110 光と闇の向こう
その夜は、それ以上誰も深い話はしなかった。
火が小さくなっていくのを見ながら、ぽつりぽつりと、どうでもいい話だけが続いた。
誰かが魚の焼き加減の話をして。
誰かが明日の作業の段取りを確認して。
誰かが、子どもたちの寝相の悪さを笑った。
――いつも通りの、夜。
でも。
ほんの少しだけ、違った。
さっきまでの重さを、全員が知っている。
それでも、こうして火を囲んでいる。
その事実が、じんわりと残っていた。
ここには危険から逃げられた安心がある。
「……明日から、どうする?」
年長の男が、焚き火を突きながら言う。
その問いに、迦楼羅がすぐ答える。
「まずは買ってきた資材の仕分け。使えるものと、補修に回すものを分ける」
「なら、この広場で仕分けをするのが一番わかりやすいな」
「家の補強も必要ね。今のままだと、もしまた台風が来たらあっさり風で飛ぶわ」
「任せろ、すでに使える家の選定は終わってる」
「ああ。あとはその家の数で今の住人を全員入れられるかどうかだ」
「家族は同じ家でいいとしても、独り者をどうするかだな。いっそシェアハウス的なものに直しちまうか」
「それもいいな。個人の部屋さえあれば、プライベートは確保できる」
「じゃあ、部屋数が多い家で使えそうなところを優先だな」
「田舎の家だから、無駄に部屋数が多い空き家が多いのが幸いだ」
「あと、余裕があれば、中里さんちにあるあのミニログハウス。ああいうのいくつか欲しいな」
「何で?」
「一人になりたいときとかさ、そういうときの逃げ場があるのもいいかなって。普段は物置にしとけば無駄にはならねえし」
「ああ、それなら作れると思う。空き家を壊せばあの小さなの作るくらいの資材は確保できるだろうしな。ただし、後回しになるぞ」
「まあ住居が優先だからな」
「屋根と壁があって、寝られる場所があれば御の字だろ」
「違いない」
「じゃあまずは家族数の確認だな」
「畑も広げたい。米ぬかが手に入ったなら、土作りができる」
「米作りのほうも考えないとな。まず草刈からだ」
淡々とした会話。
でも、その内容は――生きるためから、暮らすためへ確実に一段、進んでいた。
「ここを集落として、ちゃんと形にするってことか」
「ええ」
迦楼羅が頷く。
「もうアタシたちはただこの島に避難してるだけじゃない。ここを拠点にする。長く続く生活の場として作るわ」
はっきりとした宣言だった。
それには私も同意だ。
そろそろ覚悟を決める時が来たのだろう。
それを聞いて。
「いいですね、それ」
ハルくんが焚火の前で笑う。
「ちゃんと帰ってくる場所ってやつになります」
「……作るわよ」
桃が、小さく続ける。
「ちゃんとした、場所」
その声は、少しだけ強くなっていた。
焚き火の火が、ぱちりと弾ける。
翌朝。
島は、少しだけ忙しくなった。
ここにいる住民が集まって力を合わせて、自分にできることでここを作っていく景色が始まった。
「そっちは梁を先に!」
「釘足りない!誰か持ってきて!」
「こっち、壁板押さえて!」
あちこちで声が飛ぶ。
壊れかけた家を直し、大工組が選んだ使える建物を確認し、人が集まって住める形にしていく。
完全な家じゃなくていい。
雨が防げて、風がしのげて、夜を安心して越えられる場所。
それだけで、十分だった。
桃ちゃんは、子どもたちと一緒に拭き掃除をしていた。
「ここ、もうちょっとやるよー」
「はーい!」
新宿組と農業高校組の子どもたちも、自然と混ざっている。
やっぱり子供たち同士から仲良くなっていくんだな、とほのぼのする光景だ。
「これ、どう使うんですか?」
「それはね――」
土の話。
肥料の話。
作物の話。
島の大人たちと、子どもたちの知識が、少しずつ混ざっていく。
「米ぬか、発酵させたら土良くなりますよ。それから卵の殻。洗って乾かして、細かく砕いたものを土に混ぜるといいです」
「ほんとか?」
「はい。学校でやりました」
その一言で、周囲の目の色が変わる。
――ゴミだと思っていたものが使える。
それが分かると、一気に価値が変わる。
「じゃあ、それ頼む」
「いえ、一緒にやりましょう!」
「……そうだな!教えてくれ!」
笑顔が広がる。
ただ生きるだけじゃない。
――育てる段階に入っている。
少し離れた場所で。
ツバサとハルと、店長が何かを並べていた。
「で、これがスリングショット」
店長が、手にしたそれを見せる。
「簡単に言えば、パチンコだな」
ツバサが補足する。
「でも威力はバカにできないよ?」
ハルが笑う。
集まってきた数人が、興味深そうに覗き込む。
「銃は数がないし、弾も貴重だ」
店長が続ける。
「だから、これを使えるやつを増やす。これなら石ころ1つも武器になる」
石をセットし、ゴムを引く。
――ビシッ。
石が飛び、少し離れた木の的に当たる。
「うわ、すげ」
「当たるもんだな」
「慣れればもっと当たる」
ツバサが肩をすくめる。
「音も小さいしな」
「ゾンビ寄せにくいのは助かるね」
実用と、現実。
その両方を踏まえた訓練だった。
「ほら、やってみろ」
「え、俺!?」
一人の青年がぎこちない手つきで構える。
的を外す。
笑いが起きる。
でも、空気は軽い。
――こういう時間が、必要だった。
その少し離れた場所で。
迦楼羅と桃ちゃんが、ふと作業中の手を止める。
「……ねえ」
「何?」
「なんか、さ」
桃ちゃんが、自分の手を見る。
「ちょっと、色戻ってない?青白さが薄くなってる」
言われて、迦楼羅も自分の腕を見る。
ほんのわずか。
本当に、気のせいかもしれない程度。
でも。
「……言われてみれば」
迦楼羅が、静かに呟く。
風が吹く。
その時桃ちゃんが、ふっと瞬きをした。
「……あれ?」
自分で驚いたように、目を触る。
「今……」
迦楼羅が、じっと見る。
「……瞬きしたわね」
うん、私も確かに見た。
瞬きができなかった二人に訪れつつある確かな変化。
いや、変化じゃなく、治っていってるのかもしれない。
「……戻るのかな」
桃ちゃんが、小さく言う。
「さあ」
迦楼羅は、いつも通りに答える。
でも。
「……悪くない変化ね」
その声は、少しだけ柔らかかった。
私はそんな二人を見てただ嬉しかった。もし人に戻れるのなら。
それは最高に決まっているから。
島は、少しずつ形になっていく。
家が直り。
畑が広がり。
人の声が増える。
そこにある光が濃くなれば濃くなるほど、闇もまた濃くなるのだと、私は忘れていた。




