10-7
ジゼルがエリオスの短剣から逃れる様を見つめながら、リリアナは思った。
(……本当に……本当に、私を助けに来たというの? あの、ジゼル・エヴァレットが……?)
リリアナの目の前にいるこの女性は、本当に彼女が知っているジゼル・エヴァレットなのだろうか?
ジゼルも焦っていたのか、エリオスの短剣から逃れようと思わず彼に背を向けてしまっていた。
エリオスは体勢を崩すも、すぐに持ち直してジゼルの背中目掛けて短剣を振り下ろしている。
リリアナの瞳に、その光景がまるでスローモーションのように全て映っていた。
「ジゼル――!」
ディランが気付き、青ざめた表情で前に飛び出す。しかし、間に合わない。ディランが庇うよりも先に、エリオスの短剣の方が早い。
ディランの心臓が凍りつき、血の気が引いていった。
あと数センチ。エリオスの短剣が、ジゼルを捉える……
しかし、その前にリリアナが動いていた。無意識だった。
考えるよりも先に体が動き、リリアナはエリオスの体を横から思い切り突き飛ばしていた。
ドゴォッ!
ディランがジゼルの体を庇うように抱きしめる瞬間、激しく横転する音が響き渡る。
ディランとジゼルは思わずリリアナを見た。リリアナは浅い呼吸を何度も繰り返しながら、エリオスを突き飛ばした瞬間の体勢のまま、固まっている。
エリオスは打ち所が悪かったのか、頭から流血していた。気を失っており、ピクリとも動かない。ディランは転がった短剣をさらに遠くへ蹴飛ばして、エリオスを捕縛した。
そしてすぐにジゼルのもとへ戻り、彼女に怪我がないか確認する。
「ジゼル! 大丈夫か⁉ どこか怪我は……」
「ありませんわ」
ディランは笑顔のジゼルの答えを聞くと、安堵したように表情を緩めて、改めてジゼルを抱き締めた。
「く、苦しいですわ!」
「あ、悪い。つい力が入った」
ディランからの強すぎる抱擁から解放されたジゼルは、振り返りリリアナを見た。
ジゼルと目が合うと、リリアナは驚いた様子で小さく肩を揺らした。
「先ほどは助けてくださって、ありがとうございました」
「え……?」
さらに驚くリリアナ。まさか、自分がジゼルに礼を言われる日が来るとは、想像もしていなかったのだろう。
「私たち、やりましたわね」
「……?」
少し疲れた表情を浮かべて、リリアナはジゼルを見た。目の前のジゼルは、とても明るい表情で笑っている。
「私たち二人で、悪者退治をしたのですわ!」
その言葉に、リリアナは息を呑んだ。
――私たち二人で。ジゼルはそう言った。
リリアナはずっと、ジゼルこそが『本物』で、自分は『偽物』でしかないと思っていた。
けれど今、ジゼルは自分を一人の人間として認めてくれている気がした。
リリアナは何かを言おうとしたけれど……しかし、喉の奥が詰まって、言葉にならなかった。
代わりに涙が溢れてくる。
リリアナは、ジゼルが怖かった。羨ましかった。大嫌いだった。
でも今、彼女の胸の中に、確かな喜びもある。
この複雑な状況を、リリアナは一体どう受け止めればいいのだろう。
ずっと、ずっと誰かに認めてほしかった。リリアナのその願いを、ジゼルがあっさりと叶えてしまうなんて……
少しすると、応援とともにペトラが到着した。ディランに休むよう言われたジゼルは、リリアナと共に気まずい雰囲気の中、荷馬車に腰を下ろしていた。
ジゼルが、ディランやペトラが他の魔法省の局員たちと動き回っている様子を呆然と眺めている間に、アレクシスやアーネスト、そしてギルバートまで駆け付けた。
アレクシスはリリアナの姿を見ると、すぐに駆け寄って行き、リリアナの身を案じていた。
アーネストとギルバートもジゼルの姿を見つけて、彼女を取り囲む。
ジゼルとリリアナは横並びに座っていたから、自然とそこには大きな人の輪が出来てしまった。
「ジゼル嬢。今回のこと、本当にありがとう。感謝しても、しきれないよ……」
アレクシスは憔悴した様子でジゼルに礼を述べた。
「構いませんわ。私は、捜査官としての仕事を全うしただけです」
「その割に、足が震えているけど?」
「うるさいですわ、ギルバート!」
せっかくジゼルが捜査官として格好付けようとしたのに、ギルバートのせいで台無しだ。
案外元気そうなジゼルの姿に、アレクシスも改めて安堵する。そして、ジゼルの横顔を見つめながら、優しい笑顔を浮かべた。
「全く……君って人は……」
そう呟くアレクシスを、リリアナは静かに見つめていた。
「今回の事件のこと、王族として重く受け止めるよ。リリアナのことも……迷惑をかけたね」
アレクシスは改めてジゼルを見つめて言った。その言葉にリリアナは思わず、下を向く。
「……」
ジゼルは少し沈黙して、アレクシスとリリアナを見た。
「……アレクシス殿下」
「ん? なんだい?」
ジゼルは立ち上がると、衣服を指で整えて、堂々とした姿でアレクシスの前に立つ。
以前は恐縮していた相手。でも、今のジゼルには、怖くなんてない。
「貴方の元婚約者として、ひとつお節介させていただきますわ」
アレクシスは少し驚いた様子で目を大きくした。
「リリアナ妃殿下は、王太子妃ですわ。でも、その前に、殿下のたった一人の妻です」
アーネストやギルバートも、驚いたようにジゼルを見た。
ジゼルは、自分とリリアナは本当は似た者同士なのだと思った。
お互いに相手を羨みながら、相手の苦しみは知らなかった。だから、ジゼルにはリリアナの苦しみがよく分かる。
「一人の人間として、殿下はリリアナ妃と向き合うべきです」
ジゼルはそれだけを言うと、アレクシスに深く頭を下げて、そそくさとその場から離れた。
アレクシスは思わずリリアナを振り返る。その時に初めて、妻がずっと俯いていたことに気付いた。
ジゼルはもう彼らを見なかった。アレクシスがジゼルの今の言葉をどう感じ、どう捉えたかはわからない。それを知るつもりもない。あとは、当人たちの問題なのだから。
「……ジゼル様!」
しかし、追いかけてきた人が、一人。
「リリアナ……」
振り返ると、そこにはリリアナが立っていた。彼女は目の周りを真っ赤に染めて、涙を浮かべている。
「私、過去に貴女にされた仕打ちを忘れられません。あの苦しかった日々を思えば、そう簡単に許せるはずがないんです……!」
ジゼルは体ごと振り返り、改めてリリアナの前に立った。
そして、頭を下げる。
「昔、嫉妬心から貴女を虐めてごめんなさい。許していただけるとは思っていません。それでも、どうしても一度、謝りたかったのですわ……」
リリアナからの返答はなく、ジゼルは胸が締め付けられた。わかっている、これが、自分の過去の罪の結果だ。
「リリアナ、今日はゆっくり休んで……」
「でも……」
ジゼルの言葉を遮って、リリアナが言った。
「でも、私は、今日の貴女のことも、一生忘れないと思う」
リリアナはすぐにジゼルに背を向けて、アレクシスのもとへ戻っていった。
そんな彼女の背中を、ジゼルは呆然と見つめた。
「……ふふっ」
そして、ジゼルは目尻に涙を浮かべて、照れくさそうに笑ったのだった。




