第23話 『求められる力』
王国軍からの正式な面談通知が届いてから三日。
カナタは朝から落ち着かなかった。
「……軍の建物って、やっぱり怖いな」
王都軍務庁舎。
大きな石造りの建物を見上げながら、カナタは呟いた。
「そうですね」
隣にいるのはリーゼ。
今回、セレフィナの許可を得て同行することになった。
「ですが、今回はあくまで面談です」
「そう言われてもなぁ……」
「大丈夫です。私もいますから」
「ありがとう」
二人は軍務庁舎の中へ入った。
案内された部屋には、三人の男が待っていた。
一人は、肩に上級士官の徽章をつけた中年の軍人。
その隣には若い軍務官。
そして奥には、軍人とは少し雰囲気の違う男性が座っていた。
「白石カナタ殿ですね」
「はい」
「私は王国軍本部、魔導戦術部門のグレイヴ少将です」
いきなり少将。
それだけで、カナタの緊張は増した。
「本日は、あなたの今後について話をさせていただきます」
グレイヴは書類を開いた。
「まず、ハルディア砦での功績について。王国軍として、正式に評価しています。あなたの魔力誘導によって、砦への大規模な魔物侵入は回避された」
「……リーゼも一緒でした」
「承知しています。しかし、広範囲に魔力を展開し、魔物の進路を変えたのはあなたです」
グレイヴは一枚の書類を机に置いた。
「率直に申し上げます。王国軍として、あなたを必要としています」
「……軍に入れ、ということですか?」
「はい。特別魔導要員として迎えたい」
専用宿舎、研究設備、専門教育、装備の無償提供。
待遇だけを見れば、かなり良い。
だが、カナタは首を横に振った。
「……すみません。俺、軍には入りません」
「理由を聞いても?」
「俺は伝書人だからです」
「ハルディア砦では、あなた自身が戦場に立ったではありませんか」
「あれは、戦いたかったわけじゃありません」
カナタはまっすぐグレイヴを見る。
「砦にいる人たちを助けたかっただけです」
「軍に入っても、必ずしも戦場に出るとは限りません」
「でも、最終的には戦いのために使われるんじゃないですか?」
グレイヴは答えなかった。
その沈黙が、カナタには答えのように感じられた。
「では、別の話をしましょう」
若い軍務官が書類を取り出した。
「軍への所属を拒否すること自体を問題にしているわけではありません。しかし、あなたの魔力は国家にとって無視できないものです」
「……何をするつもりですか?」
「今後、大規模な魔力行使を行う場合、王国軍への事前報告を求めます」
「伝書人としての仕事でも?」
「規模によります」
「その基準は?」
「現在、検討中です」
リーゼが眉をひそめた。
「それでは、実質的に彼の仕事へ軍が介入することになります」
「安全保障上、必要な措置です」
「彼は軍人ではありません」
「それも理解しています」
カナタは軍務官を見た。
「もし俺が軍に入らなかったら?」
「魔力の使用に制限を設ける可能性があります」
「……それは、俺に軍へ入れと言っているのと変わらないんじゃないですか?」
部屋が静まり返った。
「その通りだ」
奥の男性が口を開いた。
グレイヴが立ち上がる。
「レオニス閣下」
男性も立ち上がり、カナタに向かって頭を下げた。
「申し訳ない。軍側の説明が強すぎたようだ」
「……え?」
「私は王国評議会の国民保護担当、レオニス・ハルヴェンです」
レオニスは軍務官の書類を閉じた。
「今回、あなたを呼んだのは、軍に入ってもらうためだけではありません」
「では、何のために?」
「あなたの力を、どうすれば国民を守るために使えるのか。その可能性を、あなた自身と話したかったのです」
「戦争のためじゃないんですか?」
カナタが尋ねる。
「違います」
レオニスは即答した。
「軍人の中には、あなたの力を戦力として見ている者もいる。ですが、私はあなたを戦場に送りたいわけではありません」
「……」
「戦争に投入すれば、敵はあなたを狙うでしょう。あなたを守るために兵士が傷つき、あなたの力を巡って争いも起きる。私は、それを望んでいません」
レオニスは窓の外へ目を向けた。
王都では、子どもが走り、店が開き、人々がいつもの暮らしを送っている。
「この国の人々は、戦争をしたいわけではありません。魔物が来れば怖がり、家族が傷つけば悲しみ、町が襲われれば逃げるしかない」
そして、カナタを見る。
「ハルディア砦の兵士たちも同じです。彼らが守りたかったのは、勝利ではない」
「……帰る場所」
「その通りです」
レオニスの声は静かだった。
「あなたが砦で守ったのも、そこにいる人々の暮らしでした」
カナタの胸に、あの時の光景がよみがえる。
怯えながらも持ち場を離れなかった兵士たち。
砦の中で祈っていた人々。
そして、魔物の群れが遠ざかっていった瞬間の安堵。
「だから、お願いしたいのです」
レオニスは軍の書類ではなく、一枚の白紙をカナタの前に置いた。
「軍人になる必要はありません。伝書人のままでいてください」
カナタが顔を上げる。
「そのうえで、あなたが誰かを助けたいと思った時、力を貸してほしい。国が命令するのではなく、あなた自身の判断で」
「……俺が、決めていいんですか?」
「はい。協力を求めることはあっても、強制はしません」
レオニスははっきりと言った。
「あなたの力を国のものにしたいのではありません。その力をどう使うか、あなたに選び続けてほしいのです」
カナタは白紙を見つめた。
軍は、自分の力を必要としている。
それは変わらない。
けれど、レオニスが見ているのは力そのものではなかった。
その力で守られる人々。
そして、守るかどうかを決めるカナタ自身だった。
「……それなら」
カナタはゆっくり口を開いた。
「俺が伝書人を続けたままでもいいんですか?」
「もちろんです」
「魔力の研究も、嫌なら断っていい?」
「本人の同意なしには行いません」
「軍に入らなくても?」
「入りたくないのであれば、入らなくていい」
カナタは息を吐いた。
ようやく、自分の意思を置ける場所が見えた気がした。
「ただし」
レオニスは続ける。
「国民を守るために力を貸してほしいと、正式にお願いすることはあるでしょう」
「その時は……俺が判断する」
「はい。それが、私からのお願いです」
レオニスは深く頭を下げた。
「あなたの力を奪わず、あなたの意思を尊重したうえで、助けを求めさせてください」
カナタはすぐには答えられなかった。
だが、先ほどまでの拒絶とは違う。
胸の奥に、確かな揺らぎが生まれていた。
「……分かりました」
カナタは白紙の書類に目を落とす。
「約束はできません。でも、助けられる人がいるなら、考えます」
レオニスは微笑んだ。
「それで十分です」
帰り道。
王都の街を歩きながら、カナタは黙っていた。
隣を歩くリーゼも、しばらく何も言わなかった。
「……どう思います?」
先に口を開いたのはリーゼだった。
「難しい」
「はい」
「軍に入れって言われたら、絶対に嫌だった」
「そうですね」
「でも、レオニスさんの話は……少し違った」
カナタは足を止める。
「俺の力を使うかどうか、俺に決めていいって言ってくれた」
「はい」
「それなら、誰かを助けるために使ってもいいのかもしれないって思った」
リーゼは静かに微笑んだ。
「カナタは、困っている人を放っておけない人ですから」
「そんな立派じゃないよ」
「ハルディア砦でも、同じことを言いますか?」
カナタは答えられなかった。
あの時も、戦いたかったわけではない。
ただ、目の前にいる人たちを助けたかった。
「俺は伝書人でいたい」
「はい」
「でも、目の前で誰かが困っていたら……」
「助けるでしょうね」
「……うん」
「それでいいと思います」
リーゼは穏やかに言った。
「伝書人だから助けない、なんてことはありません。カナタがカナタらしく判断すればいいんです」
カナタは少しだけ笑った。
「リーゼって、たまにすごく頼りになるよな」
「たまに、ですか?」
「いや、いつも」
「……なら、最初からそう言ってください」
二人は再び歩き始めた。
その日の夕方。
伝書院。
セレフィナのもとに、王国評議会から正式文書が届けられた。
内容を確認したセレフィナは、ゆっくりと息を吐く。
「……軍への所属を強制しない」
続いて、別の一文に目を留めた。
「大規模災害・魔物災害等における協力を本人に要請することがある……」
そして最後の一文。
――白石カナタの職業選択及び所属については、本人の意思を尊重する。
セレフィナは静かに書類を閉じた。
「……少なくとも、話の分かる方はいるようですね」
しかし、これで終わったわけではない。
カナタの力を欲しがる者は、まだいる。
そしてカナタ自身も、自分の力が誰かを守るために使えることを知ってしまった。
それは、伝書人として旅を続ける彼にとって、新しい責任の始まりでもあった。
夜。
月影亭。
カナタは部屋の窓から夜空を眺めていた。
手元には、軍から渡された書類と、王国評議会からの書簡。
「……力を貸してほしい、か」
カナタは呟く。
その時、胸元に入れていた青い羽根が、ほんの一瞬だけ淡く光った。
「……?」
カナタが羽根を取り出す。
光はもう消えている。
「また……」
彼は羽根を見つめた。
まだ、この羽根が何なのかは分からない。
けれど、今日の出来事と無関係ではないような気がした。
カナタは羽根をそっとしまう。
「……明日も仕事だな」
軍でも、王国でもない。
自分が選んだ場所。
伝書院へ。
そして、いつもの旅へ。
カナタは静かに明かりを消した。




