85 けじめと言う名の共助
夜。
もう女子高生組を含む子どもたちは休んでいるけど、私たちは待っていた。
向こうからの「けじめ」を。
市庁舎の中は、昼とは違う静けさに包まれていた。
電池式のLEDを取り付けた壁から放たれる光だけが、夜に許されたここでの公の灯りだ。
ロビーには大人たちが揃っている。
人の気配はあるのに、声はほとんどない。
皆、分かっているのだ。
これから、そういう話になると。
私は壁際に立ち、入口を見ていた。
遠藤先生も、その少し後ろにいる。
――やがて。
市庁舎の表の扉が開く音がした。
ぎ、と重たい音。
全員の視線が、そちらに向く。
「……お待たせしました」
低い声。
高瀬さんだった。
その後ろに、三人。
男が三人。
どれも顔色が悪く、視線を上げようとしない。
逃げなかっただけ、まだましなのかもしれない。
高瀬さんはそのままロビーのカウンターの中まで歩き、足を止めた。
「関係者は、この三名です」
それだけ言って、一歩下がる。
余計な言葉はない。
庇う気も、隠す気も。
彼には最初から、なかった。
場の空気が、さらに重くなる。
私はゆっくりと一歩前に出た。
「はじめまして。ここの責任者の方八馬と言います」
「……」
「……確認します」
静かに言う。
「昨日の夜、畑に入ったのは、あなたがた三人で間違いないですか」
返事はすぐには返ってこなかった。
沈黙。
長くはないはずなのに、やけに長く感じる。
「……はい」
やがて、真ん中の男が小さく答えた。
それをきっかけに、他の二人も頷く。
視線は下を向いたまま。
「理由は?」
短く問う。
「……腹が、減って」
男の一人が絞り出すように言った。
「配られた分じゃ、足りなくて……」
その言葉に、ざわりと空気が揺れる。
同じことを思っている人間が、他にもいるからだ。
私はそれを、分かった上で口を開く。
「だから、ルールを破った」
「……」
「畑には近づくなって、最初に高瀬さんから説明しましたよね」
返事はない。
けれど、否定もない。
「知らなかった、は通りません」
一歩、距離を詰める。
「分かっていて、やった」
その言葉で、完全に逃げ道が塞がれる。
高瀬さんが、そこで口を開いた。
「説明はした」
低く、短く。
「全員に」
それだけで十分だった。
責任の所在は、はっきりした。
私は一度だけ息を吐く。
「……今回の件は、窃盗です」
はっきりと言う。
誰も反論しない。
「そして、ルール違反」
言葉を重ねる。
「この二つは、ここでは見過ごせません」
視線を三人から外さずに続ける。
「理由がどうであれ、です」
空気が張り詰める。
ここで何を言うかで、この場所の基準が決まる。
「処分を決めます」
静かに宣言する。
三人の肩が、わずかに強張った。
「まず、今後一切、あなたがたの畑への立ち入りを禁止します」
「……」
「食料配給は継続しますが、優先順位は最下位にします」
小さなどよめき。
重いが、現実的なライン。
「そして」
一拍置いてから、考えていた「処分」を口にする。
「そちらで使う畑を明日からあなた方で作ってください」
「え?」
「食料が足りないというのなら、自分たちで作ることをしてください。畑を作る場所はこの島にはいくらでもあります。使える場所は教えます。まずは私たちの畑の隣の場所にしましょう。土も少しは柔らかいし、そこそこの広さがあります。
必要でしょうから、こちらから種も農具も提供します。知識が必要だと言うなら、教えることもやぶやかではありません。こちらには農業のプロがいますから」
ちらりと遠藤先生を見ると頷いてくれた。
「拒否した場合は」
言葉を区切る。
「この共同体から外れてもらいます」
はっきりと告げる。
静寂の中の完全な沈黙。
その中で、高瀬さんだけがわずかに頷いた。
異論はない、という意思表示。
それを確認してから、私は三人を見る。
「受け入れますか」
しばらくの沈黙の後。
「……はい」
真ん中の男が、震える声で言った。
他の二人も続く。
その声に、ほんの少しだけ力が抜ける。
だが、これで終わりじゃない。
これは始まりだ。
ルールが、形になった瞬間。
そしてそれを破った時、どうなるのかが――全員に示された。
誰も何も言わないまま、夜は静かに更けていった。
翌朝。
昨日と同じように、空は晴れていた。日差しも強く、今日も暑くなりそうだ。
けれど。
畑に向かう足取りは、みんなどこか静かだった。
子どもたちはいつも通りに走っていく。
ユウキも、彩羽ちゃんも、当麻くんも舞ちゃんも変わらない。
――変わったのは、大人の方だ。
畑に着くと、すでに人影があった。
昨日の三人。
私たちの畑の隣のスペースにいる。
「おはようございます」
三人とも頭を下げてくれる。
「おはようございます。来てくれた、ということは受け入れる意思はある、ということでいいですね」
「……はい」
「では、そちらのスペースをそちらの畑にするので、まず畝を作ってください」
「畝?」
「遠藤先生、教えてあげてもらえますか?できるだけ早く収穫できるものから育ててもらいたいんですが」
「この季節ならラディッシュ、小松菜、きゅうりだな」
「種と苗は?」
「用意してある。よし、じゃあやるか。俺はおしえるだけだから、自分たちでやってもらうぞ」
まだ畝になっていない、ただの地面。
雑草もそのまま、石も混じったままの場所。
畑と呼ぶには、ほど遠い。
その横で私たちは自分たちの作業を始める。
良かった、少しきゅうりもトマトも復活してる。
隣りのスペースでは、スコップと鍬が土に刺さる音だけが、繰り返されている。
ざく、ざく、と。
単調で、重い音。
「……ここ、硬いな」
男の一人が、小さく呟く。
返事はない。
ただ、もう一人が無言で石をどかす。
一人は、抜いた雑草をまとめていた。
ぎこちない。
手際も悪い。
見ていれば分かる。
やったことがないのだ。
当然だ。
おそらくきちんとした農作業など初めてなのだから。
それでも、手は止めない。
止められない。
――止めたら、終わるからだ。
遠藤先生が、少しだけそちらを見た。
「……やる気はあるみたいだな」
「ですね」
短く返す。
それ以上は言わない。
ここで手を貸すのは簡単だ。
でも、それをしたら意味がない。
自分たちでやる、と決めたのだから。
子どもたちは、最初はちらちらとそちらを見ていたが、やがて自分の仕事に戻っていった。
虫よけスプレーをかける。
水をやる。
いつも通りの作業。
そのいつも通りの隣で、別の時間が流れている。
隣り合う同じ場所なのに、まるで違う世界のように。
汗が、三人の額から落ちる。
まだ朝だというのに、息はすでに荒い。
それでも。
誰も、弱音を吐かない。
吐けない、のかもしれない。
しばらくして。
「……これ、どこまでやればいいんだ」
小さな声。
迷いの混じった問い。
私は一瞬だけ考えてから、口を開いた。
「遠藤先生お願いします」
「分かった」
遠藤先生が歩み寄り、指で、地面を示す。
「ここからここまで、石と草を全部取り除いて、土をならす。それから、ここにある肥料を土に混ぜ込んで、水をかけて植えるための土の準備をするんだ」
「……はい」
短い返事。
「それが終わったら、畝を作る」
少しだけ間を置く。
「やり方は、あとで教える。……手は貸さないからな。自分たちでやれ」
それだけ言って、遠藤先生はこちらに戻ってくる。
それ以上は、踏み込まない。
やり方は教える。
でも、やるのは自分たち。
線は、そこだ。
風が吹く。
昨日と同じ、海からの風。
けれどその中で。
隣りから土を耕す音だけが、少しだけ重く響いていた。
――同じ朝なのに。
もう、同じ朝ではなかった。
この畑づくりが、向こうの人たちにとってどんな形になるのかまだ分からない。
でも、どうか無駄にはならないでほしいと心から思う。
ここは、共助で生きていくための場所だからだ。




