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【完結】終末ゾンビ世界から100年後の未来へ避難することにしました —防災オタクと半ゾンビの無人島開拓記  作者: ねねこ


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89 ホットケーキと島の新たな情報

 青白いカーテンを抜けた瞬間、張り詰めていた空気が切れた。


 島の匂い。

 湿った土と、草の匂いと海の香り。


「……戻ったな」

 ナオトが、ようやく息を吐く。

 軽トラが市庁舎の前に入ると、すぐに人が集まってきた。


「帰ってきた!」

「無事!?」

「怪我は!?」


 あちこちからの声が重なる。

 それはこの島が「生きている」と実感できる音でもあった。


「大丈夫。全員無事」


 迦楼羅が軽く手を上げて答える。

 それだけで、空気が一気に緩んだ。

 そして――。


「……これ」


 荷台のシートを外したあとの一瞬の静寂。

 次の瞬間。


「……うそだろ」

「小麦粉……?」

「こんなに……!?」

「さっきの米と合わせたら相当あるぞ!?」


 ざわめきが広がる。

 積まれている袋。

 袋。

 袋。


 主食。

 生きるための時間そのものの塊がそこに積まれていた。

「……運べるやつ、手伝え」

 高瀬が短く言う。


 その一言で、全員が動いた。


 誰も騒がない。

 でも、顔つきは明らかに違う。

 余裕がある顔だ。

 子どもたちの目も、少しだけ明るい。

 これが「ごはん」だと分かっているからだ。


 それを見て、結花は小さく息を吐いた。


 ――繋いだ。


 本当に。

 


 先に降ろした米袋と合わせて、保存袋に入れた状態にして運び込みが終わったのは、もう夜になってからだった。

 倉庫に積み上げられた米袋と小麦粉の袋。

 数字じゃなく、実物としてそこにある。

 それだけで、安心感は違った。

 在庫確認をして在庫管理用のノートに日付と数と内容を記帳する。

「……これで、しばらくは持つな」

 遠藤先生が、静かに言う。

「ええ。三食にしても相当いけますが、私は大人は二食でもいいかと思ってます。来年、小麦と米を作りたいとは思ってますが、できるだけ今あるものは長く使いたいので」

「ああ、いいと思う。他の食材を島で探すのもありだしな」

 その言葉で、ようやく全員が理解した。

 当面は助かったのだと。

 一方で。


 新しい人がいた。

 ハルくんが「俺がよく通っていたミリタリーショップの店長です」と紹介してくれた。

 自分の店のものを使って半年生き延びていたらしい。

 それでハルくんから言われたのは、彼を三日間隔離の上、噛まれていないことの証明をしたいと。

 じゃあ、と提案したのは中里家のミニログハウスだった。

「あそこならここからでも見えるし、トイレもまだ残ってる災害用を提供できるから外に出なくても大丈夫だと思うわ」

「ありがとうございます、結花さん。じゃあそうさせてもらいます」

 衛生用品や寝袋など必要なものをひとまとめにして、ハルくんは店長を連れて行った。



「さて、それじゃ秋葉原での報告をお願いできるかしら?」

「分かったわ」

 私の前に迦楼羅が座ると、秋葉原でのことを淡々と報告してくれた。

 一度目は問題なく買えた物資が、ニ度目は生存者と衝突になったこと。

 店長を救った理由。

 スーツケースに詰めて来てくれた武器は確かに今ここに必要なものであること。そしてそれを指南してくれる人が来たことは大歓迎だ。防衛に関してはもっと手厚くしたかったのよね。ツバサくんにばかり負担かけるのも申し訳ないと思ってたし。

 それに秋葉原で接触した生存者の情報。

 相当追い詰められた状態だったという。

 尾けられてはいないが、まとまった生存者グループがいることは知られてしまったこと。

 でも尾行されたわけではないから、向こうはこちらの避難所の場所を知るすべはないこと。

 倉庫の食料の残りは諦めるしかない。

 もう一度秋葉原へ行くほうが危険だ。


「うん、概ねいいと思うわ。少なくとも誰も怪我をせず帰ってきた。それが一番大事なことだから」

「ええ、それを高瀬さんも最優先で考えて動いてくれたわ」


 今、ここにはいない高瀬さんを迦楼羅が褒める。

 それはつまり、彼はこちらのことを考えて行動してくれたということだ。

 彼は、この島の人間になろうとしている。

 それは向こうのグループとの距離をそろそろもう少し詰めてもいいかもしれないと思える一手だった。


 なら、まずは、子どもたちだ。



「おやつ会?」

 高瀬さんに「子どもたちにおやつを食べさせてあげたいから、子どもたちにおやつ会に来てと言ってもらえませんか?」とお願いをした。

「子どもだけで行かせるわけにはいかない」

 もっともだ。

「なら、子どもたちの親も来てくれて大丈夫です。合計人数だけ教えてもらえれば」

「……一応聞いてみよう」

「大人同士の交流はすぐには難しいでしょうが、私たちは受け入れた以上は歩み寄りたいと思ってます。だからまずは子どもたちから交流を始めてみませんか?」

「……」


 あとは準備だ。

 飲み物は暑いしカルピスでいいだろう。それからホットケーキミックスがまだ割と残っているので、山羊乳を使ってホットケーキを焼いて添えるのは備蓄のジャムと蜂蜜を使おう。

 場所は、港にある漁協の建物にした。

 あそこなら海からの風があるので少し涼しい。

 エアコンのない環境では、自然風に頼るしかないのだ。



 集まったのは、思っていたよりも少し多かった。

 子どもと、その母親たち。父親もいた。

 警戒は、まだ解けていない。

 入り口の近くに立ったままの人もいるし、椅子に座っても背筋は伸びたままだ。

 こちらの子ども以外の人数は最小限。私と百合ちゃんと美奈子ちゃんとすみれちゃんと茜さんだ。

 迦楼羅と桃ちゃんに関しては、まだ向こうはゾンビに擬態しているという偽情報しか知らないため、本当の情報開示をする段階ではないと思い、今日は他のみんなと一緒に釣りに行ってもらってる。

 女子高生組が絞ってきてくれた山羊乳を使ってホットケーキの生地を作る。

 建物の中に甘いホットケーキの香りが暴力的に広がる。


 その香りにやってきた子どもたちは気持ちが釘付けだ。

 こちら側の子どもたちが、少し委縮したようにしていたけど、目の前におやつを差し出すと、いつものように笑顔になる。

「ゆかねえ、僕より先にあっちの子にあげて」

 ユウキが自分の目の前の皿を凝視する向こうの子どもたちの視線に気づき、そう言う。

 本当に優しい子だ。

「分かった。ユウキたちの分もすぐに焼くからね」

 そう、ちゃんともらえると分かっているこっちの子たちと、もらえないかもしれないという恐怖を知ってる向こうの子たちの温度差が確かにある。それをユウキが今一つ壊してくれた。

 少しの間、誰も手を伸ばさなかった。

 子どもたちの視線だけが、皿の上を行き来する。


 甘い匂い。

 焼きたての熱。


 それでも――動けない。


「……いいわよ」

 小さな声。

 母親の一人が、隣の子の背を軽く押した。

 それでようやく、一人が手を伸ばす。

 受け取るがすぐには食べない。

 ちら、と周りを見る。

「大丈夫だから食べてね」

 生地の追加を作りながら、すみれちゃんが笑いかける。

 そして――ゆっくりと食べる。

「……あまい」

 ぽつりと、こぼれた。

 その一言で、空気がほどけた。


 もう一人。

 また一人。


 皿が、ゆっくりと減っていく。

 音は静かだ。

 でも、確実に変わっていく。


 強張っていた肩が落ちて、視線が下がって、やがて――少しだけ、笑う。


「……久しぶりだな」

 父親の一人が、小さく呟いた。

「こういうの」

 それに、誰も否定しない。

「……蜂蜜まであるのね」


 ぽつりと、女の子の隣にいた女性が言った。

 手元のホットケーキを見つめたまま。


「ええ。ハチミツは子どもたちみんな大好きですし、健康にもいいし」

「ですよね。私も大好きなんです。この子も。良かった、久しぶりに大好きなものを食べさせてあげられて……。ありがとうございます」

 少しだけ照れたように笑う。

「実は私……この島の出身なんです」


 え?


「実家は島の反対側で農家してたんですけど、家用で養蜂箱を置いて、実家で自分たちの分だけの蜂蜜採取をしてたんです。だから子どものころからすごく身近なもので大好きでした。私自身は大学進学を機に島を出て、向こうで結婚したんです。だから最初にここに来た時は夢かと思いました」

「それってつまり……この島で蜂蜜がとれるってことですか?」

「沢山は無理ですが、ある程度の設備さえあれば今でも可能かと……。うちの実家の裏庭にあった養蜂箱はさすがにもう壊れてると思いますから、新しく作ったほうがいいと思います」

「え、それはすごくいいこと聞きました!ええと……」

「戸塚と言います、戸塚順子。この子は戸塚茉奈。主人の戸塚大樹です」


 旦那さんとお子さんがぺこりと頭を下げる。


「あの、よければ、ご実家があった場所へ行くのは……」

「はい、御案内します」

「よろしくお願いします!実はまだ島の反対側のほうはまともに見れてないんです」

「広くはない島ですけど、徒歩で行くのは厳しいですもんね」

「自転車なら用意あります。自転車でいいですか?」

「はい」

「では明日以降にでも。旦那さんとお子さんはどうしますか?」

「妻の実家には一度行ったことがあるだけなのでぜひ」

「ママが昔住んでたおうち見たい!」

「じゃあ、2人乗りができる自転車が一台あるので、旦那さんとお子さんはそれで……」

「はい、分かりました。茉奈、パパと一緒に自転車に乗ろうか?」

「うん!」

「それでは明日にでもどうですか?」

「ええ、じゃあ明日」


 やった、これで今までほぼ手付かずだった島の反対側の情報が増える。

 もし養蜂が可能になれば……。


 甘味。

 保存。

 薬にもなる。

 何より調味料にも。


 子どもたちに今よりちゃんと甘いものを食べさせてあげられるようになるかもしれない。


 子どもたちは、もう遠慮していない。

「もう一枚、いい?」

「順番ね。ちゃんとあるから」

 声が、最初よりも柔らかい。

 最初にここに入ってきた時の空気とは、明らかに違う。

 その変化を感じながら。

 私は、もう一度フライパンに生地を流した。

【神集島住人数】

55人

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