66 新宿遠征ミーティング
翌朝。
市庁舎のロビーには、またホワイトボードが引き出されていた。
昨日までの「山羊捕獲作戦」の文字が消され、その上に新しく書かれる。
――新宿遠征。
その一言だけで、空気が変わる。
ざわつきはない。
でも、全員が分かっている。
これは、今までとは違う。
「……始めるわね」
私――結花が口を開くと、自然と視線が集まる。
「今回の目的は二つ」
指を二本立てる。
「家畜用ワクチンの確保」
一本。
「それと――情報収集」
もう一本。
「新宿は大きな街だし、拠点になるような建物も多い。だから生存者はいると思ってる。同時に人の多さを考えたらゾンビもめちゃくちゃ多いと思うから、かなり厳しい進路になると考えてるわ」
その言葉に、数人の表情が引き締まる。
やっぱり、そこが一番の不安要素だ。
でも、私たちの中から犠牲者は出さない。そのためのメンバーは。
「で、今回の遠征メンバーだけど、田所先生、迦楼羅、ハルくん――この三人で行く」
軽くざわめき。
「何でハルなんだ?」
ツバサくんに聞かれて私はハルくんを選んだ理由を話した。最初は遠藤先生に、と考えていたけど、迦楼羅との相性の良さを今回は優先した。
それを聞いて、ツバサくんも納得してくれた。
「動きやすさ優先。今回は“戦闘”じゃなくて“回収と偵察”だから」
「賛成だ」
短い肯定の声があちこちから上がる。
「私が行くのなら、一つお願いがあるの」
田所先生が手を挙げる。
「何ですか?」
「クーラーボックスの保ちを持ち出し時から最低10時間は確保してほしい」
「はい。何度か試してみましたが、いけると思います。むしろ丸一日くらいなら大丈夫です」
「なら、ワクチンさえあれば無事に持って帰れると思うわ」
田所先生が、静かに言う。
「ええ。ワクチンの種類や保存状態、使えるかどうかの判断は先生にしかできない。先生の知識をお借りするしかないんです」
「分かってます。行きます」
迷いのない返事に震えはない。
覚悟はもう決まっている顔だ。
「で、護衛と現地判断は迦楼羅」
迦楼羅が、にやりと笑う。
「任せなさい。面倒なのが出てきても、どうにかするから」
「どうにか“しすぎない”でね」
思わずツッコむ。
「はいはい」
この人がいる安心感は、やっぱり大きい。
「ハルくんには、迦楼羅と先生のフォローお願いね」
「はい!」
「移動は車よね?」
「最初は私の軽にしようかと思ったけど、やっぱり軽トラのほうがいい思う。軽トラのガソリンはまだあるからいけると思うけど、念のためガソリン缶を一つ持って行っておいて」
「ええ」
「往復で10時間以内に日帰り想定です」
「距離的には問題ないが……」
「問題は“途中”と“現地”」
自然と、言葉が重なる。
全員、同じことを考えている。
「ルートは?」
「幹線は避ける。詰まってる可能性が高いから」
「裏道中心か」
「そう。多少遠回りでも、安全優先」
ホワイトボードに簡単なルート図を書き込む。
新宿までなら通常の道路さえ空いていたら20分もかからないけど、そうはいかないだろう。
多分日本一放置車両が多い道だ。
「で、現地到着後だけど」
マーカーを止める。
「基本は“生存者とはこちらからは接触しない”」
その一言で、空気がピンと張る。
「生存者がいても?」
「様子次第」
はっきり言う。
「こちらから積極的には関わらない。関わるのならどうしても必要な場合だけ。向こうから接触してきたらその時は迦楼羅の判断に任せる」
「……現実的ね」
田所先生が小さく頷く。
「ワクチンの場所は?」
「農業組合の施設。先生、位置は分かります?」
「ええ。建物の構造もある程度覚えてるし、実際にワクチンがある場所も入ったことがある。あそこは非常用電源があるし、太陽光パネルも設置していたから、ワクチンの冷蔵庫は生きている可能性が高い」
「助かる」
その情報があるだけで、成功率がかなり上がる。
「回収にどれくらい時間かかる?」
「状態確認込みで……建物に入って最短で三十分。長くて一時間」
「じゃあ、現地滞在は最大一時間くらいで」
「それ以上は危険だな」
遠藤先生の言葉に田所先生も頷く。
「うん。長居はしない」
そこは絶対。
「あと」
少しだけ、声を落とす。
「もしもの時」
全員の視線が、集まる。
「撤退を最優先。物資よりも人命。それは絶対」
大事なのは無事に帰ってくること。
これは絶対に譲れない。
ここで欲張ったら、終わる。
「……了解」
低く、揃う声。
そのとき。
「ねえ」
横から、小さな声。
ユウキだった。
「新宿って、危ないの?」
一瞬だけ、空気が止まる。
でも。
「……ちょっとだけな」
ハルくんがしゃがんでユウキと目線を合わせる。
「でもな」
大きな手で、ユウキの頭を撫でる。
「ちゃんと準備して行く。俺はゆかねえに強い武器を貸してもらったから、それでかるにいと先生を守るよ、約束だ」
「ほんと?」
「ああ」
ハルくんがユウキに笑って見せる。
「ちゃんと帰ってくるよ」
その言葉に。
ユウキが、こくんと頷いた。
「じゃあ、お土産待ってるね、ハルにい!」
「そこ!?」
思わず笑う。
場の空気が、少しだけ緩んだ。
でも。
向かう場所への緊張は、消えない。
「――出発は明日、早朝」
行くと決めたなら早いほうがいい。
「今日は準備に集中して」
私の指示にみんな頷く。
そう、実働隊の三人だけじゃない。これはここにいるみんなのミッションだ。
「装備、燃料、ルート確認、これから全て詰める」
「「「了解」」」
新宿へ。
外の世界へ。
守るために――取りに行く。
そのためには。
「あと一つ、いい?」
私は手を軽く上げた。
「今回、手ぶらで行くのはやめましょう」
数人が顔を上げる。
「新宿は、人がいる可能性が高い」
あの大きな街ならそうだと思う。
「そして――その人たちは、私たちと同じで“生きるために動いてる”」
だから。
「何も持ってない外から来た人間って、一番扱いが悪くなるの」
「……確かに」
英二さんが腕を組んだまま頷く。
「だから、少しだけでいいから、交渉道具として、物資を持っていく」
「どの程度だ?」
「渡しても困らない量」
はっきり言う。
「水と、個包装の食料。それと簡単な医療用品、くらいでいいと思う。その物資ならそこそこ余裕はあるし」
湧き水を詰めた20リットルのタンクを二つとカロリーバーひと箱、救急キット一つくらいなら出しても惜しくない。
「最初から全部は見せないで」
視線を巡らせる。
「必要になった分だけ出す形で」
迦楼羅が、くっと笑う。
「いいじゃない。交渉前提ってわけね」
「そう。争うためじゃない。話を成立させるための準備物資よ」
静かに言い切る。
田所先生が、小さく頷いた。
「……それに」
「ワクチンを扱える人間がいるって分かれば、それ自体が交渉材料になる」
「ええ」
そこが一番強い。
「私たちは“物”だけじゃなく、“できること”も持っていく」
「なるほどな……」
英二さんが、低く唸るように言う。
「いい判断だ」
「じゃあ、準備を始めましょう」
まずは明日、無事に新宿へ着くことが最初のハードルだ。




