98 交換のルール
男が一歩、倉庫の中に踏み込んでくる。
「交換のルールぅ?」
「そう」
迦楼羅は笑ったまま、視線を外さない。
「こっちは働き手が欲しいの」
空気が、わずかに変わる。
「……は?」
「説明するわ。あんたたち、ここで畑やってる。でも収穫より食い扶持のほうが多い。そうじゃない?」
男たちは一瞬だけ黙る。
つまり、図星だ。
「こっちは食い扶持は少ないの。欲しいのは労働力。畑も田んぼも、今の人数じゃ回らない。だから提案。物資と――人手の交換」
「人手だぁ?」
「そう。そっちで持て余してる人間、いるでしょ?」
わざと、軽く言う。
「食うだけで働かないのとか。守るのに手がかかるのとか」
相良の喉が、ごくりと鳴った。
「そいつらをこっちで引き取るわ」
「……」
「代わりに物資は出す。水も食料も消耗品もね。とりあえず今日持ってきたのは全部置いていくわ」
一歩、笑顔で距離を詰める。
「だから交換してちょうだい、労働力と物資を」
「……そっちの避難所は何人だ?」
「10人よ。うち二人は子ども。もちろん子どもにも働いてもらってはいるけど」
「そりゃ足りないな。の、割に持ってきた物資は結構な量だが?」
「あちこち回って集めて来たのよ。全部避難所で作れるわけないじゃない」
「そりゃそうだな」
「交換でそっちにとっては負担が減る。こっちは労働力が増える。悪くない話でしょ?」
男たちの目の色が変わる。
――計算している。
「……どれくらい持ってくる気だ?」
「今回の分、全部見たでしょ?」
「……ああ」
「そうね、プラスして、お米なら後30キロを3袋くらいならいけるわ。農家の近くに避難所作ってるから、お米だけは割とあるのよ」
にやり、と笑う。
「どう?交換する気、ある?」
「……いいぜ」
男の一人が、口の端を吊り上げた。
「どうせ役立たずは邪魔だったんだ。連れてけ連れてけ」
その言葉に、相良の拳が強く握られる。
だが。
――口は出さない。
「決まりね」
迦楼羅はあっさりと頷く。
「じゃあ、まずは――」
ちらりと相良を見る。
「子どもと、その保護者からでいいかしら?」
一瞬男たちの顔に、迷いが浮かぶ。
だが――目の前に確実に積まれた物資を諦めることはできない。
「ガキは手間かかるしな。いいぜ。女も無駄飯ぐらいだからいらねえよ」
軽い返答。
その軽さに、相良は奥歯を噛み締め、反論を耐えた。
――救える。
なら、ここは沈黙が正解だ。
「その代わり」
別の男が口を開く。
「次もちゃんと持って来いよ?」
にやりと笑う卑しい笑みにも迦楼羅は笑顔を崩さない。
「今回みてえに、気前よくな。酒はあるか?」
「お酒はワインくらいしかないけどいる?」
「ああ。酒なら何でも大歓迎だ。タバコは?」
「ごめんなさい、うち誰もタバコは吸わないのよ」
「チッ。しゃあねえな。このあたりのコンビニのたばこはもう品切れだから欲しかったんだが……。じゃああるだけ酒をくれ。あとは米と他の食料もだ」
「分かったわ、じゃあまず今回は子どもと女性と高齢者と……あと自転車をもらえる?」
「自転車?」
「ええ。避難所が田舎なのよ。だから、ゾンビから逃げる足として自転車が欲しいの」
「なるほどな。まあ、こっちで使うのさえ5台ほど残しといてくれたら何台でも構わないぜ」
「ありがとう、じゃあ、早速やりましょうか」
パン、と迦楼羅が手を叩き、全員倉庫から出る。
「そうね、あとは比較的余裕がある物資は野菜だけどここで作ってるから野菜はいらないわね。魚の干物のほうがいいかしら?」
「そっちのほうがいいな」
「じゃあ、二回目は魚の干物も持ってくるわ。まず今日持ってきたものを下ろしましょう」
迦楼羅は微笑む。
「約束は守るわ。そちらが守ってくれる限りは」
その言葉に。
相良だけが、ほんのわずかに目を見開いた。
――違う。
今のは、約束じゃない。
これは。
――取り引きですらない。
救出のための自分へ向けた交渉だ。
ただ、そのために言葉を選んでいるだけだ。
「じゃあ持ってきたもんは校舎の中に下ろしてくれ。それから連れてくのを選んでくれ」
「分かったわ」
その奥で、誰かの怯えた気配が動く。
倉庫の外。
校舎の影。
――子どもたちがいる。
迦楼羅は、ゆっくりと息を吐いた。
ここからが、本番だ。
校舎の中は、妙に静かだった。
人の気配はあるのに、声がない。
壁際に、固まるように座らされた人たち。
子どもと、女性と、年寄り。
――使えない無駄飯ぐらい、と判断された人たちだ。
その空気だけで、何が行われているかは分かる。
「ほら、並べ」
後ろから男が蹴るように声を飛ばす。
びくり、と肩が跳ねる。
迦楼羅は、歩みを止めない。
視線だけで全体を見る。
人数。
年齢。
体格。
動けるかどうか。
――選別する。
「……何人?」
桃が、低く呟く。
「1回目は10人てとこね」
迦楼羅は即答する。
「じゃあ、始めるわ」
その一言で。
空気が凍った。
「アタシたちの避難所では、労働力が欲しいの。だから、ここから連れて行かせてもらうわ。名前、言える人は言って」
静かな声。
「言えないなら、年齢だけでもいいわ」
誰も動かない。
「……時間がないの」
一歩、前に出る。
「選ばれた人だけ、外に出て」
その言葉で。
ようやく、一人の女性が口を開いた。
「……三十二、です」
震える声。
その隣で、小さな子どもが彼女の服を掴んでいる。
迦楼羅は一瞬だけ目を細めた。
「その子は?」
「……娘、です。六歳」
頷く。
「二人とも外へ」
それだけ。
女は、一瞬だけ信じられないという顔をして。
それから、何度も頭を下げながら立ち上がった。
その動きを見て。
――一斉に、空気が揺れる。
「わ、私も……!」
「子どもが……!」
「お願いします……!」
声が重なる。
「静かに」
短い一言。
それだけで、空気が止まる。
「今すぐ全員は無理よ。今回は子どもを含めて10人ね。二回目の交換はまた明日来るわ」
事実だけを言う。
「でも」
一度言葉を切って見回す。
「ここで邪魔になると判断された人は全員連れて行くわ。アタシたちは人手がどうしても必要なの」
その言葉に。
誰もが息を呑んだ。
――これは希望だ。
「次」
淡々と。
本当に、淡々と、選別が進む。
名前を聞いて。
条件を見て。
線を引く。
選ばれる者と残される者。
「……その女は、後にしろ」
一人の女の前に来た時、ある男が低く言う。
迦楼羅の視線が向く。
「足引きずってるだろ。使えねえ」
「ケガしたのかしら?」
「ちょっと躾けただけだ」
一瞬桃の拳が、ぎり、と鳴る。
だが迦楼羅は、何も言わない。
「……分かったわ」
静かに受け入れる。
今はここで揉める場面じゃない。
「次」
選別は続く。
泣き声を押し殺す音。
名前を絞り出す声。
そのすべてを、切り分けながら。
やがて。
「……ここまでにしましょう」
迦楼羅が言った。
選ばれたのは、10人。
子ども三人。
その保護者。
そして、高齢者4人。
「外へ」
その言葉で。
選ばれた者たちが、ゆっくりと立ち上がる。
振り返る者もいる。
残る者を見る。
その視線を迦楼羅は見ない。
ただ。
「――次も同じくらいは連れて行くわ。来た時にはきちんとその場で情報をちょうだい」
それだけを告げて、希望を残した。
そして。
それを見ていた男たちが、笑う。
「いいじゃねえか。ちゃんと選んでる」
「役に立たねえのを選んでくれて助かったわ」
その声を。
桃は、今度こそ睨みつけた。
――次に来たとき。
絶対に、ただでは済まさない。
無言の誓いだけが、胸に落ちる。
時間的には、まだ余裕がある。どうせ夕方までは通れない。
なので迦楼羅は学校の中を回って教科書や実習ノートなど使えるものを集めることにした。
それを見た男たちが「なんだよ、教科書とか必要なのか?」と絡んできたので「だってこっちは素人ばかりだもの、教科書がないと何からしていいのか分からないでしょう?あと、倉庫にあった苗と肥料も少しもらうわね」とちゃっかりと追加の物資も手に入れた。
教科書や実習ノートは今後必ず役に立つ。持って帰れば、百合たちも喜ぶだろうしみんなに色々教えることにも使えるだろう。
これは明日からの未来のための教科書でもあるのだ。
自転車をベルトと毛布で固定し、人間が乗るほうには体育館から持ってきたマットを敷いて少しでも座り心地を良くすることも忘れない。
「さて、帰りましょ」




