-2.〔方位を失くした魔法使いと、再始動する心配事〕“イラスト≪リーゼ≫”
異空間の柔らかな光も浴びて、パウロンは実にご機嫌に見える。
彼の下では、先ほどまでただの粘土だったツチノコが、周囲の土を磁石のように吸い寄せて補強した腰掛けの形を成している。
急造の椅子の表面は、巻き込まれた瑞々しい青草が数本、意図せぬ装飾として混じっているが、特に気にはしていない様子……。
「ほっほ、やはり道具は自給自足じゃのゥー」
お気に入りの杖を膝の辺りを支えに肩で立てかけ、少年の顔で満足げにする魔法使い。
その傍らで、まだ少し顎に残る重みを心でさすりながら、リーゼは視線を静かに落とす。
――平和だ。
あまりに平和すぎて、脳が溶けそうになる。
たった一週間前。
王都セレスティアの空を埋め尽くす暗雲を見上げていたのに……。
死を覚悟したあの瞬間から、どうして今、自分は異世界の森の奥地にて粘土の椅子に座るボケた美少年を眺めているのだろう。
前世の反省を踏まえ、始めた異世界での暮らし。聖女としての成功と、他者の嫉妬心から生まれた平和な時代の転落劇。
挙句暗殺されそうになった事で王城、王都から逃走し――パウロンと出会った。
……まぁ、当初は人の姿ではなかったが、結果として自分は助かった。
転生者である私の知識は、自称賢者が追いかけていた理想の為に必要で。身の置き場と引き換えに情報を提供する関係性となり、この箱庭で生活を共にする事となる。
そして、一週間前の騒動にも繋がるのだけど……。
「じゃっかんケツが痛いのゥ……、おい土の子よ。もう少し軟らかくはなれんのか?」
痛いって。アンタ不老不死でしょ――。
とは思うものの。
実はパウロンの不死にもいろいろと機能がある。
概ねは、前世の知識を持つ自分の情報と似通う。が、心に掛けておく部分としては、主に痛覚の有無、ではなく、度合いだ。
パウロンの身体は不老であり不死、つまり死なない。けれど痛みはある――と本人が断言した、けど。
なら暗黒神の直撃を受けて平然としていた、アレは……?
不老不死曰く「痛いには痛いが、ほら、アレじゃ。興奮しておると、痛みが、減るじゃろ? そういうコトじゃ」
何がそういうコトなのかと聞き返したくはなったが、本人のアドレナリンがどれほど分泌されていたかなんて、言われたところで共感しようもない。尚且つ、痛みは一旦ソレとしても、損傷は……?
これに関しては当人すらも確かな理解がない様子で。私の仮説は、自覚のあるなしとは別にパウロン自身が、異常という考察だ。
彼は肉体そのものが若いまま、常に全盛期を維持している。半面で精神は生きた分だけ老いた。今回の事でも、それが原因で困難な状況を作り出したと言っていい……。
もしも最初から、あの、凄まじい力を自由に行使できていたら。世界滅亡の危機など、感じるよりも先に絶望の方から消滅していた、だろう――。
――本当に、貴方は一体、何モノなの……?
「それにしても、魔法とは便利なものじゃのー」
聖女の名を捨て、行き着いた先が、この方位を失くした魔法使いだなんて。
私は絶対に、そんな平和は――認めない。
改めて自分の腰にぶら下がる古いポーチの感触を確かめる。
中にある硝子の瓶、その記憶にある重みだけが、あの日から始まった私の理想を夢ではないと、教えてくれている。
「……なに言ってんのよ、自分で作ったんでしょ……」
するとパウロンが椅子の上でひょいと首を傾げる。
その顔も、まるで魂がどこか遠くへピクニックにでも出かけてしまったかのような、なんとも気の抜けた、空っぽな表情だった。
「……む? そうじゃったかの? もう忘れてしもうたわ。てっきりこの椅子は最初からここに生えておったものかと思ったわィ……」
「――ハ?」
思考が停止し、脳内に無数の“ハテナ”が浮かび上がる。
「ちょっと、さっきまで「我が熱望が形になる」とか「傑作じゃ」とか言って、泥も捏ね回してたじゃない。あんなにドヤ顔してたのに、忘れるとかある……?」
「ふむ。座り心地が良いとのゥ、つい過去の些事はどうでもよくなってのー」
悪びれる感じすらなく、そう言って、ツチノコの椅子側面をポンポンと叩く。叩かれた伝説の霊獣も、主人の物忘れに抗議するでもなく、快適な硬さを維持し続けることに専念して、穏やかな時の流れは――何も変わらない。
「過去の些事って、何で、……一体記憶を、どこに置いてきたのよ……」
リーゼは深く、今日も何度目か分からない溜息を吐く。
「まあ、よいではないか。便利なものがここにある、という結果だけが全てじゃ。それにの、時間という既成概念にとらわれていては、持たなくていい記憶すらも忘れることが出来なくなるんじゃ。気楽、イズ・ナンバーワンじゃ」
――ナンバーワン。改めて感じる、この違和感。に――。
「――ねぇ、何で、その言葉を知ってるの?」
そして、記憶すらも風に流してしまう、阿呆使いの表情。
ぁ、駄目だ、このボケん者。
自分で勝手に決めた事だが、真剣に歩む未来を考え直す時、かもしれない。
「ところでリーゼ、いや小娘よ」
「そこはリーゼで良いでしょ……。で、何?」
「何か、忘れてはおらんか?」
パウロンの薄銀色の瞳が、スッと細められる。
何か。とは、あの瓶のこと……? それとも、別の。
リーゼの背中で、冷たい汗が流れる。
千年以上生きた者の、底知れない無言の尋問。
しかし、今後の事を考えれば、勝たなければならない。
「……なによ、忘れてるって……?」
魔法使いがゆっくりと、自身に立てかけていた杖を――リーゼの鼻先に突きつける。
「とぼけても無駄じゃぞ、小娘。……ワシとの約束を、忘れたとは、言わせんからのゥ」
思わず唾を飲み込み。薄銀色の眼差しが、発する――次の言葉を待つ。
「ビッグフットじゃ」
「…………は? ビッグ、……何?」
あまりに斜め上すぎた回答に、リーゼの思考回路はショートする。
鼻先に突きつけられた杖が、パウロンの興奮に合わせて小刻みに震えている。
「白々しいぞ! 深い山に住まうという、毛むくじゃらの巨大な猿人――ビッグフット、オマエがそう口にした、ワシは一瞬たりとて忘れてはおらんぞィ!」
いや、そうではなくて――。
「――……覚えていたの?」
若干脚色はしつつも、一週間前、約束というよりは謝礼の観点から伝えた。前世での未確認生物、――の話を。
「あたりまえじゃ! あんなにワクワクする話を、簡単に忘れられるはずがなかろうッ。土の子の次は、ビッグフット。そう決めておったんじゃっ」
そんな事情まではさすがに知らない、が。
パウロンが座っている“霊獣”へと視線を向ける。
数分前に自分で作ったことすら忘れる記憶力が、数日前の話を違わず覚えているという矛盾……。
「アンタ、さっき自分で作った椅子は“最初から生えていた”とか言ってたのに、なんでそっちは忘れて、ビッグフットは覚えてるのよ……」
「ふむ。それはの、ロマンこそこの世の“真理”だからじゃ」
「なによその道理は……」
シリアスな考察をしていた己の顔を覆いたくなる程、自分が馬鹿らしい。
きっと、一週間前の約束も、そうなった理由は、おそらく忘れているのだろう……。
「――ごちゃごちゃ言わず、はやく先日の続きを話さんか」
彼にとっては外の世界の存亡が、本当にどうでもいい話。として処理されたのか、心底聞くのが、コワい……。
「……で。何が知りたいのよ? この前、大体の事は話したでしょ」
自分が半眼で問い返すと、パウロンは待ってましたと言わんばかりに杖を下ろし身を乗り出して。その薄銀色の瞳を、まるで宝箱を見つけた子供のようにキラキラと、いや、ギラギラと輝かせる。
「そんなものは決まっておる! 大事なのは、ソヤツが“実在”するかどうか、その一点じゃ!」
「実在……。だから、私が居た場所でも目撃談だけで。未確認生物だって言ったでしょ」
「目撃談があるという事はじゃ、ソコに概念が生まれたというコトじゃ。問題は、この世界に、ソヤツの席が用意されておるか、どうかじゃ」
「……――どういうコト?」
するとパウロンが杖の石突きで、コンコンと椅子を叩く。
「つまりはじゃ、ワシが“おる”と決め、理を形作れば、それは実在へと変わるのじゃ」
「ちょっと待って。まさか、ビッグフットまで、作る気じゃないでしょうね……?」
「そのまさかじゃ。っほ、まずは情報の精度を上げねばならん。小娘の記憶にある一番確かな姿を吐き出すのじゃ。――足跡の深さ、鳴き声、……そして何より毛むくじゃらの見た目じゃな」
純粋すぎると恐ろしいのが好奇心。
しかし逆説で解けば、ソレは新しい行動を促す、エネルギーの源となる。
「駄目よ」
「ほェ? ――な、それでは約束がっ、」
すっと人差し指を、魔法使いの前に立てる。
「勘違いしないで。ビッグフットの話をするっていう約束自体は、もう果たしたわ。だから、実在させる手伝いをしろって言うのなら、有料。もしくは同等の対価をちょうだい」
「……対価? なんじゃ金か?」
「そういうコトね」
正直に言って、今の私の懐は寂しい。もとい、無きに等しい。
「……まったく。外の人間はいつの時代も、がめついのゥ」
「仕方ないでしょ。アンタと違って、生きる分だけ、金が要るのよ」
「ワシを何だと思っとるんじゃ……」
少なくとも、女神的に言えば、アンデッドか、それ以下である。
「じゃが、今の通貨など、ワシは持っておらんぞ」
「……なによ、話にならないじゃない」
「ふーむ。まァ、家の中を探せば……なんぞ、あるやもしれんがのゥ」
パウロンが他人事のように言い、空っぽの表情で空を見上げる。
反対に私の視線は家の方。あのガラクタの山、あるいは道具の墓場みたいな所。整理整頓という言葉が絶滅した、キッチンなどの光景が脳裏に浮かぶ。
大きく溜息をつき、腰のポーチにそっと手を当てる。
ただの平和を理想とするつもりはないが、日常をモノにするのに、金は絶対に必要だ。
なにより真っ当な人間は、食欲には勝てない。
「決まりね……。換金できそうな物を見繕ったら、街へ行きましょ」
「む、……それはつまり。ワシの出番が、あると言うコトじゃな」
あの日、王都から逃げ出した悲嘆の空が、こんな未来に繋がる――と、誰が想像できただろうか。
――方位を失くした魔法使いと、身を隠す元聖女。
二人の、奇妙な日常が、穏やかな箱庭から改めて、静かな混乱の中にある街の喧騒へ。
向かおうとしている。――と。




