ガルター会戦 その三
ニークリット公国軍の投射機に向かっていたナインバッフ方面軍右翼の騎兵たちは、丘の稜線を越えて投射機を視界に捉えた。一〇基の投射機から、油樽が次々に撃ち出されていた。
投射機の護衛のためにニークリット公国軍の左翼が進出してきたが、数は多くない。投射機を操作している兵たちを殺せば投射は止まると踏んだケルセリヌは、一気に攻め込むことにした。
丘を駆け降りて中腹まで来た瞬間、ケルセリヌは自分の体に響き続けていた蹄の音と震動が途切れたのを感じた。
「何……」
下を見た。
地面が、ない。
宙を飛んでいた。
後ろを振り返ると、他の士爵たちが驚愕や恐怖を顔に浮かべて何か叫んでいるのが見えた。
なぜか、声は聞こえなかった。
前に向き直ると、敵兵たちが笑っているのが見えた。
周りの全てがゆっくりと動いているように感じた。
「ああ、そうか……」
丘が大きくえぐれていた。だが、上からではそれが見えなかった。そこに全速力で飛び込んでしまったのだと悟った。
愛馬の首を右手でさすった。
「今まで、よくやってくれた」
愛馬が振り向いて、甘えるような声を出したので、もう一度首をさすってから、優しくたたいた。
「大公殿下、お役に立てませんでした――」
騎兵たちは丘の中腹にあった崖に全速で飛び込み、全滅した。崖を踏み外してから地面にたたきつけられるまで、ほんの一瞬の出来事だった。彼らは崖から転落したことに気付く間も与えられなかっただろう。
ついに動き出したニークリット公国軍を見て、ムルラウは笑った。
「やっと動き出したか!」
ムルラウは前進しながら周りに指示を出し、虫食い状態の戦列を整えていった。本来ならば移動しながらできるようなことではない。だが、彼は成功しつつあった。
「セファーロスは居るか?」
「殿下、御前に」
「中央と左翼の連携が悪い。貴公が行って指揮を執れ」
「御意」
ムルラウの家臣ヴァル・セファーロス・ガルベレンは、左翼の本陣側を指揮するために本陣から離れた。
「パルトワイトは中央の前衛を指揮せよ」
「御意」
同じくムルラウに仕えているヴァル・パルトワイト・フォルワイトも前線指揮官として前に出た。
ムルラウは馬に揺られながら左右を見渡した。ひとまずやれる限りのことはやった。後はニークリット公の首を挙げるだけだ。
自軍の左翼は既にニークリット公国軍と交戦状態に入っている。かなりの損害を出しているようだが、左翼に攻撃を仕掛けている敵軍の数は多くない。あの敵軍は左翼の左側に任せて、中央と右翼、左翼の本陣側は敵本隊に向かった。
ついに彼我の距離は五〇メルを切った。
「よし、全軍突撃!」
いまだ、兵力ではナインバッフ方面軍の方が上回っている。敵の主力を包囲できれば勝ち目はある。だが、多数の前線指揮官を失ったナインバッフ方面軍は、各部隊の動きが悪かった。右翼はニークリット公国軍の側面に展開することもなく、正面から戦うだけだった。
「大公の指揮は見事だが、手足が伴っていないようだな」
ソルドマイエ二世は悲しげにため息をつくと、「私に続け」と短く命じて馬を走らせた。その周りを歩兵と騎乗した側近、セルツァマイエらが固めている。
目標は敵中央と左翼の結合部の「中央側」だった。ニークリット公国軍主力が戦力を集中したその場所は指揮官が不在で、左右の動きに引きずられるように動いているだけである。そのためニークリット公国軍にあっさりと中央突破を許してしまった。
突破されたナインバッフ方面軍は浮き足立ち、そこにさらにニークリット公国軍が押し込んできた。動揺は左右に広がり、左翼の右側を指揮していたセファーロスは横からニークリット公国軍兵に襲われて討ち死にした。
中央突破を果たしたニークリット公国軍は、ナインバッフ方面軍の背後に出ると左右に展開した。後世に語り継がれることになる、見事な中央突破・背面展開の完成である。
前後と左から攻撃されることになったナインバッフ方面軍中央は、もはや戦闘集団の体を成していなかった。ムルラウは必死に統率を図ったが、逃げ惑う兵たちをとどめるすべはない。それでも自身は逃げずに戦場にとどまり、ソルドマイエ二世の姿を求めた。
「敗北は是非もなし。ならばせめてソルドマイエ二世と差し違えよう」
この乱戦の中で求める相手と出会う可能性はないに等しい。そもそもソルドマイエ二世は本陣にとどまっているかもしれない。だが、ムルラウの視線がソルドマイエ二世を捉えた。わずか数歩の距離に居た。
「ニークリット公!」
ソルドマイエ二世は驚いた顔をした。実際、驚いていた。そのために、初動がわずかに遅れた。
ムルラウはソルドマイエ二世に向かって強引に馬を近づけて、大剣を振り上げた。ソルドマイエ二世の馬は方向転換を終えたばかりで重心が安定しておらず、避ける動作に入れない。
セルツァマイエもその光景を見ていたが、ソルドマイエ二世とセルツァマイエの間には複数の兵が居て近づくことすらできなかった。
「!!」
ムルラウが、ずるずると馬から落下した。
脇腹に一本の槍が突き立てられている。手にした大剣を振り下ろす直前に、ニークリット公国軍の歩兵によって止められたのだ。
周りにいた全員が、戦うことを忘れてムルラウを見つめた。ムルラウとソルドマイエ二世を中心とした円が徐々に広がり、戦場から戦いの喧騒が消えていった。
静寂――。
誰も動かない。
いや、ムルラウだけが、両手で地面をつかみ、傷付いた体を地面にこすりつけながら前進している。
ソルドマイエ二世に近づこうとしている。
ソルドマイエ二世を睨み、まだ戦おうとしている。
「いいかげん、止まれよこの野郎」
ヘゲデインがムルラウの頭をつかんで地面にたたきつけた。それを見たソルドマイエ二世が、ヘゲデインの顔面を剣の鞘で殴り飛ばした。
「大公殿下に触れるな下郎!」
ヘゲデインは二メルほど吹き飛んだ。
ソルドマイエ二世はひざまずくとムルラウの頭を膝の上に乗せて、彼の顔に付いた土を払って髪を整えた。
「殿下、戦いは終わりましてございます」
「……そうか。無念だが是非もなし」
ムルラウは、ほほ笑んで空を見上げた。
「ニークリット公に……三つ要求がある。聞いてくれるか」
「私にできることであれば」
「家臣たちを……見逃してほしい」
「殿下のご家臣には、殿下を帝都にお連れいただく」
「兄に伝えてほしい。ケルナーソフ家の……デンディルに馬を借りた。その忠義に報いてやってくれと」
「心得ました」
「最後に……」
「はい」
「降伏せよ」
「それは……承知致しかねます」
「であろうな」
ムルラウは笑うと、ゆっくりと目を閉じた。その目が開くことは二度となかった。
脇腹の負傷は深手ではなかった。落馬した時点で動かせなくなっていたはずの体が、ついに機能しなくなったのだ。
ソルドマイエ二世はムルラウを静かに膝から下ろすと、近くに居たムルラウの旗手を呼び、大公旗を自ら外してムルラウにかけた。
「皇帝軍よ! 大公殿下のご遺体は諸君に委ねる」
三月一八日、ガルター会戦は終わった。
太陽は西の地平に沈みつつあった。




