99 こちらの武器
夏の夕日が傾き始めた頃。
軽トラは、ゆっくりと鳥居の見える道へと戻ってきた。
空は茜色に染まり、影が長く伸びている。
行きと同じ道のはずなのに――空気は、明らかに違った。
「……見えてきたわね」
迦楼羅が小さく呟く。
その声は、わずかに硬い。
鳥居というあちらへの入り口。
その手前に――気配がある。視線がある。
「……いるな」
後ろの軽トラから、タツヤの声が無線越しに落ちる。
「二人ね」
桃が鋭い目つきで鳥居の向こうの境内を見る。
鳥居の奥の境内の陰。
木陰に寄るようにして立っている影が二つ、こちらを見ている。隠れているつもりはない。
――確認している。
観察している。今からこの二台がどこへ行くのかを。
「……予想通りね」
迦楼羅は、アクセルを緩めない。
「どうします?」
タツヤの声。
「そのまま行くわ。決めたでしょう、見せるって」
「はい」
即答だった。
「止まらない。減速もしない。そっちもいい?」
「分かりました」
「気づいてない顔で通る」
「了解です」
軽トラは、そのまま進む。
揺れる荷台。
乗せた自転車がガチャガチャと音を立てる。
そのそばで、今日連れてきた人たちが身を寄せ合っている。
子どもが一人、小さく声を漏らした。
「……大丈夫」
桃が、荷台に向かって言う。
「そのまま、じっとしてなさい。すぐに着くからね」
その言葉に、子どもはぎゅっと口を閉じた。
やがて。
鳥居が、目の前に迫る。
人影は動かない。
ただじっとこちらを見ている。
「……数、2人だけじゃないかも」
迦楼羅が低く言う。
助手席の桃も頷く。
「見えてるのが二人ってだけで、もっと多いかもしれないわ。暇人の集まりかしらね?」
「桃ちゃん辛辣ー」
「これでも加減してるわよ?」
「加減しなかったら?」
「聞きたい?」
「遠慮するわ」
軽口の会話の中でも軽トラは止まらない。
見せてやろう、この鳥居の秘密を。
――通る。
そのまま。
青白いカーテンが下りた鳥居の下を、スピードを落とすことなく通過する。
着いた。
目の前には青い夏の海が広がっている。
「……よし」
タツヤの声が、少しだけ息を吐く。
だが。
「まだよ」
迦楼羅は、ハンドルを握りしめた。
「あと、13人と、自転車を10台。あいつらにこっちの真意を悟られないように運ばないといけない」
「そうね」
「積んで緩衝材を入れれば、自転車は10台を1台で乗せられる。なら次は助手席を空けて、そこに二人載せたいんだけど、どう思う?そうすればあと一回で済むはず」
「いいと思うわ。あたしは降りておく。下りることの結花への説明はあたしがするわ」
「うん、桃ちゃんよろしく。ふう、さすがに腹芸やってると喉が渇いて仕方なかったわ」
迦楼羅が2リットルのペットボトルに残っていた水を全部飲む。
「よし、じゃあ次の物資の相談に行かないとね。まず、交換してきた物資と人員を全部下ろさないと」
「そうね。アタシは一旦結花に説明に行ってくるわ」
「うん、持っていく物資の相談もしてきなさい」
「分かってる」
――時間は、そう残されていない。
なら、最速でやりとげる。
「……そう、分かった」
迦楼羅からの報告を受けて、私は彼がしてくれたことを心から嬉しいと思った。
彼が助けられると判断して連れて来たのならそれは正しい。
やらない善よりやる偽善っていうけど、あれはいい言葉だと思う。
そう、偽善でもいい、それで救われる人がいるのなら。
「なら許可します、残り、連れてこられる人は全員連れてきて。今連れてきた人たちは新宿組とは違うホテルに入ってもらって、後から来た人たちもそっちと合流できるように手配を進めておくわ」
「ありがとう、勝手してごめんなさい」
「何言ってんの。それで助かる命があるのならそっちのほうが大事よ」
「結花ならそう言ってくれると思った。それで、二回目なんだけど、目くらましにちょっとばかり贅沢に分けてもいいんじゃないかと思うのよ」
「そうね。目の前の現物より強いものはないわ。人はその欲には逆らえない。特に迦楼羅が言うように、子どもを盾にするような奴らなら特にね」
「なら、ちょっとばかり多めに持っていかせてもらうわ。あいつらの最後の晩餐になるように」
出発は明日の朝。
ツバサくんに手伝ってもらって、私たちは明日あっちへ持っていく物資をロビーに並べていた。
米、30キロを3袋。
クーラーボックスいっぱいの干物。
缶詰を段ボール1つ。
洗濯済みの服とタオル。
そして――ワイン。
「こんなものかしらね」
「ちょっと多くないですか?」
「いいのよ、これくらいあれば、あいつら物資の多さに小躍りして喜ぶわ。そして近所にあると思っているアタシたちの拠点を奪おうと考えるはず。だから、余計な敵対は今の時点ではしないはずよ」
「え?」
「これだけのものを用意できる場所よ。欲しいに決まってる。でもさせるわけないじゃない。何より追いかけてくる足がないのは確認済みよ。自転車しかないのに車のアタシたちを追いかけてこられるわけないもの」
あの高校には車こそあったものの、もうガソリンはダメになっているものばかりだった。
それは相良にも確認してある。
だからあいつらは、足として校内の自転車を使い、「役立たず」たちに街の中の物資を集めさせていたらしい。それで帰ってこなかった、おそらく帰れなくなった人も数人いるとのことだった。
なら、あの校門さえ出てしまえば、あいつらは追いかけては来られない。
「それにね。この物資は鳥居を見張っている奴らへの餌でもあるのよ」
「餌?」
「そう。アタシたちの拠点にはこれだけの物資が潤沢にあるってことが見ればわかるでしょ?そうなるとこっちへの侵攻にもう少し時間をかけようとするはずよ。この山積みの物資を見れば、今まで適当に襲って物資を手に入れて来た場所とは違うってことが分かるもの。だからこっちへ来るなら戦力を整えて、情報を集めて、自分たちが勝てるように十分に準備をしてから来るはず。鳥居を見張っている奴らの思惑を逆手に取る餌として、ここから持っていく物資はすごくいい餌になるとアタシは思ってる」
「……なるほどね」
迦楼羅の言葉に小さく頷く。
「欲を煽るだけじゃなくて、当面の様子見に引き込むわけね。時間稼ぎのために」
「そういうこと。アタシたちのほうでも迎え撃つ準備の時間は必要よ。だから、明日の交換が終わっても、数回は向こうに行くのがいいと思ってる。あいつらに見せるためにね」
迦楼羅は肩をすくめる。
「向こうに時間を与えるのはさしてアタシたちには大きな負担にはならないと思ってるわ。だって向こうはかなり追い詰められていて、余裕もない。だから失敗できないって思っているはず。なら、失敗しないための準備は念入りにしてくると思うのよ」
「そうね、準備は念入りにするために時間をかけるでしょうね。失敗できないもの」
「でしょ?」
「分かった。高校からの尾行はまずないと思っていいわね、距離もあるし、車がないと無理だけど、その車もない。鳥居の周りの奴らは、こっちへの偵察を増やして、ここがどういうところなのか調べようとしている段階ね」
「ええ。だから、アタシたちの明確な敵は、鳥居の周りをうろちょろして、こっちへ侵入と偵察をやらかした連中よ。ツバサ、あんたにお願いがあるんだけど」
「は、はい、何ですか、かるさん」
ツバサくんが突然かけられた声に跳ね上がる。
「今日から、ミリタリーショップの店長とハルと一緒に、希望者にスリングショットの訓練をしてほしいの」
「スリングショットの……?」
「そう。あれなら初心者でも使いやすくて、遠距離攻撃が可能。万が一、侵入者と戦闘なんてことになったら、そういう攻撃をして島の中を自転車で逃げ回る作戦がいいと思ってるの。正面から正々堂々なんて、映画の中のヒーローがやることよ」
「……えげつないですねえ」
「勝つためだもの。勝って、ここを守るためならえげつなさも正義よ」
だから、ここでは徹底的にやるしかないのだと迦楼羅は決めている。
ならば、私には反対する理由がない。
「分かりました、早速ハルと店長と相談してきます」
会議室を出て行ったツバサくんを見送って、私は持っていく物資をもう一つ提案する。
「それを渡していいの?」
迦楼羅にそう聞かれたけど、これは見せるためにも必要だし、こちらには潤沢にあるものだから問題ないと言い切った。
「向こうにも井戸があるのは分かっているけど、人が生きる上で水は絶対に多いほうがいいものよ。私たちには湧き水って言う大きな武器があるんだもの。これを使わない手はない。空いているタンクもたくさんあるし、水を運んでいるって分かるように積んで行ってね」
そう指示を出すと、迦楼羅はふっと小さく笑った。
「……結花って、容赦ない時は本当に容赦ないわね」
「そうだね、私、こういうとこある。それは過去の経験のせいだと思うよ。……いつか、迦楼羅にはちゃんと話したいと思ってる。だからその時は聞いてくれる?」
「結花が話してもいいって思うときが来たら聞かせてもらうわ」
「うん、約束」
「に、しても水を持っていって見せるって言うのは効くと思うわ」
ロビーの隅に置かれたポリタンクに視線をやる。今は空だが、これからいっぱいになる生存のための命綱だ。
「食料は多少は我慢できても、水は我慢できない」
「ええ」
「しかも安定して手に入るって分かったら――」
「絶対に欲しくなる」
「そうね、それは本能だもの」
「それも、安全に手に入れたくなる。水源を壊されでもしたら、って絶対思うもの」
「そうね。アタシたちが水源を壊したらもう手に入らないって怖くなって慎重になるのが人間だわ」
「でしょ?」
「奪うだけじゃなくて、奪い続けられる場所にしたくなる。ううん、この場所ごと欲しくなるわね」
「……つまり、拠点ごと欲しくなるってこと。そう思わせるのが作戦よ」
「そうね。ここを壊したり使えなくなったりするのは避けたい。そのまま欲しい。できればアタシたちを追い出して」
「そうね。ある程度使える労働力は残しておきたいだろうけど」
「釣り餌は盛大に見せる形でいいのね?」
「いいわよ」
迷いはなかった。
「そのために見せるんだから」
沈黙。
「水がある場所は、簡単には捨てられない。それは私たちもよ」
ゆっくりと言葉を重ねる。
「だからこそ、私たちは本気になる必要があるし、あいつらもこっちを雑に扱えなくなる」
「……なるほど」
迦楼羅が小さく頷いた。
「壊すんじゃなくて、奪う前提で来る想定ね」
「そう。想定じゃなくて確定だと思ってる。少なくとも大量のタンクに積まれた水を見て、よほどの愚か者じゃない限りそれくらいは考えるわ」
「よほどの愚か者だったら?」
「だったらとっくにこっちに来てるわ。入り方も帰り方もおそらくもうバレてるんだもの」
「そうね。よし、それじゃみんなで協力して水の用意してくるわね」
「ええ、目いっぱい積んで行っていいわよ」
「そうするわ」
そして、丸々一台分の荷台は全部水で埋め尽くされることになった。
【神集島住人数】
65人




