95 秘密の共有
「――この二人は、普通の人間じゃありません」
言葉が、静かに落ちる。
誰もすぐには動かなかった。
ただ、空気だけが一段階、冷えた気がした。
高瀬さんが、ゆっくりと視線を二人に向ける。
値踏みするような目ではない。
確認する目だ。
「……どういう意味だ。その肌の色は塗ったものじゃなかったのか?」
短い問いに、私は一度だけ息を整えた。
「違います。二人とも感染しています」
はっきりと言う。
タツヤくんの肩が、びくりと揺れた。
「ただし、完全なゾンビではない。理性もあるし、意思もある。五感も問題ないです。身体能力は上がっているけど、それが抑止力にもなってます。今までここで一緒に生活してきて、問題は一度も起きていません」
沈黙。
風の音すらない。
「……証明は?」
高瀬さんの声は低い。
責める響きではないが、簡単には飲み込まない意思がある。
当然だ。
私は頷く。
「いくらでも。ただ、ここで全部やるより――」
「いい」
遮られた。
「続けろ」
有無を言わせない圧。
でも、その中にきちんと聞く姿勢がある。
私はわずかに肩の力を抜いた。
「二人は感染しているけど、完全なゾンビにはならない。むしろ少し人間寄りに戻ってきていることが確認できてます。ただ、それを全員にいきなり説明するのはリスクが高い」
「リスク?」
「恐怖が先に立つからです」
言い切る。
「さっきの話を聞いたあとで、さらに半分だけのゾンビがいるって情報を重ねたら、冷静な判断ができなくなる人が出る」
タツヤくんが、小さく息を吐いた。
理解している顔だ。
「……だから俺たちだけに?」
「はい」
高瀬さんは少しだけ考えるように目を伏せた。
その沈黙が、やけに長く感じる。
やがて顔を上げる。
「確認する」
低く、はっきりとした声。
「こいつらは、危険なのか」
まっすぐな問い。
私は迷わなかった。
「いいえ。何よりあなたたちを助けたのは迦楼羅でしょう?私は彼の判断は全面的に信用しています。彼があなたたちを助けるべきだと判断したのなら、それは私にとっては正しいことなんです」
「嬉しいこと言ってくれるわね、相棒」
「だって、一番初めから一緒にやってきたんだもの。私にとって、迦楼羅は一番信用できる相棒よ」
断言する。
「少なくとも、2人は今の外の人間よりはずっと安全です」
一瞬だけ、空気が止まった。
それは、さっき自分が言った人間同士の、奪い合いや暴力、の延長線上にある言葉だったから。
高瀬さんの目が、ほんの少しだけ細くなる。
「……随分な言い方だな」
「事実です」
視線を逸らさない。
「この二人は、少なくとも仲間を襲わない。そして彼女はこちらにいる子どもの母親でもあります」
「……なるほど」
高瀬さんが頷く。
「分かった、納得した」
タツヤくんが驚いた顔で振り向く。
「高瀬さん?」
「状況的に、戦力は必要だ。外に敵がいる以上な」
現実的な判断。
「ただし条件はつける」
来た。
「この二人の状態、条件、危険性――全部、俺とタツヤに共有しろ。曖昧なまま抱えるのは無しだ」
「分かりました」
「それと」
高瀬さんの視線が、迦楼羅と桃ちゃんに向く。
「もし何かあった場合、どう対処するかも決める」
逃げ道を塞ぐ言い方。
でもそれは、責任を引き受ける側の言葉だ。
「……それでもいいか」
問われる。
私は一瞬だけ、二人を見る。
迦楼羅は、ふっと笑った。
「構わないわ」
桃ちゃんも肩をすくめる。
「むしろ、そのほうがいいでしょ」
軽い口調。
でも、2人とも覚悟はある。
私は頷いた
「じゃあ、あとで全部話します」
「いや、今聞く」
即答だった。
「外に敵がいるなら、後回しにする理由はない」
正論だった。
私は、ゆっくりと息を吸った。
「……分かりました」
視線が集まる。
さっきとは違う重さ。
今度は、知ることそのものへの緊張だ。
「じゃあ、順番に話します」
少しだけ間を置く。
「まず――迦楼羅の感染の経緯から」
「待って、結花。アタシが自分で話すわ」
「あたしも自分で言うわ。あんたはあたしたちの説明に嘘や誇張がないかどうかだけ聞いていて」
「分かった」
迦楼羅が一歩二人に近づく。
「アタシは渋谷のホストクラブに勤めてたの。それで、あの日……ゾンビが発生した日ね。渋谷駅に下りて、店に向かおうとしていた時、ゾンビ化した女にキスされたのよ」
「キス?」
「ええ。ものすごく気持ち悪かった。そのまま突き飛ばして、店まで走って逃げたところで自分の肌の色がおかしくなってることに気づいて、周りにいるゾンビたちにも襲われないことに気づいたの。そのまま家まで歩いて帰って、ひと休みしてたんだけど、ものすごく喉が渇いてね。さすがに外に出てみればもう都内の端っこのうちのほうまでもうゾンビが来てて、ホームセンターに水を買いに行ったところで、結花に出会ったの。それでここに連れてきてもらった」
「あたしは、娘と一緒にあの日、家から役所の避難所に向かおうとしていたところに、うちにゾンビたちが来て、娘が襲われかけているのを見て、理性が切れてね。ゾンビに噛みついたの。それから娘を連れて家の近くの図書館で避難籠城していた。あたしも喉の渇きがすごかったけど、図書館の水道は生きてたから何とかなってた。そこに結花と迦楼羅の二人が来て、あたしは元々、迦楼羅の客で顔見知りだったから二人に保護してもらった。これがここに来た経緯よ」
「……つまり、ふたりとも、唾液経由での感染と言うことか……?」
高瀬さんの言葉に、迦楼羅が軽く頷く。
「ええ。たぶんね。噛まれたわけじゃないのに感染してるってことは、それしか考えられないでしょ」
「……咬傷による感染とは違う、ってことか」
タツヤくんがぽつりと呟く。
その通りだ。
ここが一番重要なポイント。
私は補足するように口を開いた。
「今まで見てきた限り、噛まれて発症するタイプと、2人みたいに唾液で変質するタイプは別だと思っています」
「別……?」
「はい。噛まれた人は完全にゾンビ化する。でもこの二人は違う。理性も残っているし、身体能力だけが上がっている状態です」
「……変異体、ってことか」
高瀬さんの理解が早い。
私は頷いた。
「ただし条件があります」
空気が引き締まる。
「水分補給ができない状態が長く続くと、本人たちとしてはつらいようです」
タツヤくんの顔が強張る。
「個人差はありますけど、2人とも一日5リットルくらいは水を飲みます。私たちの倍以上」
「……つまり、それだけ水が必要ってことか」
「はい。幸いこの島には水はしっかりあります。なので、問題にはならないと私は思ってます」
はっきりと言う。
「逆に言えば、水分をしっかり取っていれば二人とも大丈夫です」
その言葉に、少しだけ空気が緩む。
だが――完全ではない。
「水分が採れなかったらどうなんだ?」
高瀬さんの問いが二人に向かう。
「そうね、水分補給できなかったことがないからはっきりしたことは言えないけど、身体能力が一気に上がって、一気にしぼむ感じかしらね」
「しぼむ?」
「ええ。そうね、例えば」
迦楼羅がそこにある中身の詰まった土嚢を片手でひょいと持ち上げる。1つ10キロはあるものだ。
それを三つ持ち上げると、お手玉のように投げて見せる。
「普通の身体能力なら今はこれが簡単にできるくらい。これに渇きでブーストがかかると、この土嚢が指一本で破裂しちゃうレベルかしらね、おそらく。で、しぼむと普通の人間並みまで落ちる。桃ちゃんも同じね。ああ、軽トラ一台くらいなら、アタシも桃ちゃんも通常なら普通に持ち上げられるわ」
高瀬さんが短く息を吐いた。
だがその目は、もう疑いではなく評価に変わっている。
「つまり、上振れも下振れもあるってことか」
「そういうことね」
迦楼羅が肩をすくめる。
「常に強いわけじゃない。でも、条件が揃えば人間よりずっと上にいく」
「……扱いが難しいな」
ぽつりと落ちる本音。
でも、それは当然の反応だ。
「だからこそ、2人が自制してくれていることが大きいんです。だから、基本的な力仕事は2人に私たちは任せてます」
私は静かに言う。
「水分補給さえきちんとしていれば、問題はないと私たちは信頼しています」
「……逆に、それが崩れたら?」
タツヤくんの問い。
逃げられない部分だ。
私は一瞬だけ間を置いてから、答えた。
「その時は、どうしたらいいですか?」
逆に問い返す。こっちの情報はもう開示したのだ。
「それは……」
「そうだな、その時は無理やりにでも水を飲んで、戦線復帰してもらおう」
高瀬さんがにやりと笑う。
「この島には今、子どももいる。そして非戦闘員のほうが圧倒的に多い。守るための戦力は一人でも多いほうがいいに決まっている」
その言葉に、空気がわずかに緩んだ。
――軽い。
でも、逃げていない。
タツヤくんが思わず苦笑する。
「無理やりって……」
「冗談半分だが、方針は本気だ」
高瀬さんは肩をすくめた。
「守る側に立つ以上、倒れるなって話だ。水を飲んで戻るなら、それを優先する。それだけだ」
シンプルで、容赦がない。
でも――この状況では、それが正しい。
迦楼羅がくすっと笑った。
「了解。じゃあ喉が渇く前に二人とも自己申告するわよ」
「それが一番助かる」
短いやり取り。
それだけで、さっきまでの緊張が少しだけ人間らしいものに戻る。
私は小さく息を吐いた。
「……ありがとうございます」
「礼はいらない。使える戦力をどう使うか決めただけだ」
ドライな言い方。
でもその実、責任を引き受けている。
私はそれ以上何も言わなかった。
代わりに、次へ進む。
「じゃあ、この件はこれで共有完了でいいですか?」
「ああ」
「はい」
二人が頷く。
ここでようやく――内部の問題が、一つ片付いた。




