71 お土産を買います
「……間に合わないわね」
時計を見ると12時少し前。
ここからでは12時のゲートに間に合わない。そうなると、午後6時のゲートの時間まで待たないといけないが、時間を潰せる場所など……。
「先生、クーラーボックスは夕方までもつ?」
「ええ、大丈夫だと思います」
「なら、6時のゲートで帰りましょう。そうなるとどこかで時間を潰す必要が出て来たわね……」
「どこかに籠もるしかないっすね」
ハルが言う。
「でも、適当に入るのは危ないわよ。さっきみたいに“中にいる”可能性もある」
ゾンビだけじゃない。
人も、だ。
「……屋上、どうですか」
田所が、ぽつりと口を開く。
二人の視線が向く。
「下よりは接近されにくいですし、見通しも効きます。万が一の時はロープか何かで降りることもできるかと」
「……悪くないわね」
迦楼羅が頷く。
「問題は“上がれる建物”があるかどうか、ね」
「あ、なら」
ハルが手を打つ。
「池袋のデパートの屋上はどうですか?非常階段も使えるし、見通しもいいです」
「でもデパートは避難している生存者がいそうよ」
「ああ、そうか。なら、池袋の雑居ビルなら?西にも東にも雑居ビルは多いです」
「なるほど。レストランとかない雑居ビルなら人が残っている可能性は少ないわね」
池袋からなら道のどこがゲートまで通りやすいか覚えている。
「ならそれでいきましょう。時間稼ぎさえできたらいいから欲張るのは禁止よ」
「もう今となっちゃ、大したものは残っちゃいないですよ」
池袋の西口の大きな百貨店と大きなホテルの間を抜けて、板橋方面への道を確認しながら身を隠せそうなビルを探す。
板橋方面へ向かいながら、目をつけたのは3階建ての古い雑居ビルだった。
マンションに囲まれたその雑居ビルは1階が花屋、二階と三階に会社の事務所が入っていたようだ。
「ここなら大丈夫そうね」
軽トラは明りの落ちた一階の花屋の中に入れておく。
それから三人で二階に上がる。
そっと警戒を緩めずに。
幸い、二階にも三階にも人もゾンビもいなかった。
屋上へ上がり、ドアを開けると夏の始まった少し暑い空気が広がっていた。
「ここからなら見やすいですね」
「ええ。とにかく休みましょう。さっきの新宿でだいぶ疲れたわ」
「帰りの運転、交代しましょうか?」
「いいわ。ハルにはそのスリングショットで警戒してもらわないといけないから」
「分かりました。これ、結花さんに借りたんですけど、めちゃくちゃ実践向きですね。何でも飛ばせるし、遠距離攻撃ができる」
「あの子が持ってたのなら、必要だと思って備蓄してたんでしょうね」
「これなら力のない女性や子供でも使いやすいし、エアガンほど使い方を練習する必要もないし、いいと思います。今ある物資で作れるのならいくつか作っておくのもいいですね」
結花が武器を必要としたシーンが過去にあったというのなら、その経験からスリングショットと言う遠距離攻撃ができるものを選んだのだろう。
(考えてみれば、アタシ、あの子の過去のこと何も知らないのよね……)
無理に聞き出すつもりもなかったことだ。
必要ならそのうち本人から話してくれるだろうと。
やがて少しずつ日が西に傾き始め、出発の時刻が近くなる。
幸い、この周辺には生存者グループはいないようで、ビルに近づく者もいなかったし、ゾンビも多少はうろうろしているが、新宿に比べたら圧倒的に少なかった。
「あ、かるさん。俺、車に乗り込む前にちょっと一階の花屋に寄っていいですか?」
「花屋?なんで?」
「ユウキにお土産強請られたでしょ?で、私物を漁ってみたら、500円玉が一枚あったんで持ってきたんです。これで花の種でも買って帰ってやろうかなーって」
「いいですね。花を育てるのは、子供たちの情操教育にはすごくいいと思います」
「……悪くないわね。ハルのくせにいい案じゃない」
「ちょ、かるさん、それひどくないですか!?」
迦楼羅は肩をすくめる。
「褒めてるのよ。あんたのそういう“無駄じゃない余裕”を持てるのは強みだわ」
「無駄じゃないって言ったのにディス混ざってません?」
「気のせいよ」
「絶対違う……」
軽口を叩きながらも、三人は立ち上がる。
空は、少しずつ確実に夕方の色に変わり始めていた。
あと1時間もない。普通に行けば15分で着くが、少し余裕は持っておきたい。
「さ、帰りましょう」
屋上のドアを閉め、階段を下りる。
音を立てないように――だが、必要以上に神経質にはならない。
“帰り道”は、もう決まっている。
一階に降りると、花屋の店内は薄暗かった。
ガラス越しの光が、埃の粒を浮かび上がらせている。
枯れた花々が、ただ物悲しい。
「……荒らされてないな」
ハルが小さく言う。
「食料じゃないからでしょうね」
棚には、乾いた鉢と、袋詰めの種。
レジ周りも、ほとんど手つかずだった。
「これだな」
ハルが手に取ったのは、小さな種の袋。
「ひまわり、朝顔……あと、野菜の種も結構あるな」
「食べられるのもいいわね」
「トマトにしますかね。あとネギ。ネギは強いし」
ぶつぶつ言いながら、いくつかポケットに入れる。
その動作は、どこか日常的で。
こんな世界になっても、変わらないものがあるようで。
(……悪くないわね)
迦楼羅は、ほんの少しだけ目を細めた。
「終わった?」
「はい」
500円玉をレジのカウンターに置いて、ハルが振り向く。
「じゃ、行くわよ」
軽トラに乗り込み――エンジンをかける。
低い振動。
それと同時に、夕方の空気が動き出した。
一階の店を出て、道路の方向へハンドルを切る。
「ゲートまで、一直線よ」
「了解」
車は静かに発進する。
昼よりも影が長く、街はどこか歪んで見えた。
ゾンビの数は、わずかに増えている。
前から思っていたけど、暗くなってからのほうがゾンビは活動が活発になる傾向がある。
「……動き出してるな」
「時間帯で動きが変わるのかもしれないわね」
「前から思ってました。ゾンビは暗くなってからのほうが動きがいいなって」
「アタシも思ってた」
だが、問題はない。
ルートは把握している。
無駄に止まらない。
それだけで、生存率は跳ね上がる。
車は、確実に距離を稼ぐ。
交差点を抜け、路地を選び、大通りを横切る。
――そして。
「見えた」
ハルが前方を指差す。
こちら側からの入り口の鳥居だ。
まだ少し時間がある。
「間に合ったわね」
迦楼羅が、わずかに息を吐く。
辺りを警戒する。
スモークの車はいない。人の気配も感じない。
代わりに、ゾンビが数体。
ゲート周辺に、ゆらゆらと立っている。
「突っ切る?」
「数は少ない。いける」
ハンドルを握り直す。
時計を確認。30秒を切った。
アクセルを踏み込む。
「行くわよ」
軽トラが一気に加速する。
――音に気づいたゾンビが振り向く。
だが遅い。
スピードを上げ、タイミングを計りながらゾンビの間をすり抜ける。
「右!」
「見えてる!」
一体をかすめるように避け、もう一体をバンパーで弾く。
衝撃。
だが、止まらない。
「そのまま!」
ゲートが、目前に迫る。
6時ぴったりに青白い光が広がる。
ほんの数秒の開錠。
視界が白く染まる。
そのまま、突っ込む。
――瞬間。
音が消えた。
光だけが、世界を覆う。
そして。
次の瞬間。
タイヤが、別の地面を踏んだ。
風の匂いが違う。
空気が違う。
“帰ってきた”。
「……はぁ」
ハルが、深く息を吐いた。
「戻った……」
田所も、小さく呟く。
迦楼羅は、ハンドルを握ったまま前を見ていた。
その視線の先にあるのは――自分たちの拠点の島の風景。
そして。
(……30人)
連れてくるかどうか。
その判断が、ここで下される。
「……田所先生は、女子高生組と遠藤先生と、予防接種を優先して」
「分かりました」
「アタシとハルは、新宿での出来事の報告」
「はい」
市庁舎から走ってくる仲間たちの姿を見ながら、結花はどんな判断を下すのだろうと迦楼羅は考えていた。




