72 救出作戦
市庁舎から走ってくる仲間たちの姿が見える。
安堵の顔。
手を振る者。
軽トラに気づいて駆け寄ってくる足音。
――帰ってきた。
その実感が、ようやく体に落ちる。
「おかえり!」
最初に声を上げたのはユウキだった。
軽トラに駆け寄り、荷台を覗き込む。
「どうだった!?あった!?」
「ああ、ちゃんと持って帰ってきたぞ。それから、これ。ユウキにお土産だ」
ハルがポケットから花と野菜の種を出して、ユウキの掌に載せる。
「みんなで植えるんだぞ」
「うん!ありがとう、ハルにい!」
無邪気な喜びの声。
それを見て、田所がほんの少しだけ表情を緩めた。
「……結花は?」
「中!さっきまで作業してた!」
「呼んできてくれる?」
短い指示。
その声のトーンに、何かを感じ取ったのか。
ユウキの動きが一瞬だけ止まる。
「……うん。行ってくる」
すぐに走り出す。
その背中を見送りながら、ハルが小さく呟いた。
「……話、するんすね」
「するわよ。情報の報告は当たり前。報連相は大事よ」
「ですね」
「あんたも、見たものをそのまま話しなさい」
「はい」
迷いはない。
でも。
その目は、少しだけ重かった。
「……軽い話じゃないもの」
ぽつりと落ちた言葉。
田所が、クーラーボックスを抱え直す。
「私は先に処置に入ります」
「お願い」
医療は待てない。
それもまた、現実。
田所が足早に離れていく。
残されたのは、迦楼羅とハル。
そして――さっきまでとは違う、“日常の音”。
人の声。
笑い。
生活の気配。
(……ここは、まだ“守れてる”)
だからこそ、否応なくあそこを思い出す。
汗と血と、閉じた空気。
助けを求める目。
(……30人)
消えない。
頭から、離れない。
「かるさん」
「なに」
「……連れてきますか」
もう一度の確認。
さっきと同じ問い。
でも今度は。
“帰ってきたあと”の問いだ。
重さが違う。
迦楼羅は、少しだけ空を見た。
夕焼けが、ゆっくりと沈んでいく。
「――分からない」
正直な答え。
「でも……見捨てるなら、最初から関わらないほうが楽だったわね。希望だけを与えてしまったのならアタシたちのしたことは間違いだった」
自嘲気味に笑う。
「……ですよね」
ハルも苦く笑う。
そのとき。
「迦楼羅!」
声が飛んできた。
振り向く。
結花が、走ってくる。
少し息を切らして。
でも、まっすぐな目で。
「……おかえり」
「ただいま」
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
空気が、柔らぐ。
でも。
すぐに、現実に戻る。
「報告、あるわ」
「うん」
「――重い話よ」
結花が、頷く。
その顔に、迷いはない。
「聞く」
短い返答。
それだけで、十分だった。
「新宿で――30人の生存者グループを見つけた」
空気が、変わる。
周囲の音が、少しだけ遠くなる。
「状態は最悪。食料なし、水も不足。子どももいる」
「……」
「あと1週間から10日で限界」
淡々と。
事実だけを並べる。
感情は乗せない。
それでも事実は十分に重い。
「――どうする?」
最後の一言。
それはこの島のリーダーへの判断のバトンだった。
「……まずは詳しい話を中で聞かせて。その集団の情報は?」
「名前と年齢、健康状態なら聞き取りしてきたわ」
とノートを差し出す。
「分かった。じゃあみんな、一旦市庁舎へ。このことについて相談しましょう」
市庁舎のロビーに、予防接種組と子どもたち以外が集まった。
ホワイトボードに「新宿の生存者グループについて」と大きく書く。
「じゃあ、そのグループについて、迦楼羅お願い」
「了解」
そこで、高瀬達との邂逅から、物資を全部渡したことと、向こうが避難を求めていることを淡々と報告する。
「――どうする?」
迦楼羅の言葉が結花へ向かう。
わずかな沈黙。
結花はすぐには答えなかった。
考えている。
感情じゃない。
“全体”を見ている目だ。
(……やっぱり、この子がリーダーね)
迦楼羅は内心で思う。
そう、こういう子だからここを作ってこられた。
やがて。
「……人数は?」
「30人。子ども込み」
「戦える人は?」
「半分もいないわね。高瀬ってリーダー格と、あと数人」
「感染の疑いは?」
「噛まれた人はいない。ただ、脱水と疲労で発熱者が4人」
「重症者は?」
「田所先生が診てくれたけど、重症者はいなかった。大怪我している人も」
「そう。じゃあ、全員に回復の可能性は高いわね」
淡々としたやり取り。
周囲も、いつの間にか静かになっていた。
結花は一度、目を閉じる。
「――条件付きで、受け入れようと思う」
「条件?」
「ええ」
その一言で、空気が張り詰める。
ハルが、わずかに息を呑む。
「条件は三つ」
指を一本、立てる。
「一つ。全員、この中心地以外の場所に入ってもらう。いきなりこの中心地には入れない。簡単に言えば、寝泊まりは今使えるホテルを使ってもらう。ここには近寄らせない。今ホテルを使っているのは誰?」
「俺たち家族とツバサくんたち4人だな」
「じゃあ、その皆は今直してる空き家が調うまで申し訳ないけどこの市庁舎で寝泊まり。新しく来る人たちと接触しないための措置です。ナオトさん、空き家が暮らせるようになるまであとどれくらいかかる?」
「そうだな、2軒だけなら、あと1週間でどうにかなる」
「じゃあそれで。ベッドはホテルから必要な分だけ運びましょう」
新しいグループからの旧住人の隔離。
それは摩擦を起こさないために当然の判断だ。
「二つ。全員の健康状態の確認が終わるまで、接触制限。医療班、田所先生と遠藤先生と助手の女子高生組以外は近づかない。念のため、ツバサくんに医療班の護衛をしてもらう」
相手の「戦力」が測れない以上、護衛は当然必要だ。ツバサが頷く。
「分かった、やらせてもらう」
「三つ」
一瞬だけ、言葉を区切る。
「――こちらのルールに従えない場合は、受け入れない。これは絶対。ここには明確なルールがある。すべてが自由な場所じゃない」
「そのとおりね」
優しさもある。
でも。
明確な線は、引く。
「……それでいいと思う」
ナオトが小さく頷く。
むしろ、甘いくらいだとすら思う。
「食料は?」
「すぐに全員分は無理。でも、分配すれば最低限は持つ。備蓄はまだ余裕あるから」
「飲み水は?」
「山の上の湧き水をリレーで運んで量を確保。足りなければ、市庁舎の前にある湧き水を煮沸して使う」
即答。
もう、結花は決めている。
その速度に、ハルが苦笑した。
「最初から受け入れるつもりでした?」
「……半分はね」
結花が肩をすくめる。
「でも、判断材料は必要だったから」
だから聞いた。
だから確認した。
「……あの人たち、もう限界っすよ」
ハルが、ぽつりと漏らす。
あの空気を思い出したのだろう。
「分かってる。迦楼羅とハルくんがそう判断して物資を渡したのなら、話が通じる相手だったってことだもの」
結花は、信頼を口にした。
「だから急ぎましょう。迎えに行く準備をする」
その言葉で、周囲の空気が一気に動いた。
「輸送は?」
「軽トラなら何人乗る?」
「荷台に座ってもらって8人くらいかしら。無理して9人。助手席使って9人から10人かしらね」
「それなら三往復ね。ちょっと体力的にはきついもしれないけど、往復数は少ないほうがいいから頑張ってもらいましょう」
「護衛は俺が出ます」
ハルが即座に手を挙げる。
「アタシも行くわ」
迦楼羅が続く。
「もちろん。迦楼羅は運転手、ハルくんは護衛で」
結花が頷く。
「他のみんなは、受け入れ準備をお願い。最優先は衛生管理。お風呂に入る体力がありそうな人はまずお風呂と着替え。それから寝られる環境を作ってあげて。あとは大したものは食べてないでしょうから、胃に優しいおかゆを用意しておきましょう。報告のノートを見ると、子供は5人ね。まず子供が優先で。それと体力的には高齢者ね」
「分かりました」
少し離れた場所から、声が返る。
すでに動き始めている。
「ホテル空けるよ!」
「毛布と水、先に運ぶ!」
「子供優先で場所作れ!」
「風呂の用意いける人!」
誰かが叫ぶ。
それに、誰かが応じる。
連鎖する。
動きが広がる。
(……強いわね、この集団)
迦楼羅は思う。
個じゃない。
“群れ”として機能している。
結花と言うリーダーを主軸に、生きるために動けるコミュニティとして機能している。
「出発は?」
「午後9時のゲートで。夜になるけど、急いだほうがいい。どちらにしても最短でも明日までかかる作業だもの」
結花が言う。
「迦楼羅、ガソリン足りそう?」
「まだ半分以上あるから大丈夫よ。新宿までなら三往復は行けると思う」
「ならお願い。念のため、運転席の下にガソリン缶一つ入れておいて」
短い指示。
でも、十分に結花からの信頼を感じる。
「了解」
ハルが頷き、すぐに走り出す。
迦楼羅は、その背中を一瞬だけ見て。
そして。
結花に向き直る。
「……いいの?」
「何が」
「抱えることになるわよ」
30人。
それは“助ける”じゃ済まない。
“背負う”数だ。
結花は、少しだけ笑った。
「今までもそうしてきたでしょ?ここで暮らす人が増えるだけ」
それだけだと、言い切る。
「……そうね」
迦楼羅も、小さく笑った。
「じゃあ、やりましょうか救出作戦」
「うん」
夕焼けが、さらに濃くなる。
夜に紛れて、もう一度あの場所へ。
今度は――連れて帰るために行くのだ。




