219.アケルナルの妖精9
昴くんは湯船の中で頭を縁に乗せて浮いて微睡んでいたのを止めた。
お湯は今、塩分濃度3.5%比重1.03付近で地球の海に近い状態。
因みに沈まない湖として有名な死海は濃度比重共に海の10倍はあるらしい。
にわかに入ってきたアイリーンとレヴィには背を向けたまま話をしている。
「そうかい、ここが混浴になっているとはハッキリ聞いてはいないんだけどこのカラクリ温泉旅館の作りからすればそうかも知れないね」
「カラクリ温泉って何のことかしら」
「ほら見てごらんよこの浴槽に通じている扉が5つもあるよ、僕たちは右端からの2部屋だね」
「ここのご主人は各部屋にお風呂を作らないほど倹約家なのでしょうか」
「リビングも共用だったかしら」
「愛鈴はあそこをリビングって呼ぶんだね」
(何もないただ人工芝みたいなカーペットが敷かれているだけだったじゃないか、最初はやけに広くて壁が鏡張りだと思っていたけどこういう事だったんだよな)
「そんなところで突っ立ったまま話さないで入ってきたらどうなんだい」
「わあ、今日の昴くんはやけに積極的かしら」
(ふん、君たちを見さえしなければいいんだからなんてことはないさね)
「あっ、そうねあなた泳げないんでしょうレヴィに泳ぎ方を教われば良いのかしら」
アイリーンが負け惜しみみたいに言いながら縁に腰を下ろす気配がする。
この浴室には湯船以外何もないというよりか最初の玄関クローゼットに掛かっていた浴衣とバスタオル、畳部屋の布団以外何もない実はトイレットペーパーさえ備わっていなかった。
「湯船にタオルを持ち込むのはルール違反だよ、もちろんバスタオルもダメだからね」
「ちっ! わかってるわよ」
(ルール無用のって歌いたかったのに封じられたわ)
アイリーンはバスタオルを畳んで縁に置き足から静かに湯船に入る。
レヴィは早々に潜り込んでもうどこにいるのかわからない。
(このタイミングを狙っていたのさ)
昴くんの左側でアイリーンが湯船に完全に浸かったのを察知するとゆっくりと右を向きそのまま湯から上がり浴室を出た。
「あれー、昴くんはどこかしら?」
アイリーンが気づいた時には昴くんの姿はどこにもない。
「昴くんなら出て行かれましたわよ、それよりこれ海水ですわ」
お湯の中からレヴィが現れ両手でお湯を掬って見せる。
「へえ~、そうなのね」
あまり興味がなさそうに上の空で返事をした。
(昴くんが怒っていなければ良いんだけど、ちょっと無茶が過ぎちゃったかしらね)
アイリーンは浴槽の縁で両腕を組んでアゴを乗せてばた足を始める。
「何をしたらご機嫌になるかしらね」
レヴィは彼女に迂闊な返事をしたら後が大変になるのではないかと思い聞こえないふりをした。
「おはよう、それじゃあ行くよ」
朝の7時になってアイリーンとレヴィが待ち合わせ場所へ出てくると昴くんが待っている。
「朝ごはんを食べに行くで良いのよね」
今朝の出来事は何もなかったかの様にアイリーンが昴くんの腕を取った。
「何を食べるかもう決めたのかな」
食堂も並びにあるので直ぐ入る。
「ここのメニューにはうちの定番朝食がなかったのよね、それでさ和朝食の定番って言ったらやっぱり卵かけご飯とお味噌汁に納豆かしらね」
「わかったよ、和朝食で良いんだねレヴィはどうしますか」
「同じものを食べてみようと思いますわ、良い思い出にしたいですものね」
「良い思い出にならもう……その、ふたりともその服よく似合っているよ」
「本当かしら、お世辞でも嬉しいわ」
「ありがとうございます、お世辞なんかではありませんですわよね、それはそうと昴くんも服を購入されれば良かったと思いますわよ、いつも着たきり雀の宇宙服ですもの」
「ぼ、僕はこの宇宙服がお気に入りだからさ気にしないでおくれよ」
「ふん、あなたの魂胆は見え見えかしらね、それよりそのお腰に付けた瓶にはライちゃんが入ったままなのよね大丈夫かしら」
「僕には分からないけどどうなんだろう一度出して様子を見た方が良いのかなあ」
「おやめになったほうが宜しいと思いましてよ、彼方に『用事もないのに呼び出す悪いご主人』と思われるかも知れませんですわよ」
「それは嫌だなあ、出たくなったら合図をしてもらうことってできるかなあ」
「それでしたら瓶の栓を開けたままにしておかれるのはいかがでしょうか、自らお入りになったのですから出入りは自由にされていても問題はないかと思いましてよ」
「そうだよね、このままだと何だか閉じ込めているみたいで罪悪感に苛まれてしまいそうだよ、わかったよ開けておくね」
食事を済ませた三人はエレベーターを使って地上に出た。
「ここは終着駅だから南極でいいんだよね」
「南極なんて言うから寒いところだと思ってたのよね、寒くはないけど暗いわね照明の節約でもしてるのかしら」
「こちら側は全てドームで覆われてましたでしょう、ですからおそらくは気温も調整されてましてよ、照明は本当に暗いですわね、それにこれ、ここには悪霊に近い精霊が漂っていますわ」
「えーっ、そんなあ……悪霊退散悪霊退散!」
「悪霊に近い存在ですわよ、どちらかといえば可哀想な存在なのです」
「そんな訳ある訳ないかしら」
アイリーンが混乱している。
「どういう理屈でそうなるのか教えてくれますか」
「そうですわね、例えば私が身に纏っていたシーツは真っ白でしたでしょう、あれは少しでも汚れたら直ぐに落としていたからなんですよ、落とされた汚れや埃は消えてなくなる訳ではありませんですわよね、この星ではそれがここ南極に集まって来ているのだと思われますわ」
「いまいちピントこないなあ、もう少し分かりやすくお願いできますか」
「それならシーツを人の心に置き換えてみませんか」
「人が持つ心の汚れって言ったら私利私欲、暴飲暴食、唯我独尊みたいなものですかね」
アイリーンを見ながら言う。
「そこで何でうちを見るのよ、あなたいつもそんな目で見ていたのね悲しくて泣いてみたりするかしらね」
「そんなことはないよ、天真爛漫で自由気儘な天使みたいに思っているよ」
「あら、さっきの言葉はうちのことではなかったのかしらね、そうよねうちは……これは褒め言葉でいいのよね」
さすがのアイリーンも少し引っ掛かった様子。
「その通りだよ」
(私には『無邪気に我儘言い放題の堕天使だよ』と言う心の声が聞こえましたわよ)
レヴィが横目で昴くんを睨む。
「ああごめん話がそれてしまったね」
「ここでは精霊を生み出すために人々がお祈りを捧げているのでしょう、その人に心の汚れがあってはいけませんから払い落とします。ここにはその落とされた汚れが邪気となって集まって来ているのでしょう」
「ここが南極だからなんだね、確か星には磁力線があって地球では南極から北極へ流れているっていうんだけどこの星は逆なのかなあ」
「押し流されて来てるのかどうなのかは分かりませんけどここへ集まってきているのは確かな様ですわ」
「それが何で可哀想になるのかしら」
「本来なら人と一緒にあるべきものが引き剥がされて何もない場所で寂しく最後を迎えるのですよ」
「最後ってのはどういう意味かしら」
「ここで浄化されているんじゃないかな、そうしないと邪気が溢れ出てしまうと思うよ」
「いつ、どこで、誰が浄化してるのかしら」
アイリーンの語気が強くなり不機嫌になっているみたい。
「二人ともここでは意識を強く持っていなければ邪気に犯されてしまいますわよ」
「具体的にどうすればいいのですか」
実は昴くんもイライラが溜まってきていた。
「さっき仰っていたではないですか、天真爛漫で無邪気に振る舞う気持ちを持つのです、そうですね具体的に表現するなら昨日の綺麗な泉があるオアシスを思い返してくださいませんか」
「愛鈴昨日行ったオアシスの泉を覚えているかい」
「キレイだったかしら」
「帰りにも寄って今度は泳ごうよ」
「水着がないわ」
「裸のままでいいんじゃないかい」
「そしたらまたあなたはどこかに行ってしまうんでしょう」
「今度は僕も一緒だよレヴィもね、そうだレヴィの背中に乗せてもらおうよ、イルカに乗った少年みたいにさ」
「そうね人魚に乗った美少女なんて呼ばれたいかしら、カレンな姿が目に浮かぶかしらね」
「こんな暗い世界に居ても僕たちの心は輝いてるよね」
「そうようちの心から光が溢れ出ているの、回る回る宇宙は回る」
アイリーンが歌いながらくるくる回りだす。
『バカップルがいるぞ』
『邪気に飲み込まれそうにもないな』
『なんて陰りのない笑顔なんだ』
周囲を取り巻く闇の中からひそひそ声が聞こえたような気がする。
アイリーンにはそれが歓声に聞こえますます感情が高ぶっていった。
そうして彼女の体から光が輝く様に放たれ辺りを明るくしていく。
「凄いわ、邪気がみんな浄化されてるみたいですわよ」
レヴィが悲鳴じみた声を上げた。
「あっ、あそこに人が立っている、いやこっちに来てるみたいだね」
昴くんが明るくなった先の地平を指差して言う。




