59 託す
翌朝。
薄い朝靄の中、校舎の裏手は慌ただしい空気に包まれていた。
軽トラ二台の荷台には、すでにある程度の物資が積み込まれている。
自転車は横倒しにして固定。農機具はロープでまとめ、箱に入れられるものは箱へ。
「そのロープ、もう一回締め直して!」
「了解!」
ツバサが手早く結び直す。
一方で。
「……これ、もう結構いっぱいじゃないか?」
英二が荷台を見て言う。
実際、余裕はほとんどない。
人を乗せることを考えれば、ここで止めるのが“普通”だ。
だが。
迦楼羅は、じっと家畜小屋の方を見ていた。
「残ってるのは鶏だけ?」
「はい。他は……」
「そう。……鶏、何羽残ってるの?」
「全部で十羽くらいですね」
すみれが答える。
「持ち運びできるケージは?」
「二つあります」
「ふうん」
一歩、歩き出す。
「迦楼羅さん?」
ツバサが呼びかける。
返事はない。
そのまま鶏小屋の前まで行き、ケージを一つ持ち上げる。
中で羽ばたく音。
「……全部連れていくわよ」
ぽつりと。
「え?」
遠藤が思わず声を上げる。
「でも、もう積める余裕が――」
「あるわよ」
即答だった。
そして、軽トラを顎で指す。
「屋根」
「……屋根?」
英二が眉をひそめる。
「ロープあるでしょ。固定すればいける。これくらいなら、入るときに高さも引っかからない。一つずつ、軽トラの屋根に括り付けましょう」
「いや、さすがにそれは――」
「落ちるリスクがある」
正論。
だからこそ。
迦楼羅は、にやりと笑った。
「落とさなきゃいいのよ」
「……」
「それに」
ケージを軽く持ち上げる。
「卵、毎日手に入るのよ?タンパク源。継続供給。餌もある。生き物の世話は子供たちのいい勉強にもなる」
英二が腕を組む。
理解はしている顔だ。
「……人を乗せるスペースが削られるぞ」
「削らない」
きっぱり。
「人も乗せる。鶏も持って帰る」
「無茶だろ」
「無茶じゃないわよ」
一歩、近づく。
「選べる状況じゃないの」
静かな声。
「ここに残せば、いずれ死ぬ」
視線が、教師たちへ向く。
「人も、資源も」
遠藤と女性教師が息を呑む。
「だったら」
少しだけ、声を強める。
「持って帰れるものは全部持って帰る」
沈黙。
朝の空気が、少しだけ重くなる。
そして。
「……先生」
百合が、遠藤を見る。
「一緒に来てください」
まっすぐな声。
「ここに残る理由、もうないと思います」
「……」
遠藤はしばらく目を閉じた。
そして、ゆっくりと開く。
「……分かった」
小さく、だがはっきりと頷いた。
「行こう」
その一言で。
空気が動いた。
「決まりね」
迦楼羅が手を叩く。
「ツバサ、鶏のゲージを屋根に固定。英二は重量バランス見て」
「……了解」
「百合は先生たちの荷物まとめて。それから全員、ヘルメット被って!」
「はい!」
全員が動き出す。
軽トラの屋根にケージが持ち上げられ、ロープで何重にも固定されていく。
中で鶏が騒ぐ。
「暴れるなよ……!」
「押さえろ押さえろ!」
少しだけ、騒がしい。
だがその騒がしさは――確かに、“生きている音”だった。
最後に、迦楼羅が全体を見渡す。
結花には欲張ったらダメって言ったよね!?と叱られるかもしれない。
でも、連れて帰ると決めた。
「……よし」
満足そうに頷く。
「ちょっと欲張りすぎかもしれないけど。みんな嫌いじゃないでしょ?こういうの」
「だな」
「それから先生。少し相談があります」
「なんだ?」
「この学校を“誰に残すか”って話」
迦楼羅が教師二人に考えていたことを話すと、少し考えて二人とも頷いてくれた。
その言葉に。
ツバサが苦笑し、英二が小さく息を吐いた。
その時、門の外で人の気配がした。昨日の生存グループだった。
「あら、おはよう。思ったより早く来たのね」
「話をするためなら早起きくらいするさ。それに来てみたらもぬけの殻だったって言うのもな」
「うん、合格。ねえ先生、いいわよね?」
迦楼羅の声に二人の教師が頷く。
「ああ、いいだろう」
「ねえ相良さん、だったかしら?ここにあなたたち拠点を移すといいわ。ここなら畑もある、井戸もある。広さも十分ある。暮らすなら悪くはないと思うわ。さっき、ここを物資として、あなたたちに渡そうって話になったのよ」
「え?」
遠藤が相良に話の続きを告げる。
「ちょっとした食料や水なんてすぐなくなる。ならここで生活を立て直したほうがいい。20人……子どももいるならなおさらだ。この学校は塀も高い、フェンスも高いし、屋上にはソーラーパネルもあるから、簡単な電気も使える。井戸もまだ使える。職員室に教科書もたくさんあるから、いろいろ勉強してくれ。倉庫に種や肥料もまだある」
「ちょ、ちょっと待て、じゃあアンタたちはどうするんだ!?」
「アタシたちは、アタシたちの拠点に帰るわ。ちょっと色々もらっていくけど、全部じゃないから安心しなさい」
迦楼羅は軽く手を振るように言った。
相良はしばらく言葉を失っていた。
視線が、校舎、校庭、畑、実験棟、そして軽トラの荷台へと順に移る。
「……本気か?」
「冗談でこんなこと言うほど暇じゃないわよ」
あっさりと返す。
「ここは“維持できる人間”がいないと意味がないの」
顎で荷台の教師たちを示す。
「ここを守っていたこの人たちがいなくなるなら、ただの箱よ」
遠藤がわずかに目を伏せた。
「アンタたちは二十人規模なんでしょ?」
「……ああ」
「なら回せる。畑も、井戸も、設備も。むしろそれくらいの規模のグループにちょうどいい」
相良の後ろにいた女が、小さく息を呑んだ。
「……そんな場所、今は他にない」
「でしょ?」
迦楼羅は笑う。
「だからあげる。ここで生活できるようになさい」
その場にいる誰もが、それがどれだけの価値を持つか理解していた。
「……条件は?」
相良が低く言う。
今度は迷いがなかった。
“受ける前提”の問いだ。
「いい質問ね」
迦楼羅は指を一本立てた。
「一つだけ」
「……何だ」
「この場所を、ちゃんと“拠点”にしなさい」
「……」
「畑を放置しない。井戸を守る。無駄に人を殺さない。襲ってくるゾンビは「お掃除」してね」
「……」
「それから“遊びでゾンビ潰す連中”とは関わらない」
相良の目がわずかに細くなる。
「……それだけか?」
「それだけ」
肩をすくめる。
「アンタたちが生き延びてくれた方が、結果的にアタシたちのためにもなるのよ」
少しだけ、声のトーンが落ちる。
「この世界、“まともな人間”は多い方がいいでしょ」
朝の空気の中で、風が草を揺らす音だけが聞こえる。
やがて。
「……分かった」
相良がゆっくりと頷いた。
「ここを使わせてもらう」
「どうぞ」
「その代わり」
相良が一歩前に出る。
「もしまた来ることがあれば、その時は――」
「取引ね?」
被せるように言う。
相良は、わずかに口元を歪めた。
「……ああ」
「じゃあ取引できるようなものを用意しておいてね。アタシたちも自分たちの拠点だけじゃなくて、きちんと話ができるところと交流したいもの。よし、話は終わり!」
ぱん、と迦楼羅が手を叩いた。
「じゃあ積み込み続行!時間ないわよ!」
一気に現実に引き戻される。
「百合!シートベルト確認!膝の上に抱えられるものはできるだけ抱えて!」
「はい!」
「英二、後ろもう一回見て!」
「分かってる!」
慌ただしく動き出す現場。
その横で。
遠藤が、相良の前に立った。
「……この場所を頼む」
「ああ」
「生徒がいた場所だ」
「分かってる」
短い会話。
だが、それで十分だった。
やがて。
二台の軽トラが、ゆっくりと動き出す。
屋根の上では、鶏が騒いでいる。
「ちょっと!暴れるなって!」
「落ちたら終わりだからな!?」
ツバサの声に、少しだけ笑いが混じる。
その音が。
この世界には不釣り合いなくらい、明るかった。
校門を抜ける直前。
百合が振り返る。
校舎。
畑。
そして――そこに立つ人たち。
「……また来ます」
小さく呟く。
それが聞こえたのかどうか。
相良は、片手を上げた。
そして。
軽トラは、再びあの世界へと帰る。
鳥居の向こう。
青白い“境界”へ。




