起こした。


息が荒い。


全身に衝撃が残っている。


それでも――


蓮司の顔には笑みが浮かんでいた。


負けた。


完璧に負けた。


けれど。


一度、当てた。


自分の技術が、まったく通用しなかったわけではない。


「黒瀬」


鷹野が手を差し出す。


「悪くない」


蓮司はその手を掴んだ。


「ありがとうございます!」


鷹野は静かに頷いた。


「お前、実戦を覚えたら化けるかもしれんな」


その言葉に、蓮司の胸が熱くなる。


その様子を見ていた神谷が笑った。


「なるほどな」


神谷は一年生三人を見る。


キックボクシングの相沢。


空手の西川。


そして演武の黒瀬。


「今年の一年、ほんまに面白いわ」


相沢が拳を握る。


「俺も負けてられない」


西川も笑った。


「俺もや」


蓮司は二人を見る。


そして、自分の拳を握り直した。


高校まで、自分は演武の世界で戦ってきた。


だが――


大学では違う。


ここには、自分の知らない強さがある。


それを教えてくれる先輩たちがいる。


そして――


同じ場所で強くなろうとしている仲間がいる。


たった九人。


けれど、その九人が集まった大南大学拳法部には、確かな熱があった。


黒瀬蓮司の大学四年間。


その最初の一日が、こうして幕を開けた

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