67 新宿
少し雲が多い朝だ。
だけど、子どもたち以外は全員、鳥居の前に集まっていた。
今から、新宿へ向かう三人を見送るために。
そして見送った後、すぐに防衛装置を定位置に戻すために。
まだ空が白みきらない時間に、エンジン音が静かに鳴った。
鳥居の前から、ゆっくりと動き出す。
6時まであと10秒。
「……行ってくるわね」
田所先生が窓越しにそう言うと、見送りの手がいくつも上がった。
「気をつけてね!」
「お土産忘れんなよ!」
「無事に帰ってこい!」
その声を背中に受けながら。
迦楼羅たち三人は――外へ出た。
最初のうちは、見慣れた道だった。
放置車両だらけの神社の前の道路。
人のいなくなった住宅街。
開け放たれたままの玄関。
倒れた自転車。
幸い、スモークガラスの車の奴らはいなかったみたいで、追跡されている様子もない。
「この辺は……まだいいな」
ハルが、荷台から前方を見ながら言う。
「道も抜けられるし」
「ええ。でも油断しないでいきましょう」
返しながら、地図と外を迦楼羅が見比べる。
問題は、ここから先。
少し進むと、道の様子が変わった。
車の数が増える。
止まっている、というより――“詰まっている”。
「……この辺りから都内中心に向かう車がこんな状態なのね」
迦楼羅が低く呟く。
交差点の信号の先に、何十台もの車が折り重なるように止まっている。
ドアが開いたままの車。
窓ガラスが割れている車。
クラクションを押されたまま、バッテリーが切れて沈黙した車。
「ここは……歩道を抜けるしかないわね」
ゆっくりとハンドルを切る。
車と車の隙間を縫うように。
歩道に上がると放置された自転車も多かったが、それは避ければ進むことができた。
手間ではあったが、仕方ない。
慎重に、新宿方面へ道路と歩道、裏道を使って進む。
その間誰も、余計なことは言わなかった。
音が、響くからだ。
少しの接触音でも。
少しの金属音でも。
この静けさの中では――やけに大きく聞こえる。
音はゾンビを呼ぶ。
だからできるだけ静かに、呼吸音さえ大きく聞こえる世界を進む。
「……静かすぎる」
田所先生が、小さく言った。
「ええ」
鳥の声も、ほとんどない。
風の音とタイヤが進む音だけ。
道は、さらに荒れていく。
大型車。
バス。
横転した配送トラック。
完全に道を塞いでいる場所も出てきた。
「ここは無理ですね」
「迂回するわ」
地図を確認して、細い道へ入る。
幸いと言っていいか、道路標識は残っていて、方向的に迷うようなことはなかった。
住宅と住宅の間を抜けるような細い道も進む。
ここなら、車も少ない。
でも。
「……人がいた気配、あるな」
ハルが、ぽつりと言う。
確かに。
玄関の前に積まれたゴミ袋。
空になったペットボトル。
動かされた形跡のある自転車。
“最近まで使われていた跡”。
まだいるのか、もういないのか、街並みを見ているだけでは判断がつかない。
「……このまま進むわよ」
迦楼羅は短く言った。
ここで、生存者と接触するわけにはいかない。
それが結花の決めたルールだ。
やがて、視界が開けた。
目に入る建物の高さが、変わる。
低い家並みが終わり、ビルが増え始める。
そして。
少し遠いが見えた。
新宿のビル群が。
「……見えた」
ハルが、息を呑む。
新宿の摩天楼。
ガラスとコンクリートの塊が、空に突き刺さるように立っている。
かつては、人で溢れていた街。
今は遠くても分かるくらい――静まり返っている。
「……行くわよ」
アクセルを、少し踏む。
その瞬間風景がまた変わる。
道路は広く。
建物は高く。
そして。
“放置車両の量”が、桁違いに増えた。
そして、閉じたビルの中や車の中にいるゾンビたちの数も今まで見て来たより桁違いに多い。
道にもうろうろしているが、掃除できないほどの数ではない。
「……これは」
「日本一って言ってたの、間違ってなかったな」
苦笑する余裕すらない。
車の海の間から、隙間を探すのも一苦労だ。
「ここからは、さらに慎重に」
スピードを落とす。
ほぼ、徐行。
それでも確実に近づいている。
新宿三丁目の標識が見えた。
目的地は、もうすぐだ。
そのとき、迦楼羅が車を停めた。
「……いるわね」
「いる?」
田所が辺りを見回す。
「アタシたち見られてる」
「……どこ?」
「分からない。でも――いるわ」
視線を巡らせる。
ビルの窓。
看板の影。
路地の奥。
どこも、静かだ。
ゾンビたちは閉じ込められているビルの中で蠢いているのが見える。
でも。
(いる)
見られている。
それも複数の視線だ。
確信だけが、ある。
新宿は。
――“空じゃない”
結花の言葉通りだった。
ここには複数の生存者グループがいる。
それが敵か味方かどっちでもないのか、まだ分からない。
「……予定通り行くわ」
声を落として言う。
「停車ポイントまであと少し」
ハンドルを握る手に、力が入る。
目的地はすぐそこ。
でも。
本番は――ここからだ。
「田所先生、目的地に車を入れるならどこ?」
「会館の入り口を破って、ロビーに入れるのが一番かと。入口が壊れていればベストなんですが……」
「それを期待していきましょうか」
軽トラは、ゆっくりと進む。
ビルの影が、車体にかかる。
さっきまでの空の広さが、消えたて、頭上から感じるのは物質の圧迫感。
「……この先よ」
田所が、ナビをする。
指差した先の通りを抜けた大きめの幹線道路の交差点に目的の建物が見える。
農業組合の会館。
ここから確認した感じでは、外壁は無事だが――
「……シャッター、半分落ちてるわね」
入口の大型シャッターが、途中で止まっていた。
完全には閉じきれていない。
そして、――車が一台、斜めに突っ込んでいるのが見えた。
「……誰かが、こじ開けようとした跡か」
ハルが低く言う。
「あるいは、逃げ込んだか、ね」
どちらにしても。
(中は物色されていると思っていい。そして誰かが住んでいる可能性も高い)
完全な無人じゃない。
その可能性が、一気に上がる。
「どうします、かるさん」
ハルが、声を潜める。
迦楼羅は、数秒だけ黙った。
周囲を見渡す。
ビルの上。
道路の奥。
色々な場所から動いているこの車に集まっているのは――視線。
「……予定通り」
短く言う。
「車、突っ込むわよ」
「了解です」
ゆっくりと、アクセルを踏む。
ガリ、と。
シャッターに当たった車の残骸を押しのける。
金属音が、嫌に響いた。
――その瞬間。
交差点の向こうの百貨店で何かが動いた。
「……かるさん、あれ」
「今はまだ大丈夫よ。あそこから出る知恵はあいつらにはないわ」
迦楼羅の声が鋭くなる。
前だけを見る。
入り口の自動ドアは割れている。
「いけるわ」
軽トラの先端が、暗闇に飲み込まれる。
そして。
ビルの中へ、広いロビーの中に軽トラを停める。
ロビーは、半分崩れていた。
受付カウンターは倒れ。
床にはガラス片が散らばり。
ポスターが剥がれかけている。
だが。
「……電源、まだ生きてる」
田所が、天井を見上げる。
非常灯が、かすかに点いている。
どうやらこのビルの屋上の太陽光発電は仕事を続けていたようだ。
「冷蔵庫、大丈夫な可能性あるわ」
「急ぐわよ」
「確か三階だったはずです」
「行きましょう。ハル!あんたはここで軽トラを守ってなさい!田所先生の護衛はアタシに任せて、あんたは荷物を守ってて!」
「分かりました!」
ハルが背負っていたリュックから取り出したのは、結花から借りたスリングショットだった。
結花の備蓄の中にあったスリングショットを最初見せられた時はなぜこんなものを?と聞いた。
「一応、身を護るための武器として合法なものを探したの。で、遠距離攻撃可能なのってこれくらいしかなくて」
と言った結花に、サバゲ―マニアのハルが使い方を教えた。
そして今回、結花にお願いして貸してもらったのだ。
保冷剤をみっしり詰めたクーラーボックスを斜めがけにして、車を降りた田所が階段へ向かう。
「確かこっちです」
そのとき。
「……来たな」
ハルが、低く呟いた。
入口の外。
――影が、動いた。
一つじゃない。
二つ。
2人分の人影が入ってくる。
ゾンビの動きじゃない。人間だ。
「……人間だ」
ハルが、小さく言う。
影は、入り口を入ったすぐのところ、すぐ逃げ出せる距離で様子を見ている。
こちらと同じように。
(探り合い、か)
そして。
その中の一人が、ゆっくりと前に出た。
若い男だ。
でも。
その後ろに――もう一人。
40代くらいの男が、腕を組んで立っていた。
視線が、合う。
新宿の中心で、生存者同士の、最初の接触が始まる。




