94 侵入者の痕跡
まず、住人全員を集める。場所はホテルのロビー。
そこには迦楼羅と桃ちゃんも含めて、今、この島にいる住民全員が集まった。合計55人。
子どもたちはどうしようかと思ったけど、子どもだからと言って話から外すのは違うわ、と迦楼羅に言われて4人とも連れて来た。
私と迦楼羅だけの二人だけから始まったこの避難場所は、今ではこれだけの人の場所になっていた。
「皆さん、初めましての人のほうが多いので、初めましてと挨拶させていただきます。私は方八馬結花。この島に最初に入った避難者です」
高瀬さんから、今から向こうの住人が来て、これからのことを話すという説明が終わっていたロビーの真ん中でそう挨拶すると、私を知っている人とそうでない人の間で不思議な温度差が生まれるのを感じた。まさか、この島でリーダーやってるのがこんな若い女だとは思っていなかったのだろう、というのは容易に想像がついた。
「まずは台風が無事すぎたことを嬉しく思います。皆さんの協力があったから、被害は最小限で済みました」
ざわり、と小さなざわめきが広がる。
知らない顔。見知った顔。
その全部が、今は同じ場所にいる。
私は一度、全員の顔を見渡してから続けた。
「まず、今の状況を共有します」
声を少しだけ強める。
「台風による人的被害は――ゼロです」
一瞬の静寂のあと、ほっとした空気が広がる。
小さな安堵の息。肩の力が抜ける気配。
「ただし、建物の一部破損、畑の被害、設備の損壊は確認されています。これから全員で復旧作業に入ります」
ここで一拍置く。
「そして、もう一つ。今回、全員に共有しなければいけないことがあります」
高瀬さんが一歩私の前に出る。
「今までは私たち先住民と皆さんの生活は分けていましたが、これからはその境界線をなくそうと思います。そのために、こちらの情報も今やれる範囲で開示します」
「俺はそのほうがいいと思った。物資にしても情報にしても、俺たちにはないものばかりだからだ」
高瀬さんの言葉に何人か頷くのが見えた。
戸惑いはある。だが、拒絶ではない。
私は小さく息を整える。
「では、まずこちらから一番大事な情報を共有します」
視線が集まる。
「この島とあちらを繋ぐのは、山のそばにある鳥居であることは、こちらに来た皆さんはある程度把握しているかとは思いますが、あの鳥居が開く条件です。午前6時、9時、午後12時、6時、9時、午前12時の一日6回、開いている時間は一回につき2秒足らずです。そして、あの鳥居には開く際に危険があります。なので、基本的にはあの鳥居には近づかないでください。命に関わります」
ざわ、と空気が揺れた。
「鳥居にある土嚢と石と空き缶は侵入者に対する防壁です。なので絶対に、特に子どもたちは近づけないでください。こちらにも4人子どもがいますが、絶対に近寄らないようにきつく言ってあります。下手に近寄ったら大人でも怪我をする場所です」
知らない者たちが顔を見合わせる。
知っている者たちは、何も言わない。
「その鳥居を通ることで、私たちは向こう側へ行くことができます」
「向こう側……?」
「私たちが元々暮らしていた頃の本土です。ただし――皆さんも分かっているでしょうが、向こうはもう決して安全な場所ではありません。私たちが平和に暮らしていた社会は壊れてしまいました」
現実をここで言い切る。
「ですが、まだ物資はあります。食料はまずもう大してないでしょうが、道具や今の私たちに必要なものが残っています」
その言葉に、現実的な重みが乗る。
生きるための情報だ。
「あちらへ行く人員は都度決めます。それ以外の人員は、こちらでの生活を作りたいと思ってます。なので、そちらでミーティングをして、必要なものをリストにしてもらえませんか?こちらにあるものなら提供できますし、足りないものなら向こうで買えそうな場所を教えてもらえれば買ってきます」
「買うって……?」
「私、お金を払わずに持っていくのは嫌なんです、どんな世界になっていても。昔、被災者になったことがあって、その時、備えがない厳しさと無力さを痛感しました。だから、備えに関しては払うものを払ってきっちり整えたいんです」
そこで一度、言葉を切る。
「……奪い合いになると、人は簡単に壊れますし、暴力を行使します」
静かに続けた。
「だから私は、それをしないための場所を作りたいんです」
静かに言い切ると、場の空気がゆっくりと落ち着いていくのが分かった。
誰も反論はしない。
納得と、わずかな戸惑い。
それでも――受け入れるしかない現実。
「それから、今から台風被害の確認に行きます。高瀬さん、一緒に行ってもらえますか?」
「分かりました」
「ではいったん解散で。タツヤくん、高瀬さんと一緒に被害確認お願いできますか?」
「はい!」
私はロビーの視線が迦楼羅と桃ちゃんに向いていることを分かりながら、何も言わずにこちら側のみんなと、高瀬さん、タツヤさんと一緒にホテルを出た。
一度市庁舎に戻り、千里が書いてくれた島の簡略地図とペンを持つ。
この地図に被害状況を書き込んで共有情報とするのだ。
「よし、じゃあこっちからは私と迦楼羅と桃ちゃんで行こうか」
「あたし?」
「うん。桃ちゃんにも来てほしいの」
「分かったわ」
それから市庁舎を出ると、高瀬さんとタツヤ君がもう来てくれていた。
「まず漁業へ行きます」
歩いてすぐの漁協の建物には入口に貼りつけてあったブルーシートのおかげで中の被害は最小限だった。少し雨が吹き込んでいたくらいだ。これくらいなら床掃除をすれば大丈夫だろう。
次に、港近くの生活用水に使っている湧き水。
こっちは水の中に落ち葉がたくさん落ちていたので、その場で外に掻き出した。
どうやら湧き水としては問題ないようだった。あとで山の上のも確認に行かないとな……。
それから全員で鳥居に向かう。
神社のほうにはたくさんの落ち葉が吹き込んでいたので、こっちもあとで掃除しないとな……と思ったところで、神社のほうで不自然な痕跡に気づいた。
「結花?どうかした?」
「迦楼羅、ここ見て」
私が指さしたのは、神社にある小さな祠だ。
子どもが一人入れるくらいの小さなものだが、その祠の台座に足跡が一つ残っていたのだ。
「足跡……?」
「昨日誰も外に出てないよね……?」
「こっちも誰もホテルから出てない。俺とタツヤでずっとロビーにいた」
「……なら、これ」
侵入者?
慌てて全員で鳥居に戻る。
そこには確かな痕跡があった。
ベル代わりに釣るしている空き缶が落ちて、土嚢と石が少し崩れている。
鳥居の異変だけなら台風のせいかもしれない、と思わなくもなかったが、祠に残っていたあの足跡があまりにも異質すぎた。
「……この件は一旦、ここにいる全員だけの共有で。無駄に不安をあおりたくないから」
「分かった、いいな、タツヤ」
「はい。あの、あと、俺、一つ気づいたんですけど」
「何?」
「あの足跡、祠を開けようとして台座に上がったんだと思います。あそこの中に何かあると思ったんですかね?」
タツヤくんの言葉に、全員の視線が祠に向く。
――中に、何かあると思った。
その発想に、私は小さく息を呑んだ。
「……違うかもしれない」
「結花?」
「探してたんじゃない。確認したかったんだと思う」
「確認?」
高瀬さんが眉を寄せる。
「ここが、何なのか。祠の内部にある神社の名前を知りたかったとか。ここが神集島であることは向こうにいる人たちは知らない。だから知りたかったんだと思う」
静かに言う。
「鳥居。祠。土嚢と石。空き缶の仕掛け」
一つ一つ、指で示していく。
「おそらく確認したかったのよ。――ここが使える場所だって」
その場の空気が、わずかに変わった。
「つまり……」
「向こう側にも、鳥居の仕組みに気づいた人間がいる。でも考えてみたらそうよね、一度ここを通ろうとして腕を切り落とされた人もいて、おそらくそれを見ていたんだから」
誰もすぐには言葉を返さなかった。
風はもう吹いていないのに、背筋に冷たいものが走る。
「鳥居の周りに張っていた車もいたって報告も受けてる。なら、ある程度分かった状態で、こっちに偵察に来たって思うのが正解かもしれない」
「しかも、タイミングが最悪だ」
高瀬さんが低く言う。
「台風の夜……全員が建物の中に入ってる時間を狙ってる」
「狙ったわけじゃなく、向こうは台風じゃなかったのかもしれない。おそらく夜ならこの周りに誰もいないと思って入ってきた。だから、こっちに来て台風に驚いて土嚢を蹴倒して、次に鳥居が開く時間まで、あの祠でおとなしくしていたのかも」
「……なるほど」
タツヤくんの声が少し硬い。
私は一度、鳥居の前にしゃがみ込む。
崩れた土嚢に触れる。
――これは、崩れたんじゃない。
蹴倒されてる。土嚢に足跡が薄く残っていた。
誰かが通ろうとした跡だ。
こっち側の住人なら、土嚢のどの位置が出入りできる場所か分かっている。わざわざ重い土嚢を蹴倒すような真似はしない。
「昨日が偵察なら、次があると思っていいわね。それがいつになるか分からないけど」
立ち上がる。
「見に来ただけで帰ったなら――次は、目的を持って来る。おそらく、目的はこの場所の略奪。安全地帯へ逃げ込むこと」
理解が、ゆっくりと全員に広がっていく。
「……じゃあ、どうする?」
高瀬さんの問いは、短い。
けれど重い。
私は少しだけ迷ってから、口を開いた。
「――守りを、変えます」
その言葉に、全員の視線が集まる。
「今のままじゃ足りない。人も、仕組みも」
そして、一度だけ。
迦楼羅と桃ちゃんを見る。
視線が、ぶつかる。
「……あと」
私はゆっくりと息を吸った。
「そろそろ二人のことも、話しておいたほうがいいと思う」
「二人?」
高瀬さんの目がわずかに細くなる。
「この状況で隠してるほうが、危険だから」
一瞬だけ、誰も動かなかった。
風はない。
けれど、空気だけが重く沈む。
私の言葉の意味を、全員が測りかねている。
それでも――逃げるわけにはいかない。
私は一歩だけ前に出た。
「迦楼羅と桃ちゃんは」
二人が心得たように、静かに前に出る。
その動きだけで、何かを感じ取ったのか。
タツヤくんがわずかに息を呑んだ。
「――この二人は、普通の人間じゃありません」




