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「誘拐されていた間の出来事は、子供の俺には簡単には受け入れがたいほどに酷いもので……何とか助け出されて体中の傷は治癒魔法で綺麗に消えたけど、その時の心の傷までは消えなかった」
ディランの青い瞳が遠くを見ていた。まるで、このまま消えてしまいそうなほど、弱々しい……ジゼルは初めて、そんなディランを目の当たりにした。
「そんなことが……いえ、たとえ大人でも恐ろしいことですわ」
「なに? 俺を慰めてくれんの?」
ディランの性格からして、彼は自身の弱みを見られることを嫌うはずだ。ジゼルは思わずディランから目を逸らすと、ディランは揶揄うように笑う。
「でも、当時の俺が一番堪えたのは、誘拐よりも家族からの言葉だった」
いつも光に満ちたディランの青い目に翳りが差す。それを見たジゼルはなぜだか、胸騒ぎがした。
「『大公家嫡男としての自覚が足りない』、『弱みを見せるな』、『大公家の利益を考えろ』。命からがら生還した息子に、それしか言えないんだぜ。家族ってなんだって思うよな」
ディランの家族は彼自身を見てはくれなかった。嫡男として、どれだけの価値があるのか……関心はそれだけだったのだ。
ジゼルは当時の幼いディランの気持ちを思うと、自然と目の奥が熱くなった。
ディランの苦しみのすべてがわかるわけではない。それでも、『役割』だけを求められる虚しさなら、ジゼルにも覚えがあった。
ジゼルは婚約者相手だったが、ディランはそれが家族なのだ。当時、彼は苦しんだに決まっている。
ジゼルは何か言おうとした。けれど、上手く言葉が出てこない。
ただ、当時の幼いディランがどれほど傷ついただろうと思うと、胸が締めつけられた。
「……って、なんでお前が泣いてんだよ」
ディランは目の前でぽろぽろと涙を流すジゼルに気付くと、驚いた表情を浮かべた。
ジゼルもディランに言われて初めて、自分が泣いていることに気付いた。
「もう十年前のことだし、気にすんな」
鼻を啜るジゼルに、ディランはゆっくりと手を伸ばし、ぎこちない手つきでその頭を撫でた。
「……悔しいですわ……」
ジゼルは涙を拭いながら思う。
王太子妃としての役割を求められたジゼル。大公家嫡男としての役割を求められたディラン。
二人は似ている。でも、ジゼルはその役割にしがみついて、ディランは精神的に距離を取った。
『自分の責任からは逃げねぇ。でも、自分の人生も諦めたくねぇ』
あの日の言葉を思い出す。
ディランは、ずっと自分の人生を守ってきたんだ。
(ディラン、貴方は強い人ですわ……眩しいくらいに)
そんなディランの相棒になれて、ジゼルは誇らしいと思う。
「これからは、貴方の隣には私がいますわ」
ジゼルは顔を上げて、真っ直ぐに自分の相棒を見つめながら言った。すると、ディランはとても驚いた顔で固まってしまった。
「私は貴方の相棒ですもの!」
ジゼルがそう続けて笑うと、固まっていたディランもつられて笑顔になる。
「そうだな」
ディランは穏やかに笑いながら頷いた後、またいつもの意地悪な笑顔を浮かべるのだった。
「というより、俺、誘拐されるなんてそんなヘマ、もうしねぇから」
「素直じゃないですわね!」
ジゼルも調子を合わせて笑う。二人は、それから少しだけ会話を交わすとすぐに捜査を再開した。
ディランがふと顔を上げると、窓の外はすっかり陽が落ちていた。
(……今何時だ?)
文字を追い続けて疲れた目を休めるように、目頭を揉みながら隣を見ると、受付帳簿を膝の上で広げたままジゼルが寝落ちしていた。
「……こいつ」
静かだと思ったら……と、ジゼルを起こそうと手を伸ばし、止める。
(そもそも俺……なんでこいつに自分の過去を話してんだか)
ずっと他人に触れられたくないと思っていた過去なのに。
ジゼルの寝顔を見ていると、そのあまりの気の抜けた顔に、ディランは思わず噴き出した。
(仕方ねぇな……こいつなりに、頑張ってくれたしな)
「もう少し後に、起こしてやるか」
ディランは自身の上着を脱ぐと、そっとジゼルにかけてやった。
眠っているジゼルを見下ろしているうちに、自然と頬が緩んでいた。それに気づいたディランは、ハッとする。
「……俺、正気かよ……」
ディランはぽつりと呟くと、再び帳簿に目を落とした。彼の耳先は、ほんのりと赤くなっていた。
それからしばらくして、ディランの手が止まった。彼は突然目を見開いて、ソファーの背もたれに預けていた上体を勢いよく起こす。
そして、隣でまだ寝ているジゼルを揺さぶって起こした。
「おい、起きろ! 間抜け面!」
「ん~……なんですの……って、今間抜け面って言いました⁉」
「いいから、ここを見ろ」
目を擦るジゼルの後ろ襟首を掴んで、ディランが持つ帳簿を覗き込ませる。
ディランが指差す先には、ケビンの名前。ジゼルは一気に目が覚めた。
「大体半年前ですわね」
二人は帳簿を真剣な表情で見つめた。
「日が経つにつれて、明確に訪問頻度が増えていってるな……」
「それも担当神官がこの方に代わってからですわ……って、この神官の名前……」
そこに記されていた名前は、今朝読んだグレゴリーの報告書にあった、田舎町へ赴任した神官のものだった。
「おいおい、当たりを引いたか?」
ジゼルとディランは帳簿から顔を上げて見合わせる。そして、嬉しそうに互いに突き出した拳を、こつんと軽く当てたのだった。




