105 買い物はだいぶ命がけ
手芸屋を飛び出したあと、迦楼羅たちは一度、吹き抜けの手すりへと移動した。
下を――覗き込む。
そして。
「……やめましょう」
迦楼羅が即座に言った。
一階。
そこはもう“フロア”ではなかった。
――埋まっている。
人だったものが、隙間なく蠢いている。
最初に来た時より明らかに多い。
エスカレーターの周囲。
インフォメーション前。
食品売り場の入口。
どこもかしこも。
「……あれは無理だな」
高瀬が短く言う。
「降りたら終わりね」
迦楼羅も迷いなく頷いた。
見ているだけで引きずり込まれそうな密度だった。
「一階は切るわ。食料品は諦める」
「代替は?」
「三階で揃える」
迦楼羅はすぐに頭を切り替える。
「フロアマップ、覚えてる。3階に調味料専門店があるはず」
「それでいけるか?」
「完全じゃない。でもゼロよりはマシよ」
「了解」
方針は決まった。
「次、移動するわよ。長居は危険」
全員が頷く。
音を抑えつつ、しかし速度は落とさない。
――時間がない。
さっきの音で、確実に“寄ってきている”。
バックヤードに残っているというなら、店の数だけいると思っていい。
調味料専門店は、シャッターが半分開いた状態で止まっていた。
「……開いてる」
「人が入った形跡はあるな」
「でも荒らされてない」
中に滑り込む。
鼻をつくのは、店内に並べられている油とスパイスの匂い。
「……当たりね」
棚にはまだ商品が残っていた。
瓶詰めのオイル。
塩。
砂糖。
乾燥ハーブ。
香辛料。
知らない海外の調味料。
「軽いもの優先!瓶はさっき手芸店で買った布で包んで!」
「了解!」
手早く回収。
割れるものは布で包み、箱へ詰める。
「次!」
そこでの「買い物」を終えると、すぐに離れる。
その隣は映画館のフロアだった。
映画館フロアは、異様に静かだった。
ポップコーン売り場。
ドリンクカウンター。
近づいてみたが、ゾンビは2体しかいなかったので手早く「お掃除」する。
「……ここ、穴場だな」
「冷蔵品は死んでるけど、乾き物は生きてる」
ポップコーンの未開封袋。
ナチョス。
スナック類。
飲み物の原液。
「全部持っていくわけにはいかないわね」
「軽くてカロリー高いもの優先だ。ただ、乳酸系の飲料があれば優先しろ。乳酸飲料は子どもたちのために必要だ」
「了解」
袋を選別し、詰める。
その時。
――奥のシアターの扉が、わずかに揺れた。
全員の動きが止まる。
「……いるな」
「行かないわよ」
「開けたくないですね」
「ええ。ここで戦う理由がない」
再び動き出す。
――関わらない。
それが生き残るルール。
最後は映画館の隣にあった作業服専門店。
「ここは当たりでしょ」
迦楼羅が短く言う。
店内は多少荒れていたが、商品はまだ残っている。
店内にゾンビも見当たらないのは下に落ちてしまったのか。
「サイズは大体でいい!丈夫なの優先!」
「俺の作業服はここで買わせてもらう」
高瀬が自分のサイズの作業服を手早く作業の合間で詰めていく。
作業服。
手袋。
安全靴。
レインコート。
工具コーナー。
ハンマー。
ペンチ。
ロープ。
簡易工具。
「充電式は電器屋で取ってる。ここは手動系中心!」
「了解!」
全てを積み終えた時。
遠くから――音がした。
――ドン。
――ガン。
何かが倒れる音。
そして。
――ざわ。
気配が、増えている。
「……来てるわね」
迦楼羅が低く言う。
「撤収」
全員が頷く。
「一気に抜けるわよ!」
軽トラに飛び乗る。
エンジン始動。
アクセルを踏み込む。
「止まらないでください!」
「分かってる!」
来た時よりも明らかに増えた“それ”を弾き飛ばしながら――彼らは立体駐車場へと突っ込んだ。
ショッピングモールを何とか出る。
とりあえずリストの半分ほどは確保できたことで由としよう。
まだ荷台は半分ほどは空いている。
「次は、結花の会社に行くわよ」
迦楼羅の先導で、結花の勤めていた防災用品会社へ向かう。
やはりそこにもゾンビは変わらず多くうろついていた。
「裏に回るわ。まずガソリン缶と軽油缶の確保からよ」
ゆっくりと裏の駐車場入り口に回り、そこからそっと中に入る。
裏側には目立つゾンビはいなかった。やはり表側に集中しているらしい。
危険物倉庫、と書かれた倉庫の前には以前ツバサが始末したゾンビが腐った痕跡が残っていた。
乾ききった血痕。
崩れた骨。
そして――異臭。
「……あの時のだな」
ツバサの声に迦楼羅が頷く。
「ここは一度片付いてるってことか」
高瀬の問いに迦楼羅が頷いて見せる。
「ここに一度来たのよ。コレは、その時にね」
「なるほどな」
「さあ、いくわよ」
扉に手をかける。
「中、確認する。全員、警戒」
「了解」
ゆっくりと、扉を開ける。
――軋む音。
中は薄暗かった。
棚。
コンテナ。
積まれた段ボール。
あの時のままだ。
ここは目立たないと結花が言っていたのを思い出す。
きっと知っている人間しか来ない場所だったのだろう。
「……いない?」
桃が小さく呟く。
「いや」
迦楼羅が即座に否定する。
「“見えてないだけ”」
その言葉の直後。
――ポタ。
どこかで液体が落ちる音。
全員の視線が上へ向く。
天井近くの鉄骨。
そこに――何かが、引っかかっている。
「……っ!」
崩れ落ちた。
ドサッ、と音を立てて。
腐敗した体。
天井の配管に引っかかっていたゾンビが落ちてきた。
「上にもいるのかよ……!」
「喋るな!」
迦楼羅の一喝。
音は、呼ぶ。
それはもう全員が分かっている。
倒れたゾンビは動かなかったが――問題はそこじゃない。
――ギィ。
奥。
さらに奥の通路で、何かが動く音。
シャッタが少しだけ見える。その向こうは――。
考えたくない。
「……いるわね」
「少数だと思いたいが」
「思うだけならタダよ」
短い会話。
そしてバールを全員が握りなおす。
「時間制限つきで行く。買い物は五分で片付けるわ」
「短いな」
「長いと死ぬ」
反論はなかった。
「ガソリン缶と軽油缶を最優先!見つけたら即搬出!」
「了解!」
全員が散る。
棚を開ける。
箱をどかす。
「こっちだ!」
ツバサの声。
奥の一角。
金属製の缶が入った段ボールが並んでいる。
「当たり!」
「数は?」
「まだある!」
「全部は持たない!持てる分だけ!」
その時。
――ドン。
倉庫の外。
何かがぶつかる音。
全員の動きが一瞬止まる。
「……外も来てる」
「表のほうにいたやつらか」
「だから言ったでしょ、時間制限って」
迦楼羅が吐き捨てる。
「積め!今すぐ!」
高瀬の声に全員の行動の急激に速度が上がる。
段ボールを持ち上げ、運び、荷台へ。
重い。
だが止まらない。
これは生存のための必要な道具だ。
――ガン!
今度は、はっきりとした衝撃音。
倉庫の裏口のシャッター。
何かが、ぶつかっている。
「……もう来てるわよ」
「あと何本だ!」
「二箱!」
「置いてけ!」
「でも――」
「置いてけって言った!」
一瞬の逡巡。
そして、切り捨てる。
「撤収!」
全員が外へ飛び出す。
軽トラへ。
エンジン始動。
同時に。
――ガシャァン!!
シャッターの一部が歪む。
隙間から、手が伸びる。
「……ギリギリね」
「余裕なんて最初からないわよ!」
アクセル全開。
軽トラはそのまま裏口を抜けた。
背後で――金属が軋む音が、次第に遠くなっていった。
防災用品会社を離れて、しばらく走ったところで、ようやく迦楼羅はアクセルを緩めた。
バックミラーを確認する。
――追ってくる影はない。
周辺は開けた畑で、ゾンビも見当たらない。
「……振り切ったわね」
短く息を吐く。
「今回はマジでギリギリだったな……」
ツバサが荷台を振り返りながら言う。
「ギリギリで済んだなら上出来よ」
迦楼羅は即答した。
止まれば終わり。
迷えば終わり。
そのラインを、今回は踏み越えなかった。
「どれくらい積めた?」
高瀬が後ろを確認する。
「ソーラーパネルは大型6枚。中型が3枚、ポータブル電源は4台」
「十分だな」
「電池とランタン類は予定以上。調味料も最低限は確保してる」
桃が指折り数えるように報告する。
「作業服と工具も揃ってます。あと裁縫道具も一式」
「……桃ちゃんのおかげね」
「危なかったけどね」
苦笑混じりの返答。
一瞬、車内にだけ通じる空気が流れた。
「ガソリン缶と軽油缶は?」
「満載。あれが一番重かった」
ツバサが肩を回す。
「燃料がある限り、遠征は続けられるわ」
迦楼羅が小さく頷く。
それはつまり――生き延びる手段が繋がった、ということだ。
「……で」
高瀬が前を見たまま言う。
「次はどうする」
その問いに、迦楼羅は少しだけ考えたあと。
「一度帰るわ」
少なくとも、この荷物を下ろさないとシゲトに聞いた薪ストーブの煙突の材料を積めない。
「無理はしない。今回は十分すぎる戦果よ」
「だな」
「島に戻って、荷下ろしと仕分け。それから――」
少しだけ声が低くなる。
「二回目の買い物よ。次は郊外の専門店。それから道沿いにあるコイン精米機から米ぬかの回収」
全員が、わずかに息を飲んだ。
次は、冬のための準備だ。




