↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
伝書人は今日も旅をする  作者: 金麦
第一部 風の向こうへ
PR
9/30

第9話 帰らない伝書人


 それから数日。


 カナタの毎日は、驚くほど規則正しいものになっていた。


 朝、月影亭で目を覚ます。


 セレナの作る朝食を食べる。


 リーゼと一緒に伝書院へ向かう。


 午前中は手紙の仕分けや記録の整理。


 午後は近隣への配達。


 そして仕事が終われば――。


「今日も魔法の練習をしましょうか」


「やっぱりやるの?」


「やります」


 魔法の練習。


 それが、最近の日課になっていた。


「カナタは魔力量そのものが異常ですから」


 伝書院の練習室。


 机の上に置かれた小さな魔導具を見ながら、リーゼが説明する。


「普通の人なら、魔力を増やすことから始めます」


「俺は違うんだよな」


「はい」


 リーゼは苦笑した。


「カナタの場合は、むしろ減らすところからです」


「減らすって言い方も変だな」


「私もそう思います」


 二人で笑う。


 けれど。


 笑いながらも、リーゼは少しだけ複雑な表情をしていた。


 カナタの魔力に触れる。


 それは、ここ数日ですっかり慣れてしまったことだった。


 魔力の流れを確認する。


 出力を調整する。


 魔導具へ繋ぐ。


 そのたびに、リーゼの手はカナタの手に触れる。


 指先。


 手首。


 時には肩へ手を置いて、魔力の流れを確認する。


 必要なことだ。


 分かっている。


 伝書人として魔法を使えるようになるために必要な訓練。


 それだけだ。


 ――なのに。


「……」


 リーゼは、カナタの手に触れたまま黙り込んだ。


「リーゼ?」


「はい?」


「どうした?」


「いえ」


 リーゼは慌てて手を離す。


「何でもありません」


「そう?」


「はい」


 カナタは不思議そうに首を傾げる。


 リーゼは顔を逸らした。


 最近。


 魔力に触れるたびに、妙な感覚が残る。


 温かい。


 それだけではない。


 深い。


 穏やかで。


 身体の内側までじんわりと染み込んでくるような、不思議な感覚。


 魔力そのものが心地いい。


 だからこそ、困っていた。


 仕事中ならまだいい。


 必要な訓練なのだから。


 けれど。


 夜、部屋へ戻ってからも。


 その感覚を思い出してしまう。


「……困りました」


「何が?」


「え?」


「今、何か言った?」


「い、いえ!」


 リーゼは慌てて首を振った。


「何でもありません!」


「そっか」


 カナタはそれ以上聞かなかった。


 その無邪気さが。


 余計に困る。


 そんな日々が続いていた。


 仕事を覚える。


 魔法を練習する。


 失敗する。


 また練習する。


 カナタの魔力は相変わらず桁外れだった。


 ほんの少しだけ出したつもりが、魔導具の光が一気に強くなる。


 慎重に抑えれば問題ない。


 だが、気を抜けば出力が跳ね上がる。


「今のは?」


「……ちょっと出しすぎた」


「ちょっと、ですか?」


「たぶん」


「魔導灯が三つ同時に消えましたよ」


「ごめん」


「いえ」


 リーゼは笑う。


「最初よりずっと上手くなっています」


「ほんと?」


「はい」


 その言葉だけで、カナタは嬉しそうに笑った。


 リーゼも微笑む。


 そんな何気ない日々だった。


 そして。


 数日後。


 翌日は休日だった。


「明日は休みか」


 夕食の席でカナタが言った。


「はい」


 リーゼも頷く。


「久しぶりにゆっくりできますね」


「リーゼ、休みの日は何してるの?」


「寝ています」


「……即答だな」


「朝が苦手なので」


「知ってる」


 カナタが笑う。


「でも、明日は魔法の練習しないの?」


「休日くらい休んでください」


「でも、まだ上手くなりたい」


「真面目ですね」


「魔法使えると便利だから」


「そうですね」


 リーゼは少し考えた。


「……では」


「ん?」


「少しだけなら」


「本当?」


「はい」


 こうして。


 二人はその夜も魔法の練習をすることになった。


     ◇


 月影亭。


 夜。


 カナタの部屋。


 机の上には小さな練習用魔導具。


 その隣には水の入った容器。


 リーゼが椅子を一つ持ってきている。


「今日は、出力を一定に保つ練習です」


「分かった」


「昨日より少ない量で構いません」


「うん」


 カナタは手を伸ばす。


「ゆっくり」


 リーゼが隣から声をかける。


「焦らなくて大丈夫です」


「分かってる」


 カナタは目を閉じる。


 身体の奥。


 そこにある巨大な魔力。


 それは、今でも底が見えない。


 湖。


 いや。


 湖という表現すら足りない。


 どこまで続いているのか分からないほどの力。


 その中から。


 ほんの少しだけ。


「……」


 カナタが魔力を動かす。


 魔導具が淡く光る。


「そうです」


 リーゼが頷く。


「そのまま」


「……難しいな」


「でも、できています」


「もう少しだけ――」


「カナタ」


「ん?」


「少しずつで――」


 その瞬間だった。


 カナタの集中がわずかに乱れた。


「……あ」


 魔力が跳ねる。


「カナタ!」


 魔導具が強烈な光を放った。


「止めて!」


「止め方が――!」


 カナタが慌てて魔力を抑える。


 しかし。


 一度動き出した魔力は、簡単には止まらなかった。


「私に流してください!」


「え?」


「分散させます!」


 リーゼがカナタの手を掴む。


 次の瞬間。


 膨大な魔力が、カナタからリーゼへ流れ込む。


「――っ!」


 リーゼの身体が大きく揺れた。


「リーゼ!」


「だ、大丈夫……です」


 そう答えたものの。


 声が妙にふわふわしている。


 頬は赤く、目も少し潤んでいた。


「……あれ?」


 リーゼが自分の手を見る。


「なんだか……変ですね」


「魔力酔いじゃないかな」


「魔力酔い……」


 リーゼはその言葉を何度か口の中で転がした。


「なるほど……これが……」


「たぶん」


「ふふっ」


「何?」


「カナタの魔力……すごいですね」


 リーゼが笑う。


 いつもの落ち着いた笑顔とは違う。


 少しだけ幼く見える笑い方だった。


「こんなに身体がぽかぽかするなんて」


「座ろう。危ないから」


「嫌です」


「え?」


「まだ立ってます」


「いや、ふらふらじゃん」


「大丈夫です」


 リーゼはそう言いながら、一歩踏み出した。


 そして。


「……あ」


 身体が傾く。


「危ない!」


 カナタが慌てて肩を支える。


「ほら」


「……捕まえましたね」


「捕まえたというか、倒れそうだったから」


「ふふ」


「リーゼ?」


「カナタって……優しいですね」


「普通だろ」


「普通じゃありません」


「そうかな」


「はい」


 リーゼはカナタの肩に頭を預けた。


「……楽です」


「リーゼ?」


「このまま少しだけ……」


「寝る?」


「寝ません」


「でも目閉じてるけど」


「閉じてません」


「閉じてるって」


「……少しだけです」


 カナタは困ったように笑った。


「完全に酔っぱらってるな」


「酔っぱらってません」


「酔っぱらってる人ほどそう言う」


「違います」


 リーゼが少しだけ顔を上げる。


「私は……魔力に酔っているだけです」


「それを魔力酔いっていうんだろ」


「そうでした」


「やっぱり酔ってるじゃん」


「……カナタ」


「ん?」


「ちょっと意地悪です」


「ごめん」


「許しません」


「ええ……」


 リーゼは頬を膨らませる。


 そして。


「……でも」


「?」


「離れないでください」


「分かった」


「絶対ですよ」


「うん」


「……約束です」


「約束」


 カナタが答えると、リーゼは満足そうに笑った。


「よかった」


 それから少し沈黙する。


「カナタ」


「今度は何?」


「呼んでみただけです」


「……」


「カナタ」


「はいはい」


「カナタ」


「いるよ」


「……ふふ」


「何がそんなに面白いんだよ」


「ちゃんと返事してくれるので」


「そりゃ返事するだろ」


「優しい」


「さっきからそればっかりだな」


「だって優しいですから」


 リーゼはまたカナタの肩へ寄りかかる。


「……カナタ」


「ん?」


「明日、お休みですね」


「そうだな」


「じゃあ……」


 リーゼが少し考える。


「朝、起こさなくてもいいんですね」


「いつも起こしてるの?」


「……起こされる側です」


「やっぱり」


「でも明日は……」


 リーゼは眠そうに笑った。


「一緒に朝寝坊しましょう」


「俺まで?」


「はい」


「まあ、休日だし」


「約束ですよ」


「分かったよ」


「……ふふ」


 リーゼは嬉しそうだった。


 そして突然。


「カナタ」


「何?」


「もう一回、名前呼んでください」


「リーゼ?」


「はい」


「……何してるんだよ」


「嬉しいので」


 カナタは苦笑した。


「リーゼ」


「はい」


「これでいい?」


「はい」


 リーゼは満足そうに頷いた。


 だが、その直後。


「……あ」


 身体から一気に力が抜ける。


「リーゼ!」


 カナタが慌てて抱き止めた。


「……大丈夫です」


「全然大丈夫じゃないだろ」


「眠いだけ……です」


「ベッド行こう」


「はい……」


 カナタがゆっくりとリーゼをベッドへ座らせる。


 リーゼはそのまま横になった。


「おやすみ、リーゼ」


「……カナタ」


「ん?」


「今日は……ありがとうございました」


「うん」


「魔法……楽しかったです」


「俺も」


「……明日も……」


「明日は休み」


「そうでした……」


 リーゼは小さく笑った。


「じゃあ……明後日も」


「うん。練習しよう」


「はい……」


 目を閉じる。


「……おやすみなさい、カナタ」


「おやすみ」


 しばらくして。


 リーゼの寝息が聞こえ始めた。


 カナタは布団を整えてから、自分の部屋へ戻る。


「……魔力酔いって、あんなになるのか」


 今日のことを思い返す。


 普段のリーゼなら絶対に言わないようなことまで言っていた。


 名前を何度も呼ばせたり。


 離れないでほしいと言ったり。


 朝寝坊を一緒にしようと言ったり。


「……まあ、酔ってたんだし」


 カナタは深く考えないことにした。


 けれど。


 隣の部屋では。


 眠っているリーゼが、小さく呟いていた。


「……カナタ……」


 その声は。


 魔力酔いが覚めても。


 きっと簡単には消えないものだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。