80 話し合い
夜が明けた。
あまりよく休めなかったけど朝は来る。
私は、濃いめのコーヒーを淹れて寝不足の頭を叩き起こした。
カフェインの取りすぎは良くない。
そんなの分かってるけど、ドーピングが必要な時もある。
「……」
市庁舎の外に出ると、そこはいつもと変わらない海が見えた。
この島に来てからずっと見ている景色だ。
この海の向こうのかつて私たちが暮らしていた場所は今どうなっているんだろう。
ゾンビが壊滅して、人間が取り戻してるのかな。
それともゾンビの楽園になってるのかな?
そもそも、ゾンビの発生は日本だけ?
あまりにも混乱状態すぎて、正確な情報なんかないままに私はこの島に来た。
最初は落ち着いたら帰ろう、くらいに思ってたから。
それが気づけば春の始まりから夏になってしまった。
住人も増えて、ここは避難場所じゃなく「生活」になりつつある。
「結花、いる?」
市庁舎のロビーに迦楼羅が入ってくる。
「おはよう、迦楼羅」
「おはよう。朝ごはんの支度しちゃうわね」
「ええ。ホテルのいる人たちの分は?」
「それは昨日のうちにツバサたちがおにぎり作ってくれてるわ。しかし、お米の減り方が早くなってきたわね」
「そうね。でも仕方ないわ。主食は大事だもの。そろそろ主食の栽培も真剣に検討しないとね」
「それは遠藤先生たちも含めてちゃんと相談しましょう。今日は朝ごはん終わったら、向こうのリーダーとの話し合いだけど、こっちは、結花、アタシ、桃ちゃん、千里、ツバサ、ハル、ナオト、シゲトの八人でいいかしら」
「それ、こっちの圧が強すぎない?」
「何言ってんの。圧が強いくらいでちょうどいいのよ」
まあ、それもそうか。
今回は今までみたいに少人数じゃない。今までのこっちの人数を上回る数だ。
「向こうのリーダーは?」
「高瀬っていう40代くらいの男ね。警察官ですって。部下にタツヤってのがいるわ」
「向こうは警察官が引っ張ってた避難所だったのね」
「そういうことね。できる男よ」
「分かった。じゃあ朝ごはんが終わったら、二階に来てもらって。話し合いをしましょう」
「分かった。向こうに連絡してくるわ」
さて、鬼が出るか蛇が出るか……。
朝ごはんが終わって、市庁舎の二階の会議室にイスとお茶の用意をしたところで、待ち人が来た。
「結花、入るわよ」
「……どうぞ」
迦楼羅に先導されて部屋に入ってきたのは、迦楼羅に聞いていた通り40代くらいのがっしりした男性と、20代の青年だった。
「どうぞ座ってください」
そういうと、2人は入り口に一番近い椅子に座った。
私たちは上座に私と迦楼羅。両端に他のメンバーが座った。
「はじめまして。今日は、この島の初期メンバーで話をさせていただきます」
「やっぱり本当に島なんだな。海を見て夢かと思ったが……」
「現実です。私は方八馬結花。一応、ここでリーダーの役割をさせてもらってます」
「……高瀬幸人だ。警察官をしていた」
「川中達也、高瀬さんの部下です」
それからそれぞれ自己紹介をして、話を始めた。
まずここが未来の島であること。
証拠になるポスターやカレンダー、缶コーヒーの空き缶も持ってきていた。
「……正確なところは分かりませんが、おそらく100年後くらいでしょう」
「何かしらの不思議な現象で、こちらとあちらを行き来できるようになっているということと解釈していいか?」
「おおむねその理解で大丈夫です。私がここを見つけたのはただの偶然です」
「……ただの偶然、か」
「はい。あの日、光る鳥居を偶然潜っただけ。そうしてここにたどり着きました」
「正直だな」
「ごまかす必要あります?」
「……ないな」
高瀬さんが小さく肯定する。
疑っている、というよりは。
理解しきれないものを、一度飲み込んで整理している顔だった。
「信じろとは言いません。ただ、ここにいる全員がそれを前提に動いています」
私は視線を外さない。
ちゃんと見ることが大事だと知っているから。
「……それは分かった」
短く、だがはっきりとした返答。
この時点で。
高瀬さんはこの島を否定する側には回らないと決めたのが分かった。
この人、判断が速い。
さすが30人もの集団を数か月まとめて生き抜いてきた人だ。
「質問いいか」
「どうぞ」
「ここは――安全なのか」
シンプルな問い。
だが、一番本知りたい現実だった。
「完全ではありません」
そう、完全に安全とは言えない。
「でも、少なくともあちらよりは安全です」
「ゾンビは?」
「確認されていません。今のところは」
迦楼羅と桃ちゃんは半ゾンビだからゾンビじゃないって理屈前提だけどね。
「武器の管理は?」
「個人での所持は禁止。必要ならこちらで管理・貸与します」
「食料は?」
「備蓄と調達で回しています。あと、畑も作ってますし、来年には水田と小麦を作ろうと準備しているところです」
答えを用意していたわけではない。
だが、すでに何度も考えて来た答えだ。
「……なるほどな」
高瀬さんが一度、息を吐いた。
「秩序を作る気がある」
「あります」
間髪入れずに言う。
そんな場所を作りたくて踏ん張ってきたのだから。
「ここをただの避難所にはしません。私たちが目指すのは、この島をここにいる人たちの生活の場にすることです」
その言葉に部屋の空気が、わずかに締まる。
高瀬さんの目が、ほんの少しだけ細くなった。
「……いい考えだ。だが難しいぞ」
「分かってます」
「人間はな、追い詰められるとルールを守らない」
「知ってます」
一歩も引かない。
「だから最初から線を引いてます」
静かに。
だが、はっきりと。
「この島のルールを守れない人は、ここには置きません」
空気が、凍る。
強い言葉だった。
だが――嘘ではない。
これは最初に決めたことだ。
ここに必要なのは誠実に生きる人間だ。
「……なるほど」
高瀬さんは、ゆっくり頷いた。
「いい」
その一言で。
この場の力関係が、ほぼ決まる。
試す側と、試される側。
その構図が、終わった。
「では次に」
話を進める。
「これからのことです」
テーブルの上に、簡単なメモを置く。
「現在、この島にはあなた方を含めて54名がいます」
「……多いな」
「ええ。だからこそ役割分担が必要です」
視線を上げる。
「高瀬さん」
「なんだ」
「あなたと川中さんには、島の治安維持を任せたいと思っています」
一瞬の静寂。
「……ほう」
「もちろん、最終判断は私がします。でも現場判断はお任せしたい」
「理由は?」
「お二人に警察官としての経験があるからです」
迷いなく言う。
「それと――あなたたちは制圧できる側の理を知っている」
タツヤくんの視線が揺れる。
高瀬さんは、腕を組んだまま動かない。
「……なるほど」
「秩序の為には制圧が必要な場面。ここは、いずれそういうシビアな判断が必要になる場所です。もちろんその判断については私が責任を持ちます」
優しいだけでは、守れない。
その現実を私はよく知っている。
だから、そういった判断ができる側の人間と実力が必要なのだ。
数秒の沈黙のあと。
「……分かった」
高瀬さんが言う。
「その役目、引き受ける。タツヤもいいな?」
「高瀬さんが由というなら、俺も異存はないです」
「そういうことだ」
「ありがとうございます」
「ただし条件がある」
「何でしょう」
「俺たちは“犬”にはならん」
低い声。
「現場で必要と判断した場合、強制的に止めることもある」
「構いません」
むしろそうしてほしい。
「ただし、後で必ず報告してください」
「当然だ」
そこで、初めて。
わずかに、空気が緩む。
「あともう一つ」
高瀬さんが続ける。
「昨日のあの男」
「ああ、迦楼羅とハルくんから聞きました」
あの暴走しかけた新顔。
「どうする」
部屋の全員が、わずかに意識を向ける。
私は、少しだけ考えてから答えた。
「経過観察にします」
「甘いな」
「ええ」
あっさり認める。
「でも、最初から切り捨てたら、ここは長く持ちません」
「……理由は?」
「恐怖が支配するからです」
静かに。
「恐怖で統制された場所は、必ず崩れます」
それは、経験から出た言葉だった。
「だから、最初はルールで縛ります」
「……」
「それでもダメなら、その時は――」
少しだけ間を置く。
「あなたがたに任せます」
完全な委任ではない。
だが、信頼の提示だった。
もちろんまだすべてを信用しているわけではない。でも、この人が30人をまとめていた事実は確かだ。
「……面白いな」
高瀬さんが小さく笑った。
「理想と現実、両方分かってる」
「そうですね。それなりに分かってるつもりです」
「ならやれるかもしれんな」
その一言で。
この会談は、実質的に成功した。
(……よかった)
私は内心で息を吐く。
これでようやく。
“ただの避難者の寄せ集め”から。
“生活再建の集団”になる。
この場所がまた一歩避難所、から生活、へ近づいた気がした。




