-1.〔二度寝を愛する少女は、方位磁針無き才能に悩む〕“イラスト≪パウロン≫”
※ ※ ※
王聖ルミナリアの心臓部、王都セレスティア。
暗黒神の復活その騒動から一週間。
王都は、今、静かな混乱の中にあった。
一週間前、空を覆った暗黒神の煤は風に流され消えた。が、崩れた鐘塔と広場に開いた穴は今も爪痕として残ったまま。
街の人々は、救世の奇跡を起こして消えた“聖女”の行方を求めて、めくれ上がった石畳の前で祈る。
その祈りが街道を外れ馬の嘶きさえ届かないほど深い森の、奥地にまで届いているかどうかは、さておき。
鬱蒼とした自然の中に一軒の小さな家がある。
古びて、ひっそりと佇む粗末な小屋。
どこにでもある、あるいは時代に見捨てられた何処にもない、平凡以下の木の扉。
しかしその向こう側には、世界から切り離された“魔法使いの箱庭”が広がっている。
吹き抜ける風は外界の、どんな匂いも含まない。
空はただただ青く、どこまでもだだっ広い草原の異空間。平穏と流れる時の静けさ。
その静寂を破ったのは、聖女の祈りでも、魔法使いの詠唱でも、なく。
「…………ふわぁ。……あー、よく寝た」
二度寝を満喫し、全力で弛緩した一人の少女の、身も蓋もない欠伸だった。
異空間に在るパウロンの家の二階、使い古されているが清潔なベッドの上。
日常の装いを脱ぎ捨て、動きやすさだけを追求したローブに身を包んだリーゼ――元Vチューバー・大沢カナは、盛大な欠伸とともに、およそ信仰心の欠片も感じらぬ格好、で背中を丸めていた。
彼女にとっての“世界の終わり”その危機は一週間前に回避された。
そうして今、少女の目の前にあるのは、救済すべき未来などではなく、もっと切実で、もっと人としての根源的な――“悩み”――である。
「……お腹、空いた。パン食べたい……」
未だ重い瞼をこすりながら、ふらふらとリーゼはベッドから立ち上がり、窓辺に歩み寄る。古い木の窓枠、謎の陽光を反射して波打つ草原、どこまでも澄んだ完璧な青空。
視線を地上に落とすと、そこには見覚えのある、少年の姿。
伝統芸にすら思える古風な、魔法使いの装い。
とんがり帽子、緑色のフード付きマント、長いローブ、長い杖。
自称・偉大な賢者を口にする阿呆使いことパウロン・ヴィンテージが、何やら庭先で妙な動きをしている。
杖を振り回しているのか、それとも謎の体操でもしているのか?
傍からは、ただただ美少年が、謎にハシャいでいるようにしか見えない。
――中身は千年以上生きているボケた爺なのに。
「……朝から元気ね、あの百点満点の不審者」
と、リーゼは小さく溜息をつく。そしてパウロンの家にあった古い、けれど動きやすい聖女のローブに手を伸ばす。
かつて着せられていた、金の刺繍を凝らした動きにくい正装とは違う。
軽くて、機能的で、今の自分には分不相応でも馴染む一着だ。
“私は聖女を辞める”とは、言ったものの。長らく付き合っていた感覚とおさらばするには、少し時間が掛かりそうに思う。
――さて。
寝癖でボサボサのプラチナブロンドの髪に魔力を流し、強引に整える。
次いで、空腹という最大の悩みを解決すべく、――部屋の扉を開けた。
…
ギィ、ギィ、と古びた木の階段がリーゼの足取りに合わせて頼りない悲鳴を上げる。
一階へと続く吹き抜けには、年月と魔法使いが堆積させた埃やガラクタが棚や階段の上にまで溢れ出し。
生活感があるような、あるいは歴史をゴミとして積み上げたような、そんな奇妙な空間が家の中至る所で家主の性格をあらわにしている。
階段を下りきり、リーゼは台所へと向かう。
そしてキッチンの台に置かれていた、皿とも言えない木の板にパンという名の硬い保存食――を一つ、手に取る。
「……これがクロワッサンならね」
ボヤきながら、その硬い塊を一口齧る。案の定、口の中に広がる小麦の風味を通り越した感情が無になる味。
背に腹はかえられない。と咀嚼しながら、リーゼは腰に手を当てる。
そこには、着替えた際にパウロンから適当に放り投げられて渡された、古臭いデザインのポーチがぶら下がっていた。
暗黒神との戦いでボロボロになった以前の服を脱ぎ捨てる際「マントを返さんか」と言うパウロンに「なら、他に着る服をよこしなさいよ」と言った事で、家主が奥から引っ張り出してきたのが、今着ている物とポーチ。
「誰のかは知らんが、ワシの家にあるのならワシの物じゃ」
そんなご本人らしい言葉と共に私の新しい塗装は古めかしい聖女の出で立ちに袖を通す。
何故、聖女と分かるかって?
それは――聖女の出自、に関する背景。要するに、以前着ていた物と同じ由緒を象徴的に示すマークが施されていたのだ。
まぁ家紋みたいなモノと思えば分かりやすい。
いつ、だれの、までは精確に分からないが。とにかく、パウロンが持ってきた服は少なくとも私の時代よりは前の聖女が着ていた物、という訳だ。
そしてポーチの方。
外側の見た目こそ古い革製だが、中身は外見以上に物が入る、いわゆる拡張ポーチの類。今や一般的に流通している物と同等の機能。だが、デザインの化石っぷりを見るに、これもまたパウロンが忘れていた遺物の一つなのだろうと、思う。
現時点での私の財産はこれで全て。いや、――ポーチの中にある“あの瓶”を除けば。手に持っている岩石なパンのみ……。
私はもう一度、今度は深く溜息をつき。顎の痛みに耐えながら、――玄関の重い扉を押し開けた。
開けた扉の隙間から、手加減を知らない眩しい光が差し込む。
目を細めながら一歩外へ踏み出すと、そこには異空間特有の、静かな風と草の匂い。
数メートル先。
家の前の地面に、緑のマントを丸めて直接座り込んでいる背中があった。
少し近づき、リーゼは最後の岩石を咀嚼しながら飲み込み。――背後から声をかける。
「――何やってるの?」
返事がない。
まさか本当にただのアンデッドになってしまったのか。
なんて冗談はさすがに言わない。
パウロンは肩を楽しそうに揺らし、何かに取り憑かれた様子で、地面に置いた“何か”を捏ね回している。
しかし、無視されたコトには少しイラッとしたリーゼ。
無我夢中――彼の、前へ回り込むように歩を進める。
そして見る、パウロンの手元には、どこから持ってきたのか、まんま土の色をした粘土の様な、塊。
ソレを、繊細というにはあまりに力任せな動きで、けれども確かな形へと導いている。
時折「むむっ」とか「こうかのゥ」と、小声で呟きながら。
少年の指先が泥にまみれて、動く。
自分に対する反応がない、事にしびれをきらし。更にリーゼが覗き込もうと腰を屈める、その瞬間。
「っほ、ついにッ我が熱望が形と成る日が来たのだーッ!」
パウロンの両手が勢いよく、覆い被せていた物から広がる。
その手が取り囲っていた地面、座り込んでいる股の間、粘土で形作られた“太く短めの何か”が、不気味に鎮座している。
突然の発言、その熱量、同時に起きた事柄で気後れしてしまったリーゼ。
思わず、何が……? と言いかけた時、パウロンの薄い銀をした瞳がようやく目の前の存在に気づき、鳩が豆鉄砲を食った様な顔をする。
「う、うおわわああッ? 小、小娘! いつからそこにおったんじゃ! ワシの背後を取るとは、オマエ、さては暗殺者の類じゃったんかっ?」
「……冗談きついわね。あと、堂々と正面に居るじゃない……」
「ほ、」
「それより、何よこれ」
リーゼは指差す。
子供が作ったにしても、面白みのない。のっぺりと太くて短い、ヘビ状の“何か”を。
怪訝そうに眉を寄せる相手に、緑の魔法使いは待ってましたと言わんばかり、泥だらけの胸を張った。
「ふっふっふ、これぞ小娘がいつぞや話しておった、伝説の霊獣“土の子”じゃ! 忘れたとは言わせんぞ!」
「……伝説の、霊獣……?」
リーゼの脳裏に、数日前の会話がフラッシュバックする。
だとしても、いつの間にそんな格付けになったのか。
というか――。
「――ただの、土の塊じゃない……」
「見ておれ」
そう言って、パウロンが傍らにあった杖を手に持ち、軽くのっぺりとした粘土の塊を先端の方で叩く。
次の瞬間、粘土がウネッと身悶えした。
ただの土の塊だと思っていたものが、まるで呼吸をしているかのように脈打ち、生き物らしいヌルリとした動きで、草の上を這い始める。
「ちょ、ちょっと! 動いたわよッ?」
「ワシの類まれなる想像力と、秘術を注ぎ込んで生み出した傑作じゃからの」
「ェ。……そんなコト出来たの?」
「出来たみたいじゃのゥ」
どこか引っかかる物言い。
しかし、今は、それよりも。
「ねぇ、コレはこの後、どうなるの……?」
「決まっておる。……腰掛けじゃな」
「こしかけ……?」
「素が土じゃからの、形状などは環境である程度自由に変えれるのじゃ」
見れば、確かにツチノコの表面には先ほどまで無かった草が増えて、毛の様に並びはじめている。
「面白いじゃろ?」
「……そうね」
なんて――才能の無駄遣いなんだ。
「カッカッカ、こそばゆいのゥー」




