65 島に山羊がいる生活
「……時間だ」
誰かが呟く。
自然と、空気が締まる。
「装備、最終確認」
私が言う。
「ヘッドライト、点灯確認」
「ロープ、結び直し」
「手袋、着用」
一つ一つ、声が返る。
「――よし」
息を吸う。
「行くわよ」
「「「了解」」」
山へ向かう足音が、重なる。
誰も無駄なことは言わない。
ただ、静かに。
迷うことなく、それぞれの持ち場へ向かう。
昼間のうちに設置できるものはしておいた。落ちたりズレたりしないように確認もした。
追い込み班が散り。
私を含めた囲い班は、囲いの位置に立つ。
木の陰に隠れて、息もひそめるようにして。
囲いと言っても、単純に木の上から網を落とし、ロープで捕獲するだけだ。
単純だけど、罠みたいな囲いは大げさすぎたし資材が足りなかったので没にした。
ロープを握る。
手のひらに、汗が滲む。
(ここで、捕まえる)
必ず成功させる。
「結花。緊張しすぎ」
後ろから耳元にぼそっと迦楼羅に囁かれ、ハッとする。
「大丈夫よ、みんないるんだから」
「……うん」
ちょっと力みすぎてた。
そうだ、成功させなきゃって気持ちが強すぎた。
大丈夫、きっとうまくいく。ダメなら次もある。
ここには頼りになる仲間たちが増えたんだから。
その時遠くで小さな音がした。
――カサ。
草を踏む音。
全身の神経が、研ぎ澄まされる。
次の瞬間。
笛の音が、山に響いた。
――ピィッ。
「来る!」
「追い込んでくるぞ!」
「位置につけ!」
暗闇が始まった山に響く声。
そして。
遠くにあった影が、動いた。
山羊たちが――“こちらに流れてくる”。
影が、増える。
一つ、二つ――いや、もっと。
斜面を滑るように、山羊たちがこちらに駆けてくる。
「速い……!」
山羊ってあんなに速いの?
想像以上だった。
軽い。
しなやか。
岩も、草も、関係ない。
まるで“地形そのもの”みたいに動く。
「そっち行くぞ!」
遠くからツバサくんの声。
「散らすな、流せ!」
英二さんの低い声が重なる。
山羊たちは一瞬、こちらに気づく。
(……まずい)
警戒された。
その瞬間。
後方から石が投げ込まれた。
――ガンッ!
音が弾ける。
山羊たちが跳ね、反射的に――前へさらに加速する。
「来る!」
第一ゲート。
そこには鉄パイプで作った簡易のテキサスゲート。
一頭が、手前で止まる。
蹄をかけて――引いた。
嫌がっている。
でも。
後ろから、圧が来る。
群れの流れが、止まらない。
一頭が、踏み込んだ。
――ガコン。
不安定な音が夜の山に鳴る。
次の瞬間。
先頭の山羊が第一ゲートを飛び越えた。
「越えた!」
「いい、そのまま群れを流して!」
二頭、三頭と続く。
迷いながらも、止まりきれない。
そして――第二ゲート。
こちらのテキサスゲートは大きめに作ってある。
ここで、流れが詰まる。
一頭が横に逃げようとした。
「右、抜ける!」
「回れ!」
追い込み班が動く。
影が回り込む。
逃げ道を“消す”。
山羊が、向きを変える。
前。
唯一の“開いている道”。
そこへ――
「今!」
私は叫んだ。
ロープを引く。
バサッ、と網が落ちる。
一瞬。
世界が、止まった気がした。
次の瞬間。
暴れる。
ぶつかる。
跳ねる。
網の中でこれでもかと捕らえた獲物が暴れている。
「押さえろ!」
「足、気をつけろ!」
「角あるぞ!」
「蹴られるな!」
全員が飛び出す。
ロープを引く。
網を押さえる。
一頭が大きく跳ねた。
網が持ち上がる。
「抜ける!」
「下げろ!」
全員で網に体重をかけ押さえ込む。
心臓がうるさい。
でも絶対離さない。
「……止まった!」
誰かの声。
次々と、動きが鈍る。
やがて。
完全に――網の中の動きが、止まった。
荒い呼吸だけが、響く。
「……何頭だ」
英二さんの声。
「……三頭だ」
ツバサくんが数える。
「成獣二頭、子ども一頭」
他は逃げられた。それは仕方ないとすぐ切り替える。
三頭なら、十分すぎる勝利。
誰も、すぐには声を出さなかった。
ただ。
その場にいる全員が。
同じことを思っていた。
(……やった)
そのとき。
「……すげえ」
ぽつりと、誰かが言った。
それが合図みたいに。
空気が、ほどける。
「捕まえた……!」
「マジかよ……!」
「やったな!」
小さな歓声が、広がる。
私は、その場に座り込んだ。
力が抜ける。
手が、震えている。
でも、私は笑っていた。
とても満たされた充足感があり、何だろう、あの時何も報われず、救われなかった中学生の私がやっとどこかに消えた気がした。
「……成功、ね」
呟くと。
「やったわね、結花」
隣で、迦楼羅が笑った。
「さあ、連れて帰るわよ。みんなくらいから灯りつけて足元気を付けるのよ!」
夜が、完全に降りてきていた。
夜の山は怖い。
いつまでもいたくない場所だ。
その中で。
捕まえた山羊たちの存在が――やけに、大きく感じた。
(これで、次に行ける)
卵の次。
その先へ届いた。
確かに、私たちは今夜、一歩進んだ。
何とか山を下りて、山羊を連れて帰るとそこには小屋の準備をしている女子高生組とお風呂上りらしい子どもたちが待っていた。
「ゆかねえ、おかえり!かるにいもみんなも!」
「ただいま、ユウキ。みんなも。お風呂入ったのに外にいたら風邪ひいちゃうわよ?中に入りましょう」
「山羊見るまで中に入らない!ってずっといるのよ、この子たち」
桃ちゃんが呆れたように言う。
「じゃあ、山羊とご対面といきましょうか」
市庁舎の向こうからロープでつながれておとなしく歩いてくる山羊三頭に、子どもたちが歓声をあげる。
「山羊さん!山羊さんだ!」
「すげー、三頭もいる!」
「可愛いね、いろおねえちゃん!」
「ホントだね、かわいいねえ!」
山羊たちは女子高生組の先導で、小屋の中に連れていかれる。餌箱には草と野菜くずを混ぜたものが入れられていて、さっそくむしゃむしゃと食べ始めた。
「さあ、明日から鶏とこの山羊たちのお世話もあるわ。みんな湯冷めしないうちに寝なさいね」
「「「「はーい!」」」」
山羊を見て満足した子供たちは、大人に連れられてそれぞれの寝る場所へ帰っていった。
「さて、明日は、新宿への遠征のミーティングよ。みんなも休んで休んで」
私の声に、今度こそ全員解散した。
いい夜だ。
また一つ、生活が作られていく音がする。




