ガルター会戦 その二
油樽が落下してきた。
また目の前で何人かの兵が炎に包まれていた。
「許せ!」
ムルラウは剣を抜いて彼らの首をはねると、奥歯をかみしめた。
ムルラウの至近に油樽が落下した。驚愕した馬が暴れてムルラウは地面に投げ出された。
背中を強打して、呼吸が詰まる。
一瞬意識が遠のいたが、すんでの所で意識を保った。
むせ返りながら呼吸を整え、激痛に耐えつつ上体を起こした。どこかを骨折している恐れもあったが、休んではいられない。
愛馬はどこかに行ってしまったらしい。
ムルラウは剣で体を支えながら立ち上がると、「落ち着け!」と叫びながら歩き出した。全身が悲鳴を上げている。脂汗と冷や汗が同時に吹き出した。再び意識が遠のきかけたが、歯を食いしばって耐えた。
「殿下! この馬をお使いください」
一人の騎士が、下馬してムルラウに自分の馬を差し出した。
「名は?」
「ケルナーソフ家の次男、デンディル!」
「覚えておく」
ムルラウは彼の馬に跨がると、さらに走った。
そのころ、ナインバッフ方面軍最右翼にいた騎兵部隊は混乱から回復しつつあった。騎兵部隊を指揮していた副伯と複数の部隊指揮官が倒れて指揮系統が乱れたが、その中でヴァル・ケルセリヌ・ピーレストという士爵が騎兵たちをまとめ上げることに成功した。
「ここに居ても的になるだけだ。我らで丘の向こうの投射機を破壊するのだ」
ケルセリヌが臨時の指揮官となり、右翼騎兵部隊は丘に向かって走り始めた。
「想像以上に敵は混乱していますね。投射機がこれほど効果的だったとは」
「たまたま、敵の指揮系統に直撃したのだろう。運が良かっただけだ」
その運すら、この公爵は味方に付けたのではないのか。
埒もないことを考えて、セルツァマイエはゾッとした。運をも操るなど、もはや神ではないか。
この公爵を、人は倒すことができるのか?
ムルラウは、前方で自軍の騎兵たちが敵に向かって機動するのを見た。丘の向こうの投射機を目指しているのは明白だった。であれば、後は彼らに任せるだけだ。
本陣に戻るために馬を反転させると、敵の騎兵がナインバッフ方面軍左翼に向かっているのが見えた。本陣にはレミターロック伯を残してあるから、ムルラウの不在はさほど問題にならない。だが、会戦を決するのは左翼になる可能性がある以上、早く戻らねばならない。
本陣のレミターロック伯は、予備兵力として本陣の後方に置いておいた二〇〇〇の歩兵を左翼に向かわせた。混乱が十分に収まっていない左翼が攻撃されれば、戦線が崩壊する可能性が高い。
同時に、新たな伝令を仕立てて左翼の各隊の下に走らせた。
敵投射機部隊の練度の高さは計算外だった。
丘の稜線にいる部隊が投射機部隊に距離や方角を伝えているのだろう。そして、油樽を的確な位置に、しかも間断なく投射してくる。
攻城戦用の兵器を目標が流動的な野戦に使ってくるとは……。
レミターロック伯は、戦い方が根本的に変わったことを思い知らされた。この時代遅れの老兵にできることは何か……。
「レミターロック伯、無事か!」
ムルラウが本陣に戻ってきた。髪は乱れ、外套や甲冑は汚れ、馬も変わっている。何があったのかはおおよそ想像できた。
「殿下、よくぞご無事で」
「左翼は持ちこたえられそうか?」
「殿下、私が直接左翼の指揮を執ります」
「貴公が? しかし……」
「これが最後のご奉公となりましょう。では御免!」
レミターロック伯は有無を言わせぬ目でムルラウの目を見つめた後、軽くほほ笑むと馬を左翼に向かって走らせた。その後ろをレミターロック伯の家臣たちが追う。
「レミターロック伯……」
ムルラウはレミターロック伯の後ろ姿をしばし見送っていたが、感傷に浸っている時間はなかった。心の中で別れを告げると、本陣の周辺を見回した。投射機に集中的に狙われたのか、陣形がボロボロになっている。
「中央がガタガタでは各隊の笑いものぞ! 直ちに隊列を再編せよ!」
このままで終わる訳にはいかない。敵に一矢報いなければならない。ムルラウは自らを鼓舞した。そうしていないと、落馬したときに強打した部分が痛んで姿勢を保っていることさえ困難だったのだ。兜の下で、脂汗が顔中に滲んでいた。
精神力で持ちこたえているが、落馬の際の衝撃で彼の内臓の幾つかが損傷し、出血していた。後頭部の打撲も脳に深刻な状態をもたらしていた。そもそも動ける体ではなかったのだ。
「中央軍を前に押し出せ。我らが動けば右翼と左翼も動く」
前に出る。ニークリット公国軍に近づきさえすれば投射機は使えなくなる。後は目の前の敵と戦うだけだ。
ナインバッフ方面軍が前進を開始した。隊列はふぞろいだったが、足取りはしっかりしている。
「ほう、あの状態から立て直したか」
ソルドマイエ二世は、ムルラウを侮っていたことについて心の中で謝罪して「ムルラウは手強い敵である」と再定義した。
「いったん退いた上で再編するかと思いましたが、前進してくるとは」
セルツァマイエの感嘆を聞きながら、ソルドマイエ二世は敵の右翼から左翼まで順番に眺めた。
敵の左翼はエグバーレントとの交戦状態に入った。敵本陣の後方に配置されていた予備兵力も左翼に移動している。こちらもヘゲデイン麾下の傭兵たちが敵左翼に向かって動いている。
「我が本隊は、敵左翼と中央の間を突破して分断する。前進用意」
左翼と中央の間?
セルツァマイエには、そこを狙った真意が分からない。
セルツァマイエの視線に気付いたソルドマイエ二世は、「あそこが弱いと感じた、としか言いようがない。理屈ではないのだ」と言って立ち上がった。
「公爵までお出になる必要はないでしょう。本陣で督戦あれ」
「大公の粘り強さを見ただろう。油断すると足をすくわれるぞ」
ナインバッフ方面軍左翼の騎兵は、混乱が十分に収まらないうちにニークリット公国軍騎兵の攻撃を受けてしまった。部隊の中央を突破され、続けてヘゲデインらの傭兵部隊に襲撃されて討ち減らされていった。騎兵の持ち味は機動力と突撃力である。複数の歩兵に取り囲まれてしまうと騎兵として機能できず、前後から槍で突かれて落馬するのみであった。
左翼に到着したレミターロック伯が見たのは、騎兵たちが歩兵に討ち取られ、歩兵の包囲を逃れた騎兵をエグバーレント麾下のニークリット公国軍騎兵が追撃している光景だった。
「私に続け!」
と叫ぶや、レミターロック伯は家臣らと共にニークリット公国軍騎兵の側面に突入した。突然現れた新手にエグバーレントは驚いたが、慌てることなくそのままの勢いで走り続けた。反転して反撃するよりも、まずは距離を取ることを優先したのである。
乱戦に持ち込もうとしたレミターロック伯は、当てが外れて苦笑した。だが、取りあえず自軍の歩兵たちから引き離すことはできた。このまま、予備兵力の二〇〇〇がここに到着するまで時間を稼ぐことにした。
だが、エグバーレントはさらに狡猾だった。レミターロック伯隊から逃げるふりをして、敵騎兵をヘゲデインらの前に誘導したのである。
「ヘゲデイン、やれ!」
エグバーレントが命じると、ヘゲデインらの傭兵は何かを投げた。それは、地面に落ちると砕けて周りに炎をまき散らした。
「油壺か!?」
傭兵たちが投げたのは、直径一五セル程度の小型の壺だった。大した威力はないが、目の前で炎が上がれば馬は驚く。驚いた馬たちは前足を跳ね上げて立ち上がったり急に走り出したりして人間を振り落とした。
レミターロック伯も愛馬に振り落とされて地面にたたきつけられた。彼は自分の体から嫌な音がするのを聞いた。右半身が動かない。視界が暗くなり、全ての音が遠くに聞こえる……。どれくらい意識を失っていたのか。次に感じたのは激痛だった。
彼は冷静に自分の体の状態を探った。鎖骨と肋骨が折れている。右肘も破壊されているようだ。一応動く左腕をばたつかせて、仰向けになった。折れた肋骨が肺に刺さったのか、血が湧き上がってきた。耐え切れず口から吐き出した。
一人の男が近づいてきて、上から見下ろしている。「実に卑しい顔だ」とレミターロック伯は思った。
「あんた、結構なご身分っぽいな」
レミターロック伯は何か皮肉の一つも言ってやろうと思ったが、喉から口にかけて血で塞がっていて声が出ない。
男は、レミターロック伯の甲冑に描かれた紋章を見ているらしい。
「こりゃ驚いた。伯爵様か」。そう言って、彼はげらげらと笑い出した。
「捕虜にして身代金を取りてえところだが、あんたもう助からねえな。死体じゃ身代金は取れねえ。なら首でも頂いとくとするか」
男は全く躊躇するそぶりもなく、剣をレミターロック伯の甲冑の隙間に突き入れて彼の首を切り落とした。




