閑話休題 —人間をやめた日
ニュースで最初見た時は、何かの映画の撮影でもしているのかと思った。
ゾンビ映画の撮影?
そう思ってしまうくらいにはニュースの映像に現実感はなかった。
だけどそれは現実で。
ほんの数時間でパンデミックは一気に広がり、東京を地獄にした。
ニュースはもう現場の映像は映さない。
あたしはテレビからの情報収集を諦めてネットの映像を漁った。
自宅の窓から、オフィスから、定点カメラからの映像はとんでもないものだった。
あたしは成宮桃。
それなりに売れているミステリー作家だ。中堅、といったところか。
都内の小さな一軒家に住んでいて、シングルマザーとして、一人娘の彩羽を育てている。
ここは都内でも端っこのほうだけど、ぐずぐずしてたらあの地獄にあたしも娘も巻き込まれる危険しか感じられなかった。
「彩羽、彩羽!」
廊下に出て娘を呼ぶと、リビングにいた幼い娘が駆け寄ってくる。
「なぁに、ママ」
「彩羽。今からママとお出かけしよう」
「お出かけ?」
「そう。今からママ、お出かけの準備するから彩羽お着換えして来てくれる?一番好きな服を着てらっしゃい」
「うん!」
寝室へ走っていった娘を見て、あたしはすぐに避難準備を始めた。
彩羽のリュックに着替えを数枚とあの子のお気に入りのぬいぐるみ。いつもなら外には持って出ないように言ってるけど、こういう事態にお気に入りの小物は必要だ。重くならないものを、とタオルを二枚と冷蔵庫にあったチョコレートを入れる。
あたしのリュックサックには水、仕事場にあったカロリーバー、懐中電灯など重いものを中心に突っ込む。
取材で「非常時に必要なもの」として読んだ知識が、こんな形で役に立つなんて思わなかった。
その時だった。
ガシャーーーン!
ガラスが割れる音が寝室のほうから響いた。
「彩羽!」
慌てて寝室へ走り、中に入ったあたしは地獄を見た。
割れた窓ガラスに群がる、映像で見たのと同じやつら。
へたりこんでいる彩羽に手を伸ばそうとする恐怖。
――ゾンビ?
ゾンビが彩羽に手を伸ばした瞬間。
考えるより先に、体が動いた。
腕を掴んで、引き剥がして――
気づいたら、噛みついていた。
自分でも、何をしてるのか分からなかった。
ただ。
「娘に触るな」
それだけだった。
そのあとのことはあまりよく覚えてない。彩羽に靴を履かせ、荷物を持って家を飛び出した。
役所に行けば避難所ができてるはず。
だからまずは生き延びるために、人の集団がいるであろう場所を目指した。
せめてこの子だけでも――。
でも、そこにはたどり着けなかった。ゾンビたちがあたしたちに向かってこない。それに気づいたとき、あたしの肌は青白く変色していた。そして、彩羽に「ママ、手が冷たいよ」と言われ、脈がなくなっていることに気づいた。
――あたしも、ゾンビに?
こんな状態で役所へはいけない。
かと言って家にも戻れない。
そんなあたしの目に飛び込んできたのが夕暮れの図書館だった。
二階建てなら、避難場所になる!
図書館の入り口はすでに壊されていた。
中にいた人たちが逃げ出すために壊したのかもしれない。
あたしは彩羽を連れて中に入った。
人の気配はない。
それでも用心して二階に上がり、外が見える絵本室に入って、やっと少し安堵した。
中から鍵がかかるのがありがたい。
あたしは念入りに鍵を閉め、念のため本棚を置いておこうと引っ張ると、あたしの力じゃないくらいの力で本棚が持ち上がった。驚くより先にそれを使って入口のバリケードにすると、彩羽が外を指さした。
「見て、ママ。あっちの空がきれい」
彩羽が指さした先には赤い赤い夕暮れがあった。
その日からあたしと娘の籠城避難は始まった。
幸い、水道が生きていたのと、図書館の給湯室に非常食が備蓄されていたおかげで、何とか生き延びられた。
時々誰か来ていたみたいだけど、どうやら水の補給にきていたみたいですぐに出て行った。
それでも娘は日に日に弱っていった。
もう限界だ、と感じていたころ、あの二人が現れたのだ。
あたしと娘を保護すると言って。




