108 帰還と苦み
軽トラは、そのまま駐車場を出て走り出す。
誰も、しばらく口を開かなかった。
エンジン音と、荷台で揺れる物資の音だけが続く。
バックミラーの中で。
ゲームセンターの前に、小さく人影が残ったまま――遠ざかっていく。
桃は、何度か口を開きかけて、やめた。
言葉にした瞬間、何かが決定的に変わってしまいそうで。
「……あの人たち」
結局、出たのはそれだけだった。
返事はない。
代わりに。
「水は、残り何本だ」
高瀬の声が静かに響いた。
感情を切り捨てた、確認。
「……四本」
「予備を入れて五」
ツバサが答える。
「島までの消費を考えれば、余裕はないな」
淡々とした言葉。
正しい現状だ。
分かっている。
だからこそ――。
桃は、小さく唇を噛んだ。
「……助けられたかもって、思ってる顔してる」
迦楼羅の声が、横から落ちる。
責めているわけじゃない。
ただ、見抜いているだけ。
「……思ってるわ」
桃は、視線を落としたまま答える。
「でも」
少しだけ間を置いて、現実を口にする。
「今の人数で連れて帰ったら……」
「全員が危なくなる」
高瀬が言葉を継いだ。
結論だけを、切り取る。
それ以上は言わない。
言えば、揺れるからだ。
再び、沈黙。
遠くで、風に煽られた何かが転がる音がした。
誰も振り返らない。
振り返る理由は、もうない。
「……このまま帰るわよ」
迦楼羅が前を見たまま言う。
「あれ以上、音は立てない」
「了解」
短い返答。
それで、この話は終わりだった。
――終わらせた。
軽トラは、何事もなかったかのように走り続ける。
荷台には、回収した物資。
そして。
置いてきたものの重さだけが、誰にも見えないまま、積まれていた。
桃は、膝の上で握った手をゆっくり開いた。
さっき水を投げた感触が、手のひらにまだ残っている気がした。
島に戻るときも鳥居の周りに生存者たちはいた。
少しでも油断を見せれば、車に飛びついてくるだろう。
――あそこへ入れるわけにはいかない。
だから、タイミングを合わせ、ここでは目いっぱいクラクションを鳴らす。
生存者たちに圧をかけるのと、同時にゾンビを呼ぶためだ。
さっき、生き残りを見捨てて来たのに、とも思う。
それでもクラクションを鳴らし続けた。
鳥居を抜けた瞬間、空気が変わった。
外の、張り詰めた空気じゃない。
湿った土と、海の香りと、どこか安心できる人の気配。
「帰ってきたぞ!」
ツバサが声を張る。
それだけで、あちこちから人が出てきた。
「おかえり!」
「無事か!?」
「怪我は!?」
一斉に駆け寄ってくる気配。
その勢いに、軽トラが止まりきる前から何人かが荷台を覗き込んだ。
罠の手前で二台が停まる。
「おお……結構取れてるな」
「これ、薪ストーブ用の資材か?」
「米ぬかもあるじゃん!」
安堵と興奮が混ざった声。
――成功だ。
誰の目にも、それは分かった。
だが。
「……」
じっと見てくる視線がある。
ユウキだった。
はしゃぐ周囲とは違い、四人の顔を一人ずつ見ている。
「……なんかあった?」
その一言で。
空気が、ほんの少しだけ沈んだ。
桃が視線を逸らす。
「別に、何もないわよ。ケガもないし。お菓子買ってきたから、子どもたちで食べてね」
迦楼羅が答える。
いつも通りの、淡々とした声。
だが。
「嘘」
ユウキは即座に切った。
短い。
だが、強い断言。
「……桃ちゃん先生、かるにい、何があったの……?」
名前を呼ばれて。
桃は、ぐっと唇を噛んだ。
「……人、いたの」
ぽつりとこぼれた後悔の欠片。
「生きてる人……いたけど……」
それ以上が、続かない。
代わりに。
「連れて来なかった」
高瀬が続けた。
説明でも、言い訳でもない。
ただの事実を口にしただけ。
それで、十分だった。
周囲の何人かが、言葉を失う。
「……そうか」
年長の男が、小さく頷いた。
「……正しい判断だ」
すぐには続かない言葉。
正しい。
でも、軽くは言えない。
その重さが、全員に伝わる。
ユウキが一歩だけ近づいた。
桃の前に立つ。
「水、あげた?」
「……うん」
「食べ物は?」
「少しだけ」
「……そっか」
それだけ確認して。
ユウキは、ふっと息を吐いた。
「じゃあ、いいことしたんだよ、みんな」
笑顔で言うユウキの言葉に凍るようだった心のどこかが融けていく。
いいこと。
それなら、納得できる気がした。
――でも。
あの人たちは、助かるとは限らない。
それでももうできることはない。
桃の肩から、少しだけ力が抜けた。
「……ありがと、ユウキ」
小さく呟く。
その横で。
「とりあえず、降りろ」
別の声。
「風呂……は無理だけど、身体拭ける準備はしてる」
「水もある。飲んでひと休みしてくれ」
「飯もあるぞ。今日は魚のムニエルだ」
口々に飛んでくるねぎらいと労り。
遠征から帰った者に対する、この島の新しいルール。
――まず、休ませる。
迦楼羅が軽く息を吐いた。
「……ありがたいわね」
「ほんとですね」
ツバサが笑う。
「死ぬ気で取ってきた甲斐がありますよ」
その軽口に、少しだけ空気が緩む。
高瀬は何も言わないまま、荷台から降りた。
だが。
「高瀬さん」
呼ばれて、足を止める。
「……ありがと」
誰の言葉かは、分からない。
だが、確かに届いた。
高瀬は振り返らず、短く答える。
「仕事だ」
それだけ。
それでもその背中は、少しだけ――重さを下ろしたように見えた。
夕暮れの光の中。
四人は、仲間たちに囲まれながら、ゆっくりと島の中へ戻っていく。
荷台から降ろされていく物資。
積み上がっていく、生き延びるための材料。
そして。
誰も口にしないまま残ったものが、胸の奥に沈んでいく。
――それでも。
ここに戻って来られた。
その事実だけが、今は全てだった。
だから、苦みは心の奥にしまっておこう。




