86 足りない主食
数日後。
隣りの畑の様子は、少しだけ変わっていた。
私たちの畑は、いつも通り。
子どもたちが水をやり、虫よけをして、順調に育っている。
隣の畑も――少し形にはなってきていた。
土はまだ荒い。石もあるし、草も多い。
畝も歪んでいる。
支柱もうまく立てられていない。
けれど、あの三人は毎日来て、手を動かしている。
種を蒔いた場所には、まだ芽は出ていない。
当然だ。
栽培はそんなに早く結果が出るものじゃない。
でも待つしかないという現実だけは、全員が理解していた。
――そして、その現実は。
別の形で、私たちにも突きつけられていた。
「……米が、もたないな。小麦粉も限界だ」
市庁舎の一室。
机の上に並べた在庫ノートを見ながら、遠藤先生が低く言った。
お米と小麦粉だけじゃない。
乾物。
缶詰。
保存食。
どれも、かなり減っている。
分かっていたことだ。
むしろ、ここまでもった方が奇跡だ。
当初の人数だけなら来年までは保っただろう。だが、これだけ人数が増え、ほぼ全員が力仕事がメインだと主食の減りが早いのは仕方ない。子どもたちにはきちんと食べさせたいし。
「大人一日三食を二食にしても、保ってあと……三週間ってとこだな」
「子どもがいる以上、それ以上は削れませんね」
私の言葉に、誰も反論しない。
削るべきは大人だ。
でも、それにも限界がある。
「畑は?」
「葉物は回り始めてる。でも主食にはならない」
遠藤先生の言葉は、淡々としている。
「サツマイモの収穫までは後2か月以上はかかるだろう。かなりいい感じで育ってきているから、収穫量は十分にありそうだが、サツマイモは収穫したあとは乾かして水分を抜かないと食べられたもんじゃないから、実質は三か月以上かかる」
「……ですよね」
分かっていた。
分かっていて、聞いた。
答えを変えてほしかったわけじゃない。
現実をしっかり確認したかっただけだ。
重く、静かな時間。
その中で、私は口を開いた。
「……調達に行くしかないですね」
誰も驚かない。
ただ、空気が少しだけ変わる。
「場所は?」
「秋葉原」
前にハルくんが言ってたレストランの共同貯蔵庫。
もしまだ誰も気づいてないのなら、残っているはず。
「ハルくん。ハルくんの言ってた貯蔵庫、あとどれくらい残ってたか覚えてる?」
「……4畳くらいの広さの倉庫にぎっしりです。この間行ったときは、3袋ずつしか積んでないので、米も小麦粉も手付かずなら、20袋以上ずつはあると思います。あそこを知ってる人は多くないはずだし、みんな食料の調達はレストランの店舗のほうへ行くでしょうし、気づかれてなければ、残ってる可能性は充分あるかと。……あの、秋葉原に行くなら、ついでにちょっとサバゲ―ショップにも行っていいですか、結花さん」
「何か買うものが?」
「スリングショットをあといくつか買っておきたいんです。今は結花さんのしかないから。売ってる店知ってるんで」
「そうね、あれなら練習しやすい武器だし、あったほうがいいわね。お願い」
そして一番のお目当ては。
「倉庫に残っていたら全部買ってきて。保存については、空いた保存袋を使いまわしにするから大丈夫」
「なら二台で行かないといけないですね」
「ガソリンは缶を開けて使いましょう。往復するなら、各軽トラに半分以上までは入れて」
一つずつ、潰していくように答える。
それでも。
「危険はあると思う。それでも、行くしかない。物資がある場所はもう今は限られてる。もちろん秋葉原にも残っていないかもしれない。でも行ってみる価値はあると思う」
ここで迷う余地はない。
食べるものがなくなるより先に動く。
それだけだ。
「人数は?」
遠藤先生が問う。
「少数で。機動力優先。各1台2名。運転手と戦闘前提の助手」
「持ち帰り切れなかったら?」
「置いてくるしかないですね」
「ならできるだけ積むしかねえな」
「ベルトは余分に持っていきましょう」
「結花さん、スリングショット借ります」
行くことを決めた短いやり取り。
感情はない。
必要な情報だけ。
その時。
「……秋葉原なら俺も行く」
低い声が、横から入った。
全員の視線が動く。
声の主は、いつの間にかロビーに来ていた高瀬さんだった。
真っすぐにこちらを見ている。
「理由は?」
私が問う。
高瀬さんは一瞬だけ間を置いて、答えた。
「外の状況は、ある程度把握している。それに……新宿に行く前は秋葉原の交番に立っていた」
「……なるほど」
「だからある程度、地理と街のことは頭に入ってる」
短い言葉だけれど、十分だった。
新宿でやってきたこと。
あの人がどういう立場にいたのか。
それは、ここにいる全員が知っている。
「それに」
続ける。
「連れて行く人間を選ぶ必要がある」
「……どういう意味ですか」
「パニックになるやつは連れて行けない」
はっきりと言う。
「判断が遅れるやつもだ」
冷静な切り分け。
これは感情じゃない。
地獄を生きた経験から来る線引き。
「……確かに」
小さく頷く。
これは、散歩じゃない。
失敗すれば、帰ってこられない。
「メンバーは迦楼羅、ハルくん、高瀬さん、あと一人は……」
「俺が行く」
ナオトさんが名乗り出た。
「力仕事なら任せてくれ」
ナオトさんなら力仕事は問題なく任せられる。
「じゃあナオトさんで」
「あと一つ」
高瀬さんが言う。
「向こうで人と接触した場合の対応」
視線が、私に向く。
「決めておいた方がいい」
その言葉に、空気がまた少しだけ張る。
――そうだ。
街には物資だけじゃない。
人もいる。
そしてそれは、ゾンビより面倒な場合もある。
「……基本は回避、接触しない」
私は答える。
「接触したら、相手にこちらの情報を与えることになる。それは避けたい」
「もし、向こうが寄ってきたら?」
「状況次第」
間を置く。
「ただし、こちらの安全を最優先」
それが何があっても最優先だ。
命より大事なものはないんだから。
高瀬さんは、小さく頷いた。
「了解」
それで十分だった。
外に出て取りに行く。
生きるために。
市庁舎の外では、夜の風が吹いていた。
静かで、何も変わらないようで。
でも確実に、次の段階に進もうとしている風だった。
明け方、6時前のゲートに軽トラが並ぶ。
運転手は迦楼羅とナオトさん。
「じゃあ行ってくるわ」
ひらひらと手を振って、迦楼羅が先行して青白いカーテンを潜っていく。
早ければ9時、遅くてもお昼には戻ってくるはず、ということで私たちはいつも通りの作業に戻っていく。
今日も暑くなりそうだ。




