61 勉強しましょう
市庁舎の裏手。
急ごしらえの二つの鶏小屋の前は、朝からやけに賑やかだった。
木材を組んだだけの簡単な囲いに、金網を張っただけの仮設の二つの鶏小屋。
最初はなんで二つ?と思ったけど、後で遠藤先生に理由を聞いて納得だった。
「うわぁ……ほんとににわとりだ……!」
ユウキが目を輝かせて、小屋の前にしゃがみ込む。
中では、鶏たちが落ち着かない様子で歩き回っていた。
「最初はびっくりするかもしれないけど、大丈夫。優しくしてやれば慣れるよ」
男の教師――遠藤先生が、ゆっくりとした口調で言う。
「触ってもいいの?」
「いいけど、急に手を出すなよ。怖がるからな」
「はーい……」
そろそろと手を伸ばすユウキ。
一羽が首を傾げて、じっとこちらを見る。
「……なんか見られてる……」
「見てるな」
「見てるね」
「見てるわね」
後ろから、桃ちゃん、千里、そして迦楼羅まで覗き込む。
「ちょっとあんたたち、圧がすごいのよ」
迦楼羅が苦笑する。
「そりゃあ、鶏だっていきなり大人数で囲まれたら警戒するでしょ」
ユウキが慌てて手を引っ込めると、遠藤先生が小さく笑った。
「大丈夫、そのうち慣れるさ。毎日顔合わせることになるんだからな」
「毎日……」
その言葉に、子どもたちの顔がぱっと明るくなる。
「え、じゃあ毎日見に来ていいの!?」
「世話もあるからな。むしろ来てもらわないと困る。みんなに世話を手伝ってもらえたら助かるしな」
「やったー!!」
一斉に歓声が上がる。
子どもたちはすっかり仲良くなっていて、四人でよく遊ぶようになっていた。
私はユウキの笑顔が増えたことがただ嬉しくて、ここにきてまたユウキの「人生」を作るものが増えたことは歓迎しかなかった。
彩羽ちゃんも毎日楽しそうで、それを見る桃ちゃんも楽しそうで何よりだ。
千里もかなりメンタルが立ち直ってきて、最近は「そろそろ一人で暮らそうかな」と言い出してる。
子どもたちは新しく来た女子高生二人にすぐ馴染んだ。それは「鶏のお世話を教えてくれる優しいお姉さんたち」ということをすぐ理解したからだ。
その様子を、少し離れたところで見ていた百合ちゃんが、くすりと笑った。
「……すごいですね」
「ええ」
百合ちゃんの隣に立つのは、保健室の先生、田所先生だ。
湯気の立つお茶を手に、静かに頷く。
「昨日まで、あの子たち……あんな顔してなかったでしょう?」
「……はい」
「あそこでいずれ終わっていくんだってみんな思ってた。外に行った皆は帰ってこないし、私たちもでたほうがいいんじゃないかとおもうこともあったわ。でも外に行く勇気はなかった」
「私もですよ。ナオトさんが来てくれなかったら家で終わってました」
「そう……」
百合ちゃんは、小さく頷く。
「ありがとう、中里さん」
「え?」
「私たちをここに連れてきてくれて」
「私は先生たちや美奈子やすみれが生きていてくれたことが嬉しいです」
百合ちゃんのその言葉に田所先生が優しく笑う。
一方で。
「餌は朝と夕方、基本は二回だ」
遠藤先生が鶏小屋の前に集まったみんなに説明を続ける。
「水は絶やすな。あと――」
しゃがみ込み、床の藁を軽く持ち上げる。
「こういうところに卵を産む。見つけたら割らないように持ってくること」
その時。
「あったー!!」
千里の叫び声が響いた。
「え!?うそ!?」
「どこどこ!?」
「ここ!ここにある!!」
小屋の隅。
藁の中から、白いものがのぞいている。
遠藤先生が少しだけ目を見開いた。
「……早いな。割と環境になじむのが早い個体だったか?」
「これ、卵!?ほんとに!?」
「ほんとだ……あったかい……」
ユウキが千里が示した場所から両手でそっと持ち上げる。
「すごい……」
その一言に。
誰もが、同じ気持ちだった。
ただの卵。
でも。
それは確かに――
「“明日”だな」
英二さんが、ぽつりと呟いた。
誰も否定しなかった。
「それが“今朝産まれた卵”だな」
と遠藤先生がユウキに教えてくれた。
「すごい……」
子どもたちが、ユウキの手の中の卵をまじまじと見つめる。
そのとき。
「それ、こっちの小屋の卵?」
田所先生が声をかけた。
「え?」
千里が顔を上げる。
「うん、こっちで見つけました!」
指さしたのは――右側の小屋。
すると、田所先生は少しだけ表情を変えた。
「じゃあ、それは有精卵ね」
「ゆうせいらん?」
新人四人と百合ちゃん以外全員の頭の上に、?が浮かぶ。
その様子に、遠藤先生が苦笑する。
「よし、いい機会だ。ちょっと勉強するか」
「え、ここで!?」
「今!?」
「にわとりで!?」
「にわとりでだ」
きっぱり。
遠藤は、小屋を指さした。
「こっちの小屋は、オスとメスを一緒に入れてる」
次に、隣の小屋を指す。
「で、あっちはメスだけ」
「……?」
「つまりな」
しゃがみ込み、子どもたちと目線を合わせる。
「オスがいると、卵は“ヒヨコになる可能性がある”」
「いないと?」
「ならない。ただの卵だ」
一瞬の沈黙。
「……え?」
「え??」
「じゃあこれ……」
ユウキが、手の中の卵を見る。
「ヒヨコになるの?」
「条件が揃えばな」
「えええええ!?」
一斉にざわめく。
一方で。
「じゃあ、あっちのは?」
桃ちゃんがメスだけの小屋を指さす。
「あっちは無精卵。食べる用だな」
「食べる用……」
「ヒヨコにはならない」
「なるほど……」
千里が腕を組んで、妙に納得した顔になる。
私はその隣で同じように腕を組む。
「つまり――」
閃いた!!
「こっちは未来で、あっちはごはん!」
「雑にまとめたな!?」
ツバサくんが思わず突っ込む。
でも。
「……でも、間違ってないわね」
迦楼羅が笑った。
「でしょ?」
得意げに言うと、みんな笑ってくれた。
うん、それでいい。
遠藤先生も、苦笑しながら頷く。
「まあ、そういう理解でもいい。ただ――」
少しだけ、声のトーンを落とす。
「どっちも大事だ」
子どもたちが、静かに聞く。
「食べるための卵も、生き物を増やすための卵も、どっちも“生活を支えるもの”だ」
「……」
「だから、無駄にしないこと」
その言葉は、やわらかいけれど。
確かに重みがあった。
「はい」
百合ちゃんが、静かに頷く。
それに続いて。
「はい!」
「はーい!」
「分かった!」
子どもたちの声が重なる。
そのとき。
「じゃあさ!」
ユウキがぱっと顔を上げる。
「僕、みんなで、ヒヨコ、育ててみたい!」
その一言に、空気が少しだけ変わった。
遠藤先生と田所先生が顔を見合わせる。
「……できるか?」
「環境は整えれば、いけると思います」
小さな相談。
そして。
「よし」
遠藤先生が頷く。
「じゃあやるか。勉強だ」
「やったー!!」
一気に歓声が上がる。
「ただし条件」
「え?」
「世話はちゃんとやること。途中で投げないこと」
「やる!」
「絶対やる!」
「毎日やる!」
即答の嵐。
その様子に、田所先生がふっと笑った。
「いいですね。実地授業です」
「だな」
遠藤先生も頷く。
一方で。
「……仕事増えたわね」
少し離れたところで、私がぽつりと呟く。
「いいじゃない」
隣で迦楼羅が肩をすくめる。
「増えた分だけ、できることも増えるんだから」
「……それはそう」
視線を、小屋へ向ける。
卵を囲んで騒ぐ子どもたち。
説明する教師。
笑って見守る大人たち。
その光景は――
「学校みたいね」
「でしょ?」
迦楼羅が笑う。
「今さら?」
「……確かに」
何だか嬉しくて迦楼羅と顔を見合わせて笑う。
私一人から始まったこの避難所は、迦楼羅が来て、ユウキが来てそこから増えて……。
いい場所になりつつある。
でもまだまだこれからだ。
「さて、今日も忙しくなるわね」




