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10-4

 ◆



 ガタンと強く揺れ、リリアナは思わず体勢を崩してしまった。


「リリアナ妃殿下、大丈夫ですか?」


 暗闇の中から穏やかな声がする。


 リリアナは身を起こし、周囲を見回した。しかし、荷馬車の中は真っ暗で、向かいに座る人物の顔すら見えない。

 こうして揺られ始めて、どのくらい経ったのだろう。


 リリアナが何も答えないでいると、暗闇の中からさらにクスクスと笑う声が聞こえてくる。


「そう警戒されないでください。先ほどの護衛の怪我のことなら、心配に及びません。貴女ご自身が治癒魔法をかけて差し上げたではありませんか」


 リリアナの脳裏に、少し前の出来事が蘇る。


 孤児院へ慰問に向かっていたはずなのに、気がつけば馬車は王都を出て、見知らぬ街道を走っていた。


 不審に思って護衛に尋ねると、聖月教会の神官が個別に話をしたがっているのだという。


 リリアナはその護衛を信頼していた。相手が教会の神官ということもあり、疑うことなく従ったのだが……


 森の中で待っていたのは、最近リリアナの担当になった顔なじみの神官だった。


 その姿を見て、リリアナはほっと胸を撫で下ろした。


 しかし、それも束の間だった。


 神官たちは、傍らに停めてあった別の荷馬車へリリアナを連れ込もうとしたのだ。


 異変に気づいた護衛が抵抗したものの、もう一人の神官、エリオス大神官によって負傷させられてしまった。


 リリアナは護衛の命を守るために、治癒魔法をかける代わりに彼らについて行くという条件で今に至る。


 これから自分はどこに連れて行かれて何をされるのか……リリアナは考えるだけで恐ろしい。


「どうかご安心ください。我々は、妃殿下を傷つけるつもりなどありません」


 そう言われてもリリアナは安心できるはずもなく、表情が強張っていった。


「……私の護衛に怪我を負わせた貴方のことを、私は信用できないわ……」


 震える声でそう答えると、暗闇の中で息を吐く声が聞こえてきた。


「私は、貴女を傷つけたいのではありません。ただ一度、誰にも邪魔されず貴女のお話を聞きたかったのです」

「私の、話を……?」


 リリアナがピクリと反応して、思わず聞き返してしまった。すると、闇の中からゆっくりとエリオスが姿を見せる。


「えぇ。私は神官を通して、これまでずっと貴女の話を見聞きしてきました。妃殿下がどれほど努力されても、王宮の者たちは認めようとしない。いつまでも前の王太子妃候補と比べて……」


 エリオスのその言葉は、リリアナが一番触れられたくない場所だ。彼女は顔を逸らしながら、小さく声を上げた。


「やめて」


 エリオスは言われた通り、すぐに言葉を止める。


「私の護衛を傷つけておいて、話を聞きたいだけですって?」

「ええ……貴女は、とても頑張っていらっしゃいます」


 その言葉に、リリアナは一瞬だけ言葉を失ってしまった。


「王太子妃として認めてもらうために、毎日勉強し、公務をこなし、誰より努力している。それなのに、皆は貴女を前任者と比べる」

「…………」


 リリアナは何も言い返せずに俯いた。その表情は苦しそうに歪められている。そんな様子のリリアナを、エリオスは目を細めたまま、じっと見つめていた。


「彼女は恵まれた公爵家の出で、さらに幼少期から王太子妃候補としての教育を長年受けてきた。そんな彼女と比べられるのは……さぞかしお辛かったでしょう……」


 エリオスは痛ましい表情を浮かべて、目の奥に涙を浮かべた。


「なんて理不尽、なんて不平等……妃殿下にはただ時間が足りないだけなのに」


 リリアナは否定しようとする。しかし、言葉が出ない。それはまさに、最近ずっと心の奥に抱えていた感情だった。


(私は……何度、挫折を味わえばいいの……?)


 やっとアレクシスの隣に、王太子妃となれたのに。リリアナは昔と変わらず、ちっとも幸せになれない。


 そう、一度目の彼女の挫折は幼少期だ。


 王妃に可愛がられている優秀な侍女だったリリアナの母は、アレクシスの遊び相手としてよく王宮にリリアナを連れてきていた。


 アレクシスと何度も顔を合わせるうちに、リリアナは自然とアレクシスに恋をした。

 アレクシスも優しく、自分に丁寧に接してくれるから、リリアナはアレクシスとの未来を本気で夢見ていた。


 だからリリアナは、期待を込めてアレクシスへの恋心を母と王妃に打ち明けた。

 あの時、二人とも笑顔で話を聞いてくれたから……まさか、その翌日に王都から遠く離れた王妃が管理する土地に連れて行かれることになるとは、思いもしなかったのだ。


『リリアナ。子爵令嬢の貴女と王太子であるアレクシス殿下では身分が違いすぎる。今回のことは、幼い子の憧れから出た言葉だと王妃様にお許しいただけたけれど……今後一切、アレクシス殿下と結婚したいだなんて口に出さないで』


 王都を離れる馬車に乗り込む際に、リリアナに恐ろしい顔でそう言った母の言葉が今でも忘れられない。


(私は子爵令嬢だから、好きな人との未来は望めないんだ)


 リリアナはアレクシスが好きだった。ただ、その好きな人が、一国の王子だったということだけ。


 二度目の挫折は、十六歳の時にやっと王妃からの許しを得て王都へ帰って来られた時だった。


 学院に入学し、これまで欠かさず交わし続けたアレクシスとの手紙を胸に抱きながら、彼との再会を今か今かと待ち侘びていた。


 しかし、学院で久しぶりに顔を合わせた幼馴染の隣には、とても高貴で美しい女性が立っていた。


 公爵令嬢ジゼル・エヴァレット。王妃となるために生まれてきたかのような気品と血筋の持ち主だ。


 アレクシスに婚約者がいることは、手紙で知っていた。それでも、実際に彼の隣に立つジゼルを目にした時、リリアナは自分がどれほど甘い夢を見ていたのかを思い知らされた。


 リリアナは『本物』を思い知ったのだ。いくら自分が必死に勉強し、教養を身に付けても、本物には敵わない……リリアナが再び挫折を味わうには、それだけで十分だった。

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