宮中密話
少し長くなったし、キリもいいので、元より予想した五章はまた二部分に分けて投稿します。
用語説明:
ビートリムキ(Bīt rimki)、メソポタミアの不浄を祓う儀式である。
ナムブアービ(NAM-BÚR-BI)、不吉の予兆を消す祈祷、ひいてはその儀式。それに使うまじないは「ナムブアーブー」と呼ぶ。
時を一日前に戻そう。
その日の朝、ブラヴァーセは戻らなかった。
宿に残った二人はそれを意に介すこともなかった。何せあの旦那のことだ。
どうせ女関連でいざこざでもあったのだろう、じゃなかったら何か面倒事に巻き込まれたとか。何なら足して女関連の面倒事ってのも珍しくない。
あいつの人柄と手腕は二人がよく知っている。特に心配するほどでもない。
それから暫く経って昼前のこと、宿に一人の老婦人が『商人シャレヴァ御一行』を尋ねてきた。
婦人は自称宮殿の召使、名はクルンシュトゥと言う。
これがあいつの言った「何らかの形の合図」だと察した二人は、婦人を部屋に迎え入れた。
そして夜中に王宮で起きたことと、ブラヴァーセが既に捕まったことを知った。
更に婦人が言うに、「王女エリウテミスが二人に会うことを所望している」と。
罪人の関係者なのに王宮へ招き入れていいのか、というイシティーシアの質問に対して、婦人は『王女に会わせる方法』を詳しく説明する。
奴隷たちは円形船を使って市場や城外の農地から必需品を積み、夕方にはフラト川から人工水路を通ってそれらを王宮まで運んでいく。
水路なら検問はない。貨物に潜り込んでれば王宮へ入れる。
着いたら奴隷の格好で紛れ込み、仕事場のどこかに隠れて夜を待つ。
時が来れば王女との面会を計らってくれると。
それを聞いたハヌシスとイシティーシアは視線を交わし、暫く考え込んでいた。
罠にも思えるが、ただ捕まえたかっただけなら直接兵を寄越せばいい。
わざわざ手間をかけてこんな非公式な謁見を計画に出すほどでもない。
それに、あのバカがどんなことに首を突っ込んだのか、これはそれを知る唯一の手掛かりでもあり、事情の全貌を直接聞く機会でもある。
二人は再度見交わし、どうやら見解が一致したみたいだ。
「今日の午後どこでその丸い船乗ればいいんだ?」ハヌシスが訊く。
「直接乗り込むと誰かに見られるやもしれません。午後過ぎにまたこちらに奴隷を何人か遣わし、服もその時に渡します。準備が出来ましたらそのまま用意してある大きいカゴへ入ってもらい、彼らが運んでくれましょう。王宮を出る手段も然り、こちらで手配いたしましょう。」
「わかった、それで行こう。」
あっさり承諾を得たクルンシュトゥは「では後ほど」と二人に一礼をし、そのまま部屋を出た。
婦人が宿から去った後、廊下に誰もいないことを確認するハヌセ。
「手配すると言っても、そううまく行くかな……」
荷物を整理しているイシテは呟いた。
「衛兵にバレたら殺して出るしかないじゃない?」
ハヌセの言い方にワクワクは隠せない。
「こっちはまだしも、あんたの鎌剣は流石に持って行けないだろ」
「王宮なら武器庫の一つや二つはあるでしょ!奪えばなんとかなる!」
「ついでにあいつみたいに葦の一本でも用意した方がいいか?」
「持って行ってもあいつ捕まったじゃん。つまり意味ないってこと」
「たぁしかに、あのバカが」
イシテは苦笑しながら短刀を取り出し、丁寧に磨き始めた。
昼頃、ハヌセは宿の主人に話をつけて、晩飯は抜きの代わりに簡単な昼食を二人分用意してもらった。
食事を済ませてちょうど部屋に戻ろうとするところ、迎えが来た。
外にロバの荷車を停め、何人かの奴隷が大きなカゴを持ち込む。
二人は奴隷たちにカゴを部屋まで運ばせたら、また廊下で待機してもらった。
カゴの中には羊毛で織った奴隷の装束と、詰め物として端材の羊毛も少し入ってる。
「これを」
着替えてる最中にイシテが渡してきたのは、さっきまで磨いてた短刀とそれを納める鞘だった。
「ありがとう。使わないことを願おう。」
ハヌセは髪飾りをすべて外し、その黒き長い髪を結い上げ、短刀を丸めた髪の間に挿し込んで固定した。
その上に頭巾を被り、突出している柄の部分も包み込めるように隠し、固く結んだ。
指でチクチク触って、落ちないことを確かめながら、その巧妙な隠し方に感心しているイシテに聞き返す。
「そっちは?」
「カエストスは懐に。」
結えるほど長い髪はないが、イシテも同じように頭巾で頭を覆った。
準備を終えた二人はそれぞカゴに入り、外の奴隷たちを呼び入れた。
偽装のためカゴの中で身を縮こめる二人の頭上には他の織物が置かれ、さらに羊毛を敷かれた。
奴隷たちはそのカゴを背負って外の荷車に移し、川辺へ向かう。
カゴの中では緩やかな移動と揺れのガタガタしか感じ取れないが、頭を編み目に近づくと少しは外の様子を窺える。
今度は城外の桟橋から他の荷と共に円形船に載せられ、ゆらゆらとたまに旋回もする。
幸いなことに二人とも船酔いはしない。あんな男と一緒に冒険してきたおかげで、船旅の経験は言わずともある。ハヌシスに至っては上エジプト出身にとって船に乗るのは日常茶飯事、むしろこの揺れは心地いいまである。
街に入る所に水上の検問もあったが、簡単な質問と目視確認だけで通してくれた。
昨夜王宮に賊が入ったばかりだって言うのにこのガサツさ、ここの衛兵はいつもこうなのかって不思議に思っちゃうほど。
市場を経由して他の荷を積んだ円形船と合流した後、更に水流を遡り、北の分岐点で運搬用水路に入った。
水に揺蕩う籠の群れはゆるりと陸の最後の歩哨を越え、池の中心に居座る宮殿へ向かう。
荷揚げ場に着いた時、日は既に西の神殿群に半分隠れていた。
ここの桟橋はとにかく仄暗くて周りがよく見えない。
足音と震動から分かるのは、奴隷たちは荷物の運搬を始めていることだけだ。
少し歩いてたらまた降ろされ、そしてスッと頭上を覆っていた織物が取られた。
運んでくれてた奴隷が手で「出る」合図を送り、そっとカゴを横に倒した。
二人は警戒しながら相前後して速やかに這い出て、周りを観察する。
ここは水に隣接している大きい建物の一角を切り取って作られたみたい。暗いのは建物の陰にあるからだ。
水の向こうに斜陽が射し込む優しい光が見える。それが現在この場唯一の光源となっている。
荷を運ぶため奴隷が男女問わず建物からぞろぞろと出入りして、それが動く壁となってコッソリ出てきた二人を掩護していた。
数人の衛兵は向こうで荷物の検査をしていて、全くここには気付いていないようだ。
カゴを運んでる奴隷が建物の奥へ指差す。二人は身体に付いている詰め物の羊毛を取りながら身だしなみを整い、他の奴隷の影に隠れて内部へと進み入った。
廊下を歩いてると、この建物はかなり広いだと分かる。
恐らくここは…
「そうです。ここがバビロン王宮でございます」
いつからか、あのクルンシュトゥという老婦人が既に二人と一緒に列に混ざってた。
ひょっこり現れ、しかも心の内読まれたことは、闘いに慣れている二人でもギクッとした。
これからどうやって王女に会えるのかを訊きたいのだが、周りが人だらけで躊躇してしまう。
そんなこんなで戸惑っているうちに、辿り着いたのは厨房だった。
婦人が二人を連れて列から離れ、厨房の奥へ歩いていく。
その突き当りには食糧保存庫みたいな小部屋が三つあって、中には泥煉瓦で積み上げた簡易的な腰掛けも置いてある。
その中の一室に婦人は二人を招き入れた。
「本日は王女エリウテミス様の命により、夜の見張りを強化されます。それゆえ衛兵たちは動員され、逆に夕方は手薄になっています。更に首都との緊張状態を踏まえ、宮中の物資節約のため、照明の使用はできるだけ控えております。
ここなら見回りがあまり来ません。夜になるまでこの倉庫に隠れていてください。元々奴隷たちの休憩場所として使われていますので、例え来られても目立つ行動さえ取らなければ怪しまれることはないでしょう。ただでさえこの暗さでは誰が誰なのか見分けるのも一苦労。適当にくつろいで休憩を取るのも構いません。
夜になると王宮外周の警備は強化されますが、エリウテミス様と会う手立ては講じております。ご心配には及びません。
面会が終わりましたら、またここにお戻りください。明け方のゴミ搬出に同行して頂ければ、気付かれずにここから出ることができましょう。」
二人は計画の周到さに驚いた。
あのバカがやってきた今までのどんな策よりも緻密で、目の前の婆さんに感服の気持ちすら抱いてしまった。
疑問が生じる余地もなく、思わず即座に応じた。
それからの時間、二人は交互に仮眠を取りながら過ごした。
あれからどれくらい経ったのかは分からない。
貯蔵庫には窓がなく、厨房からの騒ぎ具合で時間の経過を推測しかない。
衛兵は二回見回りに来た。けれど二回とも厨房に入って呼びかけをしただけだった。
一回目は夕食準備の通達。王族だけでなく、衛兵たちに食事を提供するのも大忙しだったらしい。
二回目は普通の見回り。話から察するに、夜番に交代した直後だったのはず。
更にそこから暫くして、奴隷たちは自分の夜食を作る片手間に厨房の片付けも始めていたようだ。
待ってる間に、二人にも夜食は出された。
大麦と刻み野菜の煮込み、中には少し挽き肉も入ってる。くせからするに恐らく余った山羊肉を使ったのだろう。臭みはあるが、アツアツの煮込みを食えるだけで文句はない。
流石王宮の奴隷と言うべきか、食べ物は城外の旅館よりも贅沢である。
食べ終わって厨房の人達に礼を言い、二人はまた待ち続ける。
そしてついに、婦人は呼びに来た。
どうやら現在は王女の入浴時間、一日中でも衛兵の邪魔が入らない数少ない好機だ。
これから向かうのは王女専用の浴室。王の命により衛兵は一切立ち入り禁止、外での見張りも許されない。女性奴隷にのみ身の回りの世話を任せている。
老婦人は松明を手に、二人はその後をついて廊下を曲がりに曲がる。
確かに、道中に衛兵の影すら見ない。
進むにつれて、周りの雰囲気が何故か様変わりしたように感じた。
壁だ。
さっきまで歩いてきた無地の壁と違って、この廊下の壁には粘土板が嵌め込まれている。
火炎に照らされたその表面には、アッカド語文字がびっしりと並んでいる。
「これらはシャマシュシュムーキン陛下がバビロニア王に即位した時に行った禊の記録でございます。
当時使った祈祷詞とその解釈も一緒にこの上に刻まれております。」
思わず立ち止まった二人に説明を加えつつ、婦人は最深部へと歩んでいく。
揺れる光の中、映り出す左右交互に設置されている粘土板はまるでその足跡をなぞっている様だ。
この道筋が導く先は、最奥に明りの付いているただ一つの拱門。
婦人は松明を壁の金具に置き、二人を中へ招き入れた。
この部屋の床は泥煉瓦で敷かれている、その上に防水のため瀝青を施した。壁側の棚や机、所々陶器の灯具が置いてある。
浴槽からは湯気が立ち、湯には精油を混ぜたのだろう、花のようないい香りが室内に充満している。
仄かに光る灯は、壁に彫ってある動物模様の輪郭を揺らす。陶酔させる光景だ。
一定順に並んでいる模様の中、イシティーシアは近頃どっかで見たことのあるような動物を発見した。
けどそれがどこで見たのか、すぐには思い出せそうにない。
「殿下、二人がお見えになります。」
婦人の一言で、イシティーシアはようやく気が付く。
そうだ、肝心の王女はどこにもいない。
湯気の立ち昇る向かい側から何か音がした。
そこの壁の手前には何かが立てられているらしい。その外見は、木の枠の中に葦で編んだ一種の仕切りに見える。
その後ろから一人の女性が現れ、歩いてくる。
金色の髪、真珠のような肌。
薄紅の唇はまるで薔薇の花弁を口に銜えているように見えた。
「こんな形で呼び立てること、まずはお詫びします。
わたしの名はエリウテミス。お二方は商人シャレヴァの妻でよろしいでしょうか?」
王族と言うわりには話の切り出し方が些か単刀直入すぎているが、物腰自体はしっとりしている。堅苦しいことが嫌いな二人は接し方について少し安堵した。
「その通りでございます」
ハヌセは両手それぞれ四本の指で拳を握り、親指を前に突き出し、右手の上に左手を乗せて顔の前に置いた。
これがブラヴァーセから聞いたアッシリアの宮廷作法である。
「一番妻のハヌシス」
そして顔を少しずらし隣を見て「と二番妻のイシティーシアです」。
イシテもすぐさまにそれを倣おうとするが、王女はそれを止めた。
「ここまで足を運んで頂いたことですし、格式張ったことはやめにしましょう。畏まらなくていいのです。
それより、まずは現状を説明します。」
すると王女は老婦人に目配せをした。
婦人は頭を下げ、「外で控えております」と言い、廊下に出た。
「シャレヴァさんは現在、闘技場に連行されています」
「ヒュ~♪」それを聞いたハヌシスは思わず口笛を吹いた。
「?…本来なら処刑が今朝のはずでしたが、私が父さまに進言して闘技場へ投入することにしたのです。
少しでも処刑の時期を遅らせればと……でも場所と時間が変わっても、死ぬ運命には変わりません。
私の血迷った行動で巻き込んでしまって、本当に…」
「ったは!あいつ、抜け駆けしたな!」
悲しむならまだしも、怒りですらその矛先を向けられる覚悟をした王女エリウテミス。でもなぜかハヌシスは興奮しだした。
ワクワクしながら悔しそうにしているハヌシスを見て、困惑が止まらない。
「闘技場はすぐ開放されるんですか?」
イシティーシアの問いかけが王女の思考を引き戻す。
「明日正午の予定です。
夜明けまでにこちらも何とか脱出させる手立てを考えたいのですが」
「それなら心配はないかと。ただでさえ簡単に死ぬような男じゃあるまいし、こっちも迎えに行きます。」
「ふぇっ?!」
淡々ととんでもないことを口にするイシティーシア。この二人の言動はどれも王女にとって予想外だった。
「………あの…うちらを知っているということは、夫と会ってたんですよね?
一人でこの宮殿に潜入できちゃう奴ですから、そこまで驚かれることはないと思いますが…」
「あ、はっ…はい。
確かに考えればあの時の格好は正式に招待されたようには見えませんでしたが、まさか、本当に外部からだとは…」
「先程〈自分の血迷った行動〉とおっしゃいましたよね?
ということはあの時拾ったあの…」
「そうだ、あの手巾だ」
ハヌシスはようやく正気に戻ったみたい。
「昨日向こうの街で拾ったんです。絹の手巾」
ハヌシスの声とともに、イシティーシアはそれを懐から取り出して、王女に渡した。
「そうです。私が天窓から放り出したものです!」
エリウテミス王女はそれを見てため息をついた。
「……まさかそんな遠くまで飛んでったなんて…」
「昨夜何があったのか、大体のことはクルンシュトゥの婆さんから聞きました。
でもこの縫ってある文字、その含意。
それを教えてくださいますか?」
先程の情緒とは全く別人のように、ハヌシスの口調は柔らかい。
「もう巻き込まれてますから」
「…………」
しばしの静寂。
きっと王女にとっては久しく感じるのだろう。そんな表情をしてる。
「そう、…ですね…」
「どうやらあなた方はただの商人ではないですし、
これもマルドゥク神のお導きなのでしょうか」
王女の顔に安寧が少し宿った。
「今日はどうやら長湯になりそう」
湯気が立ち込める中、
聞かされるこの地の真実。
一体王宮で何が起ころうとして、
その因縁に解かれようはあるのか。
定められた条に則り命ぜよーー
次回:
叩いて開かれよ神の門




