38 生きていてくれた仲間
ちょっと長くなりました。
軽トラのナンバーはおそらく控えられている、ということで残っていたガソリンを私の軽に移した。迦楼羅が街で携行缶で回収して来てくれた分と合わせたら、うん、半分近くはある。行先は渋谷ということで、これなら足りるだろう。
「今回はアタシ一人で行くわ。うまくいけば、何人か連れてこられると思うから、助手席と後ろの席は空けておきたいの。ああ、それからお風呂の用意しておいてくれる?連れてきたら即お風呂にぶち込むから」
「分かった」
簡単な非常食と何本かペットボトルをひとまとめにして託し、私たちは迦楼羅を見送った。
……無事に帰ってきてね。
車で行くなら305号か首都高だが、さて使えるだろうか?
そう思って、ダメなら下りればいいとまず首都高へ入った。
そこには色々な車が乗り捨てられていて、何とか間をすり抜けるようにして渋谷方向へ少しずつ車を走らせようとしたが、すぐに行き詰った。首都高に上がってすぐ北池袋で降りると明治通りへと車を向けた。通常ならば都内で最も混んでいる道だが、今は放置車両だらけで、ゾンビがうろうろしている荒廃した場所だ。別の意味で通りにくい。店があちこち荒らされてる様子なのは、生存者がそれなりにいるということなのかもしれない。
「……歩道で行くしかないわね」
広い歩道をメインに走り、下っていく。
ひどい状況だ。
あの日、なんとか家まで歩いて帰るまでに5時間ほどかかったことは忘れないが、あの日よりさらに荒廃した街を見るのはちょっと苦しい。
どうにか渋谷までたどり着いた迦楼羅は、店に近い坂の途中に車を停めた。ここなら見通しがいいから、襲ってくるゾンビも人間もよく見える。とりあえず店周辺のゾンビは「お掃除」しておいた。
「さて、誰か生き残っててくれてるかしらね……」
坂の横道を入ったところにある店、「CLUB 薫」
ドアはぴったり締められ、鍵がかかっている。真夜中ならいつも騒がしいくらいの街の静けさの中に時折聞こえるうめき声が煩わしい。
迦楼羅はまず店の裏側に回ったが、当然そこも戸締りはしっかりされていた。
しかし、戸締りはできている、ということは、だ。内側から鍵をかけた人間がいるということだ。
「かる……さん?」
頭上から降ってきた声に振り仰ぐ。
「かるさんっ!かるさんですよねっ!」
二階のスナックの窓から顔を覗かせていたのは、げっそり瘦せこけた青年だった。
「ハル!?ハルよね!あんた無事だったの!?」
「は、はいっ!かるさんこそ無事で……!」
「あんただけ!?」
「いえ……!俺のほかに三人残ってます!誰も噛まれてません!」
なんという僥倖。
「誰が残ってるの!?」
「俺と、ナオトさんとシゲトさんとツバサさんです!」
「分かった!みんなまとまっているの!?」
「はい!他の三人は今、3階で休んでます!ちょっと待っててください!」
窓から顔を引いたハルがバタバタと走っていく足音がした。
それから数分。
窓から覗いた懐かしい顔に迦楼羅は微笑んだ。
「ほ、ほんとだ、かるさんだっ!」
「無事だったんだな、良かった!」
「ね、かるさんでしょ!?」
「……無事だったなら良かった」
四人ともげっそりして髪も髭も伸び放題で、とてもじゃないが、ホストとは言えない姿だ。
「とりあえず、アタシを店に入れてくれない?この辺のゾンビは全部やっつけたわ」
この辺りはきちんと「お掃除」したが、何せ元の数が多い。坂の上やら下やらにいるのがこちらに来ないとも限らない。
少しして、そっと鏡張りの扉が開いた。
「どうぞ」
懐かしい店内はかなり荒れてはいたが、外部から侵入された様子はなかった。
「かるさん、その顔色って……」
近くで見て初めて分かったのか、ハルが聞いてくる。
「ああ、これね。ドーラン塗ってゾンビのふりして生き延びてきたのよ」
前に「勘違い」された設定をそのまま使わせてもらうことにした。とにかく今は四人に安心してもらうのが最優先だからだ。
いつもなら「お姫様」が座る場所に腰かけ、迦楼羅はまず持ってきた非常食と水を差し出した。
「みんな、ちゃんと食べてないんでしょ?差し入れよ」
袋から出てきたのは、おにぎりと水のペットボトルだ。
「ほんとはもうちょっといいもの持ってきたかったんだけど、許してね?四人だから一人2個はあるわね。のどに詰まらせないように食べなさいよ?」
テーブルに転がるサランラップに包まれたおにぎりにそれぞれが手を伸ばす。
かぶりついた四人が、ポロポロと涙をこぼす。
「うめえ……米ってこんな美味かったんだな……」
「ホントだな……。こんな美味いもんが今食えるなんてさっきまで思ってなかったわ……」
「……」
しばらく無言でしゃくりあげながら食事をする姿を迦楼羅はじっと見つめていた。
ハル、ナオト、シゲト、ツバサ。
全員この店で一緒に働いていた仲間だ。
「ねえあんたたち以外は?」
少し顔を見合わせた後で、迦楼羅とは同期のシゲトが教えてくれた。
「あの日は……ちょうど俺たち4人で開店準備してる時に、道から叫び声が聞こえて……外に出てみたら、通り魔か、みたいな騒ぎになってて……」
「……」
「すぐ、店の鍵を閉めた。裏もな。それで正解だった」
「他のメンツにも全然連絡つかないし、オーナーもコウさんもかるさんも連絡ないし、もうだめなんだって思ってました……」
「心配かけてごめんなさい。見ての通りアタシは生き延びてたわ」
「ホントに良かったです……」
水を流し込むように飲み終えたあと、四人はようやく人心地ついたように息を吐いた。
しばらく、誰も何も言わなかった。ただ、かすかな嗚咽だけが店の中にあった。
「……落ち着いた?」
迦楼羅が静かに声をかけると、シゲトが顔を上げた。
「ああ……悪い。ちょっと、な」
「いいのよ。生きてたんだから、それで十分」
その一言に、また空気が揺れる。
“生きていた”――それだけで価値がある世界になってしまった現実が、重くのしかかる。
「……かるさんは、どうやって生き延びてたんすか」
ツバサがぽつりと聞いた。
「拠点があるのよ。安全な場所」
嘘は言っていない。ただ、場所は言わない。
四人の目の色が変わる。
「……安全な場所?」
「ゾンビもいない。水もある。食べ物も、今のところは困ってない。だからこうやって食べ物も持ってこられた」
「……そんな場所、まだあんのかよ……」
シゲトが呆然と呟く。
「あるわ。だから来たの」
迦楼羅は、テーブルに指を置いて、軽く叩いた。
「アンタたちを連れて帰るために」
一瞬の沈黙。
次に息を飲む音が重なった。
「……マジで言ってんのか?」
「冗談でこんなとこ来るわけないでしょ」
さらりと言い切る。
その声に、迷いはない。
「ただし、条件があるわ」
空気が引き締まる。
ここで甘くしないのが迦楼羅だ。
「今から言うこと、ちゃんと聞いて」
四人が姿勢を正す。
「まず、場所は聞かないこと。連れていくまで絶対に詮索しない」
「……ああ」
「それから、そこにいる人たちを最優先で守ること。子どもがいる」
その言葉に、全員の顔色が変わる。
「子ども……?」
「二人いるわ。だから、あそこは“ただの避難所”じゃない。“生活してる場所”なの」
ナオトがゆっくり頷く。
「……分かりました」
「あと一つ」
迦楼羅は、少しだけ目を細めた。
「略奪とか、支配とか、くだらないこと考えたら――その場でアタシが潰す」
静かに告げられた言葉に、背筋が凍る。
冗談ではないと、全員が理解した。
「……上等だ」
シゲトが笑った。
「そんな場所なら、守る側に回るに決まってんだろ」
「そうっすよ。ここで死ぬの待つより、よっぽどいい」
ツバサも続く。
ハルは何度も頷いていた。
「俺、行きます。何でもやります」
最後にナオトが口を開く。
「……俺は元大工だ。向こうで役に立つなら使ってくれ」
いい流れだ。
迦楼羅は内心で小さく息を吐く。
(……これで四人)
戦力としても、人としても――十分すぎる。
「じゃあ決まりね」
立ち上がる。
「準備して。すぐ出るわよ。店の中で持っていけそうなもの纏めて。車は軽だから大して乗らないけど、何も手土産がないよりいいでしょ?」
迦楼羅の声に弾かれたように四人が店の中を走り回ったり階段を上がったりして準備を始める。
さっきまでもうここで朽ちていくだけか、と思っていたのに突然生きる道が開けたのだ。行かないわけがない。
何やらそれぞれ抱えた四人が迦楼羅の前に集合した。
「言っておくけど、向こうに着いたらまずあんたたち全員お風呂に直行だからね。お風呂の用意はお願いしてきたから」
「風呂あるんすか!?」
「相棒が衛生には厳しいからね。アンタたちの今のその風貌で相棒や子どもたちの前には出せないわ」
「かるさんきびしー」
「顔を拭くので精一杯だったんだよ……」
「でも風呂には入りたかったから助かる」
「さ、行くわよ。店を出て真っすぐ行った坂の途中に赤の軽が停めてある。それに乗って」
全員が頷いたところでそっと店を出る。幸いそこには「敵」はいなかった。




